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人の記憶ほど曖昧なものはない。

わたしはまだたった17年しか生きていないけれど、楽しかった思い出よりも、嫌な記憶の方が脳にはずっと強く刻まれていくことを知っている。
眠る前に目を閉じると、嫌な記憶ばかりがDVDのようにチャプター再生され、同じDVDに入っているはずの楽しかった思い出が再生されることはほとんどなかった。夢の中でまで嫌な記憶が再生され、より強く刻まれて再生頻度を増していく。
楽しい思い出はいつの間にか記憶の奥底に追いやられていく。

人生は楽しいとか幸せだとか感じることは2割程度で、あとの8割は辛いことや苦しいこと、悲しいことばかりだと聞いたことがあるけれど、たった2割の思い出をどうしたら最期の時まで忘れずにいられるのだろうか。

何かきっかけとなるものがあれば、いつかわたしが年をとり、祖母のように認知症になったりすることがあっても思い出を呼び起こせるだろうか。
日々の楽しかったことだけ、幸せを感じたことだけを日記に書いておくとかしたら。

だからこれはそういう記録だ。

そういうつもりで、高校3年になった今日、わたしはこの日記帳を買ったはずだった。
だけど、どうやらわたしにはそういう記録はつけられそうもなかった。

「amiさんから、グループチャットに招待されました」

わたしはいつも間が悪いのだ。

この日記帳に最初に書くことは、たった今スマホに届いた通知にどきりとしたという嫌な記憶になってしまった。

無料通話アプリは苦手だ。特にグループチャットは中学生の頃から苦手だった。
返事をスタンプで済ませてしまうという文化があまり好きではなかったし、されるとイライラしてしまう。
わたしは短い文章で会話を成立させるのが苦手で、どうしても文章が説明くさく長くなる傾向がある。相手に読む気が失せるといわれがちだった。それを直接指摘されたりすることはもちろん、短文やスタンプで返事をされると、本当にイライラする。
だからきっと向いていないのだと思う。

けれど、向いていないからやりたくないでは済まされないものだった。
誰もが当たり前にスマホにアプリをインストールしていて、電話番号やメールアドレスではなく、アプリの連絡先を交換するのが当たり前の時代に生まれてしまったのだから。
向いていなくてもやらなければいけないなんて、まるで仕事じゃないかと思う。
たぶん仕事なのだろう。
勉強が学生の仕事だと言われるように、無料通話アプリも今や学生の仕事のひとつなのだ。主婦の家事のように賃金が支払われることのない、善意や好意、遠慮、気遣いがただただ搾取されるだけの、何の見返りもない仕事だ。
わたしは無料通話アプリの奴隷だった。

わたしをグループチャットに招待したamiは、クラスメイトの西日野亜美だった。
亜美とわたしは、同じグループに所属していた。そのグループには明石家珠莉や八王子梨沙といった、クラスの中では目立った女子ばかりが集まっており、女子の最上位グループだ。
わたしはその4人しかいないグループの中で末端の存在で、他の3人との間には決して越えられない壁が高くそびえたち、学校ではいつも怯えて過ごしていた。

いつかこんな日が来るだろうということはわかっていた。
これまでグループチャットがなかったことの方が不思議だった。
もしかしたら高2のときからあって、わたしはただ招待されていなかっただけかもしれないけれど。

わたしはスマホの画面に表示された「参加する」「拒否する」という選択肢をじっと見つめた。
わたしに拒否権などないというのに、アプリは何故こんな選択肢をつきつけてくるのだろうか。
本当にうんざりした。
うんざりしながら「参加する」をタップした。

グループチャットの名前は「アカシャの門」という名前だった。
アカシャという言葉から真っ先に浮かんだのは、グループのリーダー格である明石家珠莉の名前だった。
まるで新興宗教かカルト教団のようなその名前は、女王様気取りの珠莉が今度はまるで神様にでもなろうとしているような気がして、

「笑えないんだよ、ブス」

わたしは神殺しの言葉をため息と共に吐き出した。


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