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3年C組の生徒は30人だ。
生徒用の机や椅子は縦に六列、横に五列並んでいた。校庭に面した窓側の席から花束が置かれ、廊下側の一番奥の席に花束が置かれたとき、先生はようやくぼくを見た。
そして、先生はぼくにこう告げた。
「君以外の生徒は昨日みんな死んだよ」
ぼくは耳を疑った。さらに次の言葉にもう一度耳を疑うことになった。
「君も死んだものだとばかり思っていた。だから、今日は休みだと連絡するのを忘れていた。すまない。今日はもう帰っていいよ」
まるで他人事のようだったからだ。
昨日までこの教室には30人も生徒がいた。
ぼくはなかなか輪に入ることはできなかったが、クラスメイトたちはいくつかのグループに分かれ、毎日を楽しく過ごしているように見えた。高校生活や青春を謳歌していた彼らや彼女たちは、同じようにしたくてもできないぼくにとって眩しいくらいの存在だった。
要先生の言葉は、自分が受け持つクラスの生徒たちが29人も死んだ教師の言葉とはとても思えなかった。
まるで他人事のよう、ではなく本当に他人事のようで、面倒なことに巻き込まれたという被害者のような顔と口調ですらあった。
数年前、ショッピングモールの立体駐車場で、父が車を停めた直後に、すぐ隣にカップルが車を停めようとし接触事故を起こしたことがあった。そのときの父と目の前の先生は同じ顔をしているように見えた。
先生に言われた通り、ぼくは席を立ち帰るべきだったのかもしれない。
けれど先生の顔は酷く疲れているように見えた。目の下にはくまがあり、顔は青ざめていた。
生徒の死が他人事のようで、軽い交通事故の被害者のように見えたのは、昨晩眠ることができず疲れていたからかもしれないと思った。だから帰るのがはばかられた。
帰ろうとしないぼくを見て、先生は教室の比較的中心にあるぼくの席から少し離れた席に座った。そこは誰の席だったろうか。
「どうして皆が死んだのか、気にならないんだな。それとも何か知っているのか?」
先生は、肘を机につき、手のひらに頬をもたれかけさせて、ぼくにそう言った。言葉とは裏腹に、その表情からはぼくを疑っている様子は見受けられなかった。
「まぁ、理解が追い付かない、信じられない、というのが、君の感想だろうな」
その通りだった。僕もそうだ、と先生は言った。
「君以外の全員が、昨日の夜、同じ時間に自殺した」
本当に理解も追い付かなければ信じられもしなかった。
昨日までの彼らはそんなことをするようには見えなかったからだ。
「集団自殺、ですか?」
ぼくは真っ先に浮かんだ言葉を口にした。だが先生は首を振った。
「同じ時間に自殺をしたという意味ではね。でも場所も自殺の方法もみんなバラバラだった」
先生は出席番号順に、名前と死因を口にしていった。
ぼくが驚いたのは、先生がすらすらと名前と死因を口にしたことでも、29種類も自殺の方法があることでもなかった。
ぼくはクラスメイトの名前をほとんど覚えていなかったということに気づかされ、ぼく自身が驚かされたのだ。顔もよく覚えていなかった。
先生はスーツのポケットから一台のスマートフォンを取り出すと、ぼくに差し出した。
一目で先生のものではないとわかった。手帳型のスマホケースの絵柄が女の子が選びそうなかわいらしいものだったからだ。
ぼくがスマホを受けとると、先生は長い前髪をかきあげて、眼鏡を外した。
そこには、先ほどまでとは別人のような、彫りの深い顔立ちと鋭い眼光の先生がいた。
「この席に昨日まで座っていた佐野陽子のものだよ。見てみるといい」
口調も、穏やかさこそ変わってはいなかったが、まるでドラマや映画の探偵や刑事のように芯のあるものになっていた。一体どちらが本当の要先生なのだろう。
「暗証番号は?」
「ロックはかかっていなかった。本体も、無料通話アプリもね。佐野は面倒くさがりだったから」
佐野陽子という名前を聞いても、ぼくは彼女の顔をよく思い出せなかった。
しかし、何故先生が佐野のスマホを持っているのだろう。それに、この人は本当に要先生なのだろうか。
ぼくが知る要雅雪という教師は、佐野という生徒が面倒くさがりだということまでちゃんと見ているような人ではなかった。
差し出されたスマホを受け取り、ホームボタンを押すと、ぼくはようやく佐野の顔を思い出した。壁紙が佐野とクラスメイトの男子のツーショット自撮り写真だったからだ。顔に見覚えはあっても、やはりその男子の名前まではわからなかった。
女子のスマホを見るという行為は、後ろめたさがあったが、
「無料通話アプリを見ればいいんですか?」
ぼくは先生にそう尋ねた。
本体だけでなく、無料通話アプリにもロックはかかっていなかったと先生は先ほど言った。
だから、そういうことなのだろうと思ったのだ。
先生は頷くと、
「このクラスのグループチャットがある。君はクラスで孤立していたようだから、知らないかもしれないけれど」
と、ぼくのこともちゃんと見ていたことを告げた。
生徒用の机や椅子は縦に六列、横に五列並んでいた。校庭に面した窓側の席から花束が置かれ、廊下側の一番奥の席に花束が置かれたとき、先生はようやくぼくを見た。
そして、先生はぼくにこう告げた。
「君以外の生徒は昨日みんな死んだよ」
ぼくは耳を疑った。さらに次の言葉にもう一度耳を疑うことになった。
「君も死んだものだとばかり思っていた。だから、今日は休みだと連絡するのを忘れていた。すまない。今日はもう帰っていいよ」
まるで他人事のようだったからだ。
昨日までこの教室には30人も生徒がいた。
ぼくはなかなか輪に入ることはできなかったが、クラスメイトたちはいくつかのグループに分かれ、毎日を楽しく過ごしているように見えた。高校生活や青春を謳歌していた彼らや彼女たちは、同じようにしたくてもできないぼくにとって眩しいくらいの存在だった。
要先生の言葉は、自分が受け持つクラスの生徒たちが29人も死んだ教師の言葉とはとても思えなかった。
まるで他人事のよう、ではなく本当に他人事のようで、面倒なことに巻き込まれたという被害者のような顔と口調ですらあった。
数年前、ショッピングモールの立体駐車場で、父が車を停めた直後に、すぐ隣にカップルが車を停めようとし接触事故を起こしたことがあった。そのときの父と目の前の先生は同じ顔をしているように見えた。
先生に言われた通り、ぼくは席を立ち帰るべきだったのかもしれない。
けれど先生の顔は酷く疲れているように見えた。目の下にはくまがあり、顔は青ざめていた。
生徒の死が他人事のようで、軽い交通事故の被害者のように見えたのは、昨晩眠ることができず疲れていたからかもしれないと思った。だから帰るのがはばかられた。
帰ろうとしないぼくを見て、先生は教室の比較的中心にあるぼくの席から少し離れた席に座った。そこは誰の席だったろうか。
「どうして皆が死んだのか、気にならないんだな。それとも何か知っているのか?」
先生は、肘を机につき、手のひらに頬をもたれかけさせて、ぼくにそう言った。言葉とは裏腹に、その表情からはぼくを疑っている様子は見受けられなかった。
「まぁ、理解が追い付かない、信じられない、というのが、君の感想だろうな」
その通りだった。僕もそうだ、と先生は言った。
「君以外の全員が、昨日の夜、同じ時間に自殺した」
本当に理解も追い付かなければ信じられもしなかった。
昨日までの彼らはそんなことをするようには見えなかったからだ。
「集団自殺、ですか?」
ぼくは真っ先に浮かんだ言葉を口にした。だが先生は首を振った。
「同じ時間に自殺をしたという意味ではね。でも場所も自殺の方法もみんなバラバラだった」
先生は出席番号順に、名前と死因を口にしていった。
ぼくが驚いたのは、先生がすらすらと名前と死因を口にしたことでも、29種類も自殺の方法があることでもなかった。
ぼくはクラスメイトの名前をほとんど覚えていなかったということに気づかされ、ぼく自身が驚かされたのだ。顔もよく覚えていなかった。
先生はスーツのポケットから一台のスマートフォンを取り出すと、ぼくに差し出した。
一目で先生のものではないとわかった。手帳型のスマホケースの絵柄が女の子が選びそうなかわいらしいものだったからだ。
ぼくがスマホを受けとると、先生は長い前髪をかきあげて、眼鏡を外した。
そこには、先ほどまでとは別人のような、彫りの深い顔立ちと鋭い眼光の先生がいた。
「この席に昨日まで座っていた佐野陽子のものだよ。見てみるといい」
口調も、穏やかさこそ変わってはいなかったが、まるでドラマや映画の探偵や刑事のように芯のあるものになっていた。一体どちらが本当の要先生なのだろう。
「暗証番号は?」
「ロックはかかっていなかった。本体も、無料通話アプリもね。佐野は面倒くさがりだったから」
佐野陽子という名前を聞いても、ぼくは彼女の顔をよく思い出せなかった。
しかし、何故先生が佐野のスマホを持っているのだろう。それに、この人は本当に要先生なのだろうか。
ぼくが知る要雅雪という教師は、佐野という生徒が面倒くさがりだということまでちゃんと見ているような人ではなかった。
差し出されたスマホを受け取り、ホームボタンを押すと、ぼくはようやく佐野の顔を思い出した。壁紙が佐野とクラスメイトの男子のツーショット自撮り写真だったからだ。顔に見覚えはあっても、やはりその男子の名前まではわからなかった。
女子のスマホを見るという行為は、後ろめたさがあったが、
「無料通話アプリを見ればいいんですか?」
ぼくは先生にそう尋ねた。
本体だけでなく、無料通話アプリにもロックはかかっていなかったと先生は先ほど言った。
だから、そういうことなのだろうと思ったのだ。
先生は頷くと、
「このクラスのグループチャットがある。君はクラスで孤立していたようだから、知らないかもしれないけれど」
と、ぼくのこともちゃんと見ていたことを告げた。
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