発生1フレ完全無敵の彼女に面倒事吸い込みがちな俺でも勝てますか!?

安条序那

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第9話② スピードボールvsスピードガール

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 リーン・スピードボールとか言ったっけ。上海は言葉を反芻していた。彼は今もステップを踏みながら身体を∞の形の軌跡に乗せて的を絞らせないような舞踏を踊っている。

「……」

 深夜のことである。零春を助け出した時にヤツの姿を一度見ている。コイツとは戦いたくないなあって思っていた相手だった。あの女ならまだしも、一番デカいのを引いちゃった――。上海の後悔もそこそこに、少々気がかりなことがあった。明らかに対応が早すぎるのだ。零春の処分から見れば昨日の今日――正確に言えば今日の深夜未明から今日の昼、というようなスピード対応である。

「ヤッコさん大分困ってンのネ」

 お腹の痛い上海は短絡的に結論を付けた。現実逃避もそこそこに、この腹痛を抱えたままでなんとかこのデカいのの相手をしなくてはならない。冷や汗がしたたるが、とりあえず大声を出すのはどうだろうか? 昼間の公園だし、いい感じに逃げることでお茶を濁すことだって可能だろう――可能か? 辺りを見回すけれど、人は見当たらない。ちょっと前まで聞こえていた車の音さえ遠ざかっている。

「……」
「気付いたか。お前の思っているよりもここには逃げ場がねえんだ。みんな人払いしちまったからな。ここは今や俺とお前の闘技場リングだ。夜中みてえに逃がすと思うかよ」
「ふんっ!」

 上海の体中に闘気オーラが満ちる。その様を見て、リーンはようやく凶悪な笑みを浮かべる。今までの打ち込みは歯ごたえがなくて絶妙に盛り上がりきらなかったのだ。だが今度は、相手も打ってくる。だとするなら肉体にも衝撃が加わる。その肌から伝わる衝撃こそが、リーンの脳内麻薬を大量に分泌させ、より肉体の動きを鋭く、潤滑させるのだ。打たれれば打たれるほどに目覚め、凶悪になる――リーンはボクサーとして天性の才能を持っていた。

「行くぞッ! リーン……ッ」
「どこからでも来やがれェ」

 リーンが拳を叩き合わせて音を鳴らす。食卓に食べ物が並ぶのを待てない子どものような催促である。それに合わせて上海は徐々に距離を取る。リーンはステップを踏む。いつでも来い、というような構えである。上海は更に下がる。闘気はより充足していく、リーンの額にも汗が滴る。あの流れるような身のこなし、無重力の肉体制御、それは大きな助走距離を必要とするのだろう。おそらくそうなのだ。だからこの女は下がっている。リーンは上海の動きを読む。前に出てくるはずだ。どこかで一瞬の隙を突いて仕掛けてくる。そのはずだ――! リーンの緊張が限界まで高まった時、その時は来た。

「はぁッ!」

 上海は叫ぶ。大きな声で手を振り上げる。リーンはクロスカウンターの構えを取った。攻めてきたところを、受け入れて叩く! それならば妙なことをさせる暇もないまま一撃でこのムカつく女を落とせるはずだ……! 

「来いっ!」
「おうっ!」

 上海は走り出した。

「は?」

 リーンは口を開けたまま呆気に取られている。上海は公園を出て全力で走っていく。曲がり角を曲がり、信号機をよじ登って商店街のアーケードの修理用天井を駆けていく。そこでリーンはようやく気が付く。全部フェイクだと。ブチッ、リーンの中で何かがキレた。

「俺を、コケにしやがったな……!!! 俺を、今、コケに、しやがったなァアアアアアアアアアア!!!」

 無人の街を駆ける上海の中にあったのは、激しい焦りである。お腹が痛い。思ったよりも辛い。お腹が痛いと、お腹が痛いのが嫌になった原初の記憶が呼び起こされる。スカベンジャーとして生きてきた上海は、時折路上をゆく綺麗な服の人から温かい食事を貰うことがあった。彼らはだいたい決まった人で、同じように路地裏生活をしている子どもたちに食事を与えるのだけれど、その中でも上海にだけよくしてくれる人がいた。年不相応の長いひげを持った若者で、髪はもじゃもじゃのくるくるの瓶底眼鏡の大学生だった。彼はいつも上海にだけ美味しい食事をくれた。だから上海もそのお兄さんを信用していたのだが、ある日そのお兄さんから貰った肉まんを食べると異様にお腹が痛くなった。針で刺されたみたいにすごく痛くて、上海は初めて腹痛で涙を流した。その夜のことだった。上海は襲われたのだ。若い男たちに追いかけ回されて、腹痛を堪えながら路地裏を逃げ惑って、遂に倒れ込んで捉えられてしまった。普段なら難なく組み伏せてお小遣いまで貰えたような相手に、手も足も出ない。動けなくなってもがく上海は、上から見下ろしてくる冷たい瞳に怖くて泣いた。あの時助けて貰えなかったら上海はどうなっていたのだろう、今でもその恐怖がお腹から思い出されるのだ。だから腹痛は嫌いなのだ。大嫌いなのだ。

「いたい~~~ヨ~~~!!!」

 変なものを食べたわけでもないのにお腹が痛い! 上海は意味のわからない腹痛に泣きそうだった、とりあえず御鈴波邸に戻りたいと思うのだけれど、腹痛を堪えながら必至に逃げたせいで逆方向に逃げてしまった。今からでは流石に遠い。では駅に向かって家に帰るかと言うと財布は持ってきていない。誰かの子どものフリをして改札を通る無賃乗車はお手の物でありながら、今はそれができるほどの余裕もない。けれど止まったらもう動けなくなりそうで、上海は止まることが出来なかった。その時、ふと背後から音がした。

 ドコンドコン。

 金属の塊が上下に跳ねる音――この音を上海は知っている。一般的な車やバイクに積まれている水平対向エンジンの音だ、しかしなぜ? 誰もこの辺りにはいないと、さっきリーンが言っていたはずなのに。
 振り返った上海は、驚愕して顔色を失う。後ろ向きに空を飛んでいる人間がいる。その後ろ姿は黒いローブ姿にパンチグローブ――リーンだ。しかしどうやって飛んでいるのかがわからない、ジェットパックでも背中に積んでいたのだろうか? いや、違う。空を殴っている反動で浮き上がっているのだ。右、左、右、左、規則的に腕を打ち出すその様はエンジンの内部でピストンが上下しているのとほぼ大差ない――そこで上海は思い出す。水平対向エンジンは、別名、というのだ。

「あいやああああああああああああああああああ!?!?!?!?!」

 ボクサーエンジンとは言ったけれど、本当にそれで飛ぶやつがあるか! しかも飛び方が異様にダサい。背中をこちらに向けて飛んでいるので見れば見るほどにダサい! しかし後ろ向きでどうやって前を確認しながら飛んでいるのだろう、正直言うとかなり気になる。すると一瞬、リーンの正面が太陽を反射してキラリと光った。

「――ッ??????????????」

 上海は思考の宇宙そらにでも放り出されたような顔になった。
 自撮り棒だ。自撮り棒をばってんの形にズボンに差して、クロスさせるように固定してサイドミラー代わりに使って背後を確認しているのだ。しかもよく見れば、鏡の上にはウインカーライトまで付いている。

「だっっっっっっっっっっっっっっっっっっさ!」

 思わず全てを忘れて叫んだ上海のその背中に、文字通りリーンの背中が迫る。背に背中が迫ってくるなんてどんな状態だよ突っ込みたくなるのだが、実際に起こってしまっている以上これ以上の説明は意味をなさない。羽根もないのにボクサーエンジンで空を飛ぶ人間はいるのだ。いてたまるか。
 上海は全力で逃げる。気味の悪さと趣味の悪さと分の悪さ、豪華三本立ての悪である!
 やがてリーンは上海と並走し始めた。車道のリーンと、アーケード上の上海。更にボクサーエンジンの加速度は上がった。玉のような汗が弾ける。上海は絶叫である。徐々にリーンの身体と汗飛沫しぶきが近寄ってくるのだ、触りたくないので斜めに走ると、リーンの方も器用に方向を調整しつつ寄ってくる。リーンはもう一段階拳のギアを上げた。もう一段階先回れば、攻撃に転じられる。リーンはもう怒りで我を失っていた。女子供にバカにされたことなど初めてだ! 俺のことをバカにできるのは俺よりも強いやつだけ、そんな高い高いプライドが、遂には人類の無翼飛行を実現させていた。

 しかし上海とて木偶の坊ではない。全力で走っているには理由があった。もっと、もっと早く飛ばせたいのだ。リーンがもっと早く飛んでくれれば、そこで決着が付く。もっと、もっと速度を高める必要がある。お腹がはち切れそう! 死ぬ! そんな叫びのまま、上海は最後の力を振り絞る。リーンの音が徐々に変わっていく、高い高い音だ。もはやボクサーエンジンどころではない、離陸前のジェットエンジン並みの轟音である。リーンの周りには、真空を纏う空気の渦が大蛇のようにとぐろを巻いていた。橋が見えた。

 ここだ――。

 上海は決行する。

 リーンは急に上海を見失った。今まで斜め前に見えていたはずのあの子供が、急に視界から煙のように消えたのだ。
 止まられたか――!?!? リーンは目線を上げるが、上海の姿は見当たらない。ぶっちぎられたか――!?!? 斜め上のサイドミラーにも映らない。

「消えたァ!?」

 リーンは飛行を止めるために反転して空気を殴りつけた。周囲に竜巻のような大風が起こり、リーンの身体が止まる。

「……く、くそが、ぁあああああああああ!!!」

 少々先で巻き起こったその叫びを聞きながら、上海は水面から少しだけ頭を出した。そっと鼻で呼吸しながら、水面を上がって橋の下に隠れる。あれほど飛行に必至になっている人間ならば、一瞬の隙を付けば卷ける――路地裏での逃亡生活を送った上海にとっては、これくらいはお手の物であった。

「ぺっ、アマちゃんが、ヨ!」

 御鈴波のところに帰ろう――迂回をしようと橋を回り込んだ上海は、コンクリートの上で猫みたいに身体を振り回して水を払った。気がつけば夕方である。

「……お腹痛い」

 とぼとぼ、と帰路につく背中を誰かが呼び止めた。

「すいません、道に迷ってしまって」
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