もしも光源氏が絶世の美女だったら、在原業平も絶世の美女なので、ふたりとも夜這いをしますしイケメン貴族を囲い込みます。

あめの みかな

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​第9話:檻の中の太陽、狂信の記録

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​ 源輝子に下された「蟄居」の命は、六条院の華やかな門を閉ざし、そこを静寂の墓場へと変えた。
 庭に咲く四季の花々は手入れを失い、池の面には薄暗い影が落ちる。だが、その静寂こそが、京の男たちの想像力を最も残酷に刺激していた。姿が見えないからこそ、彼らの脳裏には「光る君」の幻影がより鮮烈に、より淫らに焼き付いて離れないのだ。

​ 藤原実資は、御所の蔵人所(くろうどどころ)で、死人のような顔をして政務に励んでいた。
 帝の命により、彼は輝子との接触を一切禁じられ、本来の「規律正しい官僚」へと戻されたはずだった。だが、彼の筆が綴る文字は、もはやかつての『小右記』ではなかった。

​『……宮、東面に座し給う。御衣の音、微かに風に乗りて……』

​ 実資は、公務の合間に、誰に見せるでもない「輝子への私的な記録」を、異常なまでの緻密さで書き連ねていた。あの一夜、彼女に命じられた通り、彼の日記はすでに「輝子を観測するための聖典」へと変貌していたのである。

​「実資様、またその紙に……。今は帝の目が厳しい折、そのようなものを書いていると、今度こそ命がございませんぞ」

​ 同僚の忠告も、実資の耳には届かない。
 彼の目には、輝子が去り際に残した「自分の存在の全否定こそが、お前の愛だ」という呪縛の言葉が、今も黄金の文字となって浮かんでいる。

(私は、あの御方のいない世界で、何を書けばよいのだ。あの方のいない規律に、何の価値があるというのだ)
 
 実資の指先が、筆の軸をミシリと鳴らす。
 その時、彼の背後に、不意に冷たい風が吹き抜けた。

​「あら、実資様。ずいぶんと熱心な『信仰』ですこと。その日記、輝子様がご覧になったら、さぞかしお悦びになるでしょうね」

​ 振り返ると、そこには女房の装束に身を包んだ在原業子が立っていた。
 彼女は帝の監視を潜り抜け、実資を嘲笑うために現れたのだ。

​「在原の君……。宮様は、ご無事なのか」

「無事? ええ、あの方は退屈さえも『毒』に変えてしまうお方。今は、貴方がいつその日記を抱えて門を破ってくるか、賭けをしていらっしゃるわ」

​ 業子は実資の耳元で、毒を含んだ蜜を垂らすように囁いた。

「今夜、六条院の北の生垣が、不自然に枯れている場所がありますわ。……そこを通れば、帝の衛士も気づかない。輝子様は、貴方の『全否定』の続きを待っておいでよ」


​ その夜、実資は自らの官位も、家名も、そして人としての誇りもすべてかなぐり捨て、夜陰に乗じて六条院へと忍び込んだ。
 生垣の隙間を潜り、泥に汚れながら辿り着いたのは、灯火一つない輝子の寝所。
​ 御簾の向こうから、衣が擦れる音が聞こえた。

「……実資様。案外、早くお見えになりましたのね」

​ 輝子の声は、以前よりも低く、濡れていた。
 彼女は闇の中で、一人で香を焚き、自らを「孤独」という名の香料で磨き上げていた。

​「宮様……。日記を持って参りました。貴女を否定し、そして貴女に屈した、私の魂のすべてです」

​ 実資は、御簾越しに日記を差し出した。
 輝子の白い指が、闇の中から伸びて、その日記を、そして実資の震える手首を強く掴んだ。

​「実資様。貴方は、自分が帝の命に背いた『大罪人』であることを理解しているかしら? これが見つかれば、貴方の家は潰れ、貴方は流刑。二度と京の土は踏めない」

​「構いませぬ。……あの一夜から、私の京は、貴女のいる場所にしか存在しないのです」

​ 輝子は、御簾を荒々しく引き上げた。
 月明かりに照らされた彼女の姿は、蟄居生活で衰えるどころか、むしろ死を予感させるような、凄絶なまでの美しさを放っていた。

​「よろしいわ。ならば、その『大罪』を、私の肌に刻みなさい」

​ 輝子は、実資の手を自らの首筋へと導いた。
 冷たい肌。だが、その下で脈打つ鼓動は、狂おしいほどに激しい。

​「実資様。今夜から、貴方は私の『影の書記官』。昼は帝の忠臣を演じ、夜は私の足元で、己の堕落を記録し続けなさい。……それが、私を選んだ貴方への、永遠の刑罰よ」

​「……御心のままに」

​ 実資は、輝子の膝元に崩れ落ちた。
 規律の男は、今、完全に「信仰の奴隷」へと成り下がった。

​ その様子を、庭のさらに深い闇の中から見つめる瞳があった。
 それは、左遷を命じられながらも、京を離れることができずに彷徨う、亡霊のような紀貫之だった。
​ 彼は、輝子が実資を慈しむようにその髪に触れる光景を、血の涙を流しながら見つめていた。

(私は……私は、歌を奪われた。次は、この命をあの方に捧げるしかないのか)

​ 貫之の手には、折れた筆の先が握られていた。
 彼の中の「愛」は、もはや「殺意」と区別がつかぬほどに純化され、歪んでいた。

​ 六条院を包む闇は、さらに深く、ドロドロとした愛憎の坩堝(るつぼ)へと沈んでゆく。
 帝の権力さえも、この「光」が引き起こす狂気を止めることはできなかった。
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