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「瑞希」
責め立てられ、どうしようもなくなった熱を促されるまま吐き出すと、視界がチカチカと点滅した。海の中から空を見ているかのような感覚がして、一度目を閉じて呼吸を整える。
「佐藤君……?」
目を開き、確かめるように彼の名前を呼ぶと、どこか頼りない手つきで半乾きの髪を撫でられた。
「ごめんなさい」
「え?」
「やっぱ、嫌だった?」
「嫌……?」
「泣くくらい、嫌でしたか」
瞬きをした拍子に、涙の粒が頬を伝う。涙は、既に流れた涙の跡をたどり、耳の下へと消えていく。
どうやら自分は泣いていて、それを見て彼がうろたえているらしいということに、僕はようやく気がついた。
「あ……これはその」
説明は難しいが、嫌だったから泣いている、わけではないことは確かだ。
「何でもない。いろいろ、びっくりしただけ」
「何でもなくは、ないでしょ。本当に、ごめんなさい」
左手で自分の体重を支えて距離を取り、右手でそっと頭を撫で続けている。もうすっかり、気遣い屋の彼に戻っている。
「僕、ちょっとシャワー浴び直してきます」
一言断りを入れ、僕は彼の下から抜け出した。
全身をお湯で洗い流し、再び彼のいる部屋に入ると、佐藤君はベッドの中で本を読んでいた。僕もよく読む出版社の文庫本だが、彼が手にすると何だか一回り小さく見える。
「お帰りなさい」
身を起こして、彼が言う。ただいまはおかしい気がして、うん、と僕はそれに応えた。
「あ」
「何?」
「眼鏡」
少し長めの前髪の下に、銀縁の眼鏡。彼が眼鏡をかけているところは初めて見た。
「ああ。俺、近視なので。普段はコンタクトです」
「そうなんだ」
僕は彼のことをほとんど知らない。友人なら知っていて当然のことは知らないが、余程深い付き合いでなければ知り得ないことを知っている。家庭の事情に加え、肌に触れる手の熱さまで知ってしまった。思い出して、顔が熱くなる。
「こっち」
本を閉じて、彼が僕を見る。ブラウンの綺麗な瞳。外国人のようだとは言わないが、日本人にしては明るい色彩に、ライトのオレンジの光が映り込んでいた。
「来ませんか」
彼は左に少し詰めて、右側のスペースをぽんぽんと叩いた。
「……うん」
失礼しますと告げ、僕は彼が空けた場所に身を潜り込ませた。さっき口にするのもはばかられるような行為をしたのと同じベッドで、今はただ並んで横になっている。まるで、修学旅行の夜みたいに。
「……怖かったですか」
落ち着いた口調で問われ、これではどちらが年上か分からないなと思いつつ頷いた。
「少し」
彼の眉が、ハの字を描く。
「本当にすみませんでした」
「謝らないで。僕ができるって言ったんだから」
「俺が自暴自棄みたいなこと言ったから。だから、付き合ってくれたんでしょう?」
僕はそれには答えない。どうせ答えなくても、彼は解っている。
「本当は、すぐにやめようと思ってたんです」
「え?」
ついているのは、小さなスタンドライトの明かりだけ。琥珀色の光を共有しながら、内緒話でもするみたいに言葉を交わし合う。
「きっと怖がったり、気持ち悪がったりするに決まってるから。そうしたら、ほら無理でしょうって、笑って手を離そうって」
「そ、う」
「でも、何でかやめられなくなって……ごめんなさい」
ううん、と僕は首を横に振った。
「ああいうの、したことないから。怖いことは怖かったけど。でも、佐藤君のことを気持ち悪いだなんて思わないよ」
にこっと笑いかけると、なぜか彼は目を逸らした。
「恋人がいるのに浮気するようなひとは、男女問わず最低だよ」
枕に頭を乗せて、彼の方を向く。キャパオーバーなことがあったせいか、ほんのり眠たい。
「恋愛経験のない自分が言うべきことじゃないのは、分かってるけど……」
「いいえ」
佐藤君は、自嘲するように苦く笑った。
「俺、結構前から気づいてたんです。相手が、俺のことそんなに好きじゃないかもしれないって。隠れて合コン行ったりもしてたし、会ってもやるだけだったりとか。でも、そういうの認めたくなくて、逃げてた」
本当は、自分が想うように、相手にも想ってほしかった。他の誰でもなく、自分だけを見ていてほしかった。ずっと、一緒にいたかった。今だけじゃなくて、これから先もずっと。先を見据えた関係を築いていきたいと、そう思っていた。
「上手く行かないのは男どうしだから、だからどうしようもないって、思いたかったのかもしれません」
「……うん」
「変なこと言って、変なことして、ごめんなさい。もう、しないから」
安心させるように、冗談っぽく告げられた言葉に。僕はひとり、取り残されたみたいな気分になる。肺のあたりが妙に苦しい。
「男だからとか、抜きにしても。好きでもない相手にされるのは嫌に決まってるのに」
乙女か、と四谷さんに揶揄されるくらい、自分の貞操観念は古い。大して好きでもないひととするくらいならしない方がいい、などと考えていたら未経験のまま現在に至ってしまった。
好きでもないひとに触れられるのは気持ち悪い、はずだった。だったらどうして僕は、彼の手を、受け入れることができたのだろう。
責め立てられ、どうしようもなくなった熱を促されるまま吐き出すと、視界がチカチカと点滅した。海の中から空を見ているかのような感覚がして、一度目を閉じて呼吸を整える。
「佐藤君……?」
目を開き、確かめるように彼の名前を呼ぶと、どこか頼りない手つきで半乾きの髪を撫でられた。
「ごめんなさい」
「え?」
「やっぱ、嫌だった?」
「嫌……?」
「泣くくらい、嫌でしたか」
瞬きをした拍子に、涙の粒が頬を伝う。涙は、既に流れた涙の跡をたどり、耳の下へと消えていく。
どうやら自分は泣いていて、それを見て彼がうろたえているらしいということに、僕はようやく気がついた。
「あ……これはその」
説明は難しいが、嫌だったから泣いている、わけではないことは確かだ。
「何でもない。いろいろ、びっくりしただけ」
「何でもなくは、ないでしょ。本当に、ごめんなさい」
左手で自分の体重を支えて距離を取り、右手でそっと頭を撫で続けている。もうすっかり、気遣い屋の彼に戻っている。
「僕、ちょっとシャワー浴び直してきます」
一言断りを入れ、僕は彼の下から抜け出した。
全身をお湯で洗い流し、再び彼のいる部屋に入ると、佐藤君はベッドの中で本を読んでいた。僕もよく読む出版社の文庫本だが、彼が手にすると何だか一回り小さく見える。
「お帰りなさい」
身を起こして、彼が言う。ただいまはおかしい気がして、うん、と僕はそれに応えた。
「あ」
「何?」
「眼鏡」
少し長めの前髪の下に、銀縁の眼鏡。彼が眼鏡をかけているところは初めて見た。
「ああ。俺、近視なので。普段はコンタクトです」
「そうなんだ」
僕は彼のことをほとんど知らない。友人なら知っていて当然のことは知らないが、余程深い付き合いでなければ知り得ないことを知っている。家庭の事情に加え、肌に触れる手の熱さまで知ってしまった。思い出して、顔が熱くなる。
「こっち」
本を閉じて、彼が僕を見る。ブラウンの綺麗な瞳。外国人のようだとは言わないが、日本人にしては明るい色彩に、ライトのオレンジの光が映り込んでいた。
「来ませんか」
彼は左に少し詰めて、右側のスペースをぽんぽんと叩いた。
「……うん」
失礼しますと告げ、僕は彼が空けた場所に身を潜り込ませた。さっき口にするのもはばかられるような行為をしたのと同じベッドで、今はただ並んで横になっている。まるで、修学旅行の夜みたいに。
「……怖かったですか」
落ち着いた口調で問われ、これではどちらが年上か分からないなと思いつつ頷いた。
「少し」
彼の眉が、ハの字を描く。
「本当にすみませんでした」
「謝らないで。僕ができるって言ったんだから」
「俺が自暴自棄みたいなこと言ったから。だから、付き合ってくれたんでしょう?」
僕はそれには答えない。どうせ答えなくても、彼は解っている。
「本当は、すぐにやめようと思ってたんです」
「え?」
ついているのは、小さなスタンドライトの明かりだけ。琥珀色の光を共有しながら、内緒話でもするみたいに言葉を交わし合う。
「きっと怖がったり、気持ち悪がったりするに決まってるから。そうしたら、ほら無理でしょうって、笑って手を離そうって」
「そ、う」
「でも、何でかやめられなくなって……ごめんなさい」
ううん、と僕は首を横に振った。
「ああいうの、したことないから。怖いことは怖かったけど。でも、佐藤君のことを気持ち悪いだなんて思わないよ」
にこっと笑いかけると、なぜか彼は目を逸らした。
「恋人がいるのに浮気するようなひとは、男女問わず最低だよ」
枕に頭を乗せて、彼の方を向く。キャパオーバーなことがあったせいか、ほんのり眠たい。
「恋愛経験のない自分が言うべきことじゃないのは、分かってるけど……」
「いいえ」
佐藤君は、自嘲するように苦く笑った。
「俺、結構前から気づいてたんです。相手が、俺のことそんなに好きじゃないかもしれないって。隠れて合コン行ったりもしてたし、会ってもやるだけだったりとか。でも、そういうの認めたくなくて、逃げてた」
本当は、自分が想うように、相手にも想ってほしかった。他の誰でもなく、自分だけを見ていてほしかった。ずっと、一緒にいたかった。今だけじゃなくて、これから先もずっと。先を見据えた関係を築いていきたいと、そう思っていた。
「上手く行かないのは男どうしだから、だからどうしようもないって、思いたかったのかもしれません」
「……うん」
「変なこと言って、変なことして、ごめんなさい。もう、しないから」
安心させるように、冗談っぽく告げられた言葉に。僕はひとり、取り残されたみたいな気分になる。肺のあたりが妙に苦しい。
「男だからとか、抜きにしても。好きでもない相手にされるのは嫌に決まってるのに」
乙女か、と四谷さんに揶揄されるくらい、自分の貞操観念は古い。大して好きでもないひととするくらいならしない方がいい、などと考えていたら未経験のまま現在に至ってしまった。
好きでもないひとに触れられるのは気持ち悪い、はずだった。だったらどうして僕は、彼の手を、受け入れることができたのだろう。
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