22 / 27
第2章 指導編 一週目
2-5 案外ちょろいんですね!
しおりを挟む
(こんな白昼夢を見るなんて、相当精神的にきてるかも……)
覚えのある唇の感触と、遠くにわずかに感じられる煙草の匂いに、リヤーナの胸が高鳴る。
フォウが理由なく自分にキスするわけがない。だからこれは妄想だ。
そう結論付けてはみたものの、感触も温度も匂いもいやにリアルで、リヤーナの鼓動がどんどん速くなる。
どれくらい経った後か、ゆっくりと唇が離れた。
フォウの唇にうっすらと口紅が移っており、
(最中だけじゃなくて事後まできっちり再現するなんて、余韻のある妄想だなぁ)
とリヤーナはぼんやり思う。
(……口紅が移ってる?)
違和感を覚えたリヤーナは、自分の唇に軽く指を当てた。指の腹にローズピンクの口紅が薄く付着する。フォウの唇についているのと同じ色だ。
何度まばたきしてみても、フォウの唇にはローズピンク――キスの痕跡が残っている。
(白昼夢でも、妄想でも、ない……?)
意識した途端、リヤーナは顔がかっと熱くなった。痛いくらいに心臓がバクバクし、全身に過剰に血液を送り出している。
「な……なん、で……」
リヤーナはやっとの思いで声を絞り出す。
理解が追い付かなかった。
フォウとキスをしたのが自分の妄想であったなら「フォウ先輩のこと好きすぎてうっかりそんな想像しちゃうなんて、私ってほんと馬鹿」で済む。
でもそうじゃない。
感触も匂いも本当に本物で、理由はわからないけれどフォウの方から唇を重ねてきて……。
「色が濃かったから、調節しただけだ」
フォウは落ち着き払った様子で答えた。
(イロガコカッタカラ、チョウセツシタダケダ)
リヤーナは頭の中で反芻する。
ただの音の羅列。意味のある文章になってくれない。
理解しようと何度も繰り返し反芻するうちに、リヤーナの腹の底からとある感情が湧きあがってきた。
「リップの色が濃かったからキスして調節しただけ、ってことですか……?」
声が震える。
眉間に皴が寄り、唇が歪む。
強く拳を握りすぎて手の甲が色を亡くす。手のひらに爪が食い込んだ。
フォウにとってはなんの感情もない行為だった。
ひとりで浮かれて動揺して、期待して。馬鹿みたいだ。
「じゃあ先輩は、リップが濃い人を見たら誰にでもキスするんですか?」
「わけのわからない極論を振りかざすな」
「わけわかんないのは先輩じゃないですか!」
自分でも思いがけないほど、リヤーナは高く癇に障る声を上げてしまっていた。フォウの落ち着きぶりにイライラする。
「これくらいでうろたえるな。ターゲットから不意にキスされることもあるだろう。その時もお前はこんな風に怒るのか」
「話をすり替えないでください!」
「実際の現場では号令があるわけじゃない。急な出来事にも対応できるようにしろ。訓練中でも気を抜くな――孤児院でそう習ったろ。暗殺も色仕掛けも任務には変わりない」
「抜き打ちテストだったとでも言いたいんですか」
リヤーナは苛立ちが抑えられない。
フォウの言い分はわかる。
だがなにもこんな形で、こんなタイミングでやることはない。ひとの気も知らないで。
「俺は指導役だ。そのことを忘れるな」
フォウの表情は仮面でも被っているかのように、いっそ不自然なほど変わらない。
「任務や指導を持ちだすなんて、ずるいですよ……」
リヤーナは奥歯をぐっと噛みしめた。
目の奥がじわじわと痛む。鼻の付け根がつんと痛い。まばたきを抑えられない。
ここで泣いたらせっかくのメイクが台無しになってしまう。涙以外にも、気持ちがあふれてしまうかもしれない。
「――いま言ったのが、理由の半分だ」
リヤーナの瞳に溜まった涙がこぼれ落ちる寸前、フォウの仮面にひびが入った。
フォウの顔がくしゃっと歪み、頬に赤みが差す。
「本当は、こんなこと言うべきじゃないってわかってる」
両手で髪をぐしゃっと掻き上げ、頭の後ろで手を組んだ。頭を抱えているようにも見える。
「もう半分は……正直、リィに見惚れて……ただ、したくなった」
視線をさまよわせ、たどたどしく言葉を紡ぐ姿は気弱で、普段のフォウとはかけ離れていた。
(……え? え? ちょっと待って。待って! フォウ先輩が、照れてる!?)
先ほどとは違った理由で、リヤーナはフォウの言っていることが理解できなかった。あまりに見慣れない光景に、涙は完全に引っ込んだ。
(『リィに見惚れて』……って、リィって私? 私しかいないよね? ただしたくなった、ってことは、ただしたくなったってこと? 指導じゃないの? でも半分って言ってた? 何それもうっ、どういうこと!?)
リヤーナの脳が処理能力の限界を超えて悲鳴を上げた。
照れてるフォウが尊い。このままずっと眺めていたい。
それはそれとして、フォウの真意も気になる。だがそれを尋ねたらいつものフォウに戻ってしまう可能性もある。
二つの感情がせめぎ合い、リヤーナは身動きが取れないでいた。
「気分を悪くさせてすまない」
リヤーナが無言でいる意味を誤解したのか、フォウは深々と頭を下げる。
「い、いえ……顔を上げてください。私こそ、大げさに騒いじゃってすみません」
リヤーナはどさくさに紛れて、フォウの顔にそっと触れた。
見た目通りに熱い。本当に照れているようだった。
(少なくとも気持ちのうちの半分は、本当に、私に見惚れて……キス、したくなったんだよね。九割くらいはメイクしてくれた先輩のおかげだけど、少しは女の人として見てもらえた……!)
リヤーナは目蓋を閉じて喜びを噛みしめる。
ついさっきまで泣きそうだったのが嘘のようだ。我ながら単純だと思う。
しかし、浮き立つ内心とは裏腹に、
「でも、その……先輩って……案外ちょろいんですね!」
リヤーナは恥ずかしまぎれにおどけてしまった。にっこり笑顔で煽る。
これも自覚している悪い癖のうちの一つだ。「妹」としての防衛機能が、フォウに対して素直な態度を取らせてくれない。
覚えのある唇の感触と、遠くにわずかに感じられる煙草の匂いに、リヤーナの胸が高鳴る。
フォウが理由なく自分にキスするわけがない。だからこれは妄想だ。
そう結論付けてはみたものの、感触も温度も匂いもいやにリアルで、リヤーナの鼓動がどんどん速くなる。
どれくらい経った後か、ゆっくりと唇が離れた。
フォウの唇にうっすらと口紅が移っており、
(最中だけじゃなくて事後まできっちり再現するなんて、余韻のある妄想だなぁ)
とリヤーナはぼんやり思う。
(……口紅が移ってる?)
違和感を覚えたリヤーナは、自分の唇に軽く指を当てた。指の腹にローズピンクの口紅が薄く付着する。フォウの唇についているのと同じ色だ。
何度まばたきしてみても、フォウの唇にはローズピンク――キスの痕跡が残っている。
(白昼夢でも、妄想でも、ない……?)
意識した途端、リヤーナは顔がかっと熱くなった。痛いくらいに心臓がバクバクし、全身に過剰に血液を送り出している。
「な……なん、で……」
リヤーナはやっとの思いで声を絞り出す。
理解が追い付かなかった。
フォウとキスをしたのが自分の妄想であったなら「フォウ先輩のこと好きすぎてうっかりそんな想像しちゃうなんて、私ってほんと馬鹿」で済む。
でもそうじゃない。
感触も匂いも本当に本物で、理由はわからないけれどフォウの方から唇を重ねてきて……。
「色が濃かったから、調節しただけだ」
フォウは落ち着き払った様子で答えた。
(イロガコカッタカラ、チョウセツシタダケダ)
リヤーナは頭の中で反芻する。
ただの音の羅列。意味のある文章になってくれない。
理解しようと何度も繰り返し反芻するうちに、リヤーナの腹の底からとある感情が湧きあがってきた。
「リップの色が濃かったからキスして調節しただけ、ってことですか……?」
声が震える。
眉間に皴が寄り、唇が歪む。
強く拳を握りすぎて手の甲が色を亡くす。手のひらに爪が食い込んだ。
フォウにとってはなんの感情もない行為だった。
ひとりで浮かれて動揺して、期待して。馬鹿みたいだ。
「じゃあ先輩は、リップが濃い人を見たら誰にでもキスするんですか?」
「わけのわからない極論を振りかざすな」
「わけわかんないのは先輩じゃないですか!」
自分でも思いがけないほど、リヤーナは高く癇に障る声を上げてしまっていた。フォウの落ち着きぶりにイライラする。
「これくらいでうろたえるな。ターゲットから不意にキスされることもあるだろう。その時もお前はこんな風に怒るのか」
「話をすり替えないでください!」
「実際の現場では号令があるわけじゃない。急な出来事にも対応できるようにしろ。訓練中でも気を抜くな――孤児院でそう習ったろ。暗殺も色仕掛けも任務には変わりない」
「抜き打ちテストだったとでも言いたいんですか」
リヤーナは苛立ちが抑えられない。
フォウの言い分はわかる。
だがなにもこんな形で、こんなタイミングでやることはない。ひとの気も知らないで。
「俺は指導役だ。そのことを忘れるな」
フォウの表情は仮面でも被っているかのように、いっそ不自然なほど変わらない。
「任務や指導を持ちだすなんて、ずるいですよ……」
リヤーナは奥歯をぐっと噛みしめた。
目の奥がじわじわと痛む。鼻の付け根がつんと痛い。まばたきを抑えられない。
ここで泣いたらせっかくのメイクが台無しになってしまう。涙以外にも、気持ちがあふれてしまうかもしれない。
「――いま言ったのが、理由の半分だ」
リヤーナの瞳に溜まった涙がこぼれ落ちる寸前、フォウの仮面にひびが入った。
フォウの顔がくしゃっと歪み、頬に赤みが差す。
「本当は、こんなこと言うべきじゃないってわかってる」
両手で髪をぐしゃっと掻き上げ、頭の後ろで手を組んだ。頭を抱えているようにも見える。
「もう半分は……正直、リィに見惚れて……ただ、したくなった」
視線をさまよわせ、たどたどしく言葉を紡ぐ姿は気弱で、普段のフォウとはかけ離れていた。
(……え? え? ちょっと待って。待って! フォウ先輩が、照れてる!?)
先ほどとは違った理由で、リヤーナはフォウの言っていることが理解できなかった。あまりに見慣れない光景に、涙は完全に引っ込んだ。
(『リィに見惚れて』……って、リィって私? 私しかいないよね? ただしたくなった、ってことは、ただしたくなったってこと? 指導じゃないの? でも半分って言ってた? 何それもうっ、どういうこと!?)
リヤーナの脳が処理能力の限界を超えて悲鳴を上げた。
照れてるフォウが尊い。このままずっと眺めていたい。
それはそれとして、フォウの真意も気になる。だがそれを尋ねたらいつものフォウに戻ってしまう可能性もある。
二つの感情がせめぎ合い、リヤーナは身動きが取れないでいた。
「気分を悪くさせてすまない」
リヤーナが無言でいる意味を誤解したのか、フォウは深々と頭を下げる。
「い、いえ……顔を上げてください。私こそ、大げさに騒いじゃってすみません」
リヤーナはどさくさに紛れて、フォウの顔にそっと触れた。
見た目通りに熱い。本当に照れているようだった。
(少なくとも気持ちのうちの半分は、本当に、私に見惚れて……キス、したくなったんだよね。九割くらいはメイクしてくれた先輩のおかげだけど、少しは女の人として見てもらえた……!)
リヤーナは目蓋を閉じて喜びを噛みしめる。
ついさっきまで泣きそうだったのが嘘のようだ。我ながら単純だと思う。
しかし、浮き立つ内心とは裏腹に、
「でも、その……先輩って……案外ちょろいんですね!」
リヤーナは恥ずかしまぎれにおどけてしまった。にっこり笑顔で煽る。
これも自覚している悪い癖のうちの一つだ。「妹」としての防衛機能が、フォウに対して素直な態度を取らせてくれない。
0
あなたにおすすめの小説
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
最強魔術師の歪んだ初恋
黒瀬るい
恋愛
伯爵家の養子であるアリスは親戚のおじさまが大好きだ。
けれどアリスに妹が産まれ、アリスは虐げれるようになる。そのまま成長したアリスは、男爵家のおじさんの元に嫁ぐことになるが、初夜で破瓜の血が流れず……?
世話焼き幼馴染と離れるのが辛いので自分から離れることにしました
小村辰馬
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢、エリス・カーマインに転生した。
幼馴染であるアーロンの傍にに居続けると、追放エンドを迎えてしまうのに、原作では俺様だった彼の世話焼きな一面を開花させてしまい、居心地の良い彼のそばを離れるのが辛くなってしまう。
ならば彼の代わりに男友達を作ろうと画策するがーー
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
転生したら4人のヤンデレ彼氏に溺愛される日々が待っていた。
aika
恋愛
主人公まゆは冴えないOL。
ある日ちょっとした事故で命を落とし転生したら・・・
4人のイケメン俳優たちと同棲するという神展開が待っていた。
それぞれタイプの違うイケメンたちに囲まれながら、
生活することになったまゆだが、彼らはまゆを溺愛するあまり
どんどんヤンデレ男になっていき・・・・
ヤンデレ、溺愛、執着、取り合い・・・♡
何でもありのドタバタ恋愛逆ハーレムコメディです。
魚人族のバーに行ってワンナイトラブしたら番いにされて種付けされました
ノルジャン
恋愛
人族のスーシャは人魚のルシュールカを助けたことで仲良くなり、魚人の集うバーへ連れて行ってもらう。そこでルシュールカの幼馴染で鮫魚人のアグーラと出会い、一夜を共にすることになって…。ちょっとオラついたサメ魚人に激しく求められちゃうお話。ムーンライトノベルズにも投稿中。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる