白い夏に雪が降る【完結済】

安条序那

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第22話 狼煙

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「――聞こえるかい、悠里」

 一木は姪に声を掛けた。
 ほんの数分前までこの娘は雪の影響で“存在しなかったはずの場所”に居たことを知っていた。そしてしづるに伝えなかったもう一つのプラン、その最大の不確定要素もここにあった。

『おじさん……夢を見てたの。悲しい夢』
「――」

 もし、月守悠里が本当に帰ってくることができたのであれば、それはもう一つのプランの可能性があるということだ。しかしここで月守悠里が変わってしまったのであれば――それは一木の敗北と言えた。一つ目のプランの脆弱性は、立案者である一木が最もよく理解していたからだ。

「そうか。それはよく帰って来たね。おかえりなさい、悠里」
『おじさんに、あたしの知ってることと考えたこと、お話ししたいの』
「うん。教えて悠里。君の思いや考えたことを」
『ありがとうおじさん、ずっと大好きだよ。……あたし、説明下手っぴだから手短に伝えるね。あたしね、二年くらい前からかな――世界が白黒になっちゃってるの。それで――頭がぼんやりして触ってるものとか、聞こえるものとかがどんどん遠くなっていっててね。さっきまであたしね、不思議な場所にいたの。――あんまり、内容覚えてないんだけど。えへへ。でもわかるのはね、これは怪我でも病気でもないの。近いうちにね、きっともっと遠くなってね、あたし、多分ね。ここからね、消えちゃうの。だから……もしかしたら、気が付いたらおじさんの知らないあたしになっちゃってるかも知れないの。でもね、それもあたしなの。だから、そうなっても一緒にいてね。でも、ごめんね。そうなったらごめんなさい……。伝わったかな……できたらね、しーちゃんにも伝えて欲しいの。きっとあたし、しーちゃんの前だとうまく説明できなくなっちゃうから……えへへ』

 一木は確信を持っていた。悠里は帰ってきている。そして、悠里もまたしづると同じである。今までは知り得なかったことを知っている。それがなぜなのか、一つ仮説を打ち立てるならこれが自身の続けてきた『修正力にかからない程度のズレ』の積み重ねがトリガーになっていると考えてもいいはずだ。
 ズレによる元の時間とのギャップによってしづるくんは御園礼香と篠沢一木の繋がりを解明できた。そして悠里は――自分の存在の不安定さと、恐らくそれを理解させてくれた記憶の断片を得た。“存在しなかったはずの場所”にいたことで、より明晰に過去の事象についての観察ができたのだろう。
 お誂え向きだ……絶対に、できるはずだ。

「安心して、悠里。君はぼくが絶対に守る。それがぼくがここまで来た理由だから」

 一木は静かに決心を固めていた。これは果てしなく分の悪い賭けであることを承知だったが、それでも一木は悠里の言葉を聞いた時、決断した。即ち、悠里を助けるために二つ目のプランに切り替えることを決断していた。

『ありがとうおじさん。いつもあたしを守ってくれてありがとう。ずっと、ずっと今まで一緒にいてくれてありがとう。でも、本当に、もういつあたしのまま言えなくなるかわからないんだ……だから、ありがとう。いっぱい大好きだよおじさん』
「――そんなこと、言わなくていい。いつだって言えるようにするために今しづるくんも頑張ってるんだ。だから、弱気にならなくていい。いや、言わないでくれ。ぼくがなんとかするから」

 一木にとって、悠里は光だった。
 今でも悠里の小さな手が自分の指を絡めた瞬間を覚えている。柔らかな絹のように滑らかな指先の暖かさと、目の前にいる自分を、愛してくれる人だと屈託なしに信じてくれる微笑み。昏く永く、暗澹とした夜の坂道を永遠に登り続けているようだ――人生をそう感じていた一木にとっては、悠里の存在は希望の光だった。
 希望、闇から遠い場所にある光。それを生まれたばかりの赤ん坊の瞳に見たのだ。そして、それを何よりも信じていた。悠里は一木の尊敬する姉である矢継の子で、父はひた隠しにされ分からないが――篠沢の呪いを持っていなかった。幸福で普通な……特別で異様な才能を持たない子だった。だからこそ、一木は悠里を愛していた。それは彼が得てきた人生経験の根源にある、『才能ある者から順に逃れ得ない運命に摘み取られ離別していく恐怖』を、日々健やかに育っていく悠里という、『ただ普遍でただ幸せな少女の姿』が薄めてきたからであった。呪われた血だと自覚する篠沢の血を持って、平凡という自身と遠い場所で暮らしている悠里という少女の存在が、一木のひび割れて深く昏く閉ざされた過去の影を明るく照らしてくれていたからであった。

『おじさん。思い出せないことがあるの――昔、誰かとね、廃教会の丘の上で星を見たの。きっとね……おじさんとしーちゃんなの。でも、なんだかおかしくって。思い出せないの。しーちゃんからね、ラブレター、貰った前の日だったと思うんだけどね――でも、しーちゃんも覚えてないの。ねえ、なんだかね。やっぱりおかしいの……』
「……」

 一木は、静かに俯いたまま微動だにせず聞いていた。
 そして、今自分が『時間の輪』の外にいることを痛感していた。悠里が“存在しなかったはずの場所”で得たものに、心当たりがあったからだ。

『おじさん、あのとき、一緒に居たんだよね。きっと。ねえ、何があったか、覚えてるかな? あたし、なんて言ってただろ。しーちゃんから貰った手紙の返事も覚えてないの――』
「――悠里。今君は自分の部屋にいるんだね」
『うん。いるよ……。知らない間に、お部屋に帰ってたみたい。なんでわかったの?』
「知ってるからさ。悠里にお願いがあるんだ。ぼくの研究所に行って欲しい。理科室のぼくのデスクの下に鍵が一つ、貼り付けてある。それを窓際の本棚に置いてある仕掛け箱に使ってくれ。開けたら最後の錠前にナンバーロックがかかってる。ナンバーは86532。その中に、君の知りたい答えがある――。もどるさんにも言っておくよ」

 皮肉だった。一木は『時間の輪』から抜けるために、必死に彼らに伝えねばならないことを隠し続け、ようやくここまで辿り着いた。
 けれど辿り着いた『時間の輪の外』では、一木の隠し通したかった過去、それを彼らに伝える必要があった。
 一木はできれば、できれば知らずにずっと過ぎればいいと思っていた。けれど、一木の行動が、想いが、確実に鍵に閉じた過去を開く為に進んでいたのだ。
 未来へ進むために、過去をつまびらく。
 その為に、一木はあらゆる代償を払ってきた。けれどその代償の数々よりも、今こうして開かれようとしている過去の鍵が、何倍も重く感じていた。
 未来は、こんなにも重いのだと、一木は泣きたくなるほどに思い知っていた。『彼らのため』と隠した鍵は、同時に一木自身を守る鍵でもあったのだ。

『おじさん。辛そうな顔しないで。悠里も、辛くなっちゃうから』
「君に、隠し事はできないな。流石姉さんの子だ……」
『どんなことが起こっても、悠里はおじさんの味方だよ。ぜったい、ぜーーってぇなんだからね』
「ああ、ぼくもだ。――本当に、本当にありがとう。だから、絶対に君たちを助ける。約束しただろ」
『約束?』

 ああ、そうか、知らないんだったな。今の彼らは。一木は、彼らの知らない彼らとの約束を思い出していた。そうして、これはずっと前に助けられなかった二人とした約束だった、そうだった。と思い直して、歯を食いしばった。

「……ああいや、ううん。なんでもない。絶対にぼくがどうにかするから。あ――そうだ。言い忘れてた。箱の中に入っている中が透けたガラスのようなもの、それは触ったり開けたりしないようにしてくれ」
『? うん、わかった』
「悠里、終わったら、君はそのまま研究所にいてくれ。今、外を出歩くのは危険なんだ。研究所まで着けば、もどるさんが君を保護してくれる。できるだけ大通りを通らずに移動するんだ、わかったかい」
『うん。わかった。そういえばしーちゃんはどうしてるの?』
「しづるくんは今ぼくに頼まれたことをしてくれてる。彼の役割は重要だ」
『そっか、しーちゃんだもんね。きっと、大丈夫』
「ああ――ぼくも頼りにしてる」
『おじさん、まだまだやることあるんでしょ。気をつけてね。絶対けがしちゃダメだかんね』
「うん、うん。ありがとう、ありがとう、悠里。研究所で待っててくれ」
『おじさん、全部終わったら、星、見に行くんだからね。勝手に蒸発しないでよね』
「――うん。うん。行ってくる」

 瞼を一つ瞬かせて、一木は電話を切った。
 滑らかな緑色の映える橋の足下に、古ぼけた回廊があった。
 古くに使われていた取水口だが、今はもう廃棄されている。
 その中に足を踏み入れた一木は、かの老人が言っていた『門』があることを確認した。

「博士、あなたのお陰で、間に合うかも知れません。また返せない借りが一つ増えた」

 誰ともなく放った言葉は、最後まで響く前にその主をアーカムから消し去った。
 より大きな力の目に、戦いの為に、未来の為に。

「行ったか。我が子――」

 アメリカ東海岸、アーカムの300キロの沖、嵐の近付いた小さな漁船の上で老人は呟いた。
 空に光り輝く凶星達の飽和、プラネタリムでは描けない深淵の闇にこそ聳える邪神達の玉座が、冷たい炎で燃え上がっていた。

「頼むぜ――。支えてやるからよぉ。空が落ちてこねえように」

 空を埋め尽くす不協和音が鳴り始めた時、老人の瞳は誰よりも輝いていた。まるで迎合するように、旧い友人と会うように。

「晴れ舞台だ」

 楽しげな声は天を撃った。即ち、開戦の狼煙であった。


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