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それはあまりにも簡単すぎる問いだった。
神が人間の知性を試すような問いではなかった。
「いじめが起きにくくなる。そういうことでしょ?」
テスカトリポカは再び満足そうに頷いた。
「そうだ。新しい住民の子どもたちを集め、いじめの起きにくい完璧な学校を作る一方で、格差のある古き住民の子どもたちはいじめが起きやすい状況を維持したまま学校だけが変わる。そして、その学校も老朽化した汚い校舎だ。まるでマウスを使った残酷な動物実験のようだと思わんか?」
イルマがかつて通っていた小学校には、いじめがあった。
思い出したくもないが、被害者にもなったし、加害者にもなったことがある。直接手を下したことはなかったが、いじめは止めなければ同罪だとされているから、イルマも加害者だったのだろう。
テスカトリポカが語った横浜に住む友人の「いじめがなかった学校がある」という話は、にわかには信じがたかった。
だが、経済状況が似通っている集団ではいじめが起きにくいという指摘には、確かに一理あると彼も思った。
格差が小さければ、持ち物で序列ができにくい。家庭環境を嗅ぎ取ってマウントする余地が少ない。つまり、違いを攻撃材料にしづらくなるのだ。
いじめの燃料がそもそも置かれていない状態になる。
そこに、最新の教育方針が上乗せされれば、いじめが起きる確率は確実に減るだろう。
「元々この街はろくに街おこしもせず、N市やY市のベッドタウンとして勝手に発展しただけの土地だった。名産品である金魚や鯉、文鳥はとっくに廃れている。田んぼや畑もろくにもうからず、土地の所有者たちは二束三文の値段で手放していっていた。街の真ん中に大きな川が流れているだろう? あの川を渡る橋もある。あの川を挟んで北と南に大きな差があることには気づいているな? 北にはイオンがあり、チェーンのスーパーもあって、薬局もコンビニもいくつもある。もちろん飲食店も山ほどある。だが、南側はどうだ? 足切村が市町村合併で厩戸見市の一部になる前から全く発展していない。20年前からまったくだ。この村からは全てが遠い。最寄りのコンビニにいくのに徒歩一時間弱かかる。そうだろう? 車がないとどうにもならないのに、このあたりに住んでいるのは年寄りばかりだ。特にこの村の年寄りはその大半が白目病によって失明している。若い頃から車の運転すらままならなかった。そして、8年前に本格的な街おこしが始まった」
国や地方自治体が、田舎への移住者に支援金を出す政策を始めたのは2017年のことだ。
厩戸見市は、そのタイミングで保育士や看護士といった人々の賃金が倍に跳ね上がる条例を可決し、同時に市内の最低賃金を東京よりも引き上げることを決めた。
税金を使いきるためだけに毎年行っていた無駄な道路工事をやめ、市内で働く人の賃金の一部として税金をまわし、何もない街を市民が裕福になるようにしたのだ。
それだけでなく、厩戸見市に早期に移住した村戸家には、空き家をリノベーションした古民家が無償で与えられてもいた。
「なぁ、イルマ、このまま100年経つとどうなるかわかるか?」
イルマは確信した。
この神は、元人間だ。
そして、自分の父親だと。そう確信した。
父がテスカトリポカになったのか、テスカトリポカが父を喰らい、彼の中に父の人格や記憶があるのかまではわからない。
だが、見た目や声や口調は違っても、その視界に映る情報が神だからか「UNKNOWN」となっていても、それでもイルマには父だとわかった。
「南側に住む古き住民は、クトゥルフ神話の封印された古き神々みたいな感じになってるってことだよね、父さん」
父さんと呼ばれたテスカトリポカは、「そうだ」と嬉しそうに笑った。
「悪意ははっきり見えない。でも結果として、古き住民たちは『なかったこと』にされていく。誰かが困っていても『全体としては合理的』であるとして処理される。クトゥルフ神話でいうところの『宇宙的無関心(コズミック・インディファレンス)』そのものだ」
100年後のある日、この街に住む新しい住人の誰かが違和感を覚えるのだろう。
最初は「田舎の古い言い伝え」や「地元の人しか知らない変な慣習」、「地図に残らない名前」のような、ものすごく小さな違和感だ。
その住人が興味を持ち街について調べていくと、
「これは一地域の話じゃないかもしれない」
「歴史書や学者の記録に、同じ名前が出てくる」
そんな発見をしていくのだろう。
クトゥルフ神話の物語は、最終的に人類文明や善悪など、どうでもいいようなスケールの存在に行き着く。
しかもその神々は、人類を滅ぼそうとしてるわけでも、支配しようとしてるわけでもない。
人類のことを、そもそも意識していない。
だから怖い。
その構造は、この土地の話そのものだった。
「父さん、父さんが無事なのは嬉しかいけど、でも母さんはどこにいるの?」
「母さんはシズムスヒになっている。裏造化三神の一柱だ。気づかなかったのか?」
気づけるはずがなかった。
裏造化三神は、黒釈迦之終焉明王との戦いに参加することもなく、一言も発することもなかった。
その上、いつの間にかこの場から立ち去ってしまっていたからだ。
おそらく父がわざと逃がしたのだろう。
「イルマ、お前もこの木島という男と共にとりあえず足切神社に来い。どうせこの男が目を覚ますまでは、何もすることができないのだろう?」
父の言う通りだった。
「それに、お前にはエミリを生き返らせてもらわなければな」
「ぼくのギフトは生き返らせるわけじゃないよ。ただ『姉さんのようなもの』を作ることができるだけ」
「だが、その『エミリのようなもの』は私の娘の偽物というわけでもない。私やお前、それに母さん、足切萌衣やこの男がエミリと認めたなら、本物だ」
イルマが目の前の神を父と認めたようにということだろう。
その体が海綿体で作られ、勃起と同じ仕組みで巨大化するものであったとしても、父は父だ。ということは、実はイルマにはなかなか受け入れられないことではあったが。
父がそう言うなら、イルマが作る『姉のようなもの』は姉なのだろう。
『萌衣のようなもの』がそうであるように。
「すまなかったな、イルマ。長い間留守にしてしまって」
足切神社に向かう途中、父は謝罪の言葉を口にした。
神が人間の知性を試すような問いではなかった。
「いじめが起きにくくなる。そういうことでしょ?」
テスカトリポカは再び満足そうに頷いた。
「そうだ。新しい住民の子どもたちを集め、いじめの起きにくい完璧な学校を作る一方で、格差のある古き住民の子どもたちはいじめが起きやすい状況を維持したまま学校だけが変わる。そして、その学校も老朽化した汚い校舎だ。まるでマウスを使った残酷な動物実験のようだと思わんか?」
イルマがかつて通っていた小学校には、いじめがあった。
思い出したくもないが、被害者にもなったし、加害者にもなったことがある。直接手を下したことはなかったが、いじめは止めなければ同罪だとされているから、イルマも加害者だったのだろう。
テスカトリポカが語った横浜に住む友人の「いじめがなかった学校がある」という話は、にわかには信じがたかった。
だが、経済状況が似通っている集団ではいじめが起きにくいという指摘には、確かに一理あると彼も思った。
格差が小さければ、持ち物で序列ができにくい。家庭環境を嗅ぎ取ってマウントする余地が少ない。つまり、違いを攻撃材料にしづらくなるのだ。
いじめの燃料がそもそも置かれていない状態になる。
そこに、最新の教育方針が上乗せされれば、いじめが起きる確率は確実に減るだろう。
「元々この街はろくに街おこしもせず、N市やY市のベッドタウンとして勝手に発展しただけの土地だった。名産品である金魚や鯉、文鳥はとっくに廃れている。田んぼや畑もろくにもうからず、土地の所有者たちは二束三文の値段で手放していっていた。街の真ん中に大きな川が流れているだろう? あの川を渡る橋もある。あの川を挟んで北と南に大きな差があることには気づいているな? 北にはイオンがあり、チェーンのスーパーもあって、薬局もコンビニもいくつもある。もちろん飲食店も山ほどある。だが、南側はどうだ? 足切村が市町村合併で厩戸見市の一部になる前から全く発展していない。20年前からまったくだ。この村からは全てが遠い。最寄りのコンビニにいくのに徒歩一時間弱かかる。そうだろう? 車がないとどうにもならないのに、このあたりに住んでいるのは年寄りばかりだ。特にこの村の年寄りはその大半が白目病によって失明している。若い頃から車の運転すらままならなかった。そして、8年前に本格的な街おこしが始まった」
国や地方自治体が、田舎への移住者に支援金を出す政策を始めたのは2017年のことだ。
厩戸見市は、そのタイミングで保育士や看護士といった人々の賃金が倍に跳ね上がる条例を可決し、同時に市内の最低賃金を東京よりも引き上げることを決めた。
税金を使いきるためだけに毎年行っていた無駄な道路工事をやめ、市内で働く人の賃金の一部として税金をまわし、何もない街を市民が裕福になるようにしたのだ。
それだけでなく、厩戸見市に早期に移住した村戸家には、空き家をリノベーションした古民家が無償で与えられてもいた。
「なぁ、イルマ、このまま100年経つとどうなるかわかるか?」
イルマは確信した。
この神は、元人間だ。
そして、自分の父親だと。そう確信した。
父がテスカトリポカになったのか、テスカトリポカが父を喰らい、彼の中に父の人格や記憶があるのかまではわからない。
だが、見た目や声や口調は違っても、その視界に映る情報が神だからか「UNKNOWN」となっていても、それでもイルマには父だとわかった。
「南側に住む古き住民は、クトゥルフ神話の封印された古き神々みたいな感じになってるってことだよね、父さん」
父さんと呼ばれたテスカトリポカは、「そうだ」と嬉しそうに笑った。
「悪意ははっきり見えない。でも結果として、古き住民たちは『なかったこと』にされていく。誰かが困っていても『全体としては合理的』であるとして処理される。クトゥルフ神話でいうところの『宇宙的無関心(コズミック・インディファレンス)』そのものだ」
100年後のある日、この街に住む新しい住人の誰かが違和感を覚えるのだろう。
最初は「田舎の古い言い伝え」や「地元の人しか知らない変な慣習」、「地図に残らない名前」のような、ものすごく小さな違和感だ。
その住人が興味を持ち街について調べていくと、
「これは一地域の話じゃないかもしれない」
「歴史書や学者の記録に、同じ名前が出てくる」
そんな発見をしていくのだろう。
クトゥルフ神話の物語は、最終的に人類文明や善悪など、どうでもいいようなスケールの存在に行き着く。
しかもその神々は、人類を滅ぼそうとしてるわけでも、支配しようとしてるわけでもない。
人類のことを、そもそも意識していない。
だから怖い。
その構造は、この土地の話そのものだった。
「父さん、父さんが無事なのは嬉しかいけど、でも母さんはどこにいるの?」
「母さんはシズムスヒになっている。裏造化三神の一柱だ。気づかなかったのか?」
気づけるはずがなかった。
裏造化三神は、黒釈迦之終焉明王との戦いに参加することもなく、一言も発することもなかった。
その上、いつの間にかこの場から立ち去ってしまっていたからだ。
おそらく父がわざと逃がしたのだろう。
「イルマ、お前もこの木島という男と共にとりあえず足切神社に来い。どうせこの男が目を覚ますまでは、何もすることができないのだろう?」
父の言う通りだった。
「それに、お前にはエミリを生き返らせてもらわなければな」
「ぼくのギフトは生き返らせるわけじゃないよ。ただ『姉さんのようなもの』を作ることができるだけ」
「だが、その『エミリのようなもの』は私の娘の偽物というわけでもない。私やお前、それに母さん、足切萌衣やこの男がエミリと認めたなら、本物だ」
イルマが目の前の神を父と認めたようにということだろう。
その体が海綿体で作られ、勃起と同じ仕組みで巨大化するものであったとしても、父は父だ。ということは、実はイルマにはなかなか受け入れられないことではあったが。
父がそう言うなら、イルマが作る『姉のようなもの』は姉なのだろう。
『萌衣のようなもの』がそうであるように。
「すまなかったな、イルマ。長い間留守にしてしまって」
足切神社に向かう途中、父は謝罪の言葉を口にした。
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