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「私には、昔、横浜に住んでいる友人がいた。その者が言うには、その者が通っていた学校ではいじめがなかったと言うのだよ。そんなことがあるのか? なぜだ? と私は訊ねた。すると、その者はこう答えた。その者の家がある辺りは皆経済状況が似ており、高収入の世帯ばかりの住宅街だったらしい。衣服や筆記用具、所持しているゲーム機や流行り物などに格差がない。だから、そういうことが起きづらいんじゃないかとな。私は確かに一理あると思った。この街は、田舎だから格差がすごいだろう? そして、少子化の時代でありながらも、十数年ほど前には新しい小学校が作られるほど子どもがいる。そこに通えるのは、この街が行った街おこしによって移住してきた住宅街のこどもだけだ」
イルマはその新しい学校には通えなかった。
両親が移住先に選んだのはその住宅街ではなく、足切村だったからだ。
それにしても、この神はなぜこの街のことにまで詳しいのだろうか。
横浜に住んでいる友人がいるなんて、まるで人間と話しているようだった。
「新しい小学校に通えるのは、この街の新しい住人だけ。元からいる古き住人たちは、どれだけ納税していようが、海抜ゼロメートル以下の土地にある老朽化した汚い小学校に隔離されている。こんなに目に見える形で古き住民の切り捨てをやってくるのかという驚きすら感じるだろう? 長年税金をおさめてきた者たちより、昨日今日引っ越してきた者の方がいい目を見る。私は思ったよ。携帯電話会社の新規契約か何かかとな」
長年そこに住み、税金を納め、不便さも、干拓地ゆえの災害リスクも引き受けてきた人たちより、今年越してきましたという世帯が、新しい学校や便利な立地、整ったインフラを享受する。
それはこの街が抱える問題そのものだった。
冷静に考えると、かなり異様なことだった。
テスカトリポカが言う、携帯電話会社の新規契約という喩えも皮肉が効いていると思った。
新規客には、キャッシュバックや特典や優遇があるが、既存客は何も得るものはなく黙って支払う前提にある。機種変の際には高額を払うことになり、新規客は安く手に入れることができる。この差はあまりに大きい。
文句を言っても「規約ですから」で済まされる。面倒な客として扱われたり、カスハラとして訴えられたりするだけだろう。
既存客に逃げられたら困るはずだが、番号をそのままに携帯電話会社を変える方法はあっても、それは選択肢としてあるだけで、手続きはとにかく面倒なようにその仕組みができている。
自治体がやっていることも、構造としてはそれに近い。
人口を増やしたい。税収を確保したい。若い世帯を呼び込みたい。
そのために「選ばれる側」にリソースを集中させる。
一方で、もう動けない人、声を上げにくい人、出ていかない人は、計算上安定している存在として扱われる。
だから後回しにされ続ける。彼の言う通り切り捨てられるという表現も間違ってはいないだろう。
その結果が、テスカトリポカやイルマ、この街の古い住民たちの目に見えている風景なのだろう。
恐ろしいのは、これをやっている側に悪いことをしている自覚がほとんどないことだ。
彼らの中では、合理的、将来のため、仕方ない、そういった理由で完結してしまっているのだろう。
だが、その合理性の外側に追いやられた人たちは、確実に「自分たちはもう大事にされていない」と感じてしまう。
「あぁ、そういえば、貴様が通っていた小学校や、さらに南にある小学校が廃校になるらしいな。北にある小学校はひとつも廃校にならないというのにな。南はすべて廃校だ。南は子どもが少ないからな。だが、新しい小学校の方が明らかに距離が近いというのに、東にある旧・十字山村の小学校にスクールバスで通わされるそうじゃないか。橋一本渡れば小学校という土地のものまでがそうなるんだろう? 確実に古き住人の血筋が新しい小学校から排除されてるのだ。なぜだかわかるか? 市や教育委員会は、なぜいじめが起きるかというアルゴリズムをある程度理解しているからだ。格差だけが原因ではないが、格差が最もいじめの原因になりやすいとな。それだけじゃないぞ。あの学校が公立でありながら『プロジェクト型・アクティブラーニング系』の教育方針になっている」
「何それ?」
「学校の教科や年齢の枠を超えて、実社会の課題を解決する学び、グループワークやディスカッション、発表が中心の教育方針だ。ICTーーコンピューター技術に通信の要素を加えたものや、最新テクノロジーを積極的に活用したりもしている。言ってみれば『窓ぎわのタツタちゃん』が通っていた学校で行われていたモンテッソーリ式教育の現代版というところだ」
イルマはつい先日、姉や萌衣とサブスクでそのアニメを観たばかりだった。
『田鶴子の部屋』でお馴染みの白柳田鶴子の自伝を元にした、戦時中に落ち着きがないという理由から公立の小学校を退学になった少女が、素晴らしい教育方針の学校で才能を開花させていくという物語だった。
だが、裏を返せば東京の裕福な家庭に生まれ、両親も娘を型にはめようとしなかった、親ガチャでSSRどころかURを引いた少女の物語だった。
だから、彼女は量産型と呼ばれる人間にならずにすみ、今もなおテレビの第一線で活躍しているのだとも。
自分は公立の小学校で、赤の他人でしかない教師たちにまわりに合わせることばかりを教え込まれ、才能を潰されたかもしれないと思ったりもした。
「詰め込み式やゆとりと言われていた従来の公立の教育とは大きく異なる。モンテッソーリ教育の核心は、子ども自身の主体性と興味を尊重することだったが、『プロジェクト型・アクティブラーニング系』はそれに加えて、学んだことを現実の課題に応用する社会との接続や他人と議論し、協力して成果を出す協働スキル、情報検索やプレゼンツールなどのICT・テクノロジー活用を重視している」
つまり、モンテッソーリ式の「自律的学び」を土台に、21世紀型のスキルを上乗せしたものということだろう。
「純粋なモンテッソーリ式は、子どもが自発的に学ぶ環境を用意し、年齢や学年を混ぜた自由活動を行い、手を動かすことや体験を通して学ぶ感覚教育、個々のペースを尊重するものだった。それと比べると教科の枠や年齢の壁がより柔軟で、社会参加型の学びに近づいている。これがどういうことかわかるか?」
それはあまりにも簡単すぎる問いだった。
イルマはその新しい学校には通えなかった。
両親が移住先に選んだのはその住宅街ではなく、足切村だったからだ。
それにしても、この神はなぜこの街のことにまで詳しいのだろうか。
横浜に住んでいる友人がいるなんて、まるで人間と話しているようだった。
「新しい小学校に通えるのは、この街の新しい住人だけ。元からいる古き住人たちは、どれだけ納税していようが、海抜ゼロメートル以下の土地にある老朽化した汚い小学校に隔離されている。こんなに目に見える形で古き住民の切り捨てをやってくるのかという驚きすら感じるだろう? 長年税金をおさめてきた者たちより、昨日今日引っ越してきた者の方がいい目を見る。私は思ったよ。携帯電話会社の新規契約か何かかとな」
長年そこに住み、税金を納め、不便さも、干拓地ゆえの災害リスクも引き受けてきた人たちより、今年越してきましたという世帯が、新しい学校や便利な立地、整ったインフラを享受する。
それはこの街が抱える問題そのものだった。
冷静に考えると、かなり異様なことだった。
テスカトリポカが言う、携帯電話会社の新規契約という喩えも皮肉が効いていると思った。
新規客には、キャッシュバックや特典や優遇があるが、既存客は何も得るものはなく黙って支払う前提にある。機種変の際には高額を払うことになり、新規客は安く手に入れることができる。この差はあまりに大きい。
文句を言っても「規約ですから」で済まされる。面倒な客として扱われたり、カスハラとして訴えられたりするだけだろう。
既存客に逃げられたら困るはずだが、番号をそのままに携帯電話会社を変える方法はあっても、それは選択肢としてあるだけで、手続きはとにかく面倒なようにその仕組みができている。
自治体がやっていることも、構造としてはそれに近い。
人口を増やしたい。税収を確保したい。若い世帯を呼び込みたい。
そのために「選ばれる側」にリソースを集中させる。
一方で、もう動けない人、声を上げにくい人、出ていかない人は、計算上安定している存在として扱われる。
だから後回しにされ続ける。彼の言う通り切り捨てられるという表現も間違ってはいないだろう。
その結果が、テスカトリポカやイルマ、この街の古い住民たちの目に見えている風景なのだろう。
恐ろしいのは、これをやっている側に悪いことをしている自覚がほとんどないことだ。
彼らの中では、合理的、将来のため、仕方ない、そういった理由で完結してしまっているのだろう。
だが、その合理性の外側に追いやられた人たちは、確実に「自分たちはもう大事にされていない」と感じてしまう。
「あぁ、そういえば、貴様が通っていた小学校や、さらに南にある小学校が廃校になるらしいな。北にある小学校はひとつも廃校にならないというのにな。南はすべて廃校だ。南は子どもが少ないからな。だが、新しい小学校の方が明らかに距離が近いというのに、東にある旧・十字山村の小学校にスクールバスで通わされるそうじゃないか。橋一本渡れば小学校という土地のものまでがそうなるんだろう? 確実に古き住人の血筋が新しい小学校から排除されてるのだ。なぜだかわかるか? 市や教育委員会は、なぜいじめが起きるかというアルゴリズムをある程度理解しているからだ。格差だけが原因ではないが、格差が最もいじめの原因になりやすいとな。それだけじゃないぞ。あの学校が公立でありながら『プロジェクト型・アクティブラーニング系』の教育方針になっている」
「何それ?」
「学校の教科や年齢の枠を超えて、実社会の課題を解決する学び、グループワークやディスカッション、発表が中心の教育方針だ。ICTーーコンピューター技術に通信の要素を加えたものや、最新テクノロジーを積極的に活用したりもしている。言ってみれば『窓ぎわのタツタちゃん』が通っていた学校で行われていたモンテッソーリ式教育の現代版というところだ」
イルマはつい先日、姉や萌衣とサブスクでそのアニメを観たばかりだった。
『田鶴子の部屋』でお馴染みの白柳田鶴子の自伝を元にした、戦時中に落ち着きがないという理由から公立の小学校を退学になった少女が、素晴らしい教育方針の学校で才能を開花させていくという物語だった。
だが、裏を返せば東京の裕福な家庭に生まれ、両親も娘を型にはめようとしなかった、親ガチャでSSRどころかURを引いた少女の物語だった。
だから、彼女は量産型と呼ばれる人間にならずにすみ、今もなおテレビの第一線で活躍しているのだとも。
自分は公立の小学校で、赤の他人でしかない教師たちにまわりに合わせることばかりを教え込まれ、才能を潰されたかもしれないと思ったりもした。
「詰め込み式やゆとりと言われていた従来の公立の教育とは大きく異なる。モンテッソーリ教育の核心は、子ども自身の主体性と興味を尊重することだったが、『プロジェクト型・アクティブラーニング系』はそれに加えて、学んだことを現実の課題に応用する社会との接続や他人と議論し、協力して成果を出す協働スキル、情報検索やプレゼンツールなどのICT・テクノロジー活用を重視している」
つまり、モンテッソーリ式の「自律的学び」を土台に、21世紀型のスキルを上乗せしたものということだろう。
「純粋なモンテッソーリ式は、子どもが自発的に学ぶ環境を用意し、年齢や学年を混ぜた自由活動を行い、手を動かすことや体験を通して学ぶ感覚教育、個々のペースを尊重するものだった。それと比べると教科の枠や年齢の壁がより柔軟で、社会参加型の学びに近づいている。これがどういうことかわかるか?」
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