薔薇と黒蛇

しっくん

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第3章 正体発覚と別離の危機

第1話:仮面の綻び

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王宮は、春の訪れと共に、穏やかな光に包まれていた。


けれどその空気の中に、誰にも見えぬ緊張が静かに広がっていた。



――その中心にいるのが、アスタナとレオンだった。



彼が王女付き補佐となってから、一ヶ月が過ぎようとしていた。


その間、何度も同じ部屋で顔を合わせ、言葉を交わし、業務をこなす日々。




だがそれはあくまで「形式」の上に成り立つ距離であり、互いの心には、触れていない“はず”だった。




(けれど)




アスタナは思っていた。


レオンの動き、視線、言葉。


そのどれもが、以前より“柔らかく”なっていることに。



そして、自分自身の心も――いつしか、その変化を受け入れていることに。



「……次の会談資料、少し言い回しが異なりますね」




そう言ったのはレオンだった。


彼は文書の一行に目を通しながら、静かに問いかけてくる。




「ここ、殿下のご意向ですか? それとも、宰相の加筆?」



「私です」



アスタナは淡く答える。



「帝国側が“歩み寄り”を求めているならば、こちらも言葉の柔らかさを持つべきだと考えました」




「……歩み寄りは、時に“弱さ”と取られます」




「そうですね。

でも、“強さ”だけで相手を動かせる時代ではない。

ましてや、剣の代わりに言葉を選ぶなら――その言葉に温度は必要です」




しばらくの沈黙。



レオンはその言葉を、深く噛みしめるように記録していく。




「……殿下は変わられましたね」



「何が?」




「以前は、“どちらが正しいか”だけを語っていた。

今は、“どう伝わるか”を意識しておられるように見えます」




「……それが、変わったことですか?」



「少なくとも、記録の中では珍しい変化です」




アスタナは、ふっと視線を落とした。


レオンの言葉は常に冷静で、計算されている。


けれど、ときおり、その中に“体温”のようなものが混じることがあった。




(この人は、本当に冷たいだけの人ではない)




そう思った瞬間――


部屋の扉が控えめに叩かれた。




「失礼いたします、殿下。監察官グレイ卿がお越しです」



アスタナとレオンが同時に顔を上げた。


空気が一瞬にして引き締まる。




「通して」



応接の準備もなく、アスタナは即座に許可を出した。



そして現れたグレイ卿は、わざとらしい丁寧さで礼を取ると、レオンを見て微笑んだ。



「お忙しいところ恐れ入ります。

殿下のもとでご活躍の書記補佐殿と、少しお話ができればと参りました」




レオンの眼が細くなる。

それは、穏やかな仮面の下に潜む――鋭い探針の視線だった。



アスタナも、わずかに口を引き結ぶ。



(この人が、レオンの正体に――気づき始めた)



この瞬間、彼女は悟った。


彼を“ただの役者”として使い続けることは、もうできないと。



そして、もしこの先――

彼が“何者か”であると暴かれたとき、

自分は、王女として何を選ぶのか――

その問いが、胸の奥に芽吹いていた。



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