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「村戸くん、今、SNSで君のことやお姉さんのこと、足切さんやそのご両親が話題になっていることは知っているかな」
「やっぱり、その話題だったんですね」
イルマは大きくため息をついた。
「但野というタクシー運転手のことで、警察に110番通報をしたのは、確かにぼくです。姉や萌衣さんが危険だったからです。ですが、足切池から発見された9つの遺体について、僕たちは警察には疑いをかけられたりはしていませんよ」
佐伯は小太りで、いつも汗をかき、それをハンカチで拭っていた。間もなく生徒たちの制服が冬服に変わろうという10月後半になっても、それは変わらなかった。その日はいつもより汗をかいていた。
「殺人事件が起きるたび、ネットの人たちはコナンや金田一の真似をして名探偵を気取って推理をはじめるでしょう?いつものあれと同じですよ」
現実の殺人事件は、自分とは関わりのない場所や人間関係の中で起きることがほとんどだ。
だから、刑事ドラマや少年探偵漫画のようにエンターテインメントとして視聴者に消費される。
その無責任さで、何人もの無実の人を犯罪者のように扱い、時にはそれが民意として裁判員裁判にまで影響を与えることもある。死刑判決を受ける人もいれば、誹謗中傷に耐えきれず夜逃げをする人、自ら命を絶つ人もいる。
「わかってるんだけどね。ぼくもこんなことは言いたくないんだ。でも、君の担任という立場上、一応確認というか、なんていったらいいのかな、君から話を聞いておかなければいけないってことをわかってほしい」
無実だとわかるまで登校してくるなということなのだろう。
「校長先生の命令、というわけですか。その校長も教育委員会の命令で動いてるんですかね。そうなると、教育委員会に訴えても無駄だということになりますが、ぼくはこの件についてどこに訴えたらいいんですかね?市ですか?県ですか?それとも国ですか?」
佐伯はますます顔に汗をかいていた。
太っているから、長袖のスーツが暑いというわけではなく、多汗症というやつなのかもしれない。彼が汗をかいているのはいつも顔と手だけだった。手に汗をかいていることまでわかったのは、板書をするときに黒板が濡れるからだった。それを見てよくクラスメイトたちが笑っていた。
「あ、いや、そういうわけではないんだよ。これは関係者みんなに聞いている質問というかね。他意はないんだよ」
「関係者、ですか。随分都合のいい言葉を使うんですね」
まるで刑事がアリバイを聞くときみたいだと思った。
イルマには佐伯は常に緊張しているように見えていた。対人恐怖症なのかもしれない。生徒相手でも緊張し、目を合わせて話すことができず、声も小さくなっているのだろう。さらに汗まで出てきたら、余計に緊張をしてしまうだろう。最悪の悪循環だった。
この人は、昔からこうだったのだろうか。だとしたら、なぜ教育者になろうとしたのだろうか。それとも、何か大きな失敗や挫折を経験し、それがトラウマとなってこういう風になってしまったのだろうか。そうとしか思えないくらい、彼は教師には向いていないように見えた。
そういう意味ではそれなりにインパクトのある教師ではあったのだが、何故だかわからないが、ときどき名前や顔を忘れてしまうことがある不思議な教師だった。
卒業したらきっと名前も顔も忘れてしまうのだろうなと思っていた。
その証拠に、半年前の入学式の日、姉に担任の教師は誰だったかと尋ねられ、佐伯だと話したことがあったが、姉は彼を覚えてはいなかった。
だから、彼が姉や萌衣、花野の担任であったことを、イルマははじめて知った。
「関係者っていうのは、今回の事件の通報者であるぼくだけですか?それとも旧・足切村に住んでいる、この学校の生徒全員ですか?」
「君だけだよ。ごめん。それにこれは、校長の命令じゃない。もちろん教頭や学年主任の先生の命令でもない」
「先生の独断……いや、忖度というやつですね」
上の人間が指示を出していたことが明るみになれば、間違いなく問題になる。
だから、下の人間は上が何を考えているかを考えて行動しなければいけない。
「まぁ、そういうことになるね。うん。だから、この件についてはすべてぼくの責任ていうことになるのかな。君が教育委員会に訴えたい気持ちはわかるけど、ぼくの立場もわかってくれると嬉しい」
そして、その責任は上の人間にはなく、目の前の男だけにある。
嫌な風習だなと思った。因習村扱いされがちな足切村よりも、はるかにたちが悪い気がした。
きっとどんな職種のどんな職場でもそうなのだろうが、少なくとも教育現場にだけは大人の政治の真似事を持ち込まないでほしかった。
「ぼくは出世には興味ないけれど、今この職を失うわけにはいかないんだ」
そういえば、佐伯は独身であり、認知症の母親の世話をしながら、教師をしているらしい。そういう噂を誰かから聞いたことがあった。
一体誰がどこからそういう噂を聞きつけてくるのか不思議だった。そして、瞬く間にそれがイルマの耳にまで知れ渡るのだから、怖い世の中だなと思った。SNSなどなくとも、噂をあっという間に拡散する。大昔に流行った口避け女や人面犬の都市伝説がいい例だった。
佐伯の母親は、今はおそらく、物忘れがひどい程度の認知症で、そこまでひどい状態ではないのだろう。
だから働きながらでも面倒をみることができているのだ。
母親の症状が進行すれば、老人ホームに預けるしかなくなる。預けるには金がかかる。おそらく母親の年金や貯金だけでは足らず、彼がお金を払わなければならないのだろう。
確かに今彼が職を失うようなことになれば、彼の人生がその瞬間に詰む可能性があった。
まだ何の能力かわからない自分のギフトが、病や怪我を治せるヒーラーのような力だったら、今目の前にいるような人を悩ませる存在をどうにかしてあげられるのにと思った。佐伯が抱えているであろう何かしらの病も治してやることができる。
それを彼が望んでいるかどうかまでは、イルマのE.O.P.レベルではまだわからなかったが。
「それにしても、まさか花野くんがあんなことをするなんてね」
駐在の警官のことだった。
花野が足切池から出てきた9つの遺体のひとつ、池田祥子を撲殺し、その死体を遺棄したことは、 まだ警察も突き止めてはいないはずだった。
だから、佐伯の言葉にイルマはとても驚かされた。
「やっぱり、その話題だったんですね」
イルマは大きくため息をついた。
「但野というタクシー運転手のことで、警察に110番通報をしたのは、確かにぼくです。姉や萌衣さんが危険だったからです。ですが、足切池から発見された9つの遺体について、僕たちは警察には疑いをかけられたりはしていませんよ」
佐伯は小太りで、いつも汗をかき、それをハンカチで拭っていた。間もなく生徒たちの制服が冬服に変わろうという10月後半になっても、それは変わらなかった。その日はいつもより汗をかいていた。
「殺人事件が起きるたび、ネットの人たちはコナンや金田一の真似をして名探偵を気取って推理をはじめるでしょう?いつものあれと同じですよ」
現実の殺人事件は、自分とは関わりのない場所や人間関係の中で起きることがほとんどだ。
だから、刑事ドラマや少年探偵漫画のようにエンターテインメントとして視聴者に消費される。
その無責任さで、何人もの無実の人を犯罪者のように扱い、時にはそれが民意として裁判員裁判にまで影響を与えることもある。死刑判決を受ける人もいれば、誹謗中傷に耐えきれず夜逃げをする人、自ら命を絶つ人もいる。
「わかってるんだけどね。ぼくもこんなことは言いたくないんだ。でも、君の担任という立場上、一応確認というか、なんていったらいいのかな、君から話を聞いておかなければいけないってことをわかってほしい」
無実だとわかるまで登校してくるなということなのだろう。
「校長先生の命令、というわけですか。その校長も教育委員会の命令で動いてるんですかね。そうなると、教育委員会に訴えても無駄だということになりますが、ぼくはこの件についてどこに訴えたらいいんですかね?市ですか?県ですか?それとも国ですか?」
佐伯はますます顔に汗をかいていた。
太っているから、長袖のスーツが暑いというわけではなく、多汗症というやつなのかもしれない。彼が汗をかいているのはいつも顔と手だけだった。手に汗をかいていることまでわかったのは、板書をするときに黒板が濡れるからだった。それを見てよくクラスメイトたちが笑っていた。
「あ、いや、そういうわけではないんだよ。これは関係者みんなに聞いている質問というかね。他意はないんだよ」
「関係者、ですか。随分都合のいい言葉を使うんですね」
まるで刑事がアリバイを聞くときみたいだと思った。
イルマには佐伯は常に緊張しているように見えていた。対人恐怖症なのかもしれない。生徒相手でも緊張し、目を合わせて話すことができず、声も小さくなっているのだろう。さらに汗まで出てきたら、余計に緊張をしてしまうだろう。最悪の悪循環だった。
この人は、昔からこうだったのだろうか。だとしたら、なぜ教育者になろうとしたのだろうか。それとも、何か大きな失敗や挫折を経験し、それがトラウマとなってこういう風になってしまったのだろうか。そうとしか思えないくらい、彼は教師には向いていないように見えた。
そういう意味ではそれなりにインパクトのある教師ではあったのだが、何故だかわからないが、ときどき名前や顔を忘れてしまうことがある不思議な教師だった。
卒業したらきっと名前も顔も忘れてしまうのだろうなと思っていた。
その証拠に、半年前の入学式の日、姉に担任の教師は誰だったかと尋ねられ、佐伯だと話したことがあったが、姉は彼を覚えてはいなかった。
だから、彼が姉や萌衣、花野の担任であったことを、イルマははじめて知った。
「関係者っていうのは、今回の事件の通報者であるぼくだけですか?それとも旧・足切村に住んでいる、この学校の生徒全員ですか?」
「君だけだよ。ごめん。それにこれは、校長の命令じゃない。もちろん教頭や学年主任の先生の命令でもない」
「先生の独断……いや、忖度というやつですね」
上の人間が指示を出していたことが明るみになれば、間違いなく問題になる。
だから、下の人間は上が何を考えているかを考えて行動しなければいけない。
「まぁ、そういうことになるね。うん。だから、この件についてはすべてぼくの責任ていうことになるのかな。君が教育委員会に訴えたい気持ちはわかるけど、ぼくの立場もわかってくれると嬉しい」
そして、その責任は上の人間にはなく、目の前の男だけにある。
嫌な風習だなと思った。因習村扱いされがちな足切村よりも、はるかにたちが悪い気がした。
きっとどんな職種のどんな職場でもそうなのだろうが、少なくとも教育現場にだけは大人の政治の真似事を持ち込まないでほしかった。
「ぼくは出世には興味ないけれど、今この職を失うわけにはいかないんだ」
そういえば、佐伯は独身であり、認知症の母親の世話をしながら、教師をしているらしい。そういう噂を誰かから聞いたことがあった。
一体誰がどこからそういう噂を聞きつけてくるのか不思議だった。そして、瞬く間にそれがイルマの耳にまで知れ渡るのだから、怖い世の中だなと思った。SNSなどなくとも、噂をあっという間に拡散する。大昔に流行った口避け女や人面犬の都市伝説がいい例だった。
佐伯の母親は、今はおそらく、物忘れがひどい程度の認知症で、そこまでひどい状態ではないのだろう。
だから働きながらでも面倒をみることができているのだ。
母親の症状が進行すれば、老人ホームに預けるしかなくなる。預けるには金がかかる。おそらく母親の年金や貯金だけでは足らず、彼がお金を払わなければならないのだろう。
確かに今彼が職を失うようなことになれば、彼の人生がその瞬間に詰む可能性があった。
まだ何の能力かわからない自分のギフトが、病や怪我を治せるヒーラーのような力だったら、今目の前にいるような人を悩ませる存在をどうにかしてあげられるのにと思った。佐伯が抱えているであろう何かしらの病も治してやることができる。
それを彼が望んでいるかどうかまでは、イルマのE.O.P.レベルではまだわからなかったが。
「それにしても、まさか花野くんがあんなことをするなんてね」
駐在の警官のことだった。
花野が足切池から出てきた9つの遺体のひとつ、池田祥子を撲殺し、その死体を遺棄したことは、 まだ警察も突き止めてはいないはずだった。
だから、佐伯の言葉にイルマはとても驚かされた。
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