月影の砂

鷹岩 良帝

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4 王立べラム訓練学校 高等部2

4-1話 精霊錬金術師1

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 ヒールガーデンに着いた次の日、ルーセントの自宅でもある道場からは、何度も何度も木を打ち合う乾いた音が響いていた。
 その床に汗を流しながら仰向けに倒れているパックスがいた。息も絶え絶えにルーセントに顔だけを向ける。

「おい、お前の、親父さん、……本当に、中級守護者なのか?」
「本人が……、言うには」ルーセントは息を荒げて床に膝をつけたまま答えた。
「強すぎだろう、こっちは全滅だぞ。一回も当たんねぇ」

 パックスは五人全員が負けたことに驚愕していた。
 ルーセントは右腕で額の汗をぬぐいながらバーチェルの方を見る。
 老いを隠せないはずの父親が、ティアの短い木刀を弾いて喉元に突きつけているところだった。
 ティアは悔しそうにバーチェルに問いかける。

「何で気配も殺気も絶っていたのに、私のいる場所が分かったのですか?」
「世の中には便利な魔法も有るものだな。たしかに、一瞬だけそなたを見失ってはいたが、死地において何十年も身に付けた経験が無駄になることはなかろうて」バーチェルが笑みを浮かべた。
「そんなの誰にもわかりませんよ。……化け物です」
「もっと簡単に強くなれねぇかな……」

 うなだれて道場の隅へと戻っていくティアを見送るパックスがそっとつぶやいた。

「ハッハッハ、若いのう。良いかパックス、人生と言うものはな、楽な道を選ぶときほどつらくなる。覚えておいて損はないぞ」
「そうは言っても、毎日頑張ってるのに強くなってる気がしないんですが」

 パックスはバーチェルの言葉に納得いかないのか、アグラを組むと両手をうしろに置いて不貞腐れた。
 バーチェルがパックスに優しく聞き返す。

「では一つ聞くがな、剣の習い始めと今では、どちらが強くなっている? 一切変わらぬか?」
「それは……、今の方が強いです」
「そうであろう。ではなぜ、強くなっていないと言ったのだ?」

 パックスは返答に困って少しの間だけ逡巡しゅんじゅんした。そして、答えが見つかったのか口を開く。

「どんなに頑張っても、ルーセントたちにはいつも負けてばっかりで良いところが何もないから……」
「そうか。それは自分を見失って他人を物差しにしているからであるな。人の成長などその人物によって変わる。早いやつもいれば、遅いやつもいる。それに向き不向きもある。剣術とは他人を倒す技術ではあるが、本来は自分との戦いだ。まずは何ができて、何ができないのかを知ることだ。その上でどうすればよいかを考える。努力とは報われるまで行うからこそ意味がある。努力しても報われない、と思うなら頑張りがまだ足りない証拠だ」

 一呼吸を置いてバーチェルがさらに続けて話す。
 五人全員が真剣にバーチェルの言葉に耳を傾けていた。

「それに相手と戦うのはな、強さを競うためではない。自分を守るため、弱点を知るためだ。他人と強さを競ったところで、この世の生き物すべてに勝てるわけではなかろう。それは無意味だ。昨日の自分に今日勝てばよい。気付いたときには勝手に強くなっている。そのためには己の限界を知ることだ。あとはそれを越えていけばよい、簡単であろう」

 淡々と語るバーチェルに一同が納得するようにうなずくが、パックスはなおもバーチェルに問いかける。

「それでもどんなに頑張っても、努力しても駄目なときはどうすれば良いんですか?」
「そうだな。まずは自分で努力している、頑張っていると思っているうちは無理であろうな。それは自分に酔って甘やかしているだけだ。ワシも、恐らくルーセントも努力しているとは欠片も思ってはおるまい。必要だからこなしているだけだ。息を吸うのに頑張っている、と言うアホもおらぬだろう」

 パックスは自分に酔って甘えているだけだと言われ、不満を顔に表すが、バーチェルのその強さに、ルーセントの日頃の行動を見て言い返すことはできなかった。
 そして、バーチェルが最後に付け足す。

「努力してる頑張ってると言うのはな、自分ではできないことをこなしてる、だからすごい、と言う他人の評価に過ぎない。そもそも努力などという言葉に何の価値もないのだよ。……さあ、休憩は終わりだ。パックスから来るがよい」
「げっ、おれから?」

 もう終わりだと思っていたパックスが顔をひきつらせる。さまよう視線が助けを求めるように四人を見た。
 しかし、全力で目を反らす一同に、諦めたようにため息をついて立ち上がった。
 木刀を正面に構えて向き合う二人、道場には通り抜ける風の音だけが響いていた。
 先に動くのはパックス、木刀を頭上まで上げて振り下ろす。
 しかし、バーチェルはパックスが木刀を振り下ろした瞬間には、すでに左足を一歩踏みだしていた。
 そして自身の木刀で受け止めると同時に、振り抜く木刀と一緒に右へ大きく踏み込んで流れるように左から右へと動いた。

「隙だらけだ! 振りが大きすぎる。もっと身体の力を抜け、もう一度!」
「はい! お願いします」

 バーチェルの声に驚いたパックスが反射的に返事を返すと再び向かい合う。
 今度はバーチェルが動いた。
 木刀を正面に構えたままパックスに向かっていく。小刻みに動いて間合いを詰める。
 パックスは距離を取るために、バーチェルに合わせてうしろへと下がっていく。
 なおも止まらないバーチェルに、下がることに耐えきれなくなったパックスが反撃しようと木刀を振り上げた。
 その瞬間、バーチェルが大きく一歩踏み込むと同時に、パックスの右側を抜けながら胴を打った。
 さらに、数歩だけ踏み込んで身体を反転させると、木刀を振り下ろして首のうしろで止めた。

「お前が動けるのは前後だけか! もっと隙を誘って相手をつぶせ! 常に攻撃されるイメージをもって対処しろ! 交代!」

 瞬殺されるパックスがうなだれて皆の元に戻る。そして、同情するようにルーセントに肩をたたかれた。
 このあともフェリシア、ティア、ヴィラ、ルーセントと続いて地獄の特訓が終わった。


 四日後、五人はバーチェルの特訓をやり遂げて大噴水までやって来た。
 パックスは悲痛な表情でストレッチをしながらぼやく。

「あぁ、筋肉痛が治らない。どうなってんだ? 学校の授業だってこんなにひどくはならないのに。あれは鬼か、悪魔か」
「きつかったね。昔はもうちょっと戦えてたと思ったんだけど、ずいぶん手加減されてたんだな。まだまだ弱いなオレも」
「それで弱いなら、おれらはどうなるんだよ。頼むぜ、少しくらい夢見させてくれ」

 弱気になるルーセントに嘆くパックス、痛む身体を揉みほぐしながら一同が噴水を見上げる。
 噴水は水を絶えずはき出しては下へと落としていた。
 漂う小さな水の粒がキラキラと太陽の光に反射して、時おり七色に彩り虹を作っていた。

「へぇ、観光名所になるだけあって、すげぇな」
「本当ですね。ずっと見てても飽きそうにありません」
「すごいわね。女神様の彫刻なんて、生きてるみたい」
「これこそ芸術だね。土台にある苦悩する人々を見ていたら、こっちまで心が引きちぎられそうだよ」

 皆の感想を聞いて誇らしそうなルーセント、久しぶりに見る噴水は少し低くなったようにも感じていた。
 しばらくしてルーセントが何かを探すように辺りを見回す。それに気づいたフェリシアが話しかける。

「どうしたの? そんなにキョロキョロして」
「ん? あぁ、いつか前に話したと思うけど、精霊の名前のついたアイテムを売ってた人がいたのがここら辺だったんだよ」
「そうなんだ。でも、いっぱい露店商の人たちがいて探すの大変そうね」

 円を描く広大な広場の隅には、食べ物や土産物などを売る露店商と観光客で賑わっていた。
 離れていくルーセントとフェリシアを見て、ティアとパックスは二言三言話し合うと露店の方へと歩いていった。
 ルーセントとフェリシアは噴水を離れてフラフラと歩きながら商人を探し始める。そこに、ヴィラも加わわった。

「僕も探すよ、どんな感じの人だったんだい?」
「前見たときは確か……、黒いロングコートを着ていて、金髪で眼鏡をかけていて、あとは……、そうそう、細身で若い人だったかな。愛想はあんまりよくなかった気がする」
「商人なのに無愛想って珍しいね」
「うん、売れても売れなくても、どっちでも良いって感じだったから」
「前はどこら辺にいたんだい?」
「どこだったかな? 西側の隅に……、あ、いた! あの人だ」

 ルーセントが古い記憶を便りに、目的の人物がいた場所を思い出す。
 そこには、記憶の中と同じ場所にやる気のなさそうな男が一人、白に近い青色のロングシャツを着た細身の男がいた。木製の土台に商品を並べて椅子に座っている。
 ヴィラとフェリシアは目を輝かせてルーセントを急かす。

「あそこに夢のアイテムがあるのね! 早く行きましょ、ルーセント」
「そうさ、どうやって手に入れたのか聞かなくては。実に興味深い」

 楽しそうに騒ぐ三人に、いつの間にか両手に人数分の豚肉の串焼きを持ったティアとパックスが近付いていた。

「どうしたんですか? そんなに楽しそうに、何かあるんですか? ずるいですよ」
「そうだぞ。抜け駆けはずるいぞ。ほれ、串焼き」
「あぁ、ありがとう。前にも言ったでしょ、変わったアイテムを売ってる露店商がいるって」
「おお、精霊のアイテムですね! 私も見たいです。早く行きましょう」

 興味を示すティアとパックス、三人は二人から串焼きを受けとると楽しそうに露店の方へと歩き出した。

「いらっしゃ……、頼むからその汚れた手で商品には触らないでくれよ」
「あ、はい。すみません、気を付けます」

 露店の前まで来ると、抑揚のない小さな声であいさつを交わそうとした店主がいた。
 店主は五人が手に持つ串焼きを見て、うんざりしながら眉をひそめて注意する。
 ルーセントが軽く謝ると、右手に持つ串焼きを遠ざけて商品を手に取った。

「へぇ、前に来たときと変わってないですね」
「ん? 来たことあるのか?」
「はい。と言っても三・四年前ですけど」
「そうか。それじゃあ、さすがに覚えてないな」
「いつもここにいるんですか?」
「いや、週に一度か二度か、それくらいだな」

 ルーセントと店主が会話をしていると、フェリシアが割って入る。

「あの! 精霊女王の耳飾りってどれですか?」
「あぁ、それならそこのイヤーフックだ」
「こ、これが」
「興味があるなら付けてみればいい」

 試着して良いと言われて目を輝かせるフェリシアは、串焼きをルーセントに手渡すと浄化のスキルを使い手を清める。
 そして精霊女王の耳飾り、イヤーフックを手に取り眺めた。
 耳飾りは耳の上部と下部に引っ掛け使うアクセサリーで、耳の前面を彩る。
 緩やかに波打つツタをあしらったデザインは、上部に三カ所、下部に三カ所の場所に小さな宝石がついていた。そして、下部の二手に別れた蔦の部分からは、雫形をした一センチメートルほどの大きさで、透き通った薄ピンクの宝石がぶら下がっている。
 上部と下部とは耳の裏を通して一本の金のワイヤーとでつながっていて、この部分にも蔦の細工が施されていた。
 フェリシアはひととおり眺めると早速身に付ける。
 耳飾りを付けたフェリシアが目を見開いて驚いた。顔を何度か左右に動かすと、何度もまばたきを繰り返す。

「すごい! ここにずっと地図が表示されてる」
「はい! はい! フェリシア。私も付けたいです」

 フェリシアは自身の顔の右下辺りを指で円を描いて知らせる。
 好奇心旺盛なティアは、フェリシアの腕を両手でつかむと軽く揺らしながら自分もとねだる。
 フェリシアは耳飾りを外してティアへと渡す。
 耳飾りを付けたティアも、フェリシアと同じように驚いてははしゃいでいた。
 フェリシアは、小さい肩掛けのローズピンク色のポシェットから、革の封筒のような入れ物を取り出した。その中には分厚い札束が入っていた。

「これ、買います! いくらですか?」
「……三百万リーフだが、それどうした?」
「お父様からもらってきました」
「そ、そうか。まいど」

 娘に大金を簡単に手渡す父親がどんな人物なのだろうか、と顔をひきつらせた店主が恐る恐るフェリシアの手から三百万リーフを受けとる。
 店主とフェリシアを除く四人が感嘆の声を同時にあげた。

「おお!」
「さすがは伯爵、強えな」パックスが、ここには居ない伯爵に賛辞を送る。

 さらにヴィラも商品棚に近付いてエアボールを手に取った。

「すみません、これはなんでしょうか?」
「ああ、それはエアボールってアイテムだ。詳しいことはわからないが、これをつぶすとその人物の周りに空気の層ができる。そのまま水の中に入れば、水中散歩が楽しめるってやつだな。ただし、一個で三十分しか持たないから気を付けろ」
「へぇ、それは面白そうですね。じゃあ、ここにあるやつ全部ください」
「正気か? 一個一万だから、全部で十万リーフだぞ?」
「ご心配なく、ここにありますよ」

 ヴィラはカーゴパンツのポケットから財布を取り出すと、十万リーフを店主に手渡した。
 店主は直径五センチメートルほどのエアボールを一つずつ小瓶につめて茶色い紙袋に入れるとヴィラに手渡した。

「最近の若いのは金持ちだな。おかげで稼がせてはもらったが……」
「ところで、ここの商品は全部あなたが作っているのですか?」

 驚きと感謝を示す店主にヴィラが問いかける。
 店主が一度だけ鼻で笑う。

「こんなふざけたアイテムが作れるなら俺は今頃大金持ちだ。こいつらは俺の家系に先祖代々に伝わるアイテムだよ」
「え! そんな大事なものを売り払っていいのですか?」
「大事? 俺からしたら厄介なガラクタだ。こいつのせいで……、まあいい、興味あるなら明日俺の家に来るといい。教えてやるよ」
「ぜひ! 必ず伺います」
「朝は寝てるから、午後に来い。地図を書いてやる」

 店主は自分の家の地図を紙に書くと、ヴィラに手渡した。
 次の日、ルーセントたちは店主の家を訪ねることとなった。
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