月読の塔の姫君

舘野寧依

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番外編

邂逅~カディス~

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「……塔の姫が目覚めただと? なにを馬鹿なことを言っている」

 にわかには信じがたい報告を従兄弟であるキースから受けて、カディスは瞠目した。

「信じられないのも無理はないけどね。事実だよ、カディス。彼女はもうこの王宮にいる」

 稀代の魔術師であるキースが言うからには、確かに事実なのであろう。

 ──しかしなぜ、よりによってこの時期に。
 つい先日、非公式とはいえ、エトール侯爵にアイリン姫の輿入れの打診をしたばかりだ。
 アイリン姫は愛らしい容貌の持ち主で、純粋な性格、なにより貴族の姫にありがちな人形めいたところがないところに、カディスは好感を持っていた。
 カディスは舌打ちしたい気分で、キースに言った。

「その女をここに連れてこい」
「……ここに? 仮にも古の王の妃だった姫だよ? 謁見の間の方がいいんじゃ?」
「俺は忙しい。一人の女のためにわざわざ時間をさいていられない。……分かったら、とっとと連れてこい」

 カディスがにべもなく言い切ると、キースは諦めたように肩を少しすくめた。
「分かったよ。彼女の支度ができたらすぐに連れてくる」

 キースが出ていった扉を見やり、カディスは呻いた。

「……なぜだ。なぜよりによって、俺の時に……」

 月読の塔の姫君、イルーシャ。
 既に伝説となって五百年の月日がたつ。
 正直に言うと、カディスはイルーシャという姫君に良い印象を持っていなかった。
 アークリッド王をその美貌でたぶらかし妃になった後、謎の魔術師によって眠りにつき、王のその後の人生を狂わせた毒婦。
 それが、カディスのイルーシャ像だった。



 現れたイルーシャ姫は、カディスの予想に反して、清楚だった。
 ──月光のような緩く波打つ髪と、淡い青の瞳。
 確かに絶世の美貌だが、まだ少女と女性の間の年齢に見えるためか随分と可憐に見える。そして不安そうに揺れる瞳もそれを助長していた。

「あの……」
「なぜ、よりによって俺の代になって目覚めるんだ、おまえは」

 なにかを言いかけるイルーシャの言葉を遮って、カディスは彼女に苛立ちをぶつける。
 周囲の意見におもねて、他人の女だった者を妃に据えるなど冗談ではなかった。
 そう思ってカディスが言葉を連ねていると、最初は戸惑っていた様子の女が突然怒りだした。

「とんでもない暴君ですね。こんな王様を上に戴いている国民が可哀想」

 王としての誇りがあるカディスには、この言葉は聞き捨てならなかった。

「なんだと、もう一度言ってみろ」
「何度だって言うわよ! 暴君! 暴君! 暴君! 暴君!」
「きさま……」

 目の前の女のあまりの暴言に、カディスの全身が怒りで震える。

「わたしだってね、好きでこんなとこにいるんじゃないのよ! 元の体に戻れるなら喜んで戻ってやるわ! 分かったか、この馬鹿王──っ!!」

 そう絶叫したイルーシャに、カディスは唖然とした。

 ──なんだ、この女は。
 まるで伝説の姫君らしくない。

 イルーシャが王である自分を睨みつけてくるのも、カディスは気に食わなかった。
 この騒ぎを聞きつけたのか、途中で宰相のアリストと宰相補佐のイザトがそれに加わった。

「伝説の姫君は随分と個性的な方のようじゃの」

 本来諫める立場のアリストが楽しそうに言う。

「……個性的にも程があると思うが。いくら古の王の妃でも現王を馬鹿呼ばわりとは」
「古の王妃ってなに?」

 カディスの言葉に反応したイルーシャが信じられないようなことを口にした。キースが説明すると、今度はアークリッド王って誰という発言をする。
 ──まさか、この女記憶がないのか。
 カディスは内心驚きながらも、辛辣な口調でイルーシャに言った。

「呆れた女だな、おまえは。アークリッド王の人生を狂わせておきながら、その王のことも忘れたのか」
「なに、ひょっとしてイルーシャ姫って物凄い悪女だったりするの?」
「おまえ、何を言ってるんだ。まるで他人事のように……」
「仕方ないと思うよ。実際、他人事だからね。信じられないかもしれないけど、この娘、姿はイルーシャ姫だけど中身はユーキって女の子なんだ」

 ──イルーシャ姫でなく、中身が別人だと?
 さらにキースは信じられないようなことを言った。

「……異世界人だと? なにを馬鹿なことを」

 そこまで行くとまさに夢物語だ。
 カディスは呆れ果ててキースを見るが、当人は真面目な顔をしている。
 そこでいったんその話は中断となり、場を移動してすることとなった。

 主立った者を場を陽の間に集め、しばらくイルーシャへの自己紹介が続いた。それが収まると、今度はイルーシャが自己紹介する。

「あ、わたしは由希、原田由希です。日本から来ました」

 聞き慣れない発音の単語。どうやらこれが名前らしい。

「……失礼ですが、あなたはイルーシャ様では?」
「ええと、体はイルーシャなんですけど、中身は原田由希なんです」
「は?」

 三人の騎士団長が訳が分からないという様子を見せたので、イルーシャはどう説明しようかと思案しているようだ。

「見ろ、キース。こんな荒唐無稽な話、誰も信じないぞ。おまけにこの女が異世界人だと? おまえ、この女におかしなことでも吹き込まれたんじゃないのか?」
「ちょっと、失礼なこと言わないでよね。それじゃ、まるでわたしがだましてるみたいじゃない」

 カディスの言葉にむっとしたようにイルーシャが反応する。だが、カディスはそれに冷たく返した。

「実際そうだろう」

 すると、有無を言わせない様子でキースが二人の間の険悪な雰囲気を断ち切った。

「カディス、ちょっと黙っててくれないかな」

 この従弟は温厚そうに見えるが、本気で怒らせると後が怖い。
 仕方なくカディスは口を噤んだ。

「ユーキのいたニッポンという国はどんな国なんだい?」
「ええと、日本は四方を海に囲まれた島国だよ。工業が盛んかな。一応経済大国って言われてる」
「……島国で経済大国。聞いたことないですね」
「あ、じゃあ、アメリカは? ロシア、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オーストラリア」

 イルーシャが国の名らしきものを列挙するが、どれにも聞き覚えはなかった。

「どれも知らん。キース知っているか」
「どの国もこの世界には存在しないよ。だから言っただろう、ユーキは異世界人だって」

 世界中を移動して見て回っているキースがそう言うのなら確かにそうなのかもしれない。……だが。

「しかし、それもその女の作り話だと言えなくもないぞ」
「彼女はイルーシャ姫やこの世界のことについて知らなさすぎる。実際に鏡で自分の姿を見て驚いてた彼女を目にしてれば、カディスも納得すると思うよ」

 キースがそう言った途端、イルーシャは赤面して頬を押さえた。キースがそう言うほど、イルーシャのその時の驚き様は凄まじかったのだろう。
 カディスはイルーシャの顔をまじまじと見つめると、しばらくしてから溜息をついて言った。

「……おまえがそこまで言うのなら仕方ない。一応信じてやる」

 正確には信じるしかないといったところか。
 イルーシャ姫の中身が異世界の娘だと、稀代の魔術師であるキースがこうもはっきり言っているのだ。
 とても信じられないが、そうでなければ、王を馬鹿という古の王妃がいるとも思えない。
 それから、カディスのその発言を皮切りにして食事会へと移行したのだが。
 果たして自分の現在の状況が分かっているのだか、目の前に座る女が食事を口にして幸せそうに微笑んだ。
 ──随分と旨そうに食べるのだな。
 カディスは一瞬、イルーシャへの反感も忘れ、彼女に見入ってしまった。
 本人は気がついていないらしいが、周囲の人間も微笑ましそうにそれを見ている。
 ──いつもこんな顔をしていれば可愛げがあるものを。
 カディスは目の前のイルーシャのにこやかな顔を見つめながら思う。
 それから話題はイルーシャの言語能力についてになり、書取は自信がないとイルーシャがこぼした。

「おまえには専任の教師をつけてやるから安心しろ。たっぷり絞らせてやるから覚悟しておけ」

 今までの鬱憤を晴らすようにカディスが言うと、イルーシャは情けない声を出した。
 どうやらイルーシャは学ぶのがあまり好きではないらしい。

「勉強はやるけど、できれば元の世界に帰りたいんだよね……」

 幸せそうに食事をしていたかと思えば、今度は溜息をつきながらイルーシャが言った。
 ……帰る? この女が?
 そう思った途端、カディスの胸に妙な痛みが走った。

「……しかし、妙な期待を持つより、帰れないと思っておいた方が賢明ではないか? そんなことを考えていたら、いつまでたってもこの環境に順応できないぞ」

 なぜかこの時、カディスはイルーシャを帰したくないと思ってしまっていた。
 気づいたら、先程とは真逆のことを口にしていた。

「この女が貴重な観光資源ならば、無理に返すこともないだろう」

 そう言うと、イルーシャが涙をはらはらと流し始めたのでカディスは驚いた。

「ご、ごめんなさい、わたし……っ」
「……なにを泣いている。別に泣くようなことではないだろう」

 まさか泣かれるとは思っていなかったカディスは動揺して言った。

「わ、わたし、もう部屋に戻るね。食事ごちそうさま」

 キースが移動魔法を唱えてイルーシャが部屋に戻ると、皆からの集中攻撃がカディスに浴びせられた。

「陛下、あれではいくらなんでもイルーシャ様がお可哀想です」
「陛下はイルーシャ様を嫌っておられるのですか? それにしてもあのおっしゃり様はどうかと思われます」
「陛下は少し女性に対する言葉遣いを考えて口にする必要がありそうじゃの」
「それにはわたしも同意しますね。陛下は女性の扱いをご存じではありませんから」
「陛下……女性を泣かせるのはいかがなものかと存じます」
「カディス……、あの娘を泣かせたツケは後できっちり払ってもらうよ」

 こうして、カディスにとっては散々な形で食事会はお開きになった。



「帰りたい」

 イルーシャが寝台の端に座って泣いている。
 はらはらと涙を流すイルーシャに庇護欲を刺激されるが、けれどそれ以上に。

「帰さない」
「カディ……」

 カディスはその華奢な手首を拘束し、イルーシャに口付ける。そしてその上に覆い被さり──

「──っ!」

 カディスに思うまま支配されて、イルーシャが声にならない悲鳴を上げる。

「カ、ディス……ッ、お願い、やめ、て……っ」

 切れ切れの懇願と、甘い啼き声。
 愉悦に浸るカディスは、イルーシャの白い肌に己のものだという印を刻んだ。



「陛下、おはようございます」

 扉を叩く音と共にリイナの声がして、カディスは目を覚ました。
 そして今まで見ていたのが夢だと気がつく。

「……あの女はどうしてる」

 入室してきたリイナに尋ねると、彼女はそつなく答えた。

「イルーシャ様でしたら、先程起きていらっしゃられて、今湯浴み中でございます」
「──そうか」

 湯浴みという言葉から、一瞬先程見ていた夢の内容が浮かんできて、それをかき消すようにカディスは軽く首を振った。



 イルーシャが怒る顔。微笑む顔。泣く顔。
 カディスが報告書を読む間もイルーシャの顔がちらつく。
 ──なぜだ。なぜこんなにもあの女のことが気にかかる。

「なにかご機嫌斜めだね、カディス」

 次々と浮かぶイルーシャの映像にいらいらしながら報告書を決裁していると、キースが新たな報告書を提出しにきた。

「あ、あの娘が来たみたいだ。僕はちょっと隠れるよ」
「なんだと?」

 聞く間もなくキースが姿を消した後、その言葉通りに、イルーシャはやってきた。

「またおまえか」

 溜息をついてそう言うと、ムッとしたようにイルーシャは眉を寄せた。
 なんの用だと思っていると、その口から出てきたのは、アイリンとの結婚を考え直してくれとの願いだった。
 イルーシャによると、アイリンには想い人がいて、その相手と駆け落ちしようとまで思い詰めているとのことだった。
 しかし、どうやらイルーシャは本気でアイリンの身を案じて言っているらしい。
 この女は、どうして会って間もない姫の身をそこまで心配できるんだ?

「好きな人がいる、か。それがどうしたというんだ。王族や貴族の結婚は、恋愛感情などとは無縁のものだ。おまえには政略というものが分かっていないようだな」

 中身が一般庶民であるイルーシャは、それがどんなに大事なことか理解できていないらしい。そのことに、なんとなくカディスはいらついた。

「でも、少なくともカディスは姫のこと好きだよね?」

 無邪気に発せられるイルーシャの言葉に、カディスのいらつきは頂点に至った。
 ──俺がアイリンのことを好きだと? この女は人の気も知らずに。
 先程まで次々と脳裏に浮かぶイルーシャに苦しめられたこともあり、カディスは苛立ちを彼女にぶつけた。

「好きとか嫌いとかの問題ではない。本当に口の減らない女だな、おまえは」

 カディスがそう言うと、イルーシャは少し焦ったようだった。
 それに少し愉悦を覚えながらもカディスはさらに言った。

「……そうだな、どうしてもと言うなら、考えてやらなくもないぞ」
「え、本当!?」

 目に見えて浮かれるイルーシャに、喜ぶのはまだ早いとカディスはほくそ笑む。

「アイリンが駄目なら、おまえが代わりに王妃になることになるが、それでもいいか?」
「え……?」

 その後のイルーシャは、カディスの予想通り慌てふためき、自分は人妻だから王妃にはなれないと叫んだ。
 その様子がおかしくて、カディスはくっと笑い出すと、イルーシャの腕を引いて抱きしめた。
 すると、なんとも言えない柔らかい感触がして、このまま抱きしめていたい気持ちにカディスは駆られた。
 ……なるほど、この体ならアークリッド王が骨抜きになったのも分かる。
 その背を撫でると、途端にびくりとイルーシャの体が反応した。
 その時の未知の感覚に戸惑うようなイルーシャの表情に艶を感じて、カディスは心が震えた。
 ──あの表情をもう一度見たい。
 そう思ってカディスが背中を撫でていると、思い切りイルーシャが罵って暴れた。

「なに人の背中撫で回してるのよ、この馬鹿──っ!」

 この女ときたら、口は悪いわ、暴れるわ、とんだじゃじゃ馬だ。
 けれど、この女なら退屈しそうにないな。
 周囲に相手を決められるのは冗談ではないが、この女ならば王妃にしてもいい。

 カディスは楽しげに笑みを浮かべながら、イルーシャが暴れるのをものともせずに、その柔らかい体を堪能した。
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