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過去
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しおりを挟む「もも、もっとりゅうせいくんと遊ぶー……」
「はいはい。また今度遊んでもらいなさい」
迎えに来た母親にたしなめられ、桃ちゃんは渋々四谷の手を離す。
「バイバイ、桃。緑も」
手を振る四谷の表情がやわらかくて、僕はなぜか目を逸らしてしまった。
桃ちゃんと緑君に引き止められた四谷は、夕食後もしばらくうちに留まっていた。二人の母親が彼らを迎えにやってきたのは九時を少し回った頃で、二人がいなくなると、一気に室温が下がったような気さえした。
「じゃあ、俺もそろそろ帰ります」
「あれ、帰っちゃうの?」
四谷の言葉に、母は小さく首を傾げた。
「もう遅いし、泊まっていったら?」
四谷が、うちに泊まる?
既に十分キャパオーバーなことが起きているというのに、これ以上?
「いえ、大丈夫です。電車、まだありますし」
「今から駅に行くのも面倒でしょう。明日も学校は休みだし、それに……」
「それに?」
「若葉がうちに友達を連れてくるのは、久し振りだから」
母はくすっと笑って僕を見た。
「千里君も、最近来てないよね」
「千里は部活で忙しいから……」
「前に来たのいつだったっけ」
「三月くらいかな……?」
ふと、四谷の視線がまっすぐ自分に向けられていることに気づく。目が合うと、四谷は小さな笑みを見せた。
「山崎は、もっと頻繁に来てるのかと思ってた」
「そう?」
千里がうちに来ていたら、何かあるのだろうか。もしかして千里に会いたかったとか……?
「違う」
口に出す前から、四谷がきっぱりと否定した。
「……僕、何も言ってないけど」
「顔に書いてあった」
「か、書いてない」
母がまた、小さく笑った。
白い布団の上に、淡いブルーのシーツを敷く。小さく波打つように寄った皺を直し、シーツの上に毛布を一枚被せて四谷を待つ。結局、今夜うちに泊まることになった四谷は先程から風呂に入っている。その間僕は簡単に部屋を片付け、四谷の分の布団を敷いたりしていた。
「ふう……」
体育祭が終わってからずっと、四谷のことばかり考えてきた気がする。いや、もしかしたら、四月からずっと。苦手で嫌いだと思っていた彼の、新しい側面に触れる度心がざわつく。嫌いだと思っている方が、安心する。
「若葉」
「ん……」
ベッドの上で僕は右手を枕に横になっていた。軽く瞬きをして身を起こす。
「四谷……? 僕、寝てた?」
「寝てた」
四谷が眉間に皺を寄せて言う。
「風邪引くぞ」
「引かないよ」
季節は初夏。少しうたた寝したくらいで風邪を引くほど寒い夜ではなかった。むしろ、生乾きの髪の四谷の方が風邪を引くのではないか。僕は濡れて光る四谷の髪へと手を伸ばした。
急に眼前に僕の手が来たからか、四谷がすっと身を引いた。宙に浮いた手を引っ込めて、僕は言う。
「もっとちゃんと乾かしてくればよかったのに、と思って」
「ああ……そのうち乾くだろ」
自分のこととなると、雑すぎる。何となくおかしくなって、僕は笑った。
入れ替わりにお風呂に行ってまた戻ると、四谷は勝手に本棚にあった本を読んでいた。意外と集中している様子の彼に、そうっと近づいてみる。
「四谷……?」
びくっと、肩が震えた。常日頃驚かされるのはこちらの方なので、少し愉快な気持ちになる。
「何読んでんの」
四谷は本を閉じて表紙を僕に見せた。先月買った、推理小説の文庫本だ。
「前に読んだ」
「文庫になる前?」
「そう」
「四谷、本とか読むんだ」
揶揄したら、乾かして整えたばかりの髪を大きな手で乱された。
自分とは対極にいる相手だと思っていたが、本当は、ただ僕が四谷のことを知らないだけだったのかもしれない。
「もう、寝る?」
僕の提案に、四谷は静かに頷いた。電気を消すと、藍色の闇が部屋を覆いつくしていく。二人分の息遣いに、小さな衣擦れの音。この夜の中には、まるで自分と彼しかいないかのようだった。
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