その殺人鬼、『星喰いの凶星(ステラ・ディヴォアラー)』につき。

あめの みかな

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逃亡編

​第十三話『奈落の共鳴』

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​ 地下水道の廃区画。外光が一切届かないその場所では、時間の感覚さえも泥水に溶けて消えていくようだった。
 新宿の地下深く、かつて巨大な都市を支えたはずの貯水槽跡は、今や三人の堕天使と一人の科学者を閉じ込める巨大な棺桶と化していた。

​ カチャ、カチャ……。
 暗闇の中で、天城星哉(あまぎ せいや)が検眼枠のレンズを回す音だけが規則正しく響く。

​「……星哉さん、もうやめてよ。その音、耳の奥まで刺さるみたいで怖いよ……」

 織葉 紬(おりは つむぎ)が、膝を抱えたまま力なく呟いた。彼女のノートPCは、バッテリーを節約するためにバックライトを最小限にしているが、それでも彼女の蒼白な顔を幽霊のように照らしている。
 彼女が命綱としていた「ネット」は、地上では既に神話の論理(ロジック)に書き換えられていた。彼女がキーボードを叩くたび、画面には見たこともない呪文や幾何学模様が並び、不用意にアクセスを試みれば、八百万の神々の監視網に「個人の位置」を特定されてしまう。

​「……ごめん。だが、このレンズだけが、地上の『神気』がどれほど濃くなっているかを測る唯一の計器なんだ」

 天城の声は、かつての優雅さを失い、ひび割れた陶器のように乾いていた。
 レンズ越しに見える地上の世界は、もはや光の洪水だった。市民一人一人が放つ信仰のオーラが、網の目のように東京中を覆い尽くしている。彼らは文字通り、一億三千万の「神経細胞」となって、反逆者たちの微かな体温や足音を、土壌を通じて探し求めていた。

​「……天城、さっきからマンホールの下で、変な音がしてる。ネズミじゃない。……何かが、這い回るような音だ」

 武御 雷(たけみ らい)が、闇の中で低く構えた。彼の身体に宿るタケミカヅチの力は、地上に満ちる「正統な神々」の気配に反発し、内側から彼の血管を焼き焦がすような激痛を与えていた。
 かつては正義を守るために振るった力が、今や彼を死に至らしめる毒となっていた。

​「……っ、うっ!」

 雷が不意に胸を押さえて膝を突いた。

「雷、動くな! 神力を練れば、地上の感知網に引っかかるぞ!」

 布津 誠一(ふつ せいいち)が、暗闇の中で雷の肩を掴んだ。布津の指先は驚くほど冷えていた。彼は自身の医療知識を駆使して三人の生体反応を偽装していたが、それも限界に近かった。

​「……布津さん、あんたは平気なのか。あんたの神話の魂は……暴れないのか」

「……私の『フツヌシ』は、理性の刃だ。……だが、理性がこれほどまでに無力だと知らされるのは、死よりも辛い経験だよ。……今の私にできるのは、この絶望を数値化することだけだ」

​ その時だった。
 貯水槽の天井にある排気口から、サラサラと砂のようなものが落ちてきた。
 それは砂ではなかった。無数の「紙垂(しで)」を象った、小型の紙人形――式神だった。

​「――見つけた。汚れた魂どもめ。地の底の穢れを、光で焼き尽くさん」

 排気口の向こうから、複数の声が重なり合って聞こえてきた。それはどこかの合唱団の団員たちだろうか。彼らの歌声は「浄化の波」となって地下へと降り注ぎ、三人の鼓膜を突き破らんばかりに振動させた。

​「……逃げるぞ! 紬、機材をまとめろ!」

 天城が叫ぶ。
 だが、逃げる場所などどこにもない。
 一億三千万の神々が、彼らの呼吸一つ、心拍一つを許さない。
 暗い水路を走りながら、雷は思った。

 かつて自分が守ろうとした人々が、これほどまでに残酷な「神」になるなんて。
 正義とは、これほどまでに孤独で、醜いものだったのか。

​ 背後で、式神が爆発的に燃え上がり、地下水道を白銀の炎で満たしていく。
 四人の影は、その圧倒的な光に追われながら、さらに深い奈落へと突き落とされていった。


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