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「田山……どこかで聞いたことがあるような……」
イルマは足切池から発見された遺体の名前をひとつひとつ思い出す。
木村学、小林亮太、佐藤千尋、田中大輔、田山順子、
「田山……順子……?」
その女性は、確か65歳の女性だった。
姉が見た情報によれば、死後3年ほどが経過しており、生きていれば68歳ということだった。
田山順子が仮に目の前の男の母親だったとしても、産んだのは25歳のときになる。母親だとしてもおかしくない年齢だった。
「先生がぼくを呼び出したのは、先生が介護疲れから母親を殺したことに、ぼくが気づいているかも知れないと思ったからですね?」
イルマがそう尋ねると、
「そうだよ」
佐伯は、いや、田山は顔を下品な笑みで歪ませた。
「ぼくも足切村に生まれた者だからね。育ったのはあの村でもこの厩戸見市でもないけれど。だから、白目病のことも、E.O.P.レンズのことも知っているんだよ。もちろん君の目にぼくの名前が映っていることもね」
この男は危険だ、ギフトを持っている可能性がある、そう思った。
だが、ギフトを持っているのなら、なぜ攻撃をしかけてこないのだろうとも思った。
萌衣のキャッスルのような攻撃を得意とするギフトではないのかもしれない。
姉のリモートワーカーズや塗壁木綿が持っているであろう予知能力のようなギフトもある。そういうギフトなのかもしれない。
だが、いつでも攻撃をしかけられるがまだ攻撃をしかけてきていないだけという可能性もあった。イルマのギフトがどんなものかわからず警戒しているだけかもしれない。
「なぜ、佐伯と名乗っているんですか?」
生徒指導室から逃げようとした瞬間襲いかかってくるかもしれない。
ここでもし自分が田山に殺されてしまうようなことがあれば、次は姉や萌衣や塗壁木綿が標的にされるだろう。
「簡単なことさ。随分前に離婚したけれど、ぼくは佐伯という家の婿養子だったことがあるからだよ」
それ以来ずっと、離婚後も佐伯姓を名乗っていたということだ。
「君の言うとおり、ぼくは認知症の母を殺した。この手で首を絞めてね。そして、死体をあの池に沈めた。そのときにギフトにも目覚めたよ。でも、君のように白目病の手術は受けていないんだ。白目病自体にはかかってるけどね。もう何年も目が霞んだままだけど、手術は受けていないんだ」
「失明しますよ」
「それでもいいと思っている。足切村の老人たちがそうであるように、白杖をつき、フード付きローブを身にまとうのも悪くはない」
「失明してもいいだなんて、目の見えない人が聞いたら怒るでしょうね」
身近に萌衣がいるから余計にそう思った。
彼女は足切神社の巫女であるというだけで、手術を受けることさえ許されなかったからだ。
「君以外に話すつもりはないし、どうせ君もすぐに忘れる。だから、どうだっていいさ」
「忘れる?どういうことですか?」
「君はすでにぼくのギフトにかかっている。ぼくが佐伯ではなく田山であることも、ぼくが母を殺し、その死体を遺棄したことも、すべて忘れる。だから別にいい」
やられたと思った。
「ぼくのギフトは、『エビング・ハウス』。特定の場所と特定の期間だけ対象を認知症化させる能力だよ。記憶の欠落はもちろん、見当識障害や人格の一時後退を引き起こす。効果はこの生徒指導室を模した部屋の中だけで、持続時間も対象がこの部屋にいる間だけだ」
イルマは、そのときになってようやく、この学校には「生徒指導室」なんていう、昭和や平成初期の悪しき教育の巣窟のような場所は存在しないことを思い出した。
密室で生徒を指導することなんていうことは、令和の教育現場ではあり得ないからだ。
教師による体罰や暴言、性加害が起こりやすく、何もなかったとしても生徒側が「された」と主張するだけで、教師のクビなど簡単に飛ばすことができてしまうこの時代に、そんなものが残っているわけがなかった。
「この部屋自体が、『エビング・ハウス』、先生が作った忘却曲線の家というわけですね」
「そうだよ。高校一年生がまさか、エビングハウスの忘却曲線を知っているとは思わなかったけどね」
「記憶が時間の経過とともに失われる様子をグラフで示したものでしたっけ。忘却曲線は確か、学習直後に記憶が急激に失われ、その後は緩やかに減少していくことを示していたんだったかな」
「そうだよ。効果的な学習には、忘却を防ぐために、忘れかける前に適切なタイミングで復習を繰り返すことが重要だというものさ」
人は「記銘(覚える)」「保持(保つ)」「想起(思い出す)」の段階を経て情報を記憶する。
忘却は、「想起」ができなくなること、あるいは「保持」がうまくできないことで起こる。
忘却の主な原因として、時間の経過による記憶の減衰、他の記憶による干渉、そして検索する際の情報がうまく見つからないこと、検索の失敗などが考えられている。
「認知症とは関係ない名前をつけたんですね。それとも、名前はギフトが与えられたときには、最初から決まっているんですか?」
「『忘却の彼方(ビヨンド・オブリヴィオン)』にしようかとも思ったけどね、ルームとかハウスをつけたかったんだよ」
つまり、ギフトの名前は自分でつけることができるということなのだろう。
「ビヨンド・オブリヴィオン……忘却の彼方ですか。時間的、空間的に遠く離れた場所に、かつて存在した記憶や思い出が忘れ去られてしまうことを意味する言葉ですね」
「ほう。君は英語も得意なのか。そういえば、君のお姉さんも英語が得意だったね」
「英語は苦手ですよ。ただ、カッコいい英単語だけ覚えて、日常的に使ってたことがあるだけです」
「なるほど。中二病の黒歴史ってやつか。ところで、君はどうして、そんなに余裕そうにしてるのかな?」
「先生のギフトの効果があるのは、この生徒指導室を模した部屋の中だけ。持続時間も対象がこの部屋にいる間だけだと言ってたじゃないですか。先生に認知症のような症状が起きているように、ぼくにもそのうち認知症のような症状が起きるんでしょうけど、それはこの部屋の中にいる間だけですよね?」
「そうだね。確かに君が認知症を発症したとしても、この部屋からでれば解除される」
「ぼくをいつまでもこの部屋に閉じ込めておくことなんてできないですよね?」
部屋の外と時間の流れでも異ならない限り、そのはずだった。
イルマは足切池から発見された遺体の名前をひとつひとつ思い出す。
木村学、小林亮太、佐藤千尋、田中大輔、田山順子、
「田山……順子……?」
その女性は、確か65歳の女性だった。
姉が見た情報によれば、死後3年ほどが経過しており、生きていれば68歳ということだった。
田山順子が仮に目の前の男の母親だったとしても、産んだのは25歳のときになる。母親だとしてもおかしくない年齢だった。
「先生がぼくを呼び出したのは、先生が介護疲れから母親を殺したことに、ぼくが気づいているかも知れないと思ったからですね?」
イルマがそう尋ねると、
「そうだよ」
佐伯は、いや、田山は顔を下品な笑みで歪ませた。
「ぼくも足切村に生まれた者だからね。育ったのはあの村でもこの厩戸見市でもないけれど。だから、白目病のことも、E.O.P.レンズのことも知っているんだよ。もちろん君の目にぼくの名前が映っていることもね」
この男は危険だ、ギフトを持っている可能性がある、そう思った。
だが、ギフトを持っているのなら、なぜ攻撃をしかけてこないのだろうとも思った。
萌衣のキャッスルのような攻撃を得意とするギフトではないのかもしれない。
姉のリモートワーカーズや塗壁木綿が持っているであろう予知能力のようなギフトもある。そういうギフトなのかもしれない。
だが、いつでも攻撃をしかけられるがまだ攻撃をしかけてきていないだけという可能性もあった。イルマのギフトがどんなものかわからず警戒しているだけかもしれない。
「なぜ、佐伯と名乗っているんですか?」
生徒指導室から逃げようとした瞬間襲いかかってくるかもしれない。
ここでもし自分が田山に殺されてしまうようなことがあれば、次は姉や萌衣や塗壁木綿が標的にされるだろう。
「簡単なことさ。随分前に離婚したけれど、ぼくは佐伯という家の婿養子だったことがあるからだよ」
それ以来ずっと、離婚後も佐伯姓を名乗っていたということだ。
「君の言うとおり、ぼくは認知症の母を殺した。この手で首を絞めてね。そして、死体をあの池に沈めた。そのときにギフトにも目覚めたよ。でも、君のように白目病の手術は受けていないんだ。白目病自体にはかかってるけどね。もう何年も目が霞んだままだけど、手術は受けていないんだ」
「失明しますよ」
「それでもいいと思っている。足切村の老人たちがそうであるように、白杖をつき、フード付きローブを身にまとうのも悪くはない」
「失明してもいいだなんて、目の見えない人が聞いたら怒るでしょうね」
身近に萌衣がいるから余計にそう思った。
彼女は足切神社の巫女であるというだけで、手術を受けることさえ許されなかったからだ。
「君以外に話すつもりはないし、どうせ君もすぐに忘れる。だから、どうだっていいさ」
「忘れる?どういうことですか?」
「君はすでにぼくのギフトにかかっている。ぼくが佐伯ではなく田山であることも、ぼくが母を殺し、その死体を遺棄したことも、すべて忘れる。だから別にいい」
やられたと思った。
「ぼくのギフトは、『エビング・ハウス』。特定の場所と特定の期間だけ対象を認知症化させる能力だよ。記憶の欠落はもちろん、見当識障害や人格の一時後退を引き起こす。効果はこの生徒指導室を模した部屋の中だけで、持続時間も対象がこの部屋にいる間だけだ」
イルマは、そのときになってようやく、この学校には「生徒指導室」なんていう、昭和や平成初期の悪しき教育の巣窟のような場所は存在しないことを思い出した。
密室で生徒を指導することなんていうことは、令和の教育現場ではあり得ないからだ。
教師による体罰や暴言、性加害が起こりやすく、何もなかったとしても生徒側が「された」と主張するだけで、教師のクビなど簡単に飛ばすことができてしまうこの時代に、そんなものが残っているわけがなかった。
「この部屋自体が、『エビング・ハウス』、先生が作った忘却曲線の家というわけですね」
「そうだよ。高校一年生がまさか、エビングハウスの忘却曲線を知っているとは思わなかったけどね」
「記憶が時間の経過とともに失われる様子をグラフで示したものでしたっけ。忘却曲線は確か、学習直後に記憶が急激に失われ、その後は緩やかに減少していくことを示していたんだったかな」
「そうだよ。効果的な学習には、忘却を防ぐために、忘れかける前に適切なタイミングで復習を繰り返すことが重要だというものさ」
人は「記銘(覚える)」「保持(保つ)」「想起(思い出す)」の段階を経て情報を記憶する。
忘却は、「想起」ができなくなること、あるいは「保持」がうまくできないことで起こる。
忘却の主な原因として、時間の経過による記憶の減衰、他の記憶による干渉、そして検索する際の情報がうまく見つからないこと、検索の失敗などが考えられている。
「認知症とは関係ない名前をつけたんですね。それとも、名前はギフトが与えられたときには、最初から決まっているんですか?」
「『忘却の彼方(ビヨンド・オブリヴィオン)』にしようかとも思ったけどね、ルームとかハウスをつけたかったんだよ」
つまり、ギフトの名前は自分でつけることができるということなのだろう。
「ビヨンド・オブリヴィオン……忘却の彼方ですか。時間的、空間的に遠く離れた場所に、かつて存在した記憶や思い出が忘れ去られてしまうことを意味する言葉ですね」
「ほう。君は英語も得意なのか。そういえば、君のお姉さんも英語が得意だったね」
「英語は苦手ですよ。ただ、カッコいい英単語だけ覚えて、日常的に使ってたことがあるだけです」
「なるほど。中二病の黒歴史ってやつか。ところで、君はどうして、そんなに余裕そうにしてるのかな?」
「先生のギフトの効果があるのは、この生徒指導室を模した部屋の中だけ。持続時間も対象がこの部屋にいる間だけだと言ってたじゃないですか。先生に認知症のような症状が起きているように、ぼくにもそのうち認知症のような症状が起きるんでしょうけど、それはこの部屋の中にいる間だけですよね?」
「そうだね。確かに君が認知症を発症したとしても、この部屋からでれば解除される」
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