その殺人鬼、『星喰いの凶星(ステラ・ディヴォアラー)』につき。

あめの みかな

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逃亡編

​第十五話『理性の残火(後編)』

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​ 九頭竜教授の瞳が、爬虫類のような縦長の瞳孔に裂け、研究室の影から九つの頭を持つ巨蛇――九頭龍大神(くずりゅうだいじん)の幻影が這い出してきた。

​「誠一くん、君は不老不死や不死身の肉体について考えたことがあるかな?」

 そして、そんなことを布津に訊ねた。

 布津は震える手で、白衣のポケットから護身用の劇薬アンプルを取り出そうとした。だが、九頭竜が軽く指を鳴らした瞬間、

「がはっ」

 室内の重力そのものが変質したかのように、布津は床に叩きつけられた。

「私の質問に答えてくれないか?」

 九頭龍教授は布津を見下ろしながら、もう一度問う。

「……ありますよ」

 布津は体を起こすと、

「私も科学者の端くれですから」

 そう答えた。

「君の考えを聞かせてくれないか?」

 そして、これは尊敬していた九頭龍教授の最後の講義なのだと思った。

「創作物の中の不老不死者は、みんな揃ってメランコリーに浸り、死こそが救済だと言います。ですが、もしその『不死』が肉体の完全なる再生を意味するなら、脳という名の演算装置も常に最適な状態(コンディション)に保たれるはずです。​セロトニン、ドーパミン、エンドルフィン……。それらが完璧に制御され、絶望という名の脳のシステムエラーを排除するのではないでしょうか」

 布津の答えを聞いた九頭龍教授は、

「素晴らしい! さすがは私の最愛の教え子だ!」

 そう言いながら、手を叩いて喜んだ。

「私も君と同じ考えだよ。私は『永遠に飽きることのない幸福』のループの中に存在し続けることができるのだ……! 国木田様は私にその不老不死の力を与えてくれたのだ!」

 それが爬虫類のように瞳が縦長の瞳孔に裂けた姿ということなのだろう。影から這い出してきた九つの頭を持つ九頭龍大神の力なのだろう。
 再び室内の重力が変質し、布津は床に叩きつけられた。

​「……ぐっ、……先生……! なぜ……、あなたほどの知性が……あんな国木田の妄言に……!」

 床に顔を押し付けられながら、布津は喘ぐように叫んだ。

​「誠一くん、君は知性的だが、あまりに傲慢だ。……科学が神を否定したのではない。神々が、自らの奇跡を『法則』という名で人間に貸し与えていただけなのだ。……国木田様はその貸借関係を清算し、我々に『真の力』を返還してくださったのだよ」

​ 九頭竜が布津のストレージを掲げると、九つの首の一つが、それを恭しく口に咥えた。

「君のこの設計図は、反逆の道具ではない。不完全な神格化に苦しむ大衆を、より効率よく『神の部品』へと再定義するための聖書となるだろう。……素晴らしい功績だ。君の名は、新世界の歴史に『最高の犠牲(サクリファイス)』として刻まれる」

​「……ふざけるな……。私の……、私の知識は……人を救うために……!」

​ 布津が必死に腕を伸ばした瞬間、九頭竜の背後の影から、氷のように冷たく鋭い「竜の牙」が突き出した。それは布津の右肩を容赦なく貫き、彼を床に縫い付けた。

​「――あぁぁああああっ!!」

 絶叫。
 かつて冷静に死体を解剖し、毒物の組成を論理的に解き明かしてきた男の口から、無様で、人間的な悲鳴が漏れ出す。

​「知性とは脆いものだね。……痛覚という『生物の理』に、いとも容易く屈する」

​ 九頭竜は布津の眼鏡を、靴の先で無慈悲に踏み砕いた。視界が歪み、闇と鮮血が混ざり合う。布津にとって、眼鏡は「世界を正しく観測するためのレンズ」だった。それが砕かれたことは、彼の存在そのものの否定に等しかった。

​「……星……哉……、武……御……」

 薄れゆく意識の中で、布津は仲間の名を呼んだ。
 自分が死ぬことへの恐怖よりも、この『設計図』が彼らを滅ぼすための武器に書き換えられてしまうことへの絶望が、彼の魂を焼いた。

​「……九頭竜教授……いや、九頭龍……貴様は……科学を……殺したんだ……」

​「いいや。私は科学を『完成』させたのだよ。……さらばだ、我が愛弟子、誠一くん。君の命の周波数は、今、神話の静寂へと還る」

​ 九頭竜が杖を突き立てた瞬間、九つの首が一斉に咆哮した。
 凄まじい衝撃波と、絶対零度の冷気が布津を包み込む。
 細胞のひとつひとつが結晶化し、破壊されていく中、布津は最期の力を振り絞って、自らの左手首に仕込んでいた小型デバイスの自爆スイッチを……押せなかった。
​ 氷の牙が彼の心臓を正確に貫き、理性の拍動を永遠に停止させたのだ。

​ 研究室に、静寂が戻った。
 そこには、かつての秀才、布津誠一の遺体だけが、氷の彫像のように冷たく、孤独に横たわっていた。
 彼が守ろうとした『理性の弾丸』は、今や最悪の毒薬となって、国木田の手に渡った。


​ ――同じ頃、地下の暗闇で。

「……布津さん、遅いね」

 雷が、ふとマンホールを見上げて呟いた。

​「……ああ。……だが、彼は理性の人だ。無茶な真似はしないはずさ」

 天城が答える。
 その言葉は、もはや戻ることのない仲間への、虚しい信頼の残滓だった。
​ 地上のビル群からは、布津の設計図を組み込んだ巨大な「神格安定化電波」が、目に見えない禍々しい波動となって、夜空へと放たれようとしていた。


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