暗殺任務失敗したのが組織にバレて、処女なのにハニトラさせられることになりました。密かに思ってた先輩がHの指導役とか聞いてません!

甘酒ぬぬ

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第1章 指導編 初日

1-8 そういう先輩こそ、どっちが好きなんですか

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「……は、い?」

 不意打ちだった。
 リヤーナの手からパンが落ちてスープに沈む。口にしていたのが液体でなくてよかったとリヤーナは心底思う。

「これくらいで喜ぶなよ。美女を目指すんだったら慣れろ。本物は世辞なんか浴びなれてる」

 フォウはすぐさま表情を引き締めた。

「……お世辞でもなんでも、本当に嬉しかったんだからいいじゃないですか」

 リヤーナは唇をとがらせ、スープに沈んだパンを救出する。

 ネタ晴らしをするのが早い。できればもうちょっと浸らせてほしかった。

「この程度で喜ぶならいくらでも言ってやるよ」

 フォウは楽しげに歯を見せて笑う。

「簡単に言われると言葉の価値が下がりますー」

 リヤーナはじとっとした目でフォウをにらみつけた。

「はいはい。可愛い可愛い」

 フォウは軽薄かつ軽率に言い、チーズをつまみにワインを飲む。

 リヤーナは意識してふやけたパンを咀嚼そしゃくした。
 こんな雑な言われ方でもうっかり口元が緩みそうになる。本当に性質が悪い。

「なぁ、そもそもリィは、誰かを誘惑しようと思ったことってあるのか」

 ふと、フォウは眉をくもらせた。

「ありませんよ」

 リヤーナは即答し、首を横に振る。

 あくまで一方的に気持ちを募らせているだけで、実際にどうこうしようとは考えたことすらない。フォウには「妹」として充分気にかけてもらっている。それ以上のことを望むのは、罰が当たりそうで怖い。

「じゃあ、ちょっとためしに俺を誘惑してみろ。現状どれくらいのことができるかを把握するのは任務において重要なことだろう」

 完全に悪戯を思いついた子供の顔しているくせに、フォウはいかにもそれっぽいこと口にする。

「えー、先輩をですかぁ」
「露骨に嫌そうな顔すんなよ」
「だって」
「だったら俺じゃなくて好きな奴の顔でも思い浮かべとけ」

(思い浮かべるも何も……)

 目の前にいます、とは冗談でも言えない。仮に言ったとしても、フォウは真面目に受け取ってはくれないだろう。

 何をすればいいのかわからず、とりあえずリヤーナは自分のできる最大限で、可愛らしくにこっと笑ってみせた。

 フォウは両手で顔を押さえて崩れ落ちる。

「先輩?」

(うな垂れるくらいダメなんだ……)

 響くとは思っていなかったが、露骨に失望されると地味につらい。

「……ちなみに誰のこと思い浮かべたんだ」

 フォウは椅子に座り直して姿勢を正すと、いつもより低くゆっくりとした声で尋ねた。心持ち目が据わっているように見える。おまけに何故か耳だけが妙に赤く、リヤーナの目についた。

(言えない)

「あー、えーっと、ハサン様、とか?」

 とっさに思い浮かんだのが組織のボスしかいなかった。これなら当たり障りないだろう。

 再びフォウが崩れ落ちた。さっきよりも勢いが激しく、テーブルに額をしたたかに打ちつける。

「先輩⁉ 大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。これはちょっときっと多分おそらくつまりあるいは手が滑った」
「言語中枢が全然大丈夫じゃなさそうですよ先輩」
「本当に問題ない。ここだけの話、ボスが苦手でな。名前を聞くだけでも虫唾が走る」

 フォウは不機嫌そうに口角を下げ、赤くなった額を恐々と触る。

「ここだけの話にしたって、もっと婉曲えんきょくな表現にしてくださいよ。その言い方だとめちゃくちゃハサン様のこと嫌いじゃないですか」
「元々いけすかなかったけど、たったいま憎悪の対象になった」
「ひとまずお酒は回収させてもらいますね」

 リヤーナはワインボトルとグラスをフォウから遠ざけた。

 おそらく頭部強打とアルコールのせいで一時的に何かおかしなことになっているのだろう、とリヤーナはあたりをつける。

(私みたいな下っ端はあんまり関わることないけど、先輩くらいになるとハサン様から直接任務受けたりするんだろうな。それで揉めることもあるのかも)

 フォウに対してできる限り好意的な解釈をし、先ほどの暴言は聞き流すことにした。

「リィは何考えてるかわからん性格の悪い白髪がタイプなのか」

 まだフォウはぶつくさ言っている。よほどハサンのことが気に入らないらしい。

「曲解しないでくださいよ。単純に知り合いが少ないだけですって」

 任務の都合上単独で行動することが多く、またチームを組んだとしても一度限りであることがほとんどだ。死亡ないしそのほかの事情で同じ顔触れが揃うことはない。
 一定以上の能力を示さなければ消耗品として使い潰される。

「そういう先輩こそ、どっちが好きなんですか」

 リヤーナは真面目な顔を作り、フォウに詰め寄った。

「どっち?」
「リオノーラ元子爵夫人のような歴戦の猛者と、右も左もわからないようなしょ……経験不足な子。どっちに誘惑されたいですか」

 勢い勇んで尋ねたものの、処女とはっきり口にするのははばかられた。

「なんだ急に。極端な二択を俺に迫るな」

 フォウは椅子ごと身体を引く。

「気負わないでくださいよ。一般的な男性はどうなのかなーっていうただの興味本位です。後学のために聞いておきたくて。さ、どちらかと言えば?」

 好みに近付けたなら、少しは女性として見てくれるだろうか。
 そんな思いがにじみ出てしまわないよう、リヤーナは過度におどけてみせる。

「……あー、さすがに猛者はお断りしたい」

 フォウは口元を手で覆い隠し、顔を横に向けた。

「……ふーん」

 リヤーナはなんとも言えない感情が、平坦な感嘆詞として出てしまう。
 準備期間が終わる頃には「お断り」されるような女になってしまっているかもしれない。

「どっち選んでも軽蔑しただろお前」

 感嘆詞の意味を取り違えたフォウがむっとした表情になる。

「別に軽蔑してないですよ」
「じゃあ今の間はなんなんだよ」
「うまい返しが浮かばなかっただけですって」
「俺の好みなんてどうでもいいだろ。さっさと飯食って風呂に入れ。やることあるんだからな」
「やること……」

 リヤーナの脳内で件の動画かフラッシュバックし、頬が熱を持つのを感じた。誤魔化すために、急いでワインをグラスに注いで雑に飲み干す。

 ひと月の間、フォウと一緒に食卓を囲んで暮らすだけじゃない。もちろん理解しているが、早くて一時間、遅くとも数時間後にはそういうことをしますよと宣言されると頭と胃がきりきりと痛む。

「リィ、お前酒飲めたっけ?」

 フォウが困惑の眼差しを向けてくる。

「飲めます! 全然問題ありません!」

 リヤーナは勢いで押し切った。詰め込むようにローストポークを平らげる。他の料理も取り皿に載せ、食べ進めていく。

「そう……ならいいが」

 フォウは小さく息を吐き、パンを一口かじる。

 その日の夕食での会話はそれきりとなった。
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