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過去
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サボるかと思われた四谷琉聖は、普通に体育館に姿を見せた。いない方が気楽でいいのに、と思ったことは秘密だ。
「若葉」
「……っ」
耳元、至近距離での呼び捨て。この声に名前を呼ばれたい女子は、掃いて捨てるほどいるのだろうに。僕相手に、無駄遣いしている。
「若葉?」
「雪下」
名字で呼ばせようとするが、彼が聞き入れないことは分かっていた。全く気にしていない様子で、彼はステージ側のコートを指差した。
「バスケ、あっちのコートでやるって」
ここしばらく、体育の授業では体育祭の種目別に練習することになっていた。バスケというか、球技自体あまり得意ではない。走るのは平均以上なのでリレーに出ようかと思っていたら、四谷琉聖が。
──若葉も、バスケな。
首を激しく横に振ると。
──普段俺に、苦手なことを強いてるくせに?
あげく、バスケに出ないならしばらく学校をサボるとまで言われ、渋々バスケへの参加を決めたのだった。
三対三での練習が終わり、僕は浅い呼吸を繰り返しながら視線を床に落とした。意味もなく木目を凝視していると、上から全身を覆いつくすような陰が落とされた。
「若葉」
顔を上げなくても、声で分かった。
「疲れたか」
俯いたまま首を横に振ると、四谷琉聖の笑う気配がした。
「笑うな」
「笑ってない」
嘘だ。声が笑っている。
「あんなに、パス、要らなかった」
四谷がたくさんパスをくれたが、得点に繋げることはできなかった。あれなら、彼が自分でシュートした方が早いし確実だ。
「打たないと、楽しくないからな」
打っても、入らなかったら楽しくない。そう思ったが言わなかった。四谷には、言っても伝わらない気がした。
「俺が教えようか」
彼が僕の目を覗き込む。距離が、近い。
いい、と僕は答えた。体育祭では、少しだけ出場して後は補欠になる。時間外に練習するほどのことだとは思えない。僕の返答を聞いて、四谷は言った。
「これ、持ってて」
「え?」
バスケットボールを手渡され、素直に両手で受け取ると。
「う、わっ……」
バスケットボールを抱えた僕を、四谷琉聖が抱き上げた。身体がふわりと浮いて、目の位置が慣れない高さに来る。腰のあたりに触れている彼の手が、じんじんと熱かった。
「四谷、下ろせ……っ」
「いいから、ボール落とすなよ」
四谷はそう言うと、数歩歩いてゴール下へと移動した。それによって、僕のすぐ目の前にゴールのリングが現れる。手を伸ばせば、触れられそうな距離。ゴールをこんなに間近で見たのは初めてだった。
「それ、入れてみ」
僕は首だけで振り返って、彼を見た。彼と、視線が交錯する。もう一度前を見て、ボールをリングの中央に投げ入れると、ボールは当然のようにゴールに収まり、コートへと落ちていった。
下ろすぞ、と四谷が言う。ゴールが視界から遠退いていき、靴底が床に着いた。いつもの目線が戻ってきたことに、ほっとすると同時に感じる寂しさ。
「若葉」
声のする方を見上げる。四谷琉聖が、笑っていた。
「……四谷」
「ん」
「こんなの、誰でも入るに決まってる」
今更ながらおかしくなってきて僕が笑うと、四谷は目を瞠り、 二回目、と呟いた。
「何が?」
「……ったの」
「え?」
「何でもねえ」
いつも通りの噛み合わない会話。でも何かが、確かにこのとき噛み合っていた。
「若葉」
「……っ」
耳元、至近距離での呼び捨て。この声に名前を呼ばれたい女子は、掃いて捨てるほどいるのだろうに。僕相手に、無駄遣いしている。
「若葉?」
「雪下」
名字で呼ばせようとするが、彼が聞き入れないことは分かっていた。全く気にしていない様子で、彼はステージ側のコートを指差した。
「バスケ、あっちのコートでやるって」
ここしばらく、体育の授業では体育祭の種目別に練習することになっていた。バスケというか、球技自体あまり得意ではない。走るのは平均以上なのでリレーに出ようかと思っていたら、四谷琉聖が。
──若葉も、バスケな。
首を激しく横に振ると。
──普段俺に、苦手なことを強いてるくせに?
あげく、バスケに出ないならしばらく学校をサボるとまで言われ、渋々バスケへの参加を決めたのだった。
三対三での練習が終わり、僕は浅い呼吸を繰り返しながら視線を床に落とした。意味もなく木目を凝視していると、上から全身を覆いつくすような陰が落とされた。
「若葉」
顔を上げなくても、声で分かった。
「疲れたか」
俯いたまま首を横に振ると、四谷琉聖の笑う気配がした。
「笑うな」
「笑ってない」
嘘だ。声が笑っている。
「あんなに、パス、要らなかった」
四谷がたくさんパスをくれたが、得点に繋げることはできなかった。あれなら、彼が自分でシュートした方が早いし確実だ。
「打たないと、楽しくないからな」
打っても、入らなかったら楽しくない。そう思ったが言わなかった。四谷には、言っても伝わらない気がした。
「俺が教えようか」
彼が僕の目を覗き込む。距離が、近い。
いい、と僕は答えた。体育祭では、少しだけ出場して後は補欠になる。時間外に練習するほどのことだとは思えない。僕の返答を聞いて、四谷は言った。
「これ、持ってて」
「え?」
バスケットボールを手渡され、素直に両手で受け取ると。
「う、わっ……」
バスケットボールを抱えた僕を、四谷琉聖が抱き上げた。身体がふわりと浮いて、目の位置が慣れない高さに来る。腰のあたりに触れている彼の手が、じんじんと熱かった。
「四谷、下ろせ……っ」
「いいから、ボール落とすなよ」
四谷はそう言うと、数歩歩いてゴール下へと移動した。それによって、僕のすぐ目の前にゴールのリングが現れる。手を伸ばせば、触れられそうな距離。ゴールをこんなに間近で見たのは初めてだった。
「それ、入れてみ」
僕は首だけで振り返って、彼を見た。彼と、視線が交錯する。もう一度前を見て、ボールをリングの中央に投げ入れると、ボールは当然のようにゴールに収まり、コートへと落ちていった。
下ろすぞ、と四谷が言う。ゴールが視界から遠退いていき、靴底が床に着いた。いつもの目線が戻ってきたことに、ほっとすると同時に感じる寂しさ。
「若葉」
声のする方を見上げる。四谷琉聖が、笑っていた。
「……四谷」
「ん」
「こんなの、誰でも入るに決まってる」
今更ながらおかしくなってきて僕が笑うと、四谷は目を瞠り、 二回目、と呟いた。
「何が?」
「……ったの」
「え?」
「何でもねえ」
いつも通りの噛み合わない会話。でも何かが、確かにこのとき噛み合っていた。
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