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外伝 まっすぐで、静かな君へ
第一章:風の音も、届かないくらい
しおりを挟む春の朝は、騒がしい。
窓の外ではまだ硬い桜が少しずつ開き始め、教室では新しい空気にそわそわする声が飛び交っていた。
「ねえねえ、今日転校生来るらしいよ」
「女子だって!」
「蒼の隣の席、まだ空いてるじゃん。まさかね~!」
そんな話題に、桐ヶ谷蒼は愛想笑いを浮かべながら「さあね」とだけ返す。
クラスの人気者。それが彼のポジションだった。
誰とでも仲良くできて、明るくて、いつも“いい人”。
それは彼自身が選んだスタイルであり、周囲もそういう彼を望んでいた。
ただ――ときどき、ふと疲れる。
期待に応えること。
嫌われないように立ち回ること。
笑顔のまま、心だけがどこか遠くに置いていかれる感覚。
本音なんて、ここにはない。
誰にも本当の自分なんて見せちゃいない。
見せたって、誰も求めてないって、もう知っていた。
そんな思いを抱えながら、それでも「桐ヶ谷蒼」を演じることは、もはや日常の一部だった。
──だけど、その日は、違った。
「静かにー。今から転校生を紹介するぞ」
担任の声が響き、教室のざわめきがぴたりと止んだ。
開いたドアから現れたのは、淡いグレーのカーディガンを羽織った少女だった。
髪はセミロング。姿勢はきちんとしているのに、どこか力が抜けていて、静かな空気を纏っている。
「日向美結です。よろしくお願いします」
それだけの言葉。
短くて、感情の起伏もない。けれど、何かが引っかかった。
“静かすぎる”という第一印象が、なぜか耳に残った。
まるで、その声だけが、他の音と違うテンポで流れているような不思議な感覚。
「席は……桐ヶ谷の隣だな」
再び、教室がざわついた。
けれど、蒼は気にも留めず、いつものように笑った。
──いつもと違ったのは、その笑顔が、どこか自分でも不思議なほど自然だったこと。
日向が席に向かって歩く。
小さな足音。まっすぐな視線。でも、人を避けているわけじゃない。
ただ、誰にも期待していないだけのような静けさ。
「よろしくね、日向さん。なんか話し方、落ち着いてていいね」
そう言ったのは本当に何気ないひと言だった。
“クラスの人気者”としての挨拶、そんなつもりだった。
でも彼女は、一瞬だけこちらを見て、くすっとも笑わずに首をかしげた。
「……そう? よく“つかみどころがない”って言われるけど」
言い方が独特だった。自嘲でも、照れでもなく、ただ「そういう自分」を淡々と語っただけ。
だけど、それが妙に、心に引っかかった。
「そこがいいんじゃない?」
言葉が勝手に出てきた。
周りの反応も、ざわめきも、もう耳に入らなかった。
彼女は何も答えず、ふっと息を吐いて、座った。
それきり会話は終わったのに、不思議と彼女の存在が気になって仕方なかった。
まるで、自分だけ違うリズムで生きているような少女。
他人の期待にも、空気にも流されない、静かな存在感。
──そして俺は、その静けさに、ほんの少しだけ救われたような気がしていた。
*
昼休み、教室の片隅。
日向はひとりで本を読んでいた。
昼食の時間でも、誰かと笑い合うこともせず、静かにページをめくるその姿に、蒼の視線は自然と吸い寄せられ
た。
「……なにやってんだろ、俺」
小さくつぶやいて、視線を逸らす。
いつもなら女子に囲まれて、適当に話を合わせて、楽しいフリをする時間。
でも今は、なんとなく違った。
彼女の静かな世界に、ほんの少しだけ近づいてみたい。
それは興味じゃない。好奇心でもない。
もっと、ずっと静かで、やさしい衝動。
──たぶん俺は、あのときすでに、恋に落ちはじめていた。
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