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エミリも木島も人を殺したわけではなかった。
だが、FBIやインターポール、そんな組織まで出てくるということは、相当目立つまねをしていたのだろう。
日本の警察にはふたりの存在はすでに知られていたから、仮に世界的名探偵がいたとしても登場する余地すらなかっただろうが。
あの頃の姉は、バイトを始めると言って、小学校から帰宅したイルマの世話を萌衣にまかせていた。
イルマはその頃、まだ10歳だったから何も知らなかったし何も気づかなかった。おかしいと思ったことすらなかった。
きっと姉はバイトなどしていなかったのだろう。ギフトにも目覚めていなかったから、弟を巻き込まないために木島とどこかに身を隠していたのだ。
「それだけならまだよかったんだけどね……」
「わたしたちは、反社会的勢力にも目をつけられるようになったの。木島は一度、反社に殺されそうになった。あいつは、そのときにギフトに目覚めたんだ。目の前にいる反社の連中を別の場所に飛ばしたんだ」
「警察は助けてくれなかった。玲くんやエミリの得たいの知れない目を怖がってたから。玲くんだけでも死んでくれればって思ってたみたい」
そのとき、木島は反社会的勢力の連中を警察に飛ばしたという。
銃を持ったその連中を県警の会議室に。
丸腰で会議をしてる人たちの前に飛ばされた連中は、パニックになった。
そして、その人たちを皆殺しにした。
そういう事件があったのはニュースで見た気がした。
木島が今のようにギフトを使って、人を凝らしめるようになったのは、その事件がきっかけだったそうだ。
楽しいはずの家までの帰路は、すっかり重い空気になってしまった。
「そういえばさ、足切村の隣って芝井(しばい)って言うでしょ?他にも松名(まつな)とか、鎌島(かまじま)とかあるじゃない?そういう地名の由来、気にならない?」
萌衣が話題を変えてくれた。
確かに言われてみると気になった。
足切村が足を切られた罪人やその子孫の村であったように、そういう地名にもきっと意味があるのだろう。
「芝井って、音の響きだけでも湿地と人の暮らしが混じりあった匂いがするよね。芝は湿った草地で、井は湧水や井戸。このあたりは干拓地だから、かつての水と地の境界を意味してて、干拓前の地形が名前に沈んでるかもしれないね」
萌衣はまるで詩を詠むように言葉を紡いだ。
「あれ?埋め立て地だと思ってたけど、干拓地なんだっけ?」
「干拓地。このあたりのこと、鍋田(なべた)干拓っていうでしょう?」
イルマも埋め立て地だとばっかり思っていたが、どうやら違っていたらしい。鍋田干拓という言葉は確かに聞いたことがあった。
「埋め立てと干拓ってどう違うんだっけ?」
「埋め立ては、土砂を運び入れて陸地化する方法だよ。海面より高い土地を作るの。干拓は、堤防で囲って水を抜いて陸地化する方法。元の場所の水面下の土地を利用するの。埋め立ては浸水被害を防ぎやすいけど、干拓地は雨が降ると水没する可能性があるの」
「だから60年以上前の伊勢湾台風で、このあたりはほとんど水没しちゃったんだね」
「ぼく、芝井は当て字かなんかで、シヴァ神信仰があったのかなって勝手に妄想してたんだけどさ、自転車で芝井にある神社を通ったときに、普通に天照大神を奉ってたからがっかりしたことあったなぁ」
「その当て字の発想、面白いね。信仰や渡来の記憶をこっそり音に残した可能性って、柳田國男ラインの民俗ロマンまっしぐらかも。祭神が天照でも、もともと別の土着神をアマテラスの名で包み直した例も各地にあるんだよ」
「松名は『君の名は』みたいなノリで、『あの松の名は?』って聞いた人がいたかもしれないね。鎌島は、島じゃないのに鎌島。鎌の形をした離れ小島や入り江が存在してたのかも」
地形が消えても、言葉が記憶を抱えている。萌衣のように詩的な表現をするとしたらそんな感じだろうか。
「そうだ。ねぇ、イルマ、これ、持っててくれる?」
エミリがそう言ってイルマに差し出したのは、彼女の左手の薬指だった。
付け根の関節から、プラモデルのように取り外された指だった。
その日も姉の左手には小指がなかった。
小指は、姉のギフトによって今日も彼女の代わりに仕事に行っているのだろう。
「え?なんで、左手の薬指?」
「婚約とか結婚とか、そういう変な意味じゃないよ。今朝、学校でイルマに何かした人、次はわたしと萌衣とひよりだって言ってたんでしょ?わたしに何かあったときは、きっとその指が役に立つから」
「何かあったときって……」
それは、姉が自分のそばからいなくなってしまうときではないだろうか。イルマはそのことを想像するだけで怖くなった。
「とりあえず持っててよ、気持ち悪いかもしれないけど」
姉の薬指が気持ち悪いというより、姉の薬指をいつも持ち歩く弟の方が気持ち悪い気がしたが、おまもりがわりに預かっておくことにした。
「ストラップとかネックレスにしてもいいんだよ?」
「そんな奴がいたら職質されるでしょ?」
「誰に?」
花野と言おうとして、あの男はもう駐在じゃないことをイルマは思い出した。
そのときだった。
「姉さん?」
姉の姿が急に消えた。
「エミリちゃん?どこ?」
萌衣も、エミリが消えたことにすぐ気づいた。
そして、イルマの手のひらの上にあった姉の指が、姉そっくりの姿になりながら地面に飛び降りる。
「これが、『リモート・ワーカーズ』……?」
イルマが姉のギフトをその目で見るのはそれが初めてだった。
ーーあぁ、村戸エミリさん、ひさしぶりだね。突然こんなところに招いてすまなかった。
リモート・ワーカーズは、姉の顔、姉の口、そして姉の声で、中年の男のような口調で喋り始めた。声帯そのものが違うとしか思えない声だった。
「萌衣さん、これは?」
「エミリちゃんが今体験してることを、リモート・ワーカーズが再現してるんだと思う」
「だから、空気椅子をしてるのか」
姉そっくりの人形は、椅子もないのに、まるで椅子に座っているかのような姿勢を取っていた。
「空気椅子?あぁ、きっとどこか部屋のようなところで椅子に座らせられているのね」
ーーあなた、誰ですか?ここはどこ?まるで昔の中学校や高校の生徒指導室みたいですけど。
リモート・ワーカーズは今度は姉の声で話した。
だが、FBIやインターポール、そんな組織まで出てくるということは、相当目立つまねをしていたのだろう。
日本の警察にはふたりの存在はすでに知られていたから、仮に世界的名探偵がいたとしても登場する余地すらなかっただろうが。
あの頃の姉は、バイトを始めると言って、小学校から帰宅したイルマの世話を萌衣にまかせていた。
イルマはその頃、まだ10歳だったから何も知らなかったし何も気づかなかった。おかしいと思ったことすらなかった。
きっと姉はバイトなどしていなかったのだろう。ギフトにも目覚めていなかったから、弟を巻き込まないために木島とどこかに身を隠していたのだ。
「それだけならまだよかったんだけどね……」
「わたしたちは、反社会的勢力にも目をつけられるようになったの。木島は一度、反社に殺されそうになった。あいつは、そのときにギフトに目覚めたんだ。目の前にいる反社の連中を別の場所に飛ばしたんだ」
「警察は助けてくれなかった。玲くんやエミリの得たいの知れない目を怖がってたから。玲くんだけでも死んでくれればって思ってたみたい」
そのとき、木島は反社会的勢力の連中を警察に飛ばしたという。
銃を持ったその連中を県警の会議室に。
丸腰で会議をしてる人たちの前に飛ばされた連中は、パニックになった。
そして、その人たちを皆殺しにした。
そういう事件があったのはニュースで見た気がした。
木島が今のようにギフトを使って、人を凝らしめるようになったのは、その事件がきっかけだったそうだ。
楽しいはずの家までの帰路は、すっかり重い空気になってしまった。
「そういえばさ、足切村の隣って芝井(しばい)って言うでしょ?他にも松名(まつな)とか、鎌島(かまじま)とかあるじゃない?そういう地名の由来、気にならない?」
萌衣が話題を変えてくれた。
確かに言われてみると気になった。
足切村が足を切られた罪人やその子孫の村であったように、そういう地名にもきっと意味があるのだろう。
「芝井って、音の響きだけでも湿地と人の暮らしが混じりあった匂いがするよね。芝は湿った草地で、井は湧水や井戸。このあたりは干拓地だから、かつての水と地の境界を意味してて、干拓前の地形が名前に沈んでるかもしれないね」
萌衣はまるで詩を詠むように言葉を紡いだ。
「あれ?埋め立て地だと思ってたけど、干拓地なんだっけ?」
「干拓地。このあたりのこと、鍋田(なべた)干拓っていうでしょう?」
イルマも埋め立て地だとばっかり思っていたが、どうやら違っていたらしい。鍋田干拓という言葉は確かに聞いたことがあった。
「埋め立てと干拓ってどう違うんだっけ?」
「埋め立ては、土砂を運び入れて陸地化する方法だよ。海面より高い土地を作るの。干拓は、堤防で囲って水を抜いて陸地化する方法。元の場所の水面下の土地を利用するの。埋め立ては浸水被害を防ぎやすいけど、干拓地は雨が降ると水没する可能性があるの」
「だから60年以上前の伊勢湾台風で、このあたりはほとんど水没しちゃったんだね」
「ぼく、芝井は当て字かなんかで、シヴァ神信仰があったのかなって勝手に妄想してたんだけどさ、自転車で芝井にある神社を通ったときに、普通に天照大神を奉ってたからがっかりしたことあったなぁ」
「その当て字の発想、面白いね。信仰や渡来の記憶をこっそり音に残した可能性って、柳田國男ラインの民俗ロマンまっしぐらかも。祭神が天照でも、もともと別の土着神をアマテラスの名で包み直した例も各地にあるんだよ」
「松名は『君の名は』みたいなノリで、『あの松の名は?』って聞いた人がいたかもしれないね。鎌島は、島じゃないのに鎌島。鎌の形をした離れ小島や入り江が存在してたのかも」
地形が消えても、言葉が記憶を抱えている。萌衣のように詩的な表現をするとしたらそんな感じだろうか。
「そうだ。ねぇ、イルマ、これ、持っててくれる?」
エミリがそう言ってイルマに差し出したのは、彼女の左手の薬指だった。
付け根の関節から、プラモデルのように取り外された指だった。
その日も姉の左手には小指がなかった。
小指は、姉のギフトによって今日も彼女の代わりに仕事に行っているのだろう。
「え?なんで、左手の薬指?」
「婚約とか結婚とか、そういう変な意味じゃないよ。今朝、学校でイルマに何かした人、次はわたしと萌衣とひよりだって言ってたんでしょ?わたしに何かあったときは、きっとその指が役に立つから」
「何かあったときって……」
それは、姉が自分のそばからいなくなってしまうときではないだろうか。イルマはそのことを想像するだけで怖くなった。
「とりあえず持っててよ、気持ち悪いかもしれないけど」
姉の薬指が気持ち悪いというより、姉の薬指をいつも持ち歩く弟の方が気持ち悪い気がしたが、おまもりがわりに預かっておくことにした。
「ストラップとかネックレスにしてもいいんだよ?」
「そんな奴がいたら職質されるでしょ?」
「誰に?」
花野と言おうとして、あの男はもう駐在じゃないことをイルマは思い出した。
そのときだった。
「姉さん?」
姉の姿が急に消えた。
「エミリちゃん?どこ?」
萌衣も、エミリが消えたことにすぐ気づいた。
そして、イルマの手のひらの上にあった姉の指が、姉そっくりの姿になりながら地面に飛び降りる。
「これが、『リモート・ワーカーズ』……?」
イルマが姉のギフトをその目で見るのはそれが初めてだった。
ーーあぁ、村戸エミリさん、ひさしぶりだね。突然こんなところに招いてすまなかった。
リモート・ワーカーズは、姉の顔、姉の口、そして姉の声で、中年の男のような口調で喋り始めた。声帯そのものが違うとしか思えない声だった。
「萌衣さん、これは?」
「エミリちゃんが今体験してることを、リモート・ワーカーズが再現してるんだと思う」
「だから、空気椅子をしてるのか」
姉そっくりの人形は、椅子もないのに、まるで椅子に座っているかのような姿勢を取っていた。
「空気椅子?あぁ、きっとどこか部屋のようなところで椅子に座らせられているのね」
ーーあなた、誰ですか?ここはどこ?まるで昔の中学校や高校の生徒指導室みたいですけど。
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