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69話

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「ふむふむ。それでそれで?」

左近や喜内が先の大戦の和議や、黒田官兵衛の説得などの話を牛一にする。

牛一はまばたきせず、いや数回はしたかもしれないが、話す相手の目をじっと見つめて聞いている。

相槌は打つが質問はしない。

これが牛一の聞き方であった。

「で、本日牛一様の所へ治部様をお連れしたんです。」

まだ竹刀で叩かれた頭が痛いのか、秀信は頭を濡れた布で抑えながら言った。

「ふむふむ。なるほど。」

牛一は聴き終えると、目を閉じたそして堰を切った様に質問して来た。

「島津はその時どんな表情だった?」
「金吾は松尾山でどんな仕草を?」
「内府の癖は何かあったか?」
「村上の船の感想は?」
「官兵衛の顔は?」
「恵瓊の笑い声はどんな?」

怒涛の質問攻めに、その場にいた全員は困惑するが、一つ一つ丁寧に答えて行った。

「なるほどな。…。」

牛一はまた目を瞑り何か考えている。

すると急に居間に向かって叫んだ。

!!紙と硯を!!」

「ん?」

一同何が始まるのかと、不思議な顔だった。

すると奥の間から、妖艶な女性が

「はいはい。」

と、言いながら大量の和紙と硯を持って入って来た。

「うむ。」

牛一はそれを受け取ると、一同の視線がその女に行っている事に気付き言った。

「あぁ、これはわしの妻じゃ。ほれ。」

と、牛一は女に言う。

言われた女は無愛想に頭を下げ、紙と硯を置くとまた奥に戻って行ってしまった。

歳は30歳半ばか?

(それにしても綺麗な人だ)

皆そう思った。

「あれは元は甲賀の出の女。忍びで色んな所を転々としておったが、最後は小田原北条の忍の一員じゃったが太閤の小田原征伐以来、忍びを辞めて京で遊女をやっておってな。それで、いつしかわしと夫婦になったわけじゃ。」

すると左近が鋭い眼光で言った。

「それでは牛一様にはお子が?」

「おる。何故分かる?」

「いや、お子様は、先程から私達の会話をずっと聴いておりまするな?」

左近が目を細くし言う。

「!!!???」

津久見は何を言っているのか分からない。

「さすが、島左近殿…。お気付きであったか…。」

「はぁ。」

「これ、よ」

と、牛一は天井に向かって言った。

その瞬間、牛一の横に1人の人間が現れた。

「え!!???」

津久見は驚きを隠せない。

「娘のせんじゃ。」

「娘?????」

と、津久見はせんと呼ばれた女を見た。

華奢な体ながらも強靭な筋肉は牛一譲りのものか、袖の内からそれが見えた。

切長な目、唇は厚く、目の下の涙黒子《なみだほくろ》が印象的なまだあどけない女であった。

「わしとキヨとの間の子でな、今年15になる。キヨの血か、わしの血か、忍びに憧れ自身で忍びの真似事をしておってな」

と、牛一は笑いながら言う。

「に、してはなかなかの腕でございますな。」

左近が驚きながら言うとは少し照れる様な仕草をした。

忍びの真似事をしてはいるが、牛一が世の中の事は知りたくないと言い続けていたので、はここ嵯峨野の地だけで忍びの真似事をして遊んでいた様である。

街の者からは変わり者の子は変わり者、と揶揄されていた。

だから、初めて褒められたせんは嬉しさを隠せなかった。

よ、父はちょっとやる気が今あるでな、ちょっと遊んでまいれ…。そうじゃ今日の夕飯の買い出しにでも母と行って参るがよい」

せんは不服そうな顔で奥の間に入って行った。

「さて…では…。」

牛一はそう言うと袖をめくり、筆に墨を垂らすと

「ぬん!!!」

と、和紙に文を書き始めた。

皆圧倒されて何も言えない。

「ぬん!ぬんん!ぬぬぬーん!!」

「ぬぬぬぬぬぬー----ん!!!」

一心不乱に牛一は筆を進める。

早すぎて何を書いているのか追いつかない。

________________________________________________

30分程経っただろうか、

「こんなもんかの。」

と、牛一はやっと筆を置いた。

「牛、牛一様これは??」

秀信が聞く。

「うむ。書いてみたくなったから書きもうした。」

と言うと、牛一は書を津久見に渡す。

渡された書には

「関ヶ原ノ戦い見聞録」

と書かれていた。

「え?!」

津久見達はその書を読んだ。

津久見には昔の文法の為、理解に苦しんだが、左近が言った。

「見事でございまする。さすが牛一様…。」

感嘆の声を漏らす。

「ここまで正確に、しかもあの短時間で…。」

喜内が言う。

「あ!私の名前もあります!!!」

平岡は喜びながら言う。

「なるほど『ここに我が思う戦と相反する故、興味沸き候。治部の想いは届くのか。』って、今日に至るまでの物語ですね!!!」

秀信が言う。

「そうじゃ。ただ書きたくなっただけじゃよ。…。」

と、牛一は笑顔で言うが、段々と顔は悲しみの表情に変わって行く。

するとその書を取る。手は震えている。

牛一は一気にその紙を握りつぶそうとした。

が、寸での所で牛一の手は抑えられた。

津久見の手であった。

「牛一さん。もうクシャクシャにしなくていいですよ。」

と、にっこり笑う。

「しかし…。」

「あなたは聞いた事をそのまま書いた。真実を書いた。それはあなたがやりたかったことではないのですか?」

「…。」

「もし良かったら、たまに来るんで、書いてくれませんか?」

「ん?」

「『戦無き世を目指した男』なんてどうしょうか?」

「…。」

「真実を後世に残す。あなたの物書きとしての人生の締めくくりであり、再出発という意味も込めて。」

「…治部…。」

牛一は津久見の目を見つめる。

そこには満面の笑みの津久見がいる。

牛一も笑った。

「良かろう!!!この太田牛一!歳は取っても、筆は歳は取らんわ。書いてやろう!お主の生き様!」

「ははは。良かった。やっぱ人は笑顔が一番ですね。」

「わしの知ってる石田治部とは別人じゃな…。」

「え?まあ。あの、人は…変われる…とでも言いますか…。」

「まあ良い。飯を食べて酒でも飲んでゆっくり話を聞かせてくれ。」

その夜、牛一宅の灯が落ちたのは丑三つ時を超えたあたりであった。

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