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逃亡編
第十四話『理性の残火(前編)』
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地下の廃区画に潜んでから、一週間が経過していた。
三人の堕天使たちが疲弊し、暗闇の中で微かな呼吸音を立てる中、布津 誠一(ふつ せいいち)だけは一睡もせず、タブレットの冷たい光に向かい合っていた。
彼の指先は、極度の栄養失調とストレスでひび割れ、血が滲んでいる。だが、その瞳に宿る理性の光だけは、かつての科捜研時代よりも鋭く、狂気じみた冴えを見せていた。
……カチャ……カチャ……。
天城がレンズを回す音が、暗闇に響く。
「布津。……君の計算は、まだ終わらないのかい?」
天城の問いに、布津は顔を上げずに答えた。
「……国木田が全人類に施した『神格化』。それは、遺伝子に刻まれた神話の記憶を、特定の周波数の『言霊』で共振させているに過ぎません。……つまり、その共振を打ち消す逆位相の周波数をぶつければ、彼らは『ただの人間』に戻るはずです」
布津が提示した画面には、複雑な数式と波形が踊っていた。それは、この一億総神格化した世界を根底から覆す、唯一の「科学の弾丸」――『神格中和装置(デウス・エクス・マキナ)』の設計図だった。
「……これがあれば、一億三千万の神々は、ただの無力な市民に戻る。……そうすれば、雷も自分の正義を疑わずに済む」
布津は、泥に汚れた眼鏡の奥で、静かに雷を見つめた。
かつては眩いばかりの正義感を放っていた若き刑事が、今は闇の中で自らの「雷」の痛みに耐え、丸まっている。布津にとって、雷は単なる「被検体」ではなかった。自分のような冷徹な科学者が失ってしまった、剥き出しの「人間らしさ」を象徴する存在だったのだ。
「……だが、この設計図を形にするには、精密な分子コンバイナーと、広帯域の放送設備が必要だ。……この地下のゴミ溜めでは、ガラクタ一つ作れない」
布津は立ち上がり、コートの襟を立てた。
「……私に、あてがあります。かつて私が師事した、とある大学の九頭竜(くずりゅう)教授です。彼は量子生物学の権威であり、何より、時の権力者や宗教的な権威を最も嫌っていた。……彼なら、私の理論を理解し、研究室を貸してくれるはずです」
「……一人で行くつもりか? 外は一億の目が光っているんだぞ」
天城が制止するが、布津は首を振った。
「……私一人の生体反応なら、私が開発した中和剤で数時間は誤魔化せます。ですが、四人分の反応を隠すのは不可能です。……それに、天城。……君という『明星』が動けば、即座に国木田のセンサーが反応する」
布津は、眠っている紬の傍らに、自分のタブレットをそっと置いた。
「……もし、十二時間経っても私が戻らなければ、このデータを持ってさらに深くへ潜ってください。……紬なら、いつか別の方法でこれを起動できるかもしれない」
それが、布津が仲間たちにかけた最期の言葉だった。
彼は音もなくマンホールを這い上がり、一週間ぶりの「地上」へと足を踏み入れた。
夜の街は、かつての煌びやかさを失い、不気味な青白い光に包まれていた。
ビルには巨大な注連縄(しめなわ)が飾られ、街頭ビジョンからは絶え間なく、国木田の声による「清めの祝詞」が流れている。
通行人の一人一人が、まるで彫像のように整った顔立ちで、狂気を孕んだ「神の眼」を光らせて歩いている。
布津は息を潜め、影から影へと移動した。
かつて愛した科学の府、名都大学。その門を潜り、最上階にある九頭竜の研究室のドアを叩いた。
「……先生。布津です。……お願いです、開けてください」
重い電子ロックが解除され、ドアが開いた。
そこには、かつての記憶そのままの、白衣を纏った老教授・九頭竜が立っていた。
「……おお、誠一くん。……よくぞ、無事で」
九頭竜の穏やかな声に、布津は極限まで張り詰めていた心の糸が、わずかに緩むのを感じた。
「……先生。……私は、世界を元に戻す方法を見つけました。……これを見てください」
布津は、命よりも重い設計図のストレージを差し出した。
九頭竜はそれを手に取り、眼鏡をかけ直して画面を見つめる。
その瞬間、研究室の温度が、一気に氷点下まで下がったような錯覚に布津は襲われた。
「……素晴らしい。誠一くん、君はやはり天才だ。……この周波数……この干渉パターン。……これを使えば、神格化を『解除』するだけでなく……特定の意志で『制御』することも可能になるのだね」
九頭竜の口調が、微妙に変わった。
布津は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……先生? 何を……仰っているんですか。これは制御のためではなく、人々を自由にするための……」
「自由? ……誠一くん。君は相変わらず、科学が人間に寄与すると信じているのかね。……科学とは、神に近づくためのハシゴなのだよ。……そして今、国木田様という『真の神』が、その頂上へ我々を導いてくださっているのだ」
九頭竜がゆっくりと顔を上げた。
彼の瞳は、もはや人間のそれではなく、縦に裂けた「竜の瞳」へと変貌していた。
研究室の影が蠢き、九つの頭を持つ巨大な異形のシルエットが、布津を囲むように立ち昇った。
「……誠一くん。君の『理性』という名の供物……喜んで、国木田様に捧げさせてもらおう」
布津は、絶望の中で一歩後ずさった。
自分が信じていた「科学」の砦が、既に神話の狂気に飲み込まれていたことに、彼はその時初めて気づいたのだ。
三人の堕天使たちが疲弊し、暗闇の中で微かな呼吸音を立てる中、布津 誠一(ふつ せいいち)だけは一睡もせず、タブレットの冷たい光に向かい合っていた。
彼の指先は、極度の栄養失調とストレスでひび割れ、血が滲んでいる。だが、その瞳に宿る理性の光だけは、かつての科捜研時代よりも鋭く、狂気じみた冴えを見せていた。
……カチャ……カチャ……。
天城がレンズを回す音が、暗闇に響く。
「布津。……君の計算は、まだ終わらないのかい?」
天城の問いに、布津は顔を上げずに答えた。
「……国木田が全人類に施した『神格化』。それは、遺伝子に刻まれた神話の記憶を、特定の周波数の『言霊』で共振させているに過ぎません。……つまり、その共振を打ち消す逆位相の周波数をぶつければ、彼らは『ただの人間』に戻るはずです」
布津が提示した画面には、複雑な数式と波形が踊っていた。それは、この一億総神格化した世界を根底から覆す、唯一の「科学の弾丸」――『神格中和装置(デウス・エクス・マキナ)』の設計図だった。
「……これがあれば、一億三千万の神々は、ただの無力な市民に戻る。……そうすれば、雷も自分の正義を疑わずに済む」
布津は、泥に汚れた眼鏡の奥で、静かに雷を見つめた。
かつては眩いばかりの正義感を放っていた若き刑事が、今は闇の中で自らの「雷」の痛みに耐え、丸まっている。布津にとって、雷は単なる「被検体」ではなかった。自分のような冷徹な科学者が失ってしまった、剥き出しの「人間らしさ」を象徴する存在だったのだ。
「……だが、この設計図を形にするには、精密な分子コンバイナーと、広帯域の放送設備が必要だ。……この地下のゴミ溜めでは、ガラクタ一つ作れない」
布津は立ち上がり、コートの襟を立てた。
「……私に、あてがあります。かつて私が師事した、とある大学の九頭竜(くずりゅう)教授です。彼は量子生物学の権威であり、何より、時の権力者や宗教的な権威を最も嫌っていた。……彼なら、私の理論を理解し、研究室を貸してくれるはずです」
「……一人で行くつもりか? 外は一億の目が光っているんだぞ」
天城が制止するが、布津は首を振った。
「……私一人の生体反応なら、私が開発した中和剤で数時間は誤魔化せます。ですが、四人分の反応を隠すのは不可能です。……それに、天城。……君という『明星』が動けば、即座に国木田のセンサーが反応する」
布津は、眠っている紬の傍らに、自分のタブレットをそっと置いた。
「……もし、十二時間経っても私が戻らなければ、このデータを持ってさらに深くへ潜ってください。……紬なら、いつか別の方法でこれを起動できるかもしれない」
それが、布津が仲間たちにかけた最期の言葉だった。
彼は音もなくマンホールを這い上がり、一週間ぶりの「地上」へと足を踏み入れた。
夜の街は、かつての煌びやかさを失い、不気味な青白い光に包まれていた。
ビルには巨大な注連縄(しめなわ)が飾られ、街頭ビジョンからは絶え間なく、国木田の声による「清めの祝詞」が流れている。
通行人の一人一人が、まるで彫像のように整った顔立ちで、狂気を孕んだ「神の眼」を光らせて歩いている。
布津は息を潜め、影から影へと移動した。
かつて愛した科学の府、名都大学。その門を潜り、最上階にある九頭竜の研究室のドアを叩いた。
「……先生。布津です。……お願いです、開けてください」
重い電子ロックが解除され、ドアが開いた。
そこには、かつての記憶そのままの、白衣を纏った老教授・九頭竜が立っていた。
「……おお、誠一くん。……よくぞ、無事で」
九頭竜の穏やかな声に、布津は極限まで張り詰めていた心の糸が、わずかに緩むのを感じた。
「……先生。……私は、世界を元に戻す方法を見つけました。……これを見てください」
布津は、命よりも重い設計図のストレージを差し出した。
九頭竜はそれを手に取り、眼鏡をかけ直して画面を見つめる。
その瞬間、研究室の温度が、一気に氷点下まで下がったような錯覚に布津は襲われた。
「……素晴らしい。誠一くん、君はやはり天才だ。……この周波数……この干渉パターン。……これを使えば、神格化を『解除』するだけでなく……特定の意志で『制御』することも可能になるのだね」
九頭竜の口調が、微妙に変わった。
布津は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……先生? 何を……仰っているんですか。これは制御のためではなく、人々を自由にするための……」
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