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29.タジファル辺境伯
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失礼いたします、という断りの後に、光の加減によっては銀にも見える淡い灰色の髪を持つ、堂々たる偉丈夫が入室してきました。
「おお、待ちかねておったぞ。ローディが留学から帰ってきてな。ぜひ、伯にも会わせたいと思っておったのだ」
陛下のその言葉に合わせてわたくしは立ち上がると、淑女の挨拶をいたしました。
「お久しぶりでございます、辺境伯様。お元気そうでなによりです」
「クローディア様、お久しぶりです。エレミアへの留学はいかがでしたか」
タジファル辺境伯様が、青灰色の瞳を綻ばせてにこやかに尋ねてくる様はとても感じがよいです。
わたくしよりも十歳ほど年上の方ですが、年若い女性だと侮って上から意見を押しつけるようなこともしませんし、包容力のある優しい方です。
「はい。おかげさまでとても有意義な留学だったと思います。……あ、そういえばエレミアでも辺境伯様はとても有名でしたわ」
わたくしがそう言うと、辺境伯様は眉を上げられました。
「有名、ですか……。それはあの『辺境伯は素手で熊どころか魔獣までも倒す』というものでしょうか。どうも噂が一人歩きしているようで困りますね」
辺境伯様は謙遜しておりますが、この国の上位貴族は知っておりますよ。正しくは『辺境伯一族の男子は素手で熊どころか魔獣までも倒す』ですよね。
……ですが、熊の皮は相当厚く、剣でもなかなか歯が立たないと聞いたことがあるのですが。
そして、これが羆となると、運悪く出会ってしまったら死を覚悟するレベルと言われているので、それ以上の強さを誇る魔獣は推して知るべしです。
……辺境伯一族の人体基準は、いったいどうなっているのでしょうね。
「まあ、立ったままもなんだし、ローディも辺境伯も座るとよい」
わたくしが少し考え込んでいると、いくらか砕けた口調で陛下がおっしゃられます。……陛下、随分と辺境伯様に心を許しておられますね。
辺境伯様とわたくしは陛下が勧めるままに、それぞれの席に着きました。
「今日はローディがカスタードアップルパイを作ってきてな。ぜひ、伯にも食べてもらいたいと思ったのだ」
「陛下が常々おっしゃっているクローディア様お手製のアップルパイですね」
陛下……、これを作ってきて欲しいとおっしゃったのは、まさか辺境伯様に食べさせるためですの? いえ、陛下方も食べたかったのだとここは思っておきましょう。
すると、控えていた侍女がカスタードアップルパイを皿に載せ、辺境伯様の前に差し出しました。
身内や友人でない方の評価はいったいどのようなものでしょうか。少しどきどきします。
辺境伯様は少し大きめにアップルパイをケーキフォークで切ると、なかなかワイルドに口に入れました。……ひょっとして、これがこの方の地なのかしら。
「これは……おいしいですね。甘酸っぱい林檎と控えめな甘さのカスタードが合わさって、いくらでもいけそうです」
目を瞠った後、アップルパイを咀嚼して飲み込んだ辺境伯様は、裏表のない笑顔でそう言われました。
辺境伯様ひょっとして、胃袋を掴まれると弱いタイプですか?
「まあ、お口に合われたようでよかったですわ。辺境伯様は甘党でいらっしゃるのですか?」
「甘い物も辛い物も両方いけますよ。……いやしかし、これは驚きました。陛下から伺っていたとはいえ、まさかここまでとは。売り物でも相当の人気になるレベルですよ」
「ま……」
ここまで手放しに褒められると照れますね。それを両陛下がにこにこして見つめてきます。
「実はな、ローディのレシピで、王都に店を出すようなのだ。……確かこれ一本に絞った店にするのであったな?」
「ええ、その通りですわ」
「──通います」
なにやら真剣な様子で、辺境伯様がずい、と精悍なお顔を近づけてこられました。
気に入ってくださったようで嬉しいのですが、辺境伯領は大丈夫なのですか? まあ、辺境伯様の城には一瞬で王城に出られる魔法陣があるので大丈夫かとは思いますが。
ですが、辺境伯様がそんなに頻繁に来られたら、人々に有事でもあったのかと思われないでしょうか。
「あ、ありがとうございます、辺境伯様。光栄ですわ」
わたくしはかつてない勢いの辺境伯様に若干引き気味になりました。
「これ、ローディ。伯はそなたの婚約者候補なのだぞ? そんなに堅く呼んでどうするのだ」
「え……。ですが、なんとお呼びすれば?」
陛下にご指摘を受けて、わたくしは少し困ってしまいました。地位もある年上の方を軽々しく呼ぶのもなんですし……。
すると、快活な様子で辺境伯様が申されました。
「ぜひともアジットとお呼びください」
「それでは、アジット様とお呼びしますわね」
「はい」
アジット様がにこやかにわたくしを見つめてきますが、今までこんなに親しげに話されることはなかったような? そんなにわたくしが作ったアップルパイが気に入ったのでしょうか。
「ああ、そうそう。ローディはパイをもう一ホール焼いてきたのよ。辺境伯様、よろしかったらおみやげに持っていらしてね」
「本当ですか!」
王妃様のお言葉に、嬉々としてアジット様が返されます。……ひょっとして、わたくしアジット様を餌付けしてしまったのかしら。
すると、うんうんと言うように、陛下が相好を崩されて頷かれました。
「実はな、ローディは菓子だけでなく、料理の腕前も相当なものらしいのだ。機会があれば、伯も馳走になるとよかろう」
すると、途端にアジット様の目がキラリと光りました。
「──そうなのですか。それは楽しみです。近々公爵様にご挨拶に伺いたいですね」
な、なにやらいきなり積極的になられましたが、アジット様、もしかしなくてもわたくしの料理がお目当てですね?
──どうやらわたくし、アジット様の餌付け完了してしまったようです。
「おお、待ちかねておったぞ。ローディが留学から帰ってきてな。ぜひ、伯にも会わせたいと思っておったのだ」
陛下のその言葉に合わせてわたくしは立ち上がると、淑女の挨拶をいたしました。
「お久しぶりでございます、辺境伯様。お元気そうでなによりです」
「クローディア様、お久しぶりです。エレミアへの留学はいかがでしたか」
タジファル辺境伯様が、青灰色の瞳を綻ばせてにこやかに尋ねてくる様はとても感じがよいです。
わたくしよりも十歳ほど年上の方ですが、年若い女性だと侮って上から意見を押しつけるようなこともしませんし、包容力のある優しい方です。
「はい。おかげさまでとても有意義な留学だったと思います。……あ、そういえばエレミアでも辺境伯様はとても有名でしたわ」
わたくしがそう言うと、辺境伯様は眉を上げられました。
「有名、ですか……。それはあの『辺境伯は素手で熊どころか魔獣までも倒す』というものでしょうか。どうも噂が一人歩きしているようで困りますね」
辺境伯様は謙遜しておりますが、この国の上位貴族は知っておりますよ。正しくは『辺境伯一族の男子は素手で熊どころか魔獣までも倒す』ですよね。
……ですが、熊の皮は相当厚く、剣でもなかなか歯が立たないと聞いたことがあるのですが。
そして、これが羆となると、運悪く出会ってしまったら死を覚悟するレベルと言われているので、それ以上の強さを誇る魔獣は推して知るべしです。
……辺境伯一族の人体基準は、いったいどうなっているのでしょうね。
「まあ、立ったままもなんだし、ローディも辺境伯も座るとよい」
わたくしが少し考え込んでいると、いくらか砕けた口調で陛下がおっしゃられます。……陛下、随分と辺境伯様に心を許しておられますね。
辺境伯様とわたくしは陛下が勧めるままに、それぞれの席に着きました。
「今日はローディがカスタードアップルパイを作ってきてな。ぜひ、伯にも食べてもらいたいと思ったのだ」
「陛下が常々おっしゃっているクローディア様お手製のアップルパイですね」
陛下……、これを作ってきて欲しいとおっしゃったのは、まさか辺境伯様に食べさせるためですの? いえ、陛下方も食べたかったのだとここは思っておきましょう。
すると、控えていた侍女がカスタードアップルパイを皿に載せ、辺境伯様の前に差し出しました。
身内や友人でない方の評価はいったいどのようなものでしょうか。少しどきどきします。
辺境伯様は少し大きめにアップルパイをケーキフォークで切ると、なかなかワイルドに口に入れました。……ひょっとして、これがこの方の地なのかしら。
「これは……おいしいですね。甘酸っぱい林檎と控えめな甘さのカスタードが合わさって、いくらでもいけそうです」
目を瞠った後、アップルパイを咀嚼して飲み込んだ辺境伯様は、裏表のない笑顔でそう言われました。
辺境伯様ひょっとして、胃袋を掴まれると弱いタイプですか?
「まあ、お口に合われたようでよかったですわ。辺境伯様は甘党でいらっしゃるのですか?」
「甘い物も辛い物も両方いけますよ。……いやしかし、これは驚きました。陛下から伺っていたとはいえ、まさかここまでとは。売り物でも相当の人気になるレベルですよ」
「ま……」
ここまで手放しに褒められると照れますね。それを両陛下がにこにこして見つめてきます。
「実はな、ローディのレシピで、王都に店を出すようなのだ。……確かこれ一本に絞った店にするのであったな?」
「ええ、その通りですわ」
「──通います」
なにやら真剣な様子で、辺境伯様がずい、と精悍なお顔を近づけてこられました。
気に入ってくださったようで嬉しいのですが、辺境伯領は大丈夫なのですか? まあ、辺境伯様の城には一瞬で王城に出られる魔法陣があるので大丈夫かとは思いますが。
ですが、辺境伯様がそんなに頻繁に来られたら、人々に有事でもあったのかと思われないでしょうか。
「あ、ありがとうございます、辺境伯様。光栄ですわ」
わたくしはかつてない勢いの辺境伯様に若干引き気味になりました。
「これ、ローディ。伯はそなたの婚約者候補なのだぞ? そんなに堅く呼んでどうするのだ」
「え……。ですが、なんとお呼びすれば?」
陛下にご指摘を受けて、わたくしは少し困ってしまいました。地位もある年上の方を軽々しく呼ぶのもなんですし……。
すると、快活な様子で辺境伯様が申されました。
「ぜひともアジットとお呼びください」
「それでは、アジット様とお呼びしますわね」
「はい」
アジット様がにこやかにわたくしを見つめてきますが、今までこんなに親しげに話されることはなかったような? そんなにわたくしが作ったアップルパイが気に入ったのでしょうか。
「ああ、そうそう。ローディはパイをもう一ホール焼いてきたのよ。辺境伯様、よろしかったらおみやげに持っていらしてね」
「本当ですか!」
王妃様のお言葉に、嬉々としてアジット様が返されます。……ひょっとして、わたくしアジット様を餌付けしてしまったのかしら。
すると、うんうんと言うように、陛下が相好を崩されて頷かれました。
「実はな、ローディは菓子だけでなく、料理の腕前も相当なものらしいのだ。機会があれば、伯も馳走になるとよかろう」
すると、途端にアジット様の目がキラリと光りました。
「──そうなのですか。それは楽しみです。近々公爵様にご挨拶に伺いたいですね」
な、なにやらいきなり積極的になられましたが、アジット様、もしかしなくてもわたくしの料理がお目当てですね?
──どうやらわたくし、アジット様の餌付け完了してしまったようです。
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