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第2章 指導編 一週目
2-2 非現実じゃなくて男の夢と理想の産物な(フォウ視点)
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「こんな所で何するんですか……?」
わけもわからず浴室に連れ込まれ、バスチェアに座らされたリヤーナが不安げにフォウを見上げてくる。
「痛い思いをしたくなければ、目をつむって頭を下げてろ」
フォウは袖をまくり上げ、洗面所の収納スペースから必要な物を取り出した。
他にもっと適当な言い方があったのかもしれないが、リヤーナ相手だとついこういった高圧的な物言いになってしまう。
理由はわかっている。自分を大きく見せたい、という子供じみた思いからくるものだ。
「そういう説明不足なとこ、先輩の悪い癖ですよ」
リヤーナは頬を膨らませつつも、素直に頭を下げた。
「……だよな。悪い」
フォウは力なく笑い、器に染粉と水を入れた。ダマにならないよう丁寧に攪拌していく。
「今日の先輩、ちょっと変ですよ。やっぱりハサン様から何か言われたんですか」
「いいや、報告書を上げろって言われただけだ」
染料を作り終え、フォウはリヤーナの髪に触れた。手ぐしで毛流れを整える。
亜麻色の髪は見た目通りに柔らかい。撫でているだけで心が癒される。
「あの、本当に何するんですか?」
リヤーナがしびれを切らしているのが声だけでもわかった。
「んー、簡単に言えば変装、だな」
あまり引っ張っても仕方がないので、フォウは作業を進めつつネタ晴らしをすることにした。先ほど作った染料を、頭皮につかないよう髪にだけ塗布していく。
「きゃっ、冷たっ」
「さっきも言ったが目を開けるなよ。目に入ると一日中痛いぞ」
「もしかして染髪剤、ですか?」
「当たり」
いま塗っているのは、普段フォウが任務の時に使用しているものだ。リヤーナと違って髪色が濃いため、フォウが使う時はもっと定着力が強くなるような配合にしている。
「私の髪の色を変えてどうするんですか?」
「だから変装だって。このセーフハウスに、お前が外に着ていけるような服は一着も用意されていなかったろ」
「外どころか室内でも問題のある服しかありませんけど」
「まぁ、厳密に言うとそうだな。とにかく、この指導期間中、お前を外に出すなと言われている。服がなかったのも、おそらくそのせいだ」
「……私が逃げるかもしれないからですか?」
リヤーナの声のトーンがあきらかに沈んだ。
「さあ。理由は色々考えられる。リィが言ったのが正解かもしれないし、『リオノーラ元子爵夫人』の顔を誰かに見られては困るからかもしれない。あるいは単純に、任務に専念させるためかもしれない」
あらかた髪に染料を塗り終わったので、次はムラをなくすのと発色を良くするために軽く揉み込む。
「けど、ひと月も俺とこんな所に押し込められてたんじゃあ息が詰まるだろ。適度に息抜きさせてもらおうぜ」
リヤーナのためを思ってのような言い方をしたが、切実に息抜きを欲しているのは他ならぬフォウ自身だった。
このままあの家に籠りきりで「指導」を続けていたら確実におかしくなる。
今まで思いや欲を押し殺して兄に徹していたのに、リヤーナの意志を無視して事務的に抱かなければならない。リヤーナに他の男を誘惑させるために、だ。
自分が教えたことをリヤーナが他の男にするなど、想像するだけで身体中の体液が逆流しそうになる。
そんな苦悩の一方で、合法的にリヤーナの嬌態を見られることに多少の喜びを感じてしまっているのも性質が悪い。精神的に抑圧されているせいか、やたらと下半身の血の巡りが良くて非常に困る。おかげで、リヤーナのあらぬ姿を思って処理をしてから指導に臨む、という最低のルーティンができあがってしまった。
「というわけで、今日は買い出しも兼ねて出かけようと思ってる。これはそのための仕込みだ」
フォウはリヤーナの髪を一房つまみ、染料を落として色の入り具合を確認する。
「じゃあ、今日は先輩とにらめっこしたり、非現実的なえっちな本とか読まなくていいんですね!」
リヤーナの声がわかりやすく明るくなった。
非合法活動に手を染めると、たいていの人間は感情が乏しくなるかひねくれる。リヤーナのように喜怒哀楽がはっきりしたままなのは稀だ。
「視線誘導とにらめっこを一緒にすんな。あと非現実じゃなくて男の夢と理想の産物な、あれ。男にはああいう願望があるってこと頭に入れとくための本だ」
リヤーナの言う「非現実的なえっちな本」とは、官能小説のことだ。参考文献としてあらかじめセーフハウスに用意されていた。バクラム伯の嗜好なのか、それともハサンの趣味なのか女性上位ものが多い。
「先輩もそういう願望あるんですか?」
「聞いてどうする」
「聞かれちゃまずいんですか?」
「……程度の差はあれど、男なら誰でも持ってるもんだ」
「あー、日和って一般論に逃げた」
「うるせえ。流すぞ。死ぬほど不味いから口も閉じてろ」
フォウはリヤーナの頭にぬるま湯をかけて反論を遮った。
攻められて喜ぶ性癖はないが、慣れない様子でリヤーナがあれこれ試みるのを仰向けになって観察しているのは楽しそうだと思った。もちろんそんなこと口にできない。
(……ついさっきうだうだ悩んでたのにすぐこれだ)
フォウは小さく舌打ちをした。あきらかに欲望に流されやすくなっている。
染料の色が出なくなるまでリヤーナの髪にぬるま湯をかけ、最後に軽く絞って水気を落とす。
濡れたリヤーナの髪は艶のある黒色に変わっていた。ここから乾かすともう少し色味が明るくなる。
フォウはあらかじめ用意しておいたタオルでリヤーナの顔と髪を拭き、肩を叩いた。
「目も口も開けていいぞ」
「……わ、真っ黒」
リヤーナは髪をつまみ、無邪気に驚く。
「綺麗に染まってるみたいだけど、思ったより色が入ったな」
フォウはリヤーナの髪に指を通して持ちあげた。湿った髪がゆっくりと指の間からこぼれ落ちる。
「そうなんですか。でも先輩とお揃いですね!」
リヤーナは屈託なく笑い、身体を左右に揺らした。
フォウもつられて口元がにやけてしまいそうになる。
他の女がこんな態度を取ろうものなら、あざとさで胸やけするが、リヤーナであればただただ可愛い。惚れた欲目というやつだろう。
(リィはちょっと存在自体があざといんだよな)
リヤーナに言い寄ろうとしていた男が何人もいたのは、ウサギをほうふつとさせる外見と、あざとさと紙一重な無邪気さが原因だ。
「髪が乾いたら、次は化粧だな」
フォウは表情を引き締め、リヤーナの頭をタオルで擦った。
「お化粧? 変装じゃなくて?」
リヤーナはしきりにまばたきをする。
「化粧も変装の一種だ。それに、貴族夫人なら自分でできて当然だろ。教えてやるから、ちゃんと覚えとけ」
「はい、先輩!」
聞きわけの良い生徒のような返事をするリヤーナの姿に、フォウは胸の奥がちりっと疼くのを感じた。
わけもわからず浴室に連れ込まれ、バスチェアに座らされたリヤーナが不安げにフォウを見上げてくる。
「痛い思いをしたくなければ、目をつむって頭を下げてろ」
フォウは袖をまくり上げ、洗面所の収納スペースから必要な物を取り出した。
他にもっと適当な言い方があったのかもしれないが、リヤーナ相手だとついこういった高圧的な物言いになってしまう。
理由はわかっている。自分を大きく見せたい、という子供じみた思いからくるものだ。
「そういう説明不足なとこ、先輩の悪い癖ですよ」
リヤーナは頬を膨らませつつも、素直に頭を下げた。
「……だよな。悪い」
フォウは力なく笑い、器に染粉と水を入れた。ダマにならないよう丁寧に攪拌していく。
「今日の先輩、ちょっと変ですよ。やっぱりハサン様から何か言われたんですか」
「いいや、報告書を上げろって言われただけだ」
染料を作り終え、フォウはリヤーナの髪に触れた。手ぐしで毛流れを整える。
亜麻色の髪は見た目通りに柔らかい。撫でているだけで心が癒される。
「あの、本当に何するんですか?」
リヤーナがしびれを切らしているのが声だけでもわかった。
「んー、簡単に言えば変装、だな」
あまり引っ張っても仕方がないので、フォウは作業を進めつつネタ晴らしをすることにした。先ほど作った染料を、頭皮につかないよう髪にだけ塗布していく。
「きゃっ、冷たっ」
「さっきも言ったが目を開けるなよ。目に入ると一日中痛いぞ」
「もしかして染髪剤、ですか?」
「当たり」
いま塗っているのは、普段フォウが任務の時に使用しているものだ。リヤーナと違って髪色が濃いため、フォウが使う時はもっと定着力が強くなるような配合にしている。
「私の髪の色を変えてどうするんですか?」
「だから変装だって。このセーフハウスに、お前が外に着ていけるような服は一着も用意されていなかったろ」
「外どころか室内でも問題のある服しかありませんけど」
「まぁ、厳密に言うとそうだな。とにかく、この指導期間中、お前を外に出すなと言われている。服がなかったのも、おそらくそのせいだ」
「……私が逃げるかもしれないからですか?」
リヤーナの声のトーンがあきらかに沈んだ。
「さあ。理由は色々考えられる。リィが言ったのが正解かもしれないし、『リオノーラ元子爵夫人』の顔を誰かに見られては困るからかもしれない。あるいは単純に、任務に専念させるためかもしれない」
あらかた髪に染料を塗り終わったので、次はムラをなくすのと発色を良くするために軽く揉み込む。
「けど、ひと月も俺とこんな所に押し込められてたんじゃあ息が詰まるだろ。適度に息抜きさせてもらおうぜ」
リヤーナのためを思ってのような言い方をしたが、切実に息抜きを欲しているのは他ならぬフォウ自身だった。
このままあの家に籠りきりで「指導」を続けていたら確実におかしくなる。
今まで思いや欲を押し殺して兄に徹していたのに、リヤーナの意志を無視して事務的に抱かなければならない。リヤーナに他の男を誘惑させるために、だ。
自分が教えたことをリヤーナが他の男にするなど、想像するだけで身体中の体液が逆流しそうになる。
そんな苦悩の一方で、合法的にリヤーナの嬌態を見られることに多少の喜びを感じてしまっているのも性質が悪い。精神的に抑圧されているせいか、やたらと下半身の血の巡りが良くて非常に困る。おかげで、リヤーナのあらぬ姿を思って処理をしてから指導に臨む、という最低のルーティンができあがってしまった。
「というわけで、今日は買い出しも兼ねて出かけようと思ってる。これはそのための仕込みだ」
フォウはリヤーナの髪を一房つまみ、染料を落として色の入り具合を確認する。
「じゃあ、今日は先輩とにらめっこしたり、非現実的なえっちな本とか読まなくていいんですね!」
リヤーナの声がわかりやすく明るくなった。
非合法活動に手を染めると、たいていの人間は感情が乏しくなるかひねくれる。リヤーナのように喜怒哀楽がはっきりしたままなのは稀だ。
「視線誘導とにらめっこを一緒にすんな。あと非現実じゃなくて男の夢と理想の産物な、あれ。男にはああいう願望があるってこと頭に入れとくための本だ」
リヤーナの言う「非現実的なえっちな本」とは、官能小説のことだ。参考文献としてあらかじめセーフハウスに用意されていた。バクラム伯の嗜好なのか、それともハサンの趣味なのか女性上位ものが多い。
「先輩もそういう願望あるんですか?」
「聞いてどうする」
「聞かれちゃまずいんですか?」
「……程度の差はあれど、男なら誰でも持ってるもんだ」
「あー、日和って一般論に逃げた」
「うるせえ。流すぞ。死ぬほど不味いから口も閉じてろ」
フォウはリヤーナの頭にぬるま湯をかけて反論を遮った。
攻められて喜ぶ性癖はないが、慣れない様子でリヤーナがあれこれ試みるのを仰向けになって観察しているのは楽しそうだと思った。もちろんそんなこと口にできない。
(……ついさっきうだうだ悩んでたのにすぐこれだ)
フォウは小さく舌打ちをした。あきらかに欲望に流されやすくなっている。
染料の色が出なくなるまでリヤーナの髪にぬるま湯をかけ、最後に軽く絞って水気を落とす。
濡れたリヤーナの髪は艶のある黒色に変わっていた。ここから乾かすともう少し色味が明るくなる。
フォウはあらかじめ用意しておいたタオルでリヤーナの顔と髪を拭き、肩を叩いた。
「目も口も開けていいぞ」
「……わ、真っ黒」
リヤーナは髪をつまみ、無邪気に驚く。
「綺麗に染まってるみたいだけど、思ったより色が入ったな」
フォウはリヤーナの髪に指を通して持ちあげた。湿った髪がゆっくりと指の間からこぼれ落ちる。
「そうなんですか。でも先輩とお揃いですね!」
リヤーナは屈託なく笑い、身体を左右に揺らした。
フォウもつられて口元がにやけてしまいそうになる。
他の女がこんな態度を取ろうものなら、あざとさで胸やけするが、リヤーナであればただただ可愛い。惚れた欲目というやつだろう。
(リィはちょっと存在自体があざといんだよな)
リヤーナに言い寄ろうとしていた男が何人もいたのは、ウサギをほうふつとさせる外見と、あざとさと紙一重な無邪気さが原因だ。
「髪が乾いたら、次は化粧だな」
フォウは表情を引き締め、リヤーナの頭をタオルで擦った。
「お化粧? 変装じゃなくて?」
リヤーナはしきりにまばたきをする。
「化粧も変装の一種だ。それに、貴族夫人なら自分でできて当然だろ。教えてやるから、ちゃんと覚えとけ」
「はい、先輩!」
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