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楽しいクリスマス
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ガーディガン伯爵家では毎年自分達でクリスマスプティングを作る。去年までは親子で作っていたが、今年はアルベルタがコーデリアの代わりを務める事になった。
クリスマスまでは一ヶ月も無く、熟成期間を置けば置くほど美味しいとされるお菓子であったが、今回はアルベルタの連れ去り事件やイザドラのお披露目パーティなどがあった為に、作る時間が無かったのだ。
そんな蒸しケーキは家によって作り方や材料が違うとされている。中には一年以上前から準備をしている家庭もあるという話を聞いて、アルベルタは驚いていた。一年も置いておけば食べられるものかと心配にもなるが、問題は無いとのこと。
「ねえ、お義姉様はクリスマスプティングの作り方はご存知?」
イザドラはアルベルタの事を早速「お義姉様」と呼んでいる。気が早いとヴィクターに言われていたが、ずっとそういう風に呼びたいのを我慢していたのだと言って聞かなかった。年下の弟や妹が居なかったアルベルタも姉と呼ばれる事を喜んでいる。
「ええ、マルヴィナ様に習ったものが」
クリスマスプティングについての記憶を蘇らせ、アルベルタは懐かしい気分に酔いしれる。実家では異国風のブッシュ・ド・ノエルを食べていたので、ねっとりとしていて甘いだけの蒸し菓子の美味しさを理解するのに何年も要したのだ。
そんな彼女のクリスマスプティングは特別なものだった。
「まあ、お祖母様の秘伝のレシピ!!お父様が処分してしまって二度と食べられないってお母様もお兄様も嘆いていたのよ。凄いわ!!私も食べたことが無かったから、とっても残念に思っていたの」
「そう、だったのですね」
「去年までのクリスマスプティングはお母様がなんとかお祖母様の味に近づけようと努力していたものなのよ。材料も、同じでしょう?」
「そういえば」
ラム酒に漬けていた干し果物、サクランボの砂糖漬け、人参、生姜、オレンジピール、ナッツ類、牛腎臓の脂、酒類、小麦粉、パン粉、香辛料、バター、砂糖、卵などが並べられている。
特にカレンツと呼ばれる地中海の傍にある畑で取れたものを使って作った小粒の干し葡萄は、わざわざ異国の地から取り寄せた品だ。他の干し葡萄よりも酸味が強く、ナッツ類との相性も抜群でマルヴィナもこれが一番大事だと言っていたのをアルベルタは思い出す。
「では、作り方を教えて頂けるかしら?」
「なんだか緊張しますね。作るのは五年振りで」
マルヴィナから習った作り方は古い手帳にあった。それを部屋から持って来て、イザドラと二人で見ながら作る。
「まずは干し果物と牛脂、パン粉を混ぜます」
「牛脂とパン粉は同じ分量ね」
細かく刻んだ干し果物は瓶の中で二ヶ月ほど漬けていたものだ。この作業もアルベルタと共に行ったものだったが、諸々の事件が重なった為に漬ける期間が長くなってしまったという事情がある。
マルヴィナのレシピ通りの分量を量って、ボウルの中へ入れてから混ぜる。
「お砂糖はキャラメリゼにしてから入れます」
「そういうひと手間を加えていたのね。どんなに頑張ってもお祖母様の味にならない訳だわ」
それから残りの材料を混ぜて、バターをたっぷり塗った型の中に入れる。
蒸す時間は七時間ほど。仕上がったら涼しい場所で保管をする。
「あ!」
「どうしたの?」
アルベルタは申し訳無さそうにある物を手の平に置いている。
プティングの中に入れる筈だった陶器の王冠があった。それはクリスマスパーティで参加者に願い事を言える特別なもので、蒸す前の生地の中に入れなければならないものだったのだ。
「仕方が無いわね」
「正しく作ることに集中をしてしまって」
「まあ、私も気付かなかったし」
「申し訳ありませんでした」
「いいわ、気にしないでちょうだい」
マルヴィナと二人のクリスマスでは、プティングの中に何かを入れたりしなかった為に、失念をしていたのだ。
「折角だから、今年はこっそりお兄様のケーキに忍ばせましょう」
「そうですね。偶(たま)にはそういうものいいのかもしれません」
こうしてちょっとした失敗はあったが、クリスマスプティングの準備は無事に終わった。
◇◇◇
お菓子作りが終わるとイザドラは勉強の時間だと言って私室に戻った。アルベルタはヴィクターに顔を見せてから侯爵邸に帰ろうと、すれ違ったラザレスに主人の予定を聞く。
「伯爵様は?」
「あ、ああ、うん、大丈夫、すげえ暇だから」
「?」
「早く行った方がいい」
「ありがとう」
「私室に居るから」
「了解」
今日はアルベルタが来るというのでそわそわして落ち着きが無かったと言える訳もなく、ラザレスはアルベルタの後姿を見送っていた。
ヴィクターの私室の戸を叩けば、すぐに扉は開かれる。
「うわ!」
「……」
あまりの反応の良さにアルベルタは思わず身を引いてしまう。
「す、すまない」
「いえ」
連れ去り事件から一ヶ月経っていた。その間に何度か会っていたが、過ごす時間も紅茶一杯飲み干すまでなど、なかなかゆっくりと会話を交わす機会が無かった。
だが、今日は侯爵家の門限までに時間もかなりある。ヴィクターはこの日を待ちわびていたのだ。
アルベルタは勧められて長椅子に座る。ヴィクターもその隣に腰掛けた。
「何だか、照れますね」
「……」
照れるという言葉を聞いて、さり気なく手を握ろうとしていたヴィクターの動きがピタリと止まった。そんな手先に気付いていないアルベルタは話を続けている。
「今日はイザドラさんとクリスマスプティングを作って、ああ、あとプレゼントも用意しなければいけませんね」
伯爵家では親戚を呼んで毎年盛大にパーティーを行っているらしいが、今年はイザドラのお披露目をしたので家族だけのささやかなものを行うと決めていたのだ。ラザレスやアン、アルベルタも招待を受けている。
「そういえば、先日ハロッドは混んでいると聞いた」
「クリスマスのセールをしていますからね」
この国ではクリスマスの贈り物と言えば個人が家族全員分を用意するという習慣があり、街を歩いている人々は大きな荷物を抱えてながら買い物をする姿が見受けられるのだ。
「この時季は物騒な輩も増えてくるから一人で街を歩かないように」
「アンさんと一緒だから大丈夫ですよ」
「そうだったな」
得意な武器は銃、特に早撃ちを得意とするアン・ウイズリー。他にもナイフの扱いや、格闘術、特に締め技に自信があると語っていた事をヴィクターは思い出す。
「私も咄嗟に手を掴まれた時の対処法を習ったのですが、なかなか上手く出来なくって」
「どういうのを習ったんだ?」
「えっとですね、こうやって」
アルベルタは手首を掴んで捻り上げるというアンに習った暴漢撃退術を披露する。
「あ」
「!?」
動かそうとしていたのは人体の構造的に曲げてはいけない方向だったので、やんわりとヴィクターは手を取って止めさせた。
「その方向に、人の体は曲がらない。力を加えたら、折れる」
「ご、ごめんなさい」
「このようなことは、普通の女性は咄嗟に出来ない」
「でしょうね」
「単純に頭突きでも食らわせればいい」
「ああ、それなら出来そうです」
「……」
何故久々に会ったのに物騒な話をしなければならないのかと、ヴィクターは悲しくなる。
折角手を握ったので、手袋を勝手に外してそのまま自分の指を絡めて膝の上に置く。アルベルタはその様子に気がつくと、恥かしそうに視線を落としていた。
「旦那様」
「旦那様ではない」
「……」
もう主従関係にはない。夫婦でもないので呼び方の旦那様というのは間違っていると指摘をする。
「どのように、お呼びをすれば、いいのか」
「名前で」
「……」
「呼びたくないか?」
「いえ、なんだか気恥ずかしいなと。今までにこんな風に親しくなった男性なんて居なくて」
「……」
ヴィクターはひっそりと感動を覚える。この可愛らしい女性が今まで誰の物でも無かったことに対して喜びを感じており、深く神に感謝をした程だ。
「無理はしなくてもいい。今まで通り、旦那様でも」
「いえ、呼ばせてください……ヴィクターさん」
「!」
アルベルタは照れて視線を逸らし、恥かしさを誤魔化す為に頬に掛かっていた髪の毛を耳にかける。今まで髪の毛に隠れていた耳はほんのりと赤く染まっており、恥かしそうな表情と落ち着いた声で自分の名を呼ばれたという事実が相俟って、ヴィクターは混乱状態に陥る。
どうにかして喜びを伝えようと肩を引き寄せて、頬に口付けを贈る。驚いたアルベルタは逸らしていた視線をヴィクターに向ける。
「あ、あの」
「嬉しくって、つい」
「……」
慌てたような表情で言ったヴィクターの言葉に笑い、それから目を閉じて首を傾ける。
ヴィクターはアルベルタの頬に手を滑らせてから、無防備な唇に口付けをした。
恋人達の時間は穏やかに過ぎていく。
◇◇◇
「ねえ、アビゲイル、飾りが偏っているわ!あと色も」
「ええっ、どれですか?」
「右端の星の飾りと雪の結晶が重なっているの!!それから隣にある銀の飾りは色が同じだから離してちょうだい」
「お、おお……」
クリスマス当日の朝。頼んでいたもみの木がやっと届いたので、イザドラとアビゲイルはクリスマスオーナメントの飾りつけをしている。
何故、当日になってしまったかと言えば、庭師がもみの木を運ぶ途中に倒してしまい、形が崩れてしまったので新たに購入の手配をした為であった。
イザドラが少し離れた場所で飾りつけの指示を出し、アビゲイルが台に乗って木に飾りを取り付ける。アルベルタは箱の中からオーナメントを取って渡す名誉を言い渡された。
クリスマスツリーの周辺にはプレゼントの入った包みが並べられている。これは夜のパーティで交換会を行う為のものだ。プレゼントの予算は一ポンドと決まっていて、各々百貨店などで選んできたと思われる包みだった。ちなみに家族間で贈り合うものは居間の形が崩れたツリーの周辺に置いてある。
結局招待客は増え、ガーディガン一家にアルベルタ、アビゲイル、セドリック、ラザレスとアン、ランベールと少しだけ人数が増えていた。
それからこの日の為に着る服がセドリックから全員に届けられていた。今夜は仮装パーティを行うというのだ。
誰が何の扮装をするというのはセドリックしか把握していない。当日のお楽しみだからと、各々に喋らないよう口止めをしているのだ。
使用人達、特に厨房は朝から忙しくしている。クリスマスの日は夕食は豪華な料理が並ぶ事は当たり前で、そえ以外にも朝食や昼食にも特別な品目が用意される。一日に八回あるお茶の時間にも手の込んだお菓子などが用意されるのだ。
クリスマスツリーの飾りつけが終わると、女中頭が紅茶を持ってやって来る。机の上に並べられたお茶請けは昨日ランベールが持って来た隣国のものであった。
「わあ、これかわいい~」
「ブレデレという、隣国の田舎でクリスマスに食べるお菓子なのですって」
「へえ、もしかして昨日サー・キャスティーヌが持って来ていた包みのお菓子ですか?」
「そうね」
皿の上には同じ形が無いのでは、と思うほどの多彩に型抜きされたビスケット、異国ではクッキーと呼ばれるものが置かれていた。果実の風味とバニラの香る絞り型のものに、凱旋門と同じエトワールという名の、香辛料が効いたクッキー、木の実と果実の皮が入ったルシエンヌという月の形をしたもの、バターとくるみがたっぷり入っているものは岩のようにごつごつとしている。表面にチョコレートやアイシングが塗ってあったり、もみの木型に抜かれていたりなど、並んだクッキーを前にどれを食べようかとアビゲイルは目を輝かせていた。
「あ、くまさんの形があります。イザドラお嬢様、うさぎさんも居ますよ」
「まあ、本当!可愛いわ」
「お嬢様はうさぎさんをどうぞ。可愛いですよねえ~」
そんな風に話をながら、ぱくりと熊の形のクッキーをアビゲイルは一口で頬張る。噛めばほろりと崩れる上品な甘さに、にっこりと笑顔になっていた。
「あなた、よくもまあ、躊躇いも無くそんな可愛いお菓子を食べられるものね」
「だって、食べ物ですもの~」
「……そう」
「すごく美味しいですよ」
「……ええ」
うさぎのクッキーを摘んでいたイザドラは、しっかりと躊躇ってから勇気を出して口に運んでいた。その様子をアルベルタは微笑ましい気持ちで見守る。
途中でアルベルタに来客が訪れたというので、少女達のお茶会から抜け出すこととなった。
◇◇◇
来客はヴィクターの心の友・セドリックであった。結婚報告をする為にヴィクターが早めに呼び出していたのだ。
「やあ、お久しぶりで」
「ええ、本当に」
セドリックはいつもの軍服ではなくて、礼服を纏って訪問をしていた。しっかり髪を整えており、本物の紳士のようだとヴィクターも感想を漏らす。
「悪かったな。せっかくのクリスマスに来てもらって」
「いやいや、寧ろお誘いはありがたかったよ。この年になって責められる様な空気の中で家族と過ごさなければならない苦痛から逃れられたから、感謝をしなければならない位さ」
クリスマスは昔から家族で過ごすものとされている。異国では恋人達の聖夜とも呼ばれているが、この国では家族で過ごすものというのが当たり前の習慣となっているのだ。
「最近親が結婚結婚ってうるさくて、ああ、そういえば、報告があるって?」
「ああ、噂話は広がっていたとは思うが……」
「いや、聞いてない」
「そうか。……春先に、アルベルタと結婚をすることになった」
「!?」
セドリックは社交界で囁かれていた噂話を本当に耳にしていなかったからか、驚きの顔を見せていた。最近は軍の仕事が忙しかったので、紳士クラブにも顔を出していなかったのである。
「あ、ああ、そうか。それは、めでたい、な」
「……」
セドリックは自身の首の後ろを撫でながら、祝福の言葉を複雑そうな顔で言う。
「セドリック、報告はこれだけではない」
「え!?早くない!?」
「は?何を言っている?」
「だって、新しい、命でしょう?」
「?」
そんな風に言いながら、そっとアルベルタのお腹の辺りを見る。視線の意味に気がついたヴィクターは勝手に想像するなと憤っていた。そして結婚の動機である『新しい命説』を否定する。
「馬鹿か!!」
愛人に子供が出来たから結婚をする。セドリックは二人の結婚をそういう風に見ていたのだ。だが、それは違うと否定されてしまった。
「ま、まあ、愛には、色んな形が」
「うるさい!!彼女は私の初恋の人だ!!」
「え!?」
「嘘!?」
「……アルベルタ、どうしてお前まで驚く」
「だって、初恋って」
セドリックは本日二度目の驚きであった。目を忙しなく瞬かせて、目の前の奇跡を信じがたいような光景だと思いながら見ていた。
「あなたは、もしかしなくても、アルベルタ・ベイカーさん?」
「はい。元、ですけれど。今は母方の籍に入っています」
「ほ、ほんとうに?」
「本当です」
「嘘ではない。母が、彼女を見つけて真実を隠していたのだ」
「……なんて、いう、ことだ」
セドリックは急に立ち上がって、ぶわっと涙を流す。突然の男泣きにヴィクターとアルベルタは目を丸くして言葉を失っていた。
それからセドリックはアルベルタの前で跪き、深く頭を下げている。
「ありがとう、ヴィクターに会いに来てくれて、ありがとう」
「あの、ハインツ卿、どうか、顔を上げてください」
「おい、なにをそんなに感動している?」
「だって、彼女は、俺達にとっても掛け替えの無い存在だったんだ」
「はあ?」
セドリックはヴィクターの軍時代の話を語り始める。
◇◇◇
セドリック・ハインツが同室になった青年は変わり者だと名高い男であった。
名前をヴィクター・アヴァロン。ガーディガン伯爵家の見目麗しい跡取り息子が何故このような危険な前線に、というのは専ら暇な軍人達の噂の種だったのだ。
大貴族とあれば志願すれば簡単に士官になれる。だが、この変わり者の貴族の子息はそれをしないで、一般の軍人に混じってきつく辛い生活を送っていたのだ。
体力もあるし、軍の規律はしっかりと守る。射撃の名手でもあり、中隊の中では一・二を争う腕前だった。
ところが、彼には対人能力というものが激しく抜け落ちていた。食事は一人で摂りたがり、飲み会にも参加をしたがらない。休みの日は女遊びなども行わず、一人で部屋に引き篭もる。
周囲の人々はそんな男を『根暗のヴィクター』と呼ぶようになった。
ヴィクターが部屋で手紙を読んでいるという話を面白がって広めたのはセドリックだった。同室になって六年が過ぎ、その頃になればヴィクターも多少は会話をしてくれるようになっていたのだ。
そんな根暗男が毎日見ていたのは祖母から送られた手紙で、それだけを熱心に読んでいたのだと聞いて呆れてしまう。
しれからしばらく経って、その手紙には彼の祖母の世話をしている婚約者の女性の様子が記されたものだということが判明したのだ。
思春期を過ぎ、二十歳を過ぎて大人になっても他の女に興味を持たないヴィクターを周囲は訝しんだ。そんな男など居る訳がないと、男装した女性疑惑まで出た程だった。
納得のいかなかった周囲は「あの男は熱心に一人の女神を信仰しているのだ」という意見を纏めて無理矢理理解しようと務めていた。
「……はじめて聞いた話だ」
「まあ、お前は部屋に引き篭もっていたからな」
「……裏で好き勝手言っていたとは心外だ」
「そう言うが、俺達は戦争の中で唯一変わらないお前を見て、安心している所もあったんだよ」
「……」
戦場では日々状況が変わっていく。
昨日一緒に食事をしていた人が突然居なくなるというのは当たり前の日常だった。数日、数ヶ月、半年、一年と時間が経っていくにつれて平常心を保てなくなる者も出てくる。
そんな中でも、ヴィクターは変わらずに手紙を読み続けていたのだ。
「だから、またあいつは部屋に引き篭もって女神様にお祈りをしているって、笑い合って、でもそれは馬鹿にしている訳でもなくて、皆、心のどこかでお前の揺るがない精神を凄いと、そんな風に思っていたんだ」
「……」
「だから、アルベルタ・ベイカーは俺達にとっても女神様だった、という話でした。そんな訳で俺は二人の結婚を全力で祝福をします」
顔を上げて晴れやかに笑うセドリックを、ヴィクターは眩しそうな顔をしながら見下ろす。
友人の話を聞いて、自分の通って来た道は間違ったものではなかったのだと、再確認をする事が出来たのだ。
夕刻になりパーティの準備を始める為にアルベルタは席を外す。
二人だけになった部屋では、静かな中で祝杯が交わされていた。
◇◇◇
それから夜になって楽しいクリスマスの仮装パーティは始まっていた。
企画の主催者のセドリックは緑色のファザー・クリスマスの姿で居た。他にも黒猫の扮装をしたイザドラにお姫様の格好のアビゲイル。王子様の格好はアルベルタだ。ヴィクターは魔法使いの扮装に、チョコレートのコインが詰まった袋を手渡される。金の力で魔法を使う設定だとセドリックは説明していた。
アンは新しく買ったまま披露が出来なかった狩猟服(ピンク)で現れ、ラザレスは法律で今季から狩り禁じられている事となった狐の扮装をしていた。ピンと立ったふさふさの耳を付け、首には襟巻きを巻き、尻尾も付けるという本格な装いであった。国内では希少とされる黒狐を、アンは人目も憚らずに可愛がっていた。勿論撫でられている狐は不服そうな表情を浮かべている。
今宵はコーデリアも仮装服で現れた。
なんと、とある童話の残虐な女王の姿だったのだ。あまりにも似合い過ぎる扮装に、その場に居た者たちは思わずひれ伏してしまう。そんな状況にコーデリアは「あら、いい眺めね」と言って笑っていた。
遅れて来たランベールはセドリックに「やっと来たか、相方」とぽんっと肩を叩かれながら、間に合わせで作ったとは思えない二本の立派な角を頭に生えさせられていた。
プレゼントを交換して、クリスマスプティングや料理長自慢のご馳走を食べ、楽器を演奏しながら歌い明かす。
今までの中で一番楽しくも愉快であったと、誰もが思ったクリスマスであった。
クリスマスまでは一ヶ月も無く、熟成期間を置けば置くほど美味しいとされるお菓子であったが、今回はアルベルタの連れ去り事件やイザドラのお披露目パーティなどがあった為に、作る時間が無かったのだ。
そんな蒸しケーキは家によって作り方や材料が違うとされている。中には一年以上前から準備をしている家庭もあるという話を聞いて、アルベルタは驚いていた。一年も置いておけば食べられるものかと心配にもなるが、問題は無いとのこと。
「ねえ、お義姉様はクリスマスプティングの作り方はご存知?」
イザドラはアルベルタの事を早速「お義姉様」と呼んでいる。気が早いとヴィクターに言われていたが、ずっとそういう風に呼びたいのを我慢していたのだと言って聞かなかった。年下の弟や妹が居なかったアルベルタも姉と呼ばれる事を喜んでいる。
「ええ、マルヴィナ様に習ったものが」
クリスマスプティングについての記憶を蘇らせ、アルベルタは懐かしい気分に酔いしれる。実家では異国風のブッシュ・ド・ノエルを食べていたので、ねっとりとしていて甘いだけの蒸し菓子の美味しさを理解するのに何年も要したのだ。
そんな彼女のクリスマスプティングは特別なものだった。
「まあ、お祖母様の秘伝のレシピ!!お父様が処分してしまって二度と食べられないってお母様もお兄様も嘆いていたのよ。凄いわ!!私も食べたことが無かったから、とっても残念に思っていたの」
「そう、だったのですね」
「去年までのクリスマスプティングはお母様がなんとかお祖母様の味に近づけようと努力していたものなのよ。材料も、同じでしょう?」
「そういえば」
ラム酒に漬けていた干し果物、サクランボの砂糖漬け、人参、生姜、オレンジピール、ナッツ類、牛腎臓の脂、酒類、小麦粉、パン粉、香辛料、バター、砂糖、卵などが並べられている。
特にカレンツと呼ばれる地中海の傍にある畑で取れたものを使って作った小粒の干し葡萄は、わざわざ異国の地から取り寄せた品だ。他の干し葡萄よりも酸味が強く、ナッツ類との相性も抜群でマルヴィナもこれが一番大事だと言っていたのをアルベルタは思い出す。
「では、作り方を教えて頂けるかしら?」
「なんだか緊張しますね。作るのは五年振りで」
マルヴィナから習った作り方は古い手帳にあった。それを部屋から持って来て、イザドラと二人で見ながら作る。
「まずは干し果物と牛脂、パン粉を混ぜます」
「牛脂とパン粉は同じ分量ね」
細かく刻んだ干し果物は瓶の中で二ヶ月ほど漬けていたものだ。この作業もアルベルタと共に行ったものだったが、諸々の事件が重なった為に漬ける期間が長くなってしまったという事情がある。
マルヴィナのレシピ通りの分量を量って、ボウルの中へ入れてから混ぜる。
「お砂糖はキャラメリゼにしてから入れます」
「そういうひと手間を加えていたのね。どんなに頑張ってもお祖母様の味にならない訳だわ」
それから残りの材料を混ぜて、バターをたっぷり塗った型の中に入れる。
蒸す時間は七時間ほど。仕上がったら涼しい場所で保管をする。
「あ!」
「どうしたの?」
アルベルタは申し訳無さそうにある物を手の平に置いている。
プティングの中に入れる筈だった陶器の王冠があった。それはクリスマスパーティで参加者に願い事を言える特別なもので、蒸す前の生地の中に入れなければならないものだったのだ。
「仕方が無いわね」
「正しく作ることに集中をしてしまって」
「まあ、私も気付かなかったし」
「申し訳ありませんでした」
「いいわ、気にしないでちょうだい」
マルヴィナと二人のクリスマスでは、プティングの中に何かを入れたりしなかった為に、失念をしていたのだ。
「折角だから、今年はこっそりお兄様のケーキに忍ばせましょう」
「そうですね。偶(たま)にはそういうものいいのかもしれません」
こうしてちょっとした失敗はあったが、クリスマスプティングの準備は無事に終わった。
◇◇◇
お菓子作りが終わるとイザドラは勉強の時間だと言って私室に戻った。アルベルタはヴィクターに顔を見せてから侯爵邸に帰ろうと、すれ違ったラザレスに主人の予定を聞く。
「伯爵様は?」
「あ、ああ、うん、大丈夫、すげえ暇だから」
「?」
「早く行った方がいい」
「ありがとう」
「私室に居るから」
「了解」
今日はアルベルタが来るというのでそわそわして落ち着きが無かったと言える訳もなく、ラザレスはアルベルタの後姿を見送っていた。
ヴィクターの私室の戸を叩けば、すぐに扉は開かれる。
「うわ!」
「……」
あまりの反応の良さにアルベルタは思わず身を引いてしまう。
「す、すまない」
「いえ」
連れ去り事件から一ヶ月経っていた。その間に何度か会っていたが、過ごす時間も紅茶一杯飲み干すまでなど、なかなかゆっくりと会話を交わす機会が無かった。
だが、今日は侯爵家の門限までに時間もかなりある。ヴィクターはこの日を待ちわびていたのだ。
アルベルタは勧められて長椅子に座る。ヴィクターもその隣に腰掛けた。
「何だか、照れますね」
「……」
照れるという言葉を聞いて、さり気なく手を握ろうとしていたヴィクターの動きがピタリと止まった。そんな手先に気付いていないアルベルタは話を続けている。
「今日はイザドラさんとクリスマスプティングを作って、ああ、あとプレゼントも用意しなければいけませんね」
伯爵家では親戚を呼んで毎年盛大にパーティーを行っているらしいが、今年はイザドラのお披露目をしたので家族だけのささやかなものを行うと決めていたのだ。ラザレスやアン、アルベルタも招待を受けている。
「そういえば、先日ハロッドは混んでいると聞いた」
「クリスマスのセールをしていますからね」
この国ではクリスマスの贈り物と言えば個人が家族全員分を用意するという習慣があり、街を歩いている人々は大きな荷物を抱えてながら買い物をする姿が見受けられるのだ。
「この時季は物騒な輩も増えてくるから一人で街を歩かないように」
「アンさんと一緒だから大丈夫ですよ」
「そうだったな」
得意な武器は銃、特に早撃ちを得意とするアン・ウイズリー。他にもナイフの扱いや、格闘術、特に締め技に自信があると語っていた事をヴィクターは思い出す。
「私も咄嗟に手を掴まれた時の対処法を習ったのですが、なかなか上手く出来なくって」
「どういうのを習ったんだ?」
「えっとですね、こうやって」
アルベルタは手首を掴んで捻り上げるというアンに習った暴漢撃退術を披露する。
「あ」
「!?」
動かそうとしていたのは人体の構造的に曲げてはいけない方向だったので、やんわりとヴィクターは手を取って止めさせた。
「その方向に、人の体は曲がらない。力を加えたら、折れる」
「ご、ごめんなさい」
「このようなことは、普通の女性は咄嗟に出来ない」
「でしょうね」
「単純に頭突きでも食らわせればいい」
「ああ、それなら出来そうです」
「……」
何故久々に会ったのに物騒な話をしなければならないのかと、ヴィクターは悲しくなる。
折角手を握ったので、手袋を勝手に外してそのまま自分の指を絡めて膝の上に置く。アルベルタはその様子に気がつくと、恥かしそうに視線を落としていた。
「旦那様」
「旦那様ではない」
「……」
もう主従関係にはない。夫婦でもないので呼び方の旦那様というのは間違っていると指摘をする。
「どのように、お呼びをすれば、いいのか」
「名前で」
「……」
「呼びたくないか?」
「いえ、なんだか気恥ずかしいなと。今までにこんな風に親しくなった男性なんて居なくて」
「……」
ヴィクターはひっそりと感動を覚える。この可愛らしい女性が今まで誰の物でも無かったことに対して喜びを感じており、深く神に感謝をした程だ。
「無理はしなくてもいい。今まで通り、旦那様でも」
「いえ、呼ばせてください……ヴィクターさん」
「!」
アルベルタは照れて視線を逸らし、恥かしさを誤魔化す為に頬に掛かっていた髪の毛を耳にかける。今まで髪の毛に隠れていた耳はほんのりと赤く染まっており、恥かしそうな表情と落ち着いた声で自分の名を呼ばれたという事実が相俟って、ヴィクターは混乱状態に陥る。
どうにかして喜びを伝えようと肩を引き寄せて、頬に口付けを贈る。驚いたアルベルタは逸らしていた視線をヴィクターに向ける。
「あ、あの」
「嬉しくって、つい」
「……」
慌てたような表情で言ったヴィクターの言葉に笑い、それから目を閉じて首を傾ける。
ヴィクターはアルベルタの頬に手を滑らせてから、無防備な唇に口付けをした。
恋人達の時間は穏やかに過ぎていく。
◇◇◇
「ねえ、アビゲイル、飾りが偏っているわ!あと色も」
「ええっ、どれですか?」
「右端の星の飾りと雪の結晶が重なっているの!!それから隣にある銀の飾りは色が同じだから離してちょうだい」
「お、おお……」
クリスマス当日の朝。頼んでいたもみの木がやっと届いたので、イザドラとアビゲイルはクリスマスオーナメントの飾りつけをしている。
何故、当日になってしまったかと言えば、庭師がもみの木を運ぶ途中に倒してしまい、形が崩れてしまったので新たに購入の手配をした為であった。
イザドラが少し離れた場所で飾りつけの指示を出し、アビゲイルが台に乗って木に飾りを取り付ける。アルベルタは箱の中からオーナメントを取って渡す名誉を言い渡された。
クリスマスツリーの周辺にはプレゼントの入った包みが並べられている。これは夜のパーティで交換会を行う為のものだ。プレゼントの予算は一ポンドと決まっていて、各々百貨店などで選んできたと思われる包みだった。ちなみに家族間で贈り合うものは居間の形が崩れたツリーの周辺に置いてある。
結局招待客は増え、ガーディガン一家にアルベルタ、アビゲイル、セドリック、ラザレスとアン、ランベールと少しだけ人数が増えていた。
それからこの日の為に着る服がセドリックから全員に届けられていた。今夜は仮装パーティを行うというのだ。
誰が何の扮装をするというのはセドリックしか把握していない。当日のお楽しみだからと、各々に喋らないよう口止めをしているのだ。
使用人達、特に厨房は朝から忙しくしている。クリスマスの日は夕食は豪華な料理が並ぶ事は当たり前で、そえ以外にも朝食や昼食にも特別な品目が用意される。一日に八回あるお茶の時間にも手の込んだお菓子などが用意されるのだ。
クリスマスツリーの飾りつけが終わると、女中頭が紅茶を持ってやって来る。机の上に並べられたお茶請けは昨日ランベールが持って来た隣国のものであった。
「わあ、これかわいい~」
「ブレデレという、隣国の田舎でクリスマスに食べるお菓子なのですって」
「へえ、もしかして昨日サー・キャスティーヌが持って来ていた包みのお菓子ですか?」
「そうね」
皿の上には同じ形が無いのでは、と思うほどの多彩に型抜きされたビスケット、異国ではクッキーと呼ばれるものが置かれていた。果実の風味とバニラの香る絞り型のものに、凱旋門と同じエトワールという名の、香辛料が効いたクッキー、木の実と果実の皮が入ったルシエンヌという月の形をしたもの、バターとくるみがたっぷり入っているものは岩のようにごつごつとしている。表面にチョコレートやアイシングが塗ってあったり、もみの木型に抜かれていたりなど、並んだクッキーを前にどれを食べようかとアビゲイルは目を輝かせていた。
「あ、くまさんの形があります。イザドラお嬢様、うさぎさんも居ますよ」
「まあ、本当!可愛いわ」
「お嬢様はうさぎさんをどうぞ。可愛いですよねえ~」
そんな風に話をながら、ぱくりと熊の形のクッキーをアビゲイルは一口で頬張る。噛めばほろりと崩れる上品な甘さに、にっこりと笑顔になっていた。
「あなた、よくもまあ、躊躇いも無くそんな可愛いお菓子を食べられるものね」
「だって、食べ物ですもの~」
「……そう」
「すごく美味しいですよ」
「……ええ」
うさぎのクッキーを摘んでいたイザドラは、しっかりと躊躇ってから勇気を出して口に運んでいた。その様子をアルベルタは微笑ましい気持ちで見守る。
途中でアルベルタに来客が訪れたというので、少女達のお茶会から抜け出すこととなった。
◇◇◇
来客はヴィクターの心の友・セドリックであった。結婚報告をする為にヴィクターが早めに呼び出していたのだ。
「やあ、お久しぶりで」
「ええ、本当に」
セドリックはいつもの軍服ではなくて、礼服を纏って訪問をしていた。しっかり髪を整えており、本物の紳士のようだとヴィクターも感想を漏らす。
「悪かったな。せっかくのクリスマスに来てもらって」
「いやいや、寧ろお誘いはありがたかったよ。この年になって責められる様な空気の中で家族と過ごさなければならない苦痛から逃れられたから、感謝をしなければならない位さ」
クリスマスは昔から家族で過ごすものとされている。異国では恋人達の聖夜とも呼ばれているが、この国では家族で過ごすものというのが当たり前の習慣となっているのだ。
「最近親が結婚結婚ってうるさくて、ああ、そういえば、報告があるって?」
「ああ、噂話は広がっていたとは思うが……」
「いや、聞いてない」
「そうか。……春先に、アルベルタと結婚をすることになった」
「!?」
セドリックは社交界で囁かれていた噂話を本当に耳にしていなかったからか、驚きの顔を見せていた。最近は軍の仕事が忙しかったので、紳士クラブにも顔を出していなかったのである。
「あ、ああ、そうか。それは、めでたい、な」
「……」
セドリックは自身の首の後ろを撫でながら、祝福の言葉を複雑そうな顔で言う。
「セドリック、報告はこれだけではない」
「え!?早くない!?」
「は?何を言っている?」
「だって、新しい、命でしょう?」
「?」
そんな風に言いながら、そっとアルベルタのお腹の辺りを見る。視線の意味に気がついたヴィクターは勝手に想像するなと憤っていた。そして結婚の動機である『新しい命説』を否定する。
「馬鹿か!!」
愛人に子供が出来たから結婚をする。セドリックは二人の結婚をそういう風に見ていたのだ。だが、それは違うと否定されてしまった。
「ま、まあ、愛には、色んな形が」
「うるさい!!彼女は私の初恋の人だ!!」
「え!?」
「嘘!?」
「……アルベルタ、どうしてお前まで驚く」
「だって、初恋って」
セドリックは本日二度目の驚きであった。目を忙しなく瞬かせて、目の前の奇跡を信じがたいような光景だと思いながら見ていた。
「あなたは、もしかしなくても、アルベルタ・ベイカーさん?」
「はい。元、ですけれど。今は母方の籍に入っています」
「ほ、ほんとうに?」
「本当です」
「嘘ではない。母が、彼女を見つけて真実を隠していたのだ」
「……なんて、いう、ことだ」
セドリックは急に立ち上がって、ぶわっと涙を流す。突然の男泣きにヴィクターとアルベルタは目を丸くして言葉を失っていた。
それからセドリックはアルベルタの前で跪き、深く頭を下げている。
「ありがとう、ヴィクターに会いに来てくれて、ありがとう」
「あの、ハインツ卿、どうか、顔を上げてください」
「おい、なにをそんなに感動している?」
「だって、彼女は、俺達にとっても掛け替えの無い存在だったんだ」
「はあ?」
セドリックはヴィクターの軍時代の話を語り始める。
◇◇◇
セドリック・ハインツが同室になった青年は変わり者だと名高い男であった。
名前をヴィクター・アヴァロン。ガーディガン伯爵家の見目麗しい跡取り息子が何故このような危険な前線に、というのは専ら暇な軍人達の噂の種だったのだ。
大貴族とあれば志願すれば簡単に士官になれる。だが、この変わり者の貴族の子息はそれをしないで、一般の軍人に混じってきつく辛い生活を送っていたのだ。
体力もあるし、軍の規律はしっかりと守る。射撃の名手でもあり、中隊の中では一・二を争う腕前だった。
ところが、彼には対人能力というものが激しく抜け落ちていた。食事は一人で摂りたがり、飲み会にも参加をしたがらない。休みの日は女遊びなども行わず、一人で部屋に引き篭もる。
周囲の人々はそんな男を『根暗のヴィクター』と呼ぶようになった。
ヴィクターが部屋で手紙を読んでいるという話を面白がって広めたのはセドリックだった。同室になって六年が過ぎ、その頃になればヴィクターも多少は会話をしてくれるようになっていたのだ。
そんな根暗男が毎日見ていたのは祖母から送られた手紙で、それだけを熱心に読んでいたのだと聞いて呆れてしまう。
しれからしばらく経って、その手紙には彼の祖母の世話をしている婚約者の女性の様子が記されたものだということが判明したのだ。
思春期を過ぎ、二十歳を過ぎて大人になっても他の女に興味を持たないヴィクターを周囲は訝しんだ。そんな男など居る訳がないと、男装した女性疑惑まで出た程だった。
納得のいかなかった周囲は「あの男は熱心に一人の女神を信仰しているのだ」という意見を纏めて無理矢理理解しようと務めていた。
「……はじめて聞いた話だ」
「まあ、お前は部屋に引き篭もっていたからな」
「……裏で好き勝手言っていたとは心外だ」
「そう言うが、俺達は戦争の中で唯一変わらないお前を見て、安心している所もあったんだよ」
「……」
戦場では日々状況が変わっていく。
昨日一緒に食事をしていた人が突然居なくなるというのは当たり前の日常だった。数日、数ヶ月、半年、一年と時間が経っていくにつれて平常心を保てなくなる者も出てくる。
そんな中でも、ヴィクターは変わらずに手紙を読み続けていたのだ。
「だから、またあいつは部屋に引き篭もって女神様にお祈りをしているって、笑い合って、でもそれは馬鹿にしている訳でもなくて、皆、心のどこかでお前の揺るがない精神を凄いと、そんな風に思っていたんだ」
「……」
「だから、アルベルタ・ベイカーは俺達にとっても女神様だった、という話でした。そんな訳で俺は二人の結婚を全力で祝福をします」
顔を上げて晴れやかに笑うセドリックを、ヴィクターは眩しそうな顔をしながら見下ろす。
友人の話を聞いて、自分の通って来た道は間違ったものではなかったのだと、再確認をする事が出来たのだ。
夕刻になりパーティの準備を始める為にアルベルタは席を外す。
二人だけになった部屋では、静かな中で祝杯が交わされていた。
◇◇◇
それから夜になって楽しいクリスマスの仮装パーティは始まっていた。
企画の主催者のセドリックは緑色のファザー・クリスマスの姿で居た。他にも黒猫の扮装をしたイザドラにお姫様の格好のアビゲイル。王子様の格好はアルベルタだ。ヴィクターは魔法使いの扮装に、チョコレートのコインが詰まった袋を手渡される。金の力で魔法を使う設定だとセドリックは説明していた。
アンは新しく買ったまま披露が出来なかった狩猟服(ピンク)で現れ、ラザレスは法律で今季から狩り禁じられている事となった狐の扮装をしていた。ピンと立ったふさふさの耳を付け、首には襟巻きを巻き、尻尾も付けるという本格な装いであった。国内では希少とされる黒狐を、アンは人目も憚らずに可愛がっていた。勿論撫でられている狐は不服そうな表情を浮かべている。
今宵はコーデリアも仮装服で現れた。
なんと、とある童話の残虐な女王の姿だったのだ。あまりにも似合い過ぎる扮装に、その場に居た者たちは思わずひれ伏してしまう。そんな状況にコーデリアは「あら、いい眺めね」と言って笑っていた。
遅れて来たランベールはセドリックに「やっと来たか、相方」とぽんっと肩を叩かれながら、間に合わせで作ったとは思えない二本の立派な角を頭に生えさせられていた。
プレゼントを交換して、クリスマスプティングや料理長自慢のご馳走を食べ、楽器を演奏しながら歌い明かす。
今までの中で一番楽しくも愉快であったと、誰もが思ったクリスマスであった。
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