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第5話① その名は『音速』
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朝礼の席についたゴッ太郎は、実に糺ノ森高校に来てから初めてのホームルームを体験していた。ここまで毎日朝礼に間に合わない生活も珍しい。通学が少し長くなったのも手伝っているのか、それとも運が悪いのか――思い返すに、答えは両方だった。
ホームルームは朝礼から簡単な連絡と配布物、回収物と滞りなく進み、担任は二言三言話すと教室から出ていき、一限までの間の自由時間に差し掛かった。
生徒はこの間に授業の用意をする想定なのだろうが、ここは糺ノ森高校。数人の生徒が手洗いに立つ程度で目立った動きはない。ぼんやりと座っていたところに、横っ面から声をかけられ、ゴッ太郎は首をそちらに向けた。
「ゴッ太郎くん。おはよ。怪我は大丈夫?」
話しかけてきたのは、やはり丁子だった。心配そうに虹彩をきらきら輝かせる丁子を見る度に、ゴッ太郎の脳裏には玄明の顔が思い浮かぶ。兄妹であることから、かなり雰囲気も似ている。
違うところがあるとすれば、丁子はほんのりと自信喪失気味で卑屈なケがあるところと、人をモノのように扱おうとしない点であろうか。
「んあ、大丈夫! 見るか? 大分怪我もマシになったんだぜ」
「い、いいよぉ! 見るだけで痛いもん!」
「はは、冗談だよ」
丁子は手を胸の前で握り込み、少々のけぞった。そして冗談と言われると少し怒ったような上目遣いをして、話を切り出した。
「ゴッ太郎くん、あのね。放課後でいいんだけどお話したいことがあって。それで、いつ空いてるかなって」
「ん、放課後? 時間どんくらいかかる?」
「別に、そんなにかからないよ」
「じゃあ、今日の帰り道でもいいぜ」
「うん。じゃあそれで」
丁子の頬がほんのり桜色に染まる。ゴッ太郎はいつもどおりヘラヘラと笑顔を返すと、教室の後部ドアが開いた。教室中の視線が一所に集まり、そこには御鈴波が立っている。
「後山田くん。ちょっといい?」
「ンァ? なんスか」
「転校に関しての書類にちょっと不備があったみたいなので、一緒に生徒会室までついてきて貰っていいでしょうか」
「ああ、そういうことなら。すんません」
席を立ったゴッ太郎は、そのまま御鈴波について教室を出た。エレベーターに乗り込むと、御鈴波はようやく口を開いた。
「ゴッ太郎。今日からあなたには屋上に行ってもらうわ」
「屋上? なんで」
「このままじゃ、あなたは勝てないからよ」
きっぱりと言い切られ、ゴッ太郎は流石に溜め息をついた。
「オーケー。屋上になんかあるってこと? もしかして、俺にも技研の研究成果とやらを使うわけ?」
エレベーターのドアが開く。二人の影が揺れる。背後のガラスには、大きな壁で覆われたミニチュアの街が小さく映っている。
「そうとも言えるしそうでないとも言えるわ」
「……」
一点を見据えたまま進む御鈴波の、ローファーの高い音が鳴る。屋上は磨いた鉄板みたいに、どこまでも広いコンクリートの空間だった。まるで闘技場のように円形に誂えられており、青い空と地面の狭間には何者かの影が立っている。
ゴッ太郎は御鈴波を追って、その闘技場めいた屋上に踏み入れた。
「ゴッ太郎。あなたには、彼に師事して学んでもらうわ」
「師事……先生ってことか。何を勉強すりゃいいんだ?」
「決まってるでしょ」
振り向いた御鈴波は、恐ろしい切れ味をもった瞳でゴッ太郎を射竦めた。
「戦いよ。このままでは勝てないんだから」
「でもよ、御鈴波ァ、師事するっつっても、その人、俺より強いのか?」
「そう思うなら、試してみれば? 彼なら快諾してくれるでしょう」
「へへ、じゃあ、お構いなく。その辺の人間に負ける程、俺も弱かねェよ」
一歩下がった御鈴波は、瞼を細めてゴッ太郎が歩いていく様を見つめていた。
ずんずんと無防備に進んでいくゴッ太郎の目には、ようやく『その男』の仔細な姿が映った。かなりの巨漢だ。
その上に、みっちりと詰まった高密度の筋肉を搭載している。キングサイズのアーミーパンツに、ラフなタンクトップのノースリーブジャケット。身長は、どれくらいあるのだろう。近付けば近付くほどデカく感じる。
二メートル、いや、二メートル十センチくらいか。明らかに日本人ではない。ブロンドヘアーの髪を一つ括りに収め、青い目をしている。顔は彫像の戦神に描かれるように彫りが深く、どこか凛々しいながらも厳しい顔立ちをしている。
威厳あるその男は、ゴッ太郎を認めると両手をボクサーのように前に出し、上体をまっすぐと立てたまま脇を締め片膝を立てて『しゃがんだ』。
「なんだァ……それ」
ゴッ太郎はその姿に、大きな『盾』を連想する。あの姿勢では、移動できない。絶対防衛線――『引かない』と決めなければ取れない姿勢だ。喩えるならば、メソポタミア文明におけるファランクス。大盾で守り、長槍で突く。しかし肝心の槍が見えない。
ゴッ太郎にとっては、超近接での距離は大して意味がない。丁子や零春にやったように、『吸ってしまえばいい』のだから。故に、この勝負貰った。ゴッ太郎は確信する。座って動かない相手など、ただの的だ。
「その構えってことは、やっていいってことだよな。遠慮なく行くぜ」
男は、無言で頷いた。
「筋肉ゥッ開放ァッ!」
その返答をしっかと聞き遂げると、ゴッ太郎は満を持して上着を脱ぎ捨てた。痛々しい生傷が残る肉体だが、筋肉は昨日よりも強く、大きくなっている感覚があった。指先まで臨気に満ちて爆発せんかの如く弾けた肉体は、再び心臓の発動機から流し込まれた血液というガソリンを糧に、大容量のトルクを回して大きな力を生み出し始めた。
負けられない――そういう自負もあるが、それ以上に『本気を出せそうな相手が目の前に立っている』という感覚が嬉しい。連続する戦いが、ゴッ太郎の獣性を目覚めさせていた。
「All right.素晴らしい肉体だ」
男は低い声でゴッ太郎を称賛する。
「行くぜッ」
「来い、青年」
ホームルームは朝礼から簡単な連絡と配布物、回収物と滞りなく進み、担任は二言三言話すと教室から出ていき、一限までの間の自由時間に差し掛かった。
生徒はこの間に授業の用意をする想定なのだろうが、ここは糺ノ森高校。数人の生徒が手洗いに立つ程度で目立った動きはない。ぼんやりと座っていたところに、横っ面から声をかけられ、ゴッ太郎は首をそちらに向けた。
「ゴッ太郎くん。おはよ。怪我は大丈夫?」
話しかけてきたのは、やはり丁子だった。心配そうに虹彩をきらきら輝かせる丁子を見る度に、ゴッ太郎の脳裏には玄明の顔が思い浮かぶ。兄妹であることから、かなり雰囲気も似ている。
違うところがあるとすれば、丁子はほんのりと自信喪失気味で卑屈なケがあるところと、人をモノのように扱おうとしない点であろうか。
「んあ、大丈夫! 見るか? 大分怪我もマシになったんだぜ」
「い、いいよぉ! 見るだけで痛いもん!」
「はは、冗談だよ」
丁子は手を胸の前で握り込み、少々のけぞった。そして冗談と言われると少し怒ったような上目遣いをして、話を切り出した。
「ゴッ太郎くん、あのね。放課後でいいんだけどお話したいことがあって。それで、いつ空いてるかなって」
「ん、放課後? 時間どんくらいかかる?」
「別に、そんなにかからないよ」
「じゃあ、今日の帰り道でもいいぜ」
「うん。じゃあそれで」
丁子の頬がほんのり桜色に染まる。ゴッ太郎はいつもどおりヘラヘラと笑顔を返すと、教室の後部ドアが開いた。教室中の視線が一所に集まり、そこには御鈴波が立っている。
「後山田くん。ちょっといい?」
「ンァ? なんスか」
「転校に関しての書類にちょっと不備があったみたいなので、一緒に生徒会室までついてきて貰っていいでしょうか」
「ああ、そういうことなら。すんません」
席を立ったゴッ太郎は、そのまま御鈴波について教室を出た。エレベーターに乗り込むと、御鈴波はようやく口を開いた。
「ゴッ太郎。今日からあなたには屋上に行ってもらうわ」
「屋上? なんで」
「このままじゃ、あなたは勝てないからよ」
きっぱりと言い切られ、ゴッ太郎は流石に溜め息をついた。
「オーケー。屋上になんかあるってこと? もしかして、俺にも技研の研究成果とやらを使うわけ?」
エレベーターのドアが開く。二人の影が揺れる。背後のガラスには、大きな壁で覆われたミニチュアの街が小さく映っている。
「そうとも言えるしそうでないとも言えるわ」
「……」
一点を見据えたまま進む御鈴波の、ローファーの高い音が鳴る。屋上は磨いた鉄板みたいに、どこまでも広いコンクリートの空間だった。まるで闘技場のように円形に誂えられており、青い空と地面の狭間には何者かの影が立っている。
ゴッ太郎は御鈴波を追って、その闘技場めいた屋上に踏み入れた。
「ゴッ太郎。あなたには、彼に師事して学んでもらうわ」
「師事……先生ってことか。何を勉強すりゃいいんだ?」
「決まってるでしょ」
振り向いた御鈴波は、恐ろしい切れ味をもった瞳でゴッ太郎を射竦めた。
「戦いよ。このままでは勝てないんだから」
「でもよ、御鈴波ァ、師事するっつっても、その人、俺より強いのか?」
「そう思うなら、試してみれば? 彼なら快諾してくれるでしょう」
「へへ、じゃあ、お構いなく。その辺の人間に負ける程、俺も弱かねェよ」
一歩下がった御鈴波は、瞼を細めてゴッ太郎が歩いていく様を見つめていた。
ずんずんと無防備に進んでいくゴッ太郎の目には、ようやく『その男』の仔細な姿が映った。かなりの巨漢だ。
その上に、みっちりと詰まった高密度の筋肉を搭載している。キングサイズのアーミーパンツに、ラフなタンクトップのノースリーブジャケット。身長は、どれくらいあるのだろう。近付けば近付くほどデカく感じる。
二メートル、いや、二メートル十センチくらいか。明らかに日本人ではない。ブロンドヘアーの髪を一つ括りに収め、青い目をしている。顔は彫像の戦神に描かれるように彫りが深く、どこか凛々しいながらも厳しい顔立ちをしている。
威厳あるその男は、ゴッ太郎を認めると両手をボクサーのように前に出し、上体をまっすぐと立てたまま脇を締め片膝を立てて『しゃがんだ』。
「なんだァ……それ」
ゴッ太郎はその姿に、大きな『盾』を連想する。あの姿勢では、移動できない。絶対防衛線――『引かない』と決めなければ取れない姿勢だ。喩えるならば、メソポタミア文明におけるファランクス。大盾で守り、長槍で突く。しかし肝心の槍が見えない。
ゴッ太郎にとっては、超近接での距離は大して意味がない。丁子や零春にやったように、『吸ってしまえばいい』のだから。故に、この勝負貰った。ゴッ太郎は確信する。座って動かない相手など、ただの的だ。
「その構えってことは、やっていいってことだよな。遠慮なく行くぜ」
男は、無言で頷いた。
「筋肉ゥッ開放ァッ!」
その返答をしっかと聞き遂げると、ゴッ太郎は満を持して上着を脱ぎ捨てた。痛々しい生傷が残る肉体だが、筋肉は昨日よりも強く、大きくなっている感覚があった。指先まで臨気に満ちて爆発せんかの如く弾けた肉体は、再び心臓の発動機から流し込まれた血液というガソリンを糧に、大容量のトルクを回して大きな力を生み出し始めた。
負けられない――そういう自負もあるが、それ以上に『本気を出せそうな相手が目の前に立っている』という感覚が嬉しい。連続する戦いが、ゴッ太郎の獣性を目覚めさせていた。
「All right.素晴らしい肉体だ」
男は低い声でゴッ太郎を称賛する。
「行くぜッ」
「来い、青年」
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