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広瀬 晶

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過去

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    四谷琉聖は、六限はサボったらしい。六限目は選択授業で、彼とは教室が違っていた。宇津見先生の政経の授業を受けて教室に戻ると、隣の席に四谷の姿はなかった。四谷琉聖という生き物を飼い慣らすことはできない。やれやれ、と思いながら帰路に着いた。
    バス通学を始めて、二年と少し。後方へと流れていく窓の外の景色にも大分慣れた。何となく、普段のように文庫本を開く気にはなれず、やわらかな色に染まった街並みをぼうっと眺めていた。四谷琉聖に抱き上げられ、ゴールにボールを放った後から、僕は少しおかしくなってしまったらしい。あのときの自分の心臓の音と四谷の手の熱さが、今も耳に、肌に、残っている。
    四谷琉聖は、どうしてあんなことをしたんだろう。わざわざ、僕にシュートさせて。一体何がしたかったんだろう……。答えは出ないまま、バスを降りた。
    バス停から自宅に向かって歩いている途中、僕は公園の前でふと足を止めた。別に変わったところはない、近所の公園。普段ならただ通り過ぎるだけの場所だったが、今日は、その一角にあるバスケのゴールに目が行った。
──入れてみ。
    四谷の声を、思い出した。
    公園の敷地内に足を踏み入れると、ゴール下にオレンジ色のボールが転がっているのが見えた。周囲に人の姿はない。僕は持ち主不明のそれを手に取り、ゴールを見上げた。
    入れ。
    念じながら、ボールをゴールめがけて投げた。
    ボールは放物線を描いてゴール方向へと飛んでいったものの、リングに当たって跳ね返り、ネットに全く触れることなく落下していった。
    もし、ボールを放ったのが四谷琉聖だったなら。ボールは綺麗な弧を描いて、ゴールを通過していっただろうに。そう思うと、一気に胸の動悸が収まった気がした。
「……あれ、若葉ちゃん?」
    ゴールを見上げ立ち尽くしていると、金色の髪のひとに声をかけられた。
    新田君だった。
「何してんの? こんなとこで」
「新田君こそ……」
「俺は友達んちに行くとこだけど」
    聞けば、新田君の家は割とうちの近所だった。距離としてはそこそこ近いが、学区が違うため、小学校も中学校も僕が通っていたのとは別のところだったようだ。
「そうなんだ」
「で? 若葉ちゃんは何してんの」
「……」
    ボールがあったから、投げてみた。その衝動的な行動が、今さらながらとても恥ずかしく思えた。
 何も言わずに先程投げたボールを拾いに行くと、後ろから声がついてきた。
「練習?」
「そんなんじゃないけど……」
    新田君も、体育祭ではバスケのメンバーに入っている。経験者らしく、練習でもシュートを決めていた。そういう上手いひとの前で、何となくシュートしてみたくて、だなんて、口にするのはためらわれ。僕は口をつぐんだ。
「……力が、入り過ぎてんのかも」
    新田君は、僕を見て言った。
「腕全体に、力が入っちゃってる感じ。もっと力抜いても平気だから。足、こんくらいに開いて立ってみて」
「う、うん」
    勢いに流され、僕は彼の言うとおり肩幅程度に足を開いた。
「ボールは、この辺で持って。手首直角で。あ、爪先も少し内側に向けてみて」
    指示に従って姿勢を整え、力の抜き方から投げるときに狙うポイントまで教わる。
「じゃあ、投げてみて」
    彼の声を受けて、ボールを投げる。ボールは安定した軌道を描いてゴールへと向かい、リングの上をくるくるっと二周した後、外側へと転がり落ちた。
「あー、おしいな」
「おしい?」
「ああ。かなりいい感じだったじゃん。フォームも綺麗だったし」
    経験者に誉められると、素直に嬉しい。僕は自分でボールを拾いに行き、繰り返し投げてみた。三回目で、ようやくボールはゴールへと収まった。
「あ……」
「おー、入ったね。ナイッシュー」
    照れながら、僕は彼に微笑みかけた。新田君が、軽く目を瞠る。
「笑ったとこ、初めて見たかも」
「それは君のせいでは……」
「あ、元に戻った」
    仏頂面を指して、彼は笑った。新田君や四谷琉聖のようなイケメンならともかく、一般人の自分では、笑顔も仏頂面も大差はないのだろうなと思う。
「琉聖の前では、そうやって笑ってんの?」
「四谷? 何で?」
    四谷とは、そういう朗らかな間柄ではない。眉根を寄せていることの方が多いんじゃないだろうか。
    僕の答えに、へえ、と新田君は目を細めた。
「若葉ちゃん」
    時間を気にしたのか、時計を一瞥してから彼は言った。
「明日とか、放課後暇?」
「明日」
「俺もちょっと練習しときたいし。暇だったら、付き合って?」
    新田君とバスケ。本音を言えば、どちらも苦手だ。しかし、今こうして彼に付き合ってもらっておいて、断るのもどうかと思う。
「僕はいいけど、相手、違うひとの方がいいんじゃないかな」
    下手な僕と練習するよりは、上手いひととやった方が効果は高いだろう。
「そんなことないよ。当日一緒にやるやつと練習した方がいいし。あと、家近いし」
    案外、最後の理由がいちばん大きいのかもしれない。わざわざ学校外で集まるとなると、少々手間がかかる。
「若葉ちゃん、携帯持ってる?」
    頷き、鞄から取り出す。家族や一部友人との連絡用にしか使っていないそれは、高校入学時に買ってもらったものだった。受け取り、素早く操作を済ませると、また僕の手元に返す。
「番号とか、入れといた」
    新田君の番号。明日が終わったらもう使う機会はないんじゃないのかなと思いつつ、僕は数字の羅列を眺めた。
「時間とかは、明日決めるってことで」
「うん」
「またね。若葉ちゃん」
    手を振る彼に、僕も手を振り返す。
「また明日」
    そうして新田君は去っていき、僕はボールを元の場所に戻して、また帰路に着いた。


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