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「私たちはそこで、誰が宇宙を作ったのか、宇宙誕生以前は本当に無であったのか、仮に無であったのなら無とは何かを知ることができるのです。もちろん、神や仏が存在するのかも。
地球のように生命が誕生し、繁殖や進化が可能な環境の惑星を作ったわけを知ることができるのです。他にそのような惑星が存在するのかもです。
肉体を持つ限り、私たちはそれを知ることはできません。肉体を失うことによって、私たちはあらゆる真実を知ることができるのです。
私たちにとって肉体は足かせにしか過ぎないのです」

ぼくはアリステラピノアの言葉にめまいを覚えていた。
その言葉はすべて文章だ。映像も音声もない。それなのに、まるで誰かに甘い声で耳元でささやかれているような気がした。
「あらゆる真実」という言葉の中に含まれるであろう、「ぼくが知りたい真実」を知りたいと思ってしまった。
もし、皆が同じように感じていたのだとしたら、真実を知るために肉体を捨ててもおかしくはないような気がした。

とうにショートホームルームの時間は終わっていた。
時計を見ると、一時間目の授業も間もなく終わろうとしていた。
他のクラスは今日も昨日までと変わらず授業をしているらしい。
3年C組で起きたことは、教師たちは皆知っているが、他の学年や他のクラスの誰も知らず、季節外れのインフルエンザで学級閉鎖という扱いになっているということだった。

このクラスで起きた集団自殺事件は、真相が解明されるまでは新聞やテレビのニュースになることはないという。この学校のOBには、政治家や官僚、警察関係者が何十人もおり、昨晩から情報操作に躍起になっているとのことだった。死んだ生徒たちの家族ですらマスコミにリークすることができないほどの大金が動いているらしかった。

「君はアカシックレコードというものを知っているか?」

先生はぼくに尋ねた。ぼくは首を横に振った。映画や小説でそんな単語を耳にしたことがあったが、詳しくは知らなかった。

「アカシックレコードとは、このアリステラピノアという人物の言葉にある通り、宇宙のどこかに存在すると言われているものだよ。実在するかどうかは神の存在くらい不確かなものだけどね」

そこにはアーカーシャ層と呼ばれる記録層があり、宇宙誕生から現在に至るまでのあらゆる事象が記録されているのだという。

「アーカーシャ層……」

「アカシャの門という名前は、そこから取ったんだろうね。
あらゆる事象が記録されているということは、僕たちの今のこの会話も記録されているということになる。
だが僕たちはアカシックレコードがどこにあるかもわからなければ、存在するかどうかもわからない。だから、その情報にアクセスし、閲覧する権限もない」

先生によれば、18世紀か19世紀には、アメリカかどこか外国で、オカルトに傾倒した者たちの中に、実際にアカシックレコードの閲覧に成功したと公言した者がいたらしい。だが、どうせ虚言だろうということだった。

「アーカーシャをアカシャとしたのは何のひねりもないが、もしかしたらアリステラピノアの正体がこのクラスの明石家珠莉(あかしや じゅり)だとミスリードさせる狙いがあったのかもしれない」

先生は今度は自分のスマホを取り出した。顔認証でロックを解除すると、明石家珠莉の写真をぼくに見せた。
金髪に近い茶髪の一部分だけ緑に染めており、つけまつげから何もかも、とにかく化粧の濃い女の子だった。スカートはいつも下着が見えそうなほど短くしていた。柑橘系の香水の匂いがきつかったことを覚えている。
わざわざ写真を見せられなくても、彼女のことはぼくも知っていた。写真を見るだけで苦手な香水の匂いにむせ返ってしまいそうだった。

「僕が撮った写真じゃないよ。佐野のスマホに入っていたデータを、僕のスマホにバックアップを取っただけ」

佐野のスマホは今日にでも僕たちの指紋を拭き取った後でどこかに捨てなきゃいけないからね、と先生は続けた。

やはりこのスマホは本来なら警察が遺品として押収すべきものだったのだろう。先生は佐野の自殺に居合わせたか、あるいは佐野が自殺をすることを知り、駆けつけたが間に合わず死体を見つけたかしたのだ。
だが何故スマホを回収したのだろうか。いくら自殺とはいえ、結果的に他の生徒たちが29人も自殺をすると知らなかったとしても、下手をすれば自分に疑いがかかる可能性があるはずだ。
何かがあると知っていなければ回収しようとは思わないのではないだろうか。
普段とあまりに違いすぎるこの人は信用に足る人物なのだろうか。

信用する必要はないのかもしれない。
奇妙な事件が起きるたびに、マスコミは大々的にそれを報じ、探偵きどりや刑事きどりの大衆を産み、SNSで犯人やトリックを当てる無責任なゲームが始まる。
身近でそんな事件が起きたなら、ましてやそれが情報操作されていたなら、こんな風になってしまうものなのかもしれなかった。
ぼくだって似たようなものだ。アリステラピノアとは一体誰なのか正体を突き止めたいという衝動にかられていた。


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