薔薇と黒蛇

しっくん

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第4章 逃亡と約束の夜

第1話:逃げる者、共に在る者

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「行かせません」

その声は静かだった。


けれど、それを聞いた近衛兵は、一歩も動けなくなった。



アスタナ・アルトリアの眼差しが、それほどに強かったからだ。


その瞳は、王命よりも強く、国よりもまっすぐに、ひとりの男を守ろうとしていた。




「この者の身柄拘束は不当です。

私の命令に従い、王宮の任務を遂行していただけです。

少なくとも、私が彼を“必要”と認めている限り、

彼に手を出すことは、この国の王女を否定することと同じです」



言葉が突き刺さる。


近衛は言葉を失い、報告に戻っていった。



レオンはそんな彼女を、呆然と見つめていた。



「……そこまで、する必要はなかった」



「あるわ。私が“あなたを選んだ”のだから」



その一言が、レオンの胸を深く貫いた。


そして同時に、残酷な現実をも示していた。




このままでは、アスタナが“国家に背いた王女”となる。



彼女の将来、王家の信頼、和平のすべてが、彼一人の存在によって壊れる可能性がある。


「……もう、ここにいるべきじゃない」



レオンはそう言った。



「逃げます。今夜、王宮を出ます」



アスタナは、ほんの一瞬だけ目を閉じ、静かに答えた。



「なら、私も一緒に行きます」



「それは……できない。あなたは王女です。国の未来を背負う人だ」




「もう、それでは守れないものがある。

この国が、私を“王女”としてしか見てくれないなら、

私は“誰かのために生きる女”として、生き直します」



レオンは、何も言えなかった。



何度も別れを選ぼうとした。


何度も自分を切り捨てようとした。


けれど、今ここに立つアスタナは、かつて誰よりも強くて優しい――“ただの一人の人間”だった。



「……夜明け前、東の裏門から出ます。

警備は薄い時間帯です。馬は私が用意する」



「分かりました」



二人は、言葉を交わすことなくうなずき合った。










夜。



王宮の東端、裏門の前に立つ二人の影。



レオンは黒い外套に身を包み、短剣だけを腰に差していた。


アスタナは簡素な旅装。髪をまとめ、王族の証をすべて外していた。



「本当に、いいのですね?」



「ええ。あなたと行くと決めたのは、私です。

その先に何があろうと、私はもう……“選んだ”のです」



風が吹く。


薔薇の香が遠くから漂ってきた。




レオンは、そっと手を差し出す。




「……アスタナ。行こう」



その手を、彼女は迷わず取った。



そして、二人は王宮の門を、静かに抜けた。









だが、その背を――誰かが確かに見ていた。

監察官グレイ卿。

塔の上から、無言でその姿を見送っていた。



「……どこまでも愚かだな。

だが――美しい。

それゆえに、許されはしない」



彼の背後で、兵の影が静かに動き出していた。


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