29 / 44
逃亡編
第十三話『奈落の共鳴』
しおりを挟む
地下水道の廃区画。外光が一切届かないその場所では、時間の感覚さえも泥水に溶けて消えていくようだった。
新宿の地下深く、かつて巨大な都市を支えたはずの貯水槽跡は、今や三人の堕天使と一人の科学者を閉じ込める巨大な棺桶と化していた。
カチャ、カチャ……。
暗闇の中で、天城星哉(あまぎ せいや)が検眼枠のレンズを回す音だけが規則正しく響く。
「……星哉さん、もうやめてよ。その音、耳の奥まで刺さるみたいで怖いよ……」
織葉 紬(おりは つむぎ)が、膝を抱えたまま力なく呟いた。彼女のノートPCは、バッテリーを節約するためにバックライトを最小限にしているが、それでも彼女の蒼白な顔を幽霊のように照らしている。
彼女が命綱としていた「ネット」は、地上では既に神話の論理(ロジック)に書き換えられていた。彼女がキーボードを叩くたび、画面には見たこともない呪文や幾何学模様が並び、不用意にアクセスを試みれば、八百万の神々の監視網に「個人の位置」を特定されてしまう。
「……ごめん。だが、このレンズだけが、地上の『神気』がどれほど濃くなっているかを測る唯一の計器なんだ」
天城の声は、かつての優雅さを失い、ひび割れた陶器のように乾いていた。
レンズ越しに見える地上の世界は、もはや光の洪水だった。市民一人一人が放つ信仰のオーラが、網の目のように東京中を覆い尽くしている。彼らは文字通り、一億三千万の「神経細胞」となって、反逆者たちの微かな体温や足音を、土壌を通じて探し求めていた。
「……天城、さっきからマンホールの下で、変な音がしてる。ネズミじゃない。……何かが、這い回るような音だ」
武御 雷(たけみ らい)が、闇の中で低く構えた。彼の身体に宿るタケミカヅチの力は、地上に満ちる「正統な神々」の気配に反発し、内側から彼の血管を焼き焦がすような激痛を与えていた。
かつては正義を守るために振るった力が、今や彼を死に至らしめる毒となっていた。
「……っ、うっ!」
雷が不意に胸を押さえて膝を突いた。
「雷、動くな! 神力を練れば、地上の感知網に引っかかるぞ!」
布津 誠一(ふつ せいいち)が、暗闇の中で雷の肩を掴んだ。布津の指先は驚くほど冷えていた。彼は自身の医療知識を駆使して三人の生体反応を偽装していたが、それも限界に近かった。
「……布津さん、あんたは平気なのか。あんたの神話の魂は……暴れないのか」
「……私の『フツヌシ』は、理性の刃だ。……だが、理性がこれほどまでに無力だと知らされるのは、死よりも辛い経験だよ。……今の私にできるのは、この絶望を数値化することだけだ」
その時だった。
貯水槽の天井にある排気口から、サラサラと砂のようなものが落ちてきた。
それは砂ではなかった。無数の「紙垂(しで)」を象った、小型の紙人形――式神だった。
「――見つけた。汚れた魂どもめ。地の底の穢れを、光で焼き尽くさん」
排気口の向こうから、複数の声が重なり合って聞こえてきた。それはどこかの合唱団の団員たちだろうか。彼らの歌声は「浄化の波」となって地下へと降り注ぎ、三人の鼓膜を突き破らんばかりに振動させた。
「……逃げるぞ! 紬、機材をまとめろ!」
天城が叫ぶ。
だが、逃げる場所などどこにもない。
一億三千万の神々が、彼らの呼吸一つ、心拍一つを許さない。
暗い水路を走りながら、雷は思った。
かつて自分が守ろうとした人々が、これほどまでに残酷な「神」になるなんて。
正義とは、これほどまでに孤独で、醜いものだったのか。
背後で、式神が爆発的に燃え上がり、地下水道を白銀の炎で満たしていく。
四人の影は、その圧倒的な光に追われながら、さらに深い奈落へと突き落とされていった。
新宿の地下深く、かつて巨大な都市を支えたはずの貯水槽跡は、今や三人の堕天使と一人の科学者を閉じ込める巨大な棺桶と化していた。
カチャ、カチャ……。
暗闇の中で、天城星哉(あまぎ せいや)が検眼枠のレンズを回す音だけが規則正しく響く。
「……星哉さん、もうやめてよ。その音、耳の奥まで刺さるみたいで怖いよ……」
織葉 紬(おりは つむぎ)が、膝を抱えたまま力なく呟いた。彼女のノートPCは、バッテリーを節約するためにバックライトを最小限にしているが、それでも彼女の蒼白な顔を幽霊のように照らしている。
彼女が命綱としていた「ネット」は、地上では既に神話の論理(ロジック)に書き換えられていた。彼女がキーボードを叩くたび、画面には見たこともない呪文や幾何学模様が並び、不用意にアクセスを試みれば、八百万の神々の監視網に「個人の位置」を特定されてしまう。
「……ごめん。だが、このレンズだけが、地上の『神気』がどれほど濃くなっているかを測る唯一の計器なんだ」
天城の声は、かつての優雅さを失い、ひび割れた陶器のように乾いていた。
レンズ越しに見える地上の世界は、もはや光の洪水だった。市民一人一人が放つ信仰のオーラが、網の目のように東京中を覆い尽くしている。彼らは文字通り、一億三千万の「神経細胞」となって、反逆者たちの微かな体温や足音を、土壌を通じて探し求めていた。
「……天城、さっきからマンホールの下で、変な音がしてる。ネズミじゃない。……何かが、這い回るような音だ」
武御 雷(たけみ らい)が、闇の中で低く構えた。彼の身体に宿るタケミカヅチの力は、地上に満ちる「正統な神々」の気配に反発し、内側から彼の血管を焼き焦がすような激痛を与えていた。
かつては正義を守るために振るった力が、今や彼を死に至らしめる毒となっていた。
「……っ、うっ!」
雷が不意に胸を押さえて膝を突いた。
「雷、動くな! 神力を練れば、地上の感知網に引っかかるぞ!」
布津 誠一(ふつ せいいち)が、暗闇の中で雷の肩を掴んだ。布津の指先は驚くほど冷えていた。彼は自身の医療知識を駆使して三人の生体反応を偽装していたが、それも限界に近かった。
「……布津さん、あんたは平気なのか。あんたの神話の魂は……暴れないのか」
「……私の『フツヌシ』は、理性の刃だ。……だが、理性がこれほどまでに無力だと知らされるのは、死よりも辛い経験だよ。……今の私にできるのは、この絶望を数値化することだけだ」
その時だった。
貯水槽の天井にある排気口から、サラサラと砂のようなものが落ちてきた。
それは砂ではなかった。無数の「紙垂(しで)」を象った、小型の紙人形――式神だった。
「――見つけた。汚れた魂どもめ。地の底の穢れを、光で焼き尽くさん」
排気口の向こうから、複数の声が重なり合って聞こえてきた。それはどこかの合唱団の団員たちだろうか。彼らの歌声は「浄化の波」となって地下へと降り注ぎ、三人の鼓膜を突き破らんばかりに振動させた。
「……逃げるぞ! 紬、機材をまとめろ!」
天城が叫ぶ。
だが、逃げる場所などどこにもない。
一億三千万の神々が、彼らの呼吸一つ、心拍一つを許さない。
暗い水路を走りながら、雷は思った。
かつて自分が守ろうとした人々が、これほどまでに残酷な「神」になるなんて。
正義とは、これほどまでに孤独で、醜いものだったのか。
背後で、式神が爆発的に燃え上がり、地下水道を白銀の炎で満たしていく。
四人の影は、その圧倒的な光に追われながら、さらに深い奈落へと突き落とされていった。
0
あなたにおすすめの小説
『お母ちゃん(霊)といっしょ EP0~北海道編 すべてはここから始まった!お母ちゃんの過去を探れ~』
M‐赤井翼
ホラー
「お母ちゃん(霊)といっしょ」シリーズの実質「第1話」です。
読者様の希望により、いつもの「現代小説」カテゴリーでなく、「ホラー・ミステリー」カテゴリーからのエントリーとなりました。
広義の意味で「ホラー」とは「極端に非現実だけど誇張された状況の不条理さに焦点を当てたジャンル」とありますので、お母ちゃんの「かずみ」は浮遊霊キャラクターですので優しく見守ってやってください!
お時間のある方はこの続きの「エピソード1」から「エピソード3」まで公開しますのでそちらも読んでいただけると嬉しいです!
この作品にいただいた「エール」の投稿インセンティブは「こども食堂」運営の応援に使わせていただきますので、よろしかったらご協力ください!
では、お母ちゃん(霊】の「かずみ」と娘の「さとみ」、そしてお父ちゃんの「直」と今回のゲストさん達の応援をよろひこー!
(⋈◍>◡<◍)。✧💖
アジル・イマの晩餐 ―偽神の解剖録―
あめの みかな
ホラー
【メインコンセプト】
外来構文(エイリアン・コード): 人間のDNAに刻まれた、あらかじめ定められた「変異のプログラム」。
アジル・イマの信者: 自らの肉体を捨て、「外骨の民(原初の姿)」へと回帰することを望む変質者たちのネットワーク。
主人公・九条(くじょう): 冷徹な解剖医。死体の中に「人ならざる骨格」の萌芽を見つけ、世界の裏側に足を踏み入れる。
【あと3話!】『お母ちゃん(霊)といっしょ EP1st.~福井・小浜編 悩める「座敷童」の心の壁をぶち壊せ!~』
M‐赤井翼
ホラー
「お母ちゃん(霊)といっしょ」シリーズの実質「第2話」です。
読者様の希望により、いつもの「現代小説」カテゴリーでなく、「ホラー・ミステリー」カテゴリーからのエントリーとなりました。
広義の意味で「ホラー」とは「極端に非現実だけど誇張された状況の不条理さに焦点を当てたジャンル」とありますので、お母ちゃんの「かずみ」は浮遊霊キャラクターですので優しく見守ってやってください!
お時間のある方は「エピソード0」(実質的な「第1話」もアップしますのでお母ちゃんが今、家族と一緒に居る「前振り」の話がありますのでそちらも読んでいただけると嬉しいです!
この作品にいただいた「エール」の投稿インセンティブは「こども食堂」運営の応援に使わせていただきますので、よろしかったらご協力ください!
では、お母ちゃん(霊】の「かずみ」と娘の「さとみ」、そしてお父ちゃんの「直」と今回のゲストの「座敷童」さんの応援をよろひこー!
(⋈◍>◡<◍)。✧💖
女子切腹同好会
しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。
はたして、彼女の行き着く先は・・・。
この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。
また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。
マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。
世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
終焉列島:ゾンビに沈む国
ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。
最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。
会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。
ノストラダムスの大予言とひふみ神示
蔵屋
ミステリー
私が高校三年生の時、ある書籍を読んだことがある。
その書籍とは『ノストラダムスの大予言』である。
1973年に祥伝社から発行された五島勉氏の著書。
「ノストラダムスの大予言
迫りくる1999年7の月人類滅亡の日」
今回、このノストラダムスの大予言について考えて見たい。
そして聖典とも言える『ひふみ神示』について分かりやすく解説していきたい。
この小説が読者の皆様の何かのお役にたてれば幸いです。
令和八年二月吉日
小説家 蔵屋日唱
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる