I don't like you.

広瀬 晶

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    歩道の隅で、誰かと親しげに話をしている様子の四谷琉聖。ゆっくりとそちらへと足を進めていくうちに、彼が大きめの袋を手にしていることに気がついた。買い物帰りのようだ。目の前にいるその男性と共に、店に入ったのだろうか? 僕とは、休日に一緒に買い物なんてしたことがないのに?
    昨夜確かに感じたはずの彼からの好意が、仄暗い感情によって塗り潰されていく。他のひととはしない、といったのはセックスだけのことだったのだろうか。休みの日にデートしたり、優しく笑いかけたりする相手は、僕ではなかったのだろうか。
 相手の言葉を受けて、四谷が笑う。橙色の灯し火みたいな、強引さの欠片もない微笑み。四谷のキスを知っているひとが自分の他に何人いたとしても、あの笑顔は自分だけのものだと思っていた。
──四谷は、僕のことなんて好きでも何でもないのかもしれない。
    そんな思いが、まるで決定事項のように胸の内を埋めつくして、ふいに目の前が真っ暗になったような気がした。

    気づくと僕は彼の前に立っていて、彼に向かって手を振り上げていた。乾いた音と、右手に感じる微かな痛み。
 人に手を上げたのは、それが生まれて初めてのことだった。
「……若葉」
    四谷の声。この声が、いつだって僕をおかしくするんだ。
「他のやつとは別れたって、言ったじゃないか」
    初めてついでに、剥き出しの感情を吐露すると、四谷が困ったように眉根を寄せた。
「若葉、彼は違う」
「もういい、聞きたくない」
    解っている。四谷には、僕に責められる謂われなどない。
    早く、本当のことを言えばよかった。最初は、どちらかというと嫌いだったこと。体育祭の日、急にキスされてひどく戸惑ったこと。噂に振り回されて、卒業まで避け続けてしまったこと。初めての相手が四谷で、嬉しかったこと。本当は、ずっと好きだったのだということ──。全部、全部、言えばよかった。
    次会うときには素直になろうと思っていたが、遅かったのかもしれない。どんどん気持ちが下降していくのを止められずにいると。

「──村上さん?」

 急に知らない声がして、そちらに目を向けると、大学生くらいの年頃の青年がきらきらとした笑顔を浮かべて立っていた。
「さとーくん……?」
    四谷の側にいた男性が、驚いたように呟く。ああ、「彼」の知り合いなのか、と。妙に冷めた頭で僕は考えた。
「こんなところで会うなんて、思いませんでした」
「う、うん……」
    二人が話をする傍らで僕は、あることに気が付いた。村上さん、って、確か……。
「ああ、すみません。お邪魔してしまって」
    ぺこりと、僕と四谷に頭を下げる青年。四谷がアイコンタクトを取るように視線を送ると、「村上さん」はそれに答えて言った。
「彼は僕の同居人です。佐藤君、こちらは僕の上司の四谷さん」
    上司。やはりそうだ。四谷の塾で事務をしている「村上さん」。直接お会いしたことはなかったが、四谷の口からその名前を聞いたことがある。
    青年はちらりと僕の方を見て、それから村上さんに問いかけた。
「同居人……ですか?」
    問いの後、青年が村上さんの耳元に何かをささやきかける。その親密な雰囲気は、四谷とのことは誤解だと裏づけているような気がした。
    村上さんが顔を赤くして二度頷く。青年はそれを受けて。
「恋人です、って紹介してくれないんですか?」
    甘い、声だった。全身から好意が滲み出ている。
「ああ……そう、だね」
    曖昧な返答は、恥ずかしさの表れだろうか。既に耳まで赤くしている村上さんと、彼を愛おしげに見つめる青年。こうして見ると、彼らはとてもお似合いの二人に見える。たった今四谷との関係を疑ってしまったことを、僕は心から申し訳なく思った。
    違ってたらすみません、と青年が四谷に告げる。何だろう、と小首を傾げると。
「お二人も……そうなんじゃないかなって思ったので」
 違う、と反射的に思ったが言葉にならなかった。僕や四谷が何か言う前に、村上さんが少し焦ったように口を開いた。
「あの、改めて紹介します。僕の、同居人兼恋人の、佐藤君です」
    青年が会釈したので、僕も同じ動作でそれに応える。村上さんが、さりげなく僕を示して四谷に尋ねた。
「四谷さん、そちらは……?」
「俺の恋人」
    恋人、と告げる彼の声は薫り立つような色気を放っていて、僕は思わず息を呑んだ。しかし今はそこに動揺している場合ではない。心の揺れは一旦しまい込んで、村上さん、と僕は言った。
「お見苦しいところをお見せしてしまって、すみませんでした。あなたに、失礼な発言も……」
    深く、頭を下げる。街中で醜態を晒し、それに巻き込んでしまった罪は重い。
「いいえ。気になさらないでください。こちらこそ、無断で恋人をお借りしてしまってすみませんでした」
    違うんです、と僕は言いたかった。僕が本当に四谷の恋人だったなら、四谷を疑ったりはしなかった。
「彼は、恋人では……」
「若葉」
 四谷が、間に割って入る。
「この後、時間あるか?」
「……うん」
「ちゃんと、話がしたい。うちに来て」
    分かった、と頷くと、四谷は村上さんと二、三言葉を交わし、僕の手を引いた。
「行くぞ」
「四谷……」
    手を離したら僕が逃げ出すとでも思っているかのように、駐車場に着くまで僕の左手は四谷に拘束されたままだった。

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