月影の砂

鷹岩 良帝

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2 王立べラム訓練学校 中等部

2-12話 真夜中の死闘

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「たしか、俺が四十六歳の時だったかな。あいつに頼んでこんな状態になったのは」

 夢の中でのスティグの剣術指南が終わった。二人を、雲のすき間から差し込む穏やかな陽光が包み込んだ。涼やかな風が通り抜ける村の中で、スティグは腕を組んでルーセントに向き合っていた。

「最初の子供が産まれたときに、俺が他の子供と取り換えてスラープ村に預けたんだよ」
「えっ! 第一王子を、ですか?」
「そうだ。魂を共存させるには親和性も必要だったからな。まあ、その後すぐだな。そっちの世界での生を放棄してこんな風になったのは」

 スティグはいつのまにか手の中に存在していたリンゴを一口かじっていた。
 しかし、ルーセントは次々と明らかになる事実に眉を寄せた。そして、なにかを思い出すように目を不規則に動かした。

「でも変じゃないですか? 初代国王は七十歳近くまで生きたって本に書いてありましたよ」
「そりゃ、あれだ。替え玉だよ。守護者の能力でコピーっていう便利なやつを持ったのがいてな、そいつと変わった。だから、俺の血を受け継ぐのはもうお前しかいないんだぞ、ルーセント」

「えっ!」ルーセントは、驚きに目を見開き固まる。

「はっはっは、無理もないな。とはいえ、今さら誰も信じないだろうけどな、あいつらを除いて」
「あ、あいつらって……誰、ですか?」ルーセントは、不穏な言葉に顔を曇らせる。
「アンゲルヴェルクの王族どもだ。むやみに名乗り出ればバッサリいくぞ。気を付けろよ」
「ど、どうして?」

 突如として現れた王族との言葉に、ルーセントの頭の中には苦手な人ランキング第二位の現国王『マグドニール・レイオールド』の顔が浮かんだ。とっさに狙われる理由を聞き返すルーセントの顔はひきつっていた。
 スティグが半分ほどかじったリンゴを光の粒子に変えると、気の毒そうな表情を浮かべる。

「玉座が恋人だからな、あいつらは。その恋人のためだったら家族とて簡単に殺す。その証拠に、労なく王にしてやったと言うのに、俺の子孫はもうお前しか残っていない。他のやつらはひっそりと暗殺されて存在していないからな。ご先祖様は激おこだぜ」
「僕は、どうしたらいいんですか?」

 すっかり怯えてしまったルーセントにスティグが笑みを浮かべる。頼りなさげな少年の肩を二度ほど優しくたたいた。

「そんなに心配するな。相当な間は平気だと思うぞ。ヴァンシエルを従えている限りはな。その力を敵に回すほどバカでもないだろ」

「よ、良かった」ルーセントは安堵あんどの表情を浮かべて強張っていた身体の力を抜く。

「とはいっても、油断はするなよ。“獲物がいなくなった猟犬は煮て食われる”っていう言葉もある。実際、俺もルーインを封印した後は、アトモスフィア帝国の皇帝に粛清されそうになって、結局戦う羽目になったからな」

 スティグがまるで楽しそうな思い出を語るかのように、その笑みをルーセントに向けた。

「そ、そうだったんですね。気を付けます」

 ルーセントは、最初の英雄の口から出てくる言葉とその真逆の表情に苦笑いを浮かべていた。
 そして先人の教えに自分も気を付けよう、と心に刻み込むのだった。
 しかし、ルーセントが若いながらに思っていたことは、義父から道場を受け継いだ後に、世界を旅しつつも穏やかな暮らしをすることだった。
 今では本人が望む望まないに関わらず、三つの敵を抱え込んでいる。
 一つは世界に絶望を振り撒こうとしているルーイン、もうひとつはほとんど逆恨みに近いティベリウスの復讐に、最後は自国の王族、と強大な勢力が狙っている。
 もはや自分の意思ではどうにもならない事柄に、ルーセントがため息をつく。
 それを見ていたスティグは気まずそうな顔に表情を変えて両手を腰に当てた。

「悪いなルーセント、俺が千年前にあいつを倒せていたら、こんなに苦労はかけなかったんだけどな。最後にいろいろあって封印するのが精一杯だった。どうにもならなくなったときは俺が力を貸そう。あいつに、ルーインに絶望を教えてやるために残した力だから、一回か二回か、それぐらいしかしてやれないけどな」

「ありがとうございます。それでも心強いです」

「まあ、あまり思い詰めるなよ。誰であろうと人の道に平坦なものなんてないからな。今できることをやれ、逃げたいと思ったときほど立ち向かうべきときだ。だけどな、つぶれそうなときはさっさと逃げろ。カッコ悪かろうが無様だろうがかまやしない。人が選ぶことに正解なんてない。どうせ全部間違いなら、誰かのレールの上を走るより、自分の道を歩け」

 ルーセントに優しくほほ笑むスティグが、空にうっすらと浮かぶ月に視線を移すと、自分の人生を思い出しながら語り出す。

「歩く道はどこまでもうねり、そびえる山は険しく果てなく高い。道を踏み外せば水深い断崖が待ち構え、後ろに戻ろうにも橋梁きょうりょうは絶たれたまま。穏やかに見える森や草原には猛獣が潜み、身を屈めていちいち立ち止まらなければならない。ケガをするときもあるだろう。それでも誰にも助けてはもらえない。さらには、坂を上れば上るほどに雪がしんしんと降り続ける。その過酷さに苛立ち、ふさぎ込み、過ぎた日に想いをせる。誰が見てもろくでもない道だが、正しく進むべき道こそ迷い、まどい、失い、日が暮れても休む場所もない。だがな、一歩、また一歩と歩き続けたその先で、ふとうしろを振り返れば、これ以上ない景色がすべてを癒やす。孤独な道のその先で、ふるき友の恩を想い、過ぎた苦労や憂いをともに酒を手に取り語り合う日が来る。それが人生というものだ。最良の中にも最悪があり、その逆もある。だから歩き続けろ。恐怖も憂いも、いつかはどうでも良くなる。追い込まれたときほど相手を、周りをよく見て考えろ。感情の奴隷にはなるなよ、思考を止めていたらクソみたいなことしか思いつかんぞ」

 スティグが最後に爽やかな笑みをルーセントに送ると、その表情を険しく変える。顔を横に向けてなにかを探っていた。

「もう一つ教えておきたいことがあったが、どうやらここまでのようだな。お前に客だ」
「客? 誰か来るんですか?」
「いや、もう来てる」

 ルーセントが自分の周りをキョロキョロと顔を左右に動かし確かめるが、そこには誰もいなかった。
 なおもスティグは険しい顔をしたままだった。

「ここにじゃない。お前がいる世界での話だ。気を付けろよ、夜中にナイフを手に侵入してくるやつだ。まったく、サプライズ好きもほどほどにして欲しいもんだな」

 ほほ笑むスティグのその言葉を最後に、ルーセントの視界が歪む。そして、荒々しい波のように揺らぐスラープ村の景色が薄れて消えていった。
 その瞬間、ルーセントの意識が途切れた。

 ルーセントを見送ったスティグの横に白い虎が現れた。その金の瞳がルーセントのいた場所を見つめる。

「千年にして初めてであるな。己の魂を削り主にコンタクトを取るなど」
「ヴァンか、ここで斬った男にずいぶんと追い詰められていたからな。いつつぶれてもおかしくないほどにはな」
「無理もなかろう、十歳の若さで刺客に殺されそうになったのだからな。受けた恐怖と痛みは我らの想像以上であろう。殺意など受けたこともなかっただろうに」
「だから、ケアをしたまでだ。俺の最後の子孫でもあるからな。それにルーインが復活した今、あいつには強くなってもらわなければならん」
「そうだな。我らの宿願、ルーインの討伐は月の住人にしかできぬこと。禁忌を犯した謀反人、必ずこの代で倒さねばならぬ。我ももう長くはないからな」

 表情の変化の乏しい白虎の顔はどこか寂しさを含んでいた。すべてを理解するスティグが、白き虎を見おろしたまま話題を変える。

「どうだ、酒でも飲んでいくか? その状態では無理か?」
「ふん、虎の姿に身を落としたとはいえ、酒の強さは変わってはおらぬ。望むところだ。遥かむかしのお主との勝負もつけたいところではあったが、この身となっては叶うまい。ならば酒で勝ってみせようではないか」
「勝負か、懐かしいな。同じ道場で剣を構えていたときもあったな。あれは俺が勝っていただろう」
「バカを言え、引き分けだ。勝負はついてはおらん」
「俺の……」
「引き分けだ!」
「そうかよ」

 ふるき友の訪れに、スティグが村を再構築する。村には人が行き交い、にぎやかさが増した村に二人が消えていく。
 青く透き通る空には、鳥の群れが通り過ぎていった――。


 ティベリウスがナイフを振り上げて寝ているルーセントの心臓に突き刺そうとした瞬間、金色の瞳が開かれ刺客の姿を捉える。
 ほんの一瞬だけ互いに目が合う。しかし、振り下ろされたナイフは止まることがなかった。
 ルーセントは考えるよりも先に身体が勝手に動くと壁側に身体を寝返らせる。
 対象をなくしたナイフがベッドに刺さる。そこに体勢を戻したルーセントが背中で下敷きにすると、バランスを崩された黒衣の人物がその手を離して数歩だけうしろに下がった。
 ルーセントは瞬時に起き上がると黒衣の人物と対峙した。顔のほとんどがフードと布により隠されて誰なのか性別すらも分からないほどだったが、すぐに見当を付けた。

「ティベリウス、だったよね。なんでそんなに復讐にこだわるんだ?」
「男は己を知る者のために命をささげる。ならば、俺はあの人の恩に報いるためにあだを討つ」
「……そうか、じゃあ話し合っても無駄だね」
「最初からそう言ってる」

 ティベリウスがベッドに刺さるナイフに視線を送ると、手に取ろうと瞬時に動く。
 ルーセントは取らせまいとうしろに回転しながら蹴りを出してティベリウスの腹部に当てると退けた。
 ティベリウスは苦しそうに短く声を漏らす。
 いったんナイフを諦めると、左手を前に構えて右足を下げた。
 ルーセントも同じ体勢を取る。
 広くはない室内、完全防音の部屋に助けは来ない。
 ルーセントが生き残るには、ティベリウスを倒すしかなかった。静かな室内には、身体がひりつくほどの緊張感が支配する。にらみ合う二人、その闘志に火が宿る。

 沈黙を破って動いたのはティベリウスだった。右手で顔に殴りかかるが、ルーセントが左手で上から回し込むように軌道をずらすと右手で顔に殴りかかった。
 しかし、ティベリウスがその手を左手で弾きながら、そのまま手首をつかんだ。
 そして、返すように再び右手で殴りかかるが、ルーセントは左腕を曲げて顔をかばうように腕をあげた。
 ティベリウスの攻撃は腕に阻まれ失敗する。
 そこに生まれたわずかな隙をルーセントは逃さなかった。銀髪を揺らして右足を一歩踏み出すと、つかまれたままの右腕を曲げて肘でアゴを狙った。
 ティベリウスがとっさにアゴを引くと頬骨付近に肘が当たる。鈍い打撃音とともにうしろによろけるティベリウス。制服が収納されたクローゼットにぶつかると舌打ちを打った。

 ゆっくりと間合いを埋めていくティベリウスが、ルーセントの首をめがけて左足で蹴りを放つ。
 ルーセントは迫り来る足の膝に左手を当てて右腕で首を守った。膝を制圧されて威力の弱まった蹴りは、ルーセントの右腕に軽い衝撃を伝えるのみで、ダメージを与えることはなかった。
 今度はルーセントが攻める。フィードバックをなくしたコンパクトな右パンチを布で覆われている顔にたたき込んだ。蹴りで体勢を崩していたティベリウスは、その流れるような動きに反応できずに殴られるとよろけた。
 さらにルーセントがラッシュをかける。左手で顔を殴り、次の瞬間には腹部に右手がのめり込む。さらには、左手が腹をとらえると、右手がティベリウスのアゴを下から捉えた。
 痛みと衝撃で視界が揺れるティベリウス。
 大きくよろけると身体をひるがえしてルーセントに背中を向けて距離を取る。
 追い打ちをかけようとルーセントが飛び出した瞬間、ティベリウスが振り返りながら右足で蹴りを出した。
 止まることができなかったルーセントは、無防備な腹部にその蹴りを受けてしまう。くの字に折れ曲がる身体に痛みが波のように上半身を駆け巡る。そして後方へと弾き飛ばされてしまった。
 勢いを殺せず、床に叩きつけられるように仰向けに倒れる。腹部に手を当てて痛みで動けずにいると、ティベリウスが近付いて乗りかかろうとしてきた。

 ルーセントは右腕を支えに軽く上体を起こすと、ティベリウスの足の付け根に左足を押し付けた。足を払われれば逆の足を押し付ける。ルーセントが近づけないように、と何度も動きを制御する。
 ティベリウスの視線が苦痛に寝そべる少年のうっとうしい足に集中すると、ルーセントは空いた足でうしろに下げられていたティベリウスの左足に自身の右足を引っ掛けると、同時に押し付けていた左足を押し込んでその身体を倒した。
 ルーセントはすぐに起き上がってティベリウスを取り押さえる。
 一瞬にして形勢が逆転すると勝負が決した。

 ティベリウスが「くそっ!」と悪態をつき「さっさと殺せ」と観念したようにおとなしくなった。

 ルーセントがベッドからナイフを引き抜いてティベリウスの首に押し当てたが、そのまま立ち上がり解放した。
 これで終わりか、と仇を討つことができなかった悔しさにさいなまれていたティベリウスは、何事もなく自分を解放するルーセントの行動に怪訝けげんな表情を浮かべた。

「なんで殺さない。いまここで殺さなければ、またお前を狙うぞ」
「僕が気を付けていればいいことだ。早く部屋に戻れ」
「とんだお人よしだな。それとも、ただの馬鹿か? しばらくは、おとなしくしといてやる。だけど忘れるなよ、必ずお前を殺す」

 ティベリウスは痛みの残る腹部を押さえながら、ふらつく頼りない足取りで部屋を出ていった。
 再び静かになった室内で、ルーセントがベッドに倒れるように腰を掛けた。
 ルーセントもまた余裕が残っていなかった。
 ティベリウスの蹴りは肋骨を二本折り、その内の一本が内臓を傷付けていた。鋭い激痛が波のように押し寄せる。腰の辺りの衣服を力の限りに握りしめてその痛みに耐えていた。顔には苦痛に何度もゆがむ。その顔からは汗が流れ落ちる。呼吸も次第に短く荒くなっていった。

「きゅっ!」

 そんな様子を見ていたきゅうちゃんが、部屋を滑空して机の上からポーションをくわえてルーセントの足元にポーションを置いた。
 ルーセントは痛みに耐えながらもきゅうちゃんに笑顔を向ける。そして、歯を食いしばるとポーションを手にとって一気に飲み干した。
 しばらくして痛みがある程度収まると、いまだに発する痛みの元に手を添えながらも机まで歩いてもう一本のポーションを手にとった。
 心配そうに肩の上に飛び乗って鳴くきゅうちゃんに、ルーセントが手を添えてその小さい身体を手のひらに乗せた。

「ありがとう、きゅうちゃん。もう大丈夫だよ」
「きゅう!」

 きゅうちゃんは明るい声で鳴くと、窓枠にある自分のベッドまで滑空して眠り込んだ。
 ルーセントも一度だけ自動扉に視線を移すと、ベッドに戻っていった。
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