32 / 109
#32
しおりを挟む
「切り裂きジャック事件の犯人は、どうして見つからなかったと思う?」
ロンドンで何人もの売春婦を夜道で殺害したという殺人鬼だったか。
「切り裂きジャックは、1888年にイギリスのロンドンのホワイトチャペルとその周辺で犯行を繰り返した正体不明の連続殺人犯よ。標的となったのは、ロンドンのイーストエンドのスラムに住み、客を取っていた娼婦たち。被害者たちは喉を切られた後に、腹部も切られていたことが特徴なの。少なくとも3人の犠牲者からは内臓が取り出されてた。そのことから、犯人は解剖学や外科学の知識があったと考えられているの。いくら真夜中とはいえ、そんな時間のかかることをしてたのに捕まらないどころか、めぼしい目撃証言すらなかったなんて不自然でしょ?」
確かに不自然だった。
「たとえば、佐伯みたいに人の記憶に残らないような人だったらどうかな?監視カメラやドライブレコーダーがない時代なら、どれだけ犯罪を重ねても警察が彼にたどり着けなかったことに説明がつくと思わない?」
確かに、切り裂きジャックがそういうギフトを持っているとしたら、その可能性もある気がした。
「わたしは、未解決事件のほとんどはギフトによる犯罪じゃないかって思ってるの。そういうドラマがあったでしょう?」
たぶん、SPECのことだろうと思った。SPECとケイゾクがごっちゃになっているんだろうなとも。
ーーぼくが佐伯治ではなく田山治であることも、ぼくが母、田山順子を殺し、その死体を遺棄したことも、君はこの部屋を出たらすべて忘れるんだよ。
佐伯は完全に姉に勝ったと思い込んでいるのだろう。
そして、自分も似たようなセリフを聞かされたが、彼の言葉通り忘れてしまったのだろうとイルマは思った。
ーーそう。でも、わたしのギフトが、自分の指を取り外して、自分のコピーを作る能力だったとしたらどう?そのコピーはここでのわたしとあんたの会話を、あんたの声も口調も完全に再現してて、萌衣とイルマに聞かせてるとしたら?その会話をイルマがスマホで録音してるとしたらどう?警察に持っていったら、十分証拠になるレベルの再現度なの。
姉のコピーが左手を広げて見せていた。姉はきっと勝ち誇った顔をして、小指と薬指のない左手を佐伯に見せているのだ。
ーーそんなギフトが……いや、でも一体……いつから指を……
ーーあんたに尾行(つけ)られてるのには、足切神社にいるときから気づいてたからね。イルマが学校で誰かからギフトによる攻撃を受けたことは聞いてたし、そのときの記憶が一切ないことも聞いてた。だから、あの子にわたしのコピーになる子を預けておいたの。この部屋に閉じ込められたときからずっと、ふたりはこの亜空間の外でわたしたちの会話を聞いてるはず。わたしのかわいいイルマならきっと、スマホで録音しててくれねるだろうね。いつもいざというときは録画か録音をしなさいって言い聞かせてたし。
萌衣に言われるまで録音をするという発想に思い至らなかったのは、姉の期待を裏切るようで申し訳なかった。萌衣がそばにいてくれてよかったなと思った。
ーーこの部屋の外にいる萌衣かイルマがわたしのコピーの左手の薬指を握れば、わたしはあんたの能力に関係なく自動的にこの部屋の外に出ることになる。
ーーそうか。最初からぼくの完敗だったというわけか。好きにしたまえ。
ーー最後に、あんたにひとつ、言いたいことがあるんだけど、いいかな?
ーーなんだい?
ーーあんたが体験したお母さんの介護生活、すごくリアリティがあった。たぶん、文才もあるんだと思う。あんた、国語教師みたいだしね。全然覚えてないけど。
ーーそいつはどうも。
ーーあんたは、ずっと小説家になりたかったんでしょ?だったら、お母さんを殺すんじゃなくて、認知症でどんどんおかしくなっていくお母さんをもっと観察するべきだった。『母親を殺すことを決めた教師の日常』を小説にしたらよかったんだよ。『私の名前を忘れたら母を殺すことにする』とか、主人公が母親を殺すタイミングをあらかじめ決めてね。
ーーそれは盲点だったよ。茶川ひよりなら、塗壁木綿なら、そうしてたかい?
ーーそうだね。あの子ならきっとそうしてた。あの子のことだから小説じゃなくて漫画になってただろうけどね。
ーーぼくが今から書いても無駄か?
ーー無駄ではないんじゃない?書くなら留置場や拘置所、刑務所になると思うけど。
ーーさすがに書き終わるまで待ってはくれないか。
ーー待つわけないでしょ。あんたはわたしのかわいい弟にギフトで攻撃をしかけたんだから。弟に何かあったら、その腕を二度と字が書けないようにしてたよ。
ーーそうか。だが、人殺しが書いた小説なんて誰も読まないだろうな。
ーーそんなことはないと思うよ。30年くらい前に近所の小学生をふたり殺した少年Aって人がいたでしょ?わたしが生まれる前だけど。その人、何年か前に本を書いて荒稼ぎしてたみたいだし。確か印税が2000万円くらい入ったんじゃなかったかな?それって結構売れたってことだよね。
印税は大体本の値段の1割だと聞いたことがあった。
仮にその本が税抜1500円のハードカバーだったとしたら、1冊あたりの印税は150円だ。印税が2000万円入ったということは、その本は13万部以上売れたことになる。
それだけ売れれば文庫化もされるのだろうか。文庫がハードカバーより売れるのかどうかはわからないし、一冊あたりの印税も半分以下になるだろうが、最終的に3000万~4000万円くらいの印税を手にするかもしれない。すでに手にしているかもしれなかった。
少年Aという犯罪者のことはよく知らなかったが、人殺しが書いた本にそれだけの需要があるのは、イルマには不思議だった。
そんな本、イルマは読みたくもなかったからだ。
ーー人殺しが書いた本っていう色眼鏡で見られて売れて何が嬉しい?ぼくは、ぼくが書いた小説を文学として正当な評価を受けたいんだよ。茶川ひよりを、塗壁木綿を見返してやりたいんだよ。
ーー人殺しが今さら何を言ってるの?名前の売れてない作家なんて、1万部も刷ってもらえないんだよ。
それに、ひよりを見返すも何も、彼女もまた、佐伯のことを覚えてやしないだろうということまで言わなかったのは、姉の優しさだったのかもしれなかった。
ロンドンで何人もの売春婦を夜道で殺害したという殺人鬼だったか。
「切り裂きジャックは、1888年にイギリスのロンドンのホワイトチャペルとその周辺で犯行を繰り返した正体不明の連続殺人犯よ。標的となったのは、ロンドンのイーストエンドのスラムに住み、客を取っていた娼婦たち。被害者たちは喉を切られた後に、腹部も切られていたことが特徴なの。少なくとも3人の犠牲者からは内臓が取り出されてた。そのことから、犯人は解剖学や外科学の知識があったと考えられているの。いくら真夜中とはいえ、そんな時間のかかることをしてたのに捕まらないどころか、めぼしい目撃証言すらなかったなんて不自然でしょ?」
確かに不自然だった。
「たとえば、佐伯みたいに人の記憶に残らないような人だったらどうかな?監視カメラやドライブレコーダーがない時代なら、どれだけ犯罪を重ねても警察が彼にたどり着けなかったことに説明がつくと思わない?」
確かに、切り裂きジャックがそういうギフトを持っているとしたら、その可能性もある気がした。
「わたしは、未解決事件のほとんどはギフトによる犯罪じゃないかって思ってるの。そういうドラマがあったでしょう?」
たぶん、SPECのことだろうと思った。SPECとケイゾクがごっちゃになっているんだろうなとも。
ーーぼくが佐伯治ではなく田山治であることも、ぼくが母、田山順子を殺し、その死体を遺棄したことも、君はこの部屋を出たらすべて忘れるんだよ。
佐伯は完全に姉に勝ったと思い込んでいるのだろう。
そして、自分も似たようなセリフを聞かされたが、彼の言葉通り忘れてしまったのだろうとイルマは思った。
ーーそう。でも、わたしのギフトが、自分の指を取り外して、自分のコピーを作る能力だったとしたらどう?そのコピーはここでのわたしとあんたの会話を、あんたの声も口調も完全に再現してて、萌衣とイルマに聞かせてるとしたら?その会話をイルマがスマホで録音してるとしたらどう?警察に持っていったら、十分証拠になるレベルの再現度なの。
姉のコピーが左手を広げて見せていた。姉はきっと勝ち誇った顔をして、小指と薬指のない左手を佐伯に見せているのだ。
ーーそんなギフトが……いや、でも一体……いつから指を……
ーーあんたに尾行(つけ)られてるのには、足切神社にいるときから気づいてたからね。イルマが学校で誰かからギフトによる攻撃を受けたことは聞いてたし、そのときの記憶が一切ないことも聞いてた。だから、あの子にわたしのコピーになる子を預けておいたの。この部屋に閉じ込められたときからずっと、ふたりはこの亜空間の外でわたしたちの会話を聞いてるはず。わたしのかわいいイルマならきっと、スマホで録音しててくれねるだろうね。いつもいざというときは録画か録音をしなさいって言い聞かせてたし。
萌衣に言われるまで録音をするという発想に思い至らなかったのは、姉の期待を裏切るようで申し訳なかった。萌衣がそばにいてくれてよかったなと思った。
ーーこの部屋の外にいる萌衣かイルマがわたしのコピーの左手の薬指を握れば、わたしはあんたの能力に関係なく自動的にこの部屋の外に出ることになる。
ーーそうか。最初からぼくの完敗だったというわけか。好きにしたまえ。
ーー最後に、あんたにひとつ、言いたいことがあるんだけど、いいかな?
ーーなんだい?
ーーあんたが体験したお母さんの介護生活、すごくリアリティがあった。たぶん、文才もあるんだと思う。あんた、国語教師みたいだしね。全然覚えてないけど。
ーーそいつはどうも。
ーーあんたは、ずっと小説家になりたかったんでしょ?だったら、お母さんを殺すんじゃなくて、認知症でどんどんおかしくなっていくお母さんをもっと観察するべきだった。『母親を殺すことを決めた教師の日常』を小説にしたらよかったんだよ。『私の名前を忘れたら母を殺すことにする』とか、主人公が母親を殺すタイミングをあらかじめ決めてね。
ーーそれは盲点だったよ。茶川ひよりなら、塗壁木綿なら、そうしてたかい?
ーーそうだね。あの子ならきっとそうしてた。あの子のことだから小説じゃなくて漫画になってただろうけどね。
ーーぼくが今から書いても無駄か?
ーー無駄ではないんじゃない?書くなら留置場や拘置所、刑務所になると思うけど。
ーーさすがに書き終わるまで待ってはくれないか。
ーー待つわけないでしょ。あんたはわたしのかわいい弟にギフトで攻撃をしかけたんだから。弟に何かあったら、その腕を二度と字が書けないようにしてたよ。
ーーそうか。だが、人殺しが書いた小説なんて誰も読まないだろうな。
ーーそんなことはないと思うよ。30年くらい前に近所の小学生をふたり殺した少年Aって人がいたでしょ?わたしが生まれる前だけど。その人、何年か前に本を書いて荒稼ぎしてたみたいだし。確か印税が2000万円くらい入ったんじゃなかったかな?それって結構売れたってことだよね。
印税は大体本の値段の1割だと聞いたことがあった。
仮にその本が税抜1500円のハードカバーだったとしたら、1冊あたりの印税は150円だ。印税が2000万円入ったということは、その本は13万部以上売れたことになる。
それだけ売れれば文庫化もされるのだろうか。文庫がハードカバーより売れるのかどうかはわからないし、一冊あたりの印税も半分以下になるだろうが、最終的に3000万~4000万円くらいの印税を手にするかもしれない。すでに手にしているかもしれなかった。
少年Aという犯罪者のことはよく知らなかったが、人殺しが書いた本にそれだけの需要があるのは、イルマには不思議だった。
そんな本、イルマは読みたくもなかったからだ。
ーー人殺しが書いた本っていう色眼鏡で見られて売れて何が嬉しい?ぼくは、ぼくが書いた小説を文学として正当な評価を受けたいんだよ。茶川ひよりを、塗壁木綿を見返してやりたいんだよ。
ーー人殺しが今さら何を言ってるの?名前の売れてない作家なんて、1万部も刷ってもらえないんだよ。
それに、ひよりを見返すも何も、彼女もまた、佐伯のことを覚えてやしないだろうということまで言わなかったのは、姉の優しさだったのかもしれなかった。
0
あなたにおすすめの小説
10年ぶりに現れた正ヒロインが強すぎて、10年来のダメ系幼馴染型ヒロインが敗北しそうな件について。
神崎あら
青春
10年ぶりに再会した彼女はまさに正ヒロインと呼ぶにふさわしい容姿、性格、人望を手にしていた。
それに対して10年間一緒にいた幼馴染は、堕落し酒に溺れ、泰平の世話なしには生きられないペットのような生き物になっている。
そんな対照的な2人のヒロインが戦う(一方的にダメ幼馴染が社会的にボコられる)物語が今始まる!!
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
『お母ちゃん(霊)といっしょ EP0~北海道編 すべてはここから始まった!お母ちゃんの過去を探れ~』
M‐赤井翼
ホラー
「お母ちゃん(霊)といっしょ」シリーズの実質「第1話」です。
読者様の希望により、いつもの「現代小説」カテゴリーでなく、「ホラー・ミステリー」カテゴリーからのエントリーとなりました。
広義の意味で「ホラー」とは「極端に非現実だけど誇張された状況の不条理さに焦点を当てたジャンル」とありますので、お母ちゃんの「かずみ」は浮遊霊キャラクターですので優しく見守ってやってください!
お時間のある方はこの続きの「エピソード1」から「エピソード3」まで公開しますのでそちらも読んでいただけると嬉しいです!
この作品にいただいた「エール」の投稿インセンティブは「こども食堂」運営の応援に使わせていただきますので、よろしかったらご協力ください!
では、お母ちゃん(霊】の「かずみ」と娘の「さとみ」、そしてお父ちゃんの「直」と今回のゲストさん達の応援をよろひこー!
(⋈◍>◡<◍)。✧💖
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる