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#86
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「馬鹿な神々だ。私がこの機械人形を片付けるがいいな?」
冥府を秩序正しく保つ王でありギリシア神話の神であるハデスは、魂の重さを量るエジプト神話の守護神アヌビスや、死と再生の書記でありマヤ神話の神・ツァムナー、鏡に世界の裏側を映すアステカ神話の神・テスカトリポカにそう言った。
だが、すでに七つ目の門の先には死者の半分を黄泉へ導く北欧神話の女神・ヘルが立っていた。
ヘルは、冥界ニブルヘルの女王であり、その体の半分が生者であり、半分が死体であった。そのため片側は美しく、片側は腐敗していた。
冷たい瞳と、感情が読めない顔で、黒釈迦を待っていた。
「黒釈迦よ。私が貴様に死を与えよう」
ーー八百万の死因。
「貴様はそのガラクタの体で死を克服したと言っていたな。貴様が生きていた時代、紀元前に見てきたものよりもはるかに残酷な死がこの世には無数にあることを教えてやろう」
老人が運転する車がブレーキをかけることもせず、黒釈迦に突撃した。
老人はゆっくり車から降りると不思議そうな顔をしていた。彼はイルマたちに見える幻覚ではなく、ヘルによってどこかから連れてこられた実在する人間のようだった。もちろん車もだ。
「その老人は、今まさに子どもたちの列にその鉄の乗り物で突っ込むところだった。だから貴様に突っ込ませることにしたのだ」
その直後、突如電車が現れた。線路などなく、脱線状態だった。
黒釈迦は脱線した電車に轢かれ、運転手の顔が青ざめ、乗客の舌打ちや怒声、悲鳴が響く。
電車は転倒することなく、ゆっくりと減速していった。
「その鉄の乗り物も、ついさっき飛び込んできた若い女を轢き殺すところだった」
エスカレーターの動く手すりに、服の裾ーーその体は服など着ていなかったが何故かあるはずのない裾が巻き込まれた黒釈迦は大きく転倒した。エスカレーターは彼が起き上がることを許してくれず、黒釈迦は何度もその頭や体をぶつける。
「その動く階段も、子どもの服の裾を巻き込もうとしていた。次はこれだ」
黒釈迦の頭のそばに打ち上げ花火の玉が転がってきた。エスカレーターから出た火花が引火し、玉は打ち上げられることなく黒釈迦の眼前で爆発した。
「きれいだな。花火というものは」
今は冬だ。12月だ。まもなく2025年も終わろうとしている。
この国のどこかか外国のどこかでは花火を打ち上げることもあるかもしれないが、今は花火の時期ではない。
その打ち上げ花火は、夏に起きた事故の現場から引き寄せたものかもしれない。
そういえば、あの事故では怪我人はいたが死者は出なかった。死者を出す規模のものが、今日この時間に移動していたからかもしれなかった。
この辺りには山などないにも関わらず、山から下りてきた熊がどこかから現れ、黒釈迦を見つけると鋭い爪で引き裂き、体を噛みちぎる。
そして、猟銃を持ったハンターが十数人現れ、彼を熊だと思い込み一斉に弾を放った。
熊やハンターは秋頃から呼び出されたのかもしれない。
どこかの県で一頭の熊と十数人のハンターがまるで神隠しにあったように消えたというニュースを見た覚えがあった。
「人間というものは、いつの時代も恐ろしいものだな。人を襲う熊を殺すなと声高に叫ぶものたちがいるらしいじゃないか。子どもが暖炉に手を突っ込まなければ火の怖さを学ばないように、野生動物の恐ろしさを知らない者がそうなるのだろうな。こやつらは、そういった連中の住む家に送りつけてやるとしよう」
熊とハンターたちは、すぐにその姿を消した。動物愛護精神旺盛な誰かの家に送られたのだ。
ヘルの力は土地の形さえも変えた。
家屋がすべて焼き払われた足切村は、まるで異国の都会の町並みのようになった。
坂が多い町並みだった。そこに、仮装した人々が大挙して押し寄せていた。
ハロウィンだ。
狭い坂道で、黒釈迦が転倒する。
その上に何人もの人々が転倒し、彼の機械の体を押し潰す。
まるで、数年前に外国で起きた事故のようだった。
わずか30センチの津波がーー
全身の穴という穴から血が噴き出す奇病がーー
それは、古今東西のありとあらゆる死に方が一度に黒釈迦に襲いかかるというものだった。
「もうやめてくれ……何度私を殺せば気がすむのだ……」
だが、ロビンソンの集合体である黒釈迦の体はそれでも死ぬことはなかった。
「輪廻転生を否定する貴様の魂がすりきれるまでだ」
死の現実をそのまま見せ、体験させるだけだった。
黒釈迦の体が機械でなければ、イルマは直視することはできなかっただろう。
「まったく、残酷で陰湿な女神だな」
黒髪と黒髭の威厳ある冥界の王ハデスは大きくため息をついた。
彼は冷静で理知的であり、王冠を被ったその顔は結して悪人のものではなかった。
彼は三つ首の犬ケルベロスを従えていた。
「私は死者の管理者だ。この者はすでに現世での役割を終えている。私の管理下にある者を勝手に玩具にされては困るな」
ーー地獄の番犬。
ケルベロスは、死ぬことすらできない黒釈迦に永遠の苦しみを与えはじめた。
「死者を玩具にしているのは、お前だろう? ハデス」
黒いジャッカルの頭と引き締まった人型の体を持ち、神官の装束に身を包んだアヌビスが言う。
「私は死者の案内人だ。この者の天秤で心臓の重さをはかり、死者の魂の行き先を決める」
「貴様の天秤にはすでに心臓がふたつの乗っているではないか」
ハデスの言う通り、その手には天秤があり、天秤の左右にはすでにふたつの心臓が乗っていた。
「そう。私の天秤には常にふたつ心臓が乗っている。心臓の重さで魂の行く先を決めたりはしない。私がその時の気分が決める」
「やめろ……やめてくれ……」
「そして、この死者、黒釈迦の魂の行く先は『無』だ」
輪廻転生を否定する黒釈迦には、魂の行く先すら与えない。
そういうことなのだろう。
「『無』だと!? やめてくれ! 私はまだ死にたくない! 消えたくないのだ!!」
「貴様はとっくに死んでいるではないか。それに、貴様の善性はすでに仏としてまつられている。それで充分だろう?」
「何を言っている! 私の予想通り、私の教えは1000年もしないうちにねじ曲げられ、全く違うものになっているのだぞ! 寺の坊主の金儲けに使われているだけだ! それを天界にいる善の私は止めようともしない! だから私が奴の代わりに人間を支配しなければいけないのだ!」
「そうか。それは残念だったな。だが、それが宗教というものだ。信仰すら忘れられた我々よりはまだましだろう?」
パンッという乾いた音がして、黒釈迦の魂はその存在そのものが消えた。
冥府を秩序正しく保つ王でありギリシア神話の神であるハデスは、魂の重さを量るエジプト神話の守護神アヌビスや、死と再生の書記でありマヤ神話の神・ツァムナー、鏡に世界の裏側を映すアステカ神話の神・テスカトリポカにそう言った。
だが、すでに七つ目の門の先には死者の半分を黄泉へ導く北欧神話の女神・ヘルが立っていた。
ヘルは、冥界ニブルヘルの女王であり、その体の半分が生者であり、半分が死体であった。そのため片側は美しく、片側は腐敗していた。
冷たい瞳と、感情が読めない顔で、黒釈迦を待っていた。
「黒釈迦よ。私が貴様に死を与えよう」
ーー八百万の死因。
「貴様はそのガラクタの体で死を克服したと言っていたな。貴様が生きていた時代、紀元前に見てきたものよりもはるかに残酷な死がこの世には無数にあることを教えてやろう」
老人が運転する車がブレーキをかけることもせず、黒釈迦に突撃した。
老人はゆっくり車から降りると不思議そうな顔をしていた。彼はイルマたちに見える幻覚ではなく、ヘルによってどこかから連れてこられた実在する人間のようだった。もちろん車もだ。
「その老人は、今まさに子どもたちの列にその鉄の乗り物で突っ込むところだった。だから貴様に突っ込ませることにしたのだ」
その直後、突如電車が現れた。線路などなく、脱線状態だった。
黒釈迦は脱線した電車に轢かれ、運転手の顔が青ざめ、乗客の舌打ちや怒声、悲鳴が響く。
電車は転倒することなく、ゆっくりと減速していった。
「その鉄の乗り物も、ついさっき飛び込んできた若い女を轢き殺すところだった」
エスカレーターの動く手すりに、服の裾ーーその体は服など着ていなかったが何故かあるはずのない裾が巻き込まれた黒釈迦は大きく転倒した。エスカレーターは彼が起き上がることを許してくれず、黒釈迦は何度もその頭や体をぶつける。
「その動く階段も、子どもの服の裾を巻き込もうとしていた。次はこれだ」
黒釈迦の頭のそばに打ち上げ花火の玉が転がってきた。エスカレーターから出た火花が引火し、玉は打ち上げられることなく黒釈迦の眼前で爆発した。
「きれいだな。花火というものは」
今は冬だ。12月だ。まもなく2025年も終わろうとしている。
この国のどこかか外国のどこかでは花火を打ち上げることもあるかもしれないが、今は花火の時期ではない。
その打ち上げ花火は、夏に起きた事故の現場から引き寄せたものかもしれない。
そういえば、あの事故では怪我人はいたが死者は出なかった。死者を出す規模のものが、今日この時間に移動していたからかもしれなかった。
この辺りには山などないにも関わらず、山から下りてきた熊がどこかから現れ、黒釈迦を見つけると鋭い爪で引き裂き、体を噛みちぎる。
そして、猟銃を持ったハンターが十数人現れ、彼を熊だと思い込み一斉に弾を放った。
熊やハンターは秋頃から呼び出されたのかもしれない。
どこかの県で一頭の熊と十数人のハンターがまるで神隠しにあったように消えたというニュースを見た覚えがあった。
「人間というものは、いつの時代も恐ろしいものだな。人を襲う熊を殺すなと声高に叫ぶものたちがいるらしいじゃないか。子どもが暖炉に手を突っ込まなければ火の怖さを学ばないように、野生動物の恐ろしさを知らない者がそうなるのだろうな。こやつらは、そういった連中の住む家に送りつけてやるとしよう」
熊とハンターたちは、すぐにその姿を消した。動物愛護精神旺盛な誰かの家に送られたのだ。
ヘルの力は土地の形さえも変えた。
家屋がすべて焼き払われた足切村は、まるで異国の都会の町並みのようになった。
坂が多い町並みだった。そこに、仮装した人々が大挙して押し寄せていた。
ハロウィンだ。
狭い坂道で、黒釈迦が転倒する。
その上に何人もの人々が転倒し、彼の機械の体を押し潰す。
まるで、数年前に外国で起きた事故のようだった。
わずか30センチの津波がーー
全身の穴という穴から血が噴き出す奇病がーー
それは、古今東西のありとあらゆる死に方が一度に黒釈迦に襲いかかるというものだった。
「もうやめてくれ……何度私を殺せば気がすむのだ……」
だが、ロビンソンの集合体である黒釈迦の体はそれでも死ぬことはなかった。
「輪廻転生を否定する貴様の魂がすりきれるまでだ」
死の現実をそのまま見せ、体験させるだけだった。
黒釈迦の体が機械でなければ、イルマは直視することはできなかっただろう。
「まったく、残酷で陰湿な女神だな」
黒髪と黒髭の威厳ある冥界の王ハデスは大きくため息をついた。
彼は冷静で理知的であり、王冠を被ったその顔は結して悪人のものではなかった。
彼は三つ首の犬ケルベロスを従えていた。
「私は死者の管理者だ。この者はすでに現世での役割を終えている。私の管理下にある者を勝手に玩具にされては困るな」
ーー地獄の番犬。
ケルベロスは、死ぬことすらできない黒釈迦に永遠の苦しみを与えはじめた。
「死者を玩具にしているのは、お前だろう? ハデス」
黒いジャッカルの頭と引き締まった人型の体を持ち、神官の装束に身を包んだアヌビスが言う。
「私は死者の案内人だ。この者の天秤で心臓の重さをはかり、死者の魂の行き先を決める」
「貴様の天秤にはすでに心臓がふたつの乗っているではないか」
ハデスの言う通り、その手には天秤があり、天秤の左右にはすでにふたつの心臓が乗っていた。
「そう。私の天秤には常にふたつ心臓が乗っている。心臓の重さで魂の行く先を決めたりはしない。私がその時の気分が決める」
「やめろ……やめてくれ……」
「そして、この死者、黒釈迦の魂の行く先は『無』だ」
輪廻転生を否定する黒釈迦には、魂の行く先すら与えない。
そういうことなのだろう。
「『無』だと!? やめてくれ! 私はまだ死にたくない! 消えたくないのだ!!」
「貴様はとっくに死んでいるではないか。それに、貴様の善性はすでに仏としてまつられている。それで充分だろう?」
「何を言っている! 私の予想通り、私の教えは1000年もしないうちにねじ曲げられ、全く違うものになっているのだぞ! 寺の坊主の金儲けに使われているだけだ! それを天界にいる善の私は止めようともしない! だから私が奴の代わりに人間を支配しなければいけないのだ!」
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