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慈しみの、プティフール
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雪溶けと共に、アルベルタとヴィクターは隣国に渡った。
母、オーベールに結婚報告をするためである。
のどかな景色が広がる街道を、馬車で走る。
言葉は随分と上達したヴィクターだったが、酷く緊張しているようだった。
「大丈夫ですよ、ヴィクターさん。母は伯父より怖くないです」
「比較対象が強すぎる」
「まあ、それは否定しませんが」
アルベルタの母親は、田園風景が広がる豊かな場所に住んでいた。
ヴィクターより、どんな母親だったかと聞かれ、記憶を蘇らせる。
とても、気が強い人だった。
父親との喧嘩をする際は物が飛んでいた。頬を打っている場面も見たことがある。
思い出しては、遠い目で窓の外を眺めてしまった。
「こんな穏やかで、静かな場所に住んでいるんです。きっと、性格も丸くなっていますよ」
「もしや、私の母より気が強いのではないか?」
「そんなことは――あるかも?」
殺伐とした雰囲気を誤魔化そうとぺろりと舌を出せば、ヴィクターは両手で頭を抱える。
「大丈夫ですよ。ヴィクターさんに全力で噛みつくことなんて、しないと思います」
「私はおまえが責められているところも見たくないのだ」
「ヴィクターさん」
アルベルタは瞼を熱くする。
優しい人と結婚のできることを、幸せに思った。
アルベルタはヴィクターににっこりと微笑みかけ、手を握っていった。
「でしたら、一緒に怒られましょう」
「……」
話し合いをしたが、対策など何一つ浮かばなかった。
◇◇◇
街の郊外にある大邸宅にアルベルタの母は住んでいた。
回廊に囲まれた広大な庭に、美しく咲き誇る花々。
床は全面大理石。各部屋に水晶のシャンデリアが下げられ、寝室が十五、浴室が二十、地下のワインセラーには、世界各国のお酒が三千本以上もあると、執事は自慢げに話す。
「お酒が、三千も……」
「そこに食いつくな」
ヴィクターはぼそりと、アルベルタにのみ聞こえる声で指摘する。
執事の導きで、客間に案内された。部屋は無人で、まだ母オーベールは来ていないようだった。
ドキドキしながら数分と待てば、扉が開く。
中へと入って来たのは、細身で背の高い五十代くらいの女性。その後ろに、大柄の六十代くらいの男性が続いて来る。
アルベルタはぱっと立ち上がり、淑女の礼を取る。
「母う――」
「アルベルタ。あなたはなんてことをしてくれたのですか!」
前に会ったのは十数年前。久々の再会だった。
なのに、開口一番に怒られてしまう。
「兄上から話を聞いて、顔から火が噴き出ると思いました」
「も、申し訳ありません」
「まあまあ」
間に割って入ってきたのは、初めて会う義理の父親アレクセイ。キャスティーヌ家に婿入りし、当主フローリアンより任されたこの地を領する男である。
「はじめまして、アルベルタさん。アレクセイです」
「はじめまして……」
所在ない様子でいたヴィクターもアルベルタの隣にやって来て、挨拶をした。
「ゆっくり座って話をしましょう」
ピリピリとした雰囲気を、アレクセイが和ます。
向かい合って座り、お茶を楽しむことにした。
お茶請けに用意されたのは、『カリソン』というお菓子。
アーモンドを細かくすり潰し、オレンジの砂糖漬けを混ぜ、菱形の型で抜いて焼いた物。
周囲に合わせて口にしたものの、今のアルベルタにはじっくりと味わう余裕などない。
ずっと、ヴィクターが話をしていた。内容は、これまでの経緯である。
こんなにたくさん喋っている彼を初めて見たと、心の中で感嘆していた。
慣れない異国語で、一生懸命説明していたのだ。
「――すべて、悪いのは私です。どうか、彼女を怒らないでください」
「そんなことは、わたくしが決めますわ」
ヴィクター渾身の懇願も、あっさりと切って捨てられた。
オーベールは頑固で、溝は簡単に埋まるものではない。アルベルタは諦めている。
「私は、母上にお礼を言いに来たんです。厳しく育ててくれたおかげで、私はこうして幸せな結婚ができる。だから、ありがとうございます、と」
「……」
オーベールは無言で立ち上がり、部屋からでて行く。
激しく開かれた扉はゆっくりと、侍女が閉めた。
シンと静まり返る。
ぶっと、噴き出したのは、オーベールの夫アレクセイ。
「あの……?」
「すみません。素直じゃなくって」
アレクセイは机の上にあるお菓子を指差す。これは、オーベールが手ずから作ったお菓子であった。
「カリソンの意味は知っていますか?」
「いえ……」
その昔、さまざなま異国のお菓子を使用人に作らせていたオーベールであったが、『カリソン』は一度も見たことはない。
「どうだったかな?」
「すみません、よく、味わっていなくて」
「食べてごらんなさい」
アルベルタはオレンジ色のお菓子を摘まみ、口にする。
カリソンはしっとり柔らかで、上品な味わい。何よりも、優しい甘酸っぱさがある。
「その、美味しいです」
「よかった。実は、このお菓子、意味があってね」
その昔、笑わないお姫様がいた。
国王との結婚が決まり、宮廷の菓子職人が、お姫様を笑わせようと作ったお菓子がカリソンだった。
「王妃となったお姫様が、お菓子を食べて、微笑みながらこう言ったんだ。『まあ、なんて美味しく、繊細で、温かなお菓子でしょう。このお菓子を抱擁(カリソン)と名付けます』、とね」
カリソンはアルベルタに微笑んで欲しい母親からの、温かな抱擁であったのだ。
その話を聞いたアルベルタは、静かに涙を流す。
「少しだけ、時間をくれないかい? あの人は、素直じゃなくて」
「はい――ありがとうございます」
呆れられているのではなかった。嫌われているのではなかった。
それがわかれば、涙が堰を切ったように溢れてくる。
そんなアルベルタの肩を、ヴィクターは優しく抱き寄せた。
◇◇◇
あっという間に滞在期間は過ぎて行った。
最後まで、オーベールが祝福の言葉を口にすることはなかった。
「母上、今度はヴィクターさんの家族と遊びに来ます」
「好きにすればいいです」
その態度に、アルベルタは笑ってしまった。
「あなた達は、兄妹そろってへらへらして。まったく、誰に似たのかしら?」
「さあ?」
この場にいない兄、ギルバートまでもとばっちりで非難される。
すっかり忘れていたけれど、ついでに兄にも会って帰ろうと思う。
このようにして、二人の旅は続く。
今度遊びに来た時は、アルベルタがカリソンを母親へ贈ろうと思った。
母、オーベールに結婚報告をするためである。
のどかな景色が広がる街道を、馬車で走る。
言葉は随分と上達したヴィクターだったが、酷く緊張しているようだった。
「大丈夫ですよ、ヴィクターさん。母は伯父より怖くないです」
「比較対象が強すぎる」
「まあ、それは否定しませんが」
アルベルタの母親は、田園風景が広がる豊かな場所に住んでいた。
ヴィクターより、どんな母親だったかと聞かれ、記憶を蘇らせる。
とても、気が強い人だった。
父親との喧嘩をする際は物が飛んでいた。頬を打っている場面も見たことがある。
思い出しては、遠い目で窓の外を眺めてしまった。
「こんな穏やかで、静かな場所に住んでいるんです。きっと、性格も丸くなっていますよ」
「もしや、私の母より気が強いのではないか?」
「そんなことは――あるかも?」
殺伐とした雰囲気を誤魔化そうとぺろりと舌を出せば、ヴィクターは両手で頭を抱える。
「大丈夫ですよ。ヴィクターさんに全力で噛みつくことなんて、しないと思います」
「私はおまえが責められているところも見たくないのだ」
「ヴィクターさん」
アルベルタは瞼を熱くする。
優しい人と結婚のできることを、幸せに思った。
アルベルタはヴィクターににっこりと微笑みかけ、手を握っていった。
「でしたら、一緒に怒られましょう」
「……」
話し合いをしたが、対策など何一つ浮かばなかった。
◇◇◇
街の郊外にある大邸宅にアルベルタの母は住んでいた。
回廊に囲まれた広大な庭に、美しく咲き誇る花々。
床は全面大理石。各部屋に水晶のシャンデリアが下げられ、寝室が十五、浴室が二十、地下のワインセラーには、世界各国のお酒が三千本以上もあると、執事は自慢げに話す。
「お酒が、三千も……」
「そこに食いつくな」
ヴィクターはぼそりと、アルベルタにのみ聞こえる声で指摘する。
執事の導きで、客間に案内された。部屋は無人で、まだ母オーベールは来ていないようだった。
ドキドキしながら数分と待てば、扉が開く。
中へと入って来たのは、細身で背の高い五十代くらいの女性。その後ろに、大柄の六十代くらいの男性が続いて来る。
アルベルタはぱっと立ち上がり、淑女の礼を取る。
「母う――」
「アルベルタ。あなたはなんてことをしてくれたのですか!」
前に会ったのは十数年前。久々の再会だった。
なのに、開口一番に怒られてしまう。
「兄上から話を聞いて、顔から火が噴き出ると思いました」
「も、申し訳ありません」
「まあまあ」
間に割って入ってきたのは、初めて会う義理の父親アレクセイ。キャスティーヌ家に婿入りし、当主フローリアンより任されたこの地を領する男である。
「はじめまして、アルベルタさん。アレクセイです」
「はじめまして……」
所在ない様子でいたヴィクターもアルベルタの隣にやって来て、挨拶をした。
「ゆっくり座って話をしましょう」
ピリピリとした雰囲気を、アレクセイが和ます。
向かい合って座り、お茶を楽しむことにした。
お茶請けに用意されたのは、『カリソン』というお菓子。
アーモンドを細かくすり潰し、オレンジの砂糖漬けを混ぜ、菱形の型で抜いて焼いた物。
周囲に合わせて口にしたものの、今のアルベルタにはじっくりと味わう余裕などない。
ずっと、ヴィクターが話をしていた。内容は、これまでの経緯である。
こんなにたくさん喋っている彼を初めて見たと、心の中で感嘆していた。
慣れない異国語で、一生懸命説明していたのだ。
「――すべて、悪いのは私です。どうか、彼女を怒らないでください」
「そんなことは、わたくしが決めますわ」
ヴィクター渾身の懇願も、あっさりと切って捨てられた。
オーベールは頑固で、溝は簡単に埋まるものではない。アルベルタは諦めている。
「私は、母上にお礼を言いに来たんです。厳しく育ててくれたおかげで、私はこうして幸せな結婚ができる。だから、ありがとうございます、と」
「……」
オーベールは無言で立ち上がり、部屋からでて行く。
激しく開かれた扉はゆっくりと、侍女が閉めた。
シンと静まり返る。
ぶっと、噴き出したのは、オーベールの夫アレクセイ。
「あの……?」
「すみません。素直じゃなくって」
アレクセイは机の上にあるお菓子を指差す。これは、オーベールが手ずから作ったお菓子であった。
「カリソンの意味は知っていますか?」
「いえ……」
その昔、さまざなま異国のお菓子を使用人に作らせていたオーベールであったが、『カリソン』は一度も見たことはない。
「どうだったかな?」
「すみません、よく、味わっていなくて」
「食べてごらんなさい」
アルベルタはオレンジ色のお菓子を摘まみ、口にする。
カリソンはしっとり柔らかで、上品な味わい。何よりも、優しい甘酸っぱさがある。
「その、美味しいです」
「よかった。実は、このお菓子、意味があってね」
その昔、笑わないお姫様がいた。
国王との結婚が決まり、宮廷の菓子職人が、お姫様を笑わせようと作ったお菓子がカリソンだった。
「王妃となったお姫様が、お菓子を食べて、微笑みながらこう言ったんだ。『まあ、なんて美味しく、繊細で、温かなお菓子でしょう。このお菓子を抱擁(カリソン)と名付けます』、とね」
カリソンはアルベルタに微笑んで欲しい母親からの、温かな抱擁であったのだ。
その話を聞いたアルベルタは、静かに涙を流す。
「少しだけ、時間をくれないかい? あの人は、素直じゃなくて」
「はい――ありがとうございます」
呆れられているのではなかった。嫌われているのではなかった。
それがわかれば、涙が堰を切ったように溢れてくる。
そんなアルベルタの肩を、ヴィクターは優しく抱き寄せた。
◇◇◇
あっという間に滞在期間は過ぎて行った。
最後まで、オーベールが祝福の言葉を口にすることはなかった。
「母上、今度はヴィクターさんの家族と遊びに来ます」
「好きにすればいいです」
その態度に、アルベルタは笑ってしまった。
「あなた達は、兄妹そろってへらへらして。まったく、誰に似たのかしら?」
「さあ?」
この場にいない兄、ギルバートまでもとばっちりで非難される。
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