薔薇と黒蛇

しっくん

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第3章 正体発覚と別離の危機

第2話:探る者と、黙す者

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応接室には、わずかな沈黙が流れていた。


木目の深い机を挟んで向かい合うのは、アルトリア王宮監察官――グレイ卿と、帝国使節の書記補佐――レオン・

クロフォード。




「……あなたが、王女殿下の私室補佐に選ばれたと聞いた時、正直驚きましたよ」




グレイ卿は穏やかに微笑んだ。


だがその目には、笑みとは無縁の冷たい光があった。




「帝国からの使節とはいえ、外交記録の写しから王女殿下の私室業務まで――ずいぶんと、信頼を得ておられるよ

うで」




レオンはわずかに頭を下げる。



「あくまで一時的な補佐であり、任務の範囲は殿下のご指示によるものです」




「そうでしょうとも。

だが――どうしてあなたは、そんなにも“隙”がないのです?」




問いかけというより、探り。




レオンは表情を崩さない。

視線すら乱さず、ただ真っ直ぐにグレイ卿を見返す。



「育ちが辺境でしたので、王都の文化には疎く、無礼がないよう努めているだけです」




「なるほど。けれど、私の知る限り――辺境にクロフォード家という名門は存在しませんね?」



一瞬、空気が張りつめた。


だが、レオンの声は変わらなかった。




「クロフォードは母方の姓です。

記録には残っていないでしょう。母は村の出ですから」



静かで、無駄のない説明。


その正確さが、むしろ“嘘”のように聞こえることを、レオンは知っている。


それでも、“矛盾のない偽名”こそが、スパイにとって最大の武器だ。




グレイ卿はふっと笑う。



「私は、あなたを追い出したいとは思っていませんよ。

ただ、殿下を守る者として――“理解できぬ者”が近くにいることは、不安なのです」




「ご心配は当然です。ですが、私は殿下の任務を忠実に遂行するだけです」



それが本当であれ、嘘であれ――


レオンの声音は、一切の感情を含まない。




「……あなたは、何も“感じない”のですか?」




「任務に感情は不要です」



「……ふむ。

ですが、王女殿下は、どうやら“感情”というものを、あなたに向けつつあるようにも見える」




レオンの瞳がわずかに動いた。


だがそれを見逃す者は、グレイ卿ではなかった。



「いずれ、殿下はあなたに問いを投げかけるでしょう。“あなたは誰なのか”と」



グレイ卿は椅子から立ち上がり、低い声で言った。



「その時、あなたは――何を選ぶのですか?」









その日の夕刻、アスタナは自室に一人いた。


レオンの報告はまだ届いていない。


だが、何かが“変わり始めている”気配だけは、確かに感じていた。




(彼に問いかければ、何かを壊す気がする。

けれど、このまま黙っていれば――私自身が、何かを失う)




彼女は静かに立ち上がり、机の引き出しから小さな包みを取り出した。


それは、王宮の医師から受け取っていた薬草――咳止めの乾燥薬だった。


「……これを渡すのは、職務外。

でも、それが理由であの人が疑われるのなら――」



彼女はそっと包みを懐にしまい、自らレオンのもとへ向かう決意を固めた。



それは、王女としての行動ではない。

ひとりの“人間”としての、最初の小さな選択だった。



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