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第2章 指導編 一週目
2-7 子供扱いしないでください
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「本当に良い天気。思いきってお買い物に来て良かったわね」
リヤーナの隣を歩く女性が、シルクの手袋に覆われた手をひさしにして空を仰ぎ見た。
のんびりとした口調と、女性にしてややや低めなかすれたハスキーな声。温かな風にそよぐ青みがかった黒髪。印象的な切れ長の瞳。
並の男性よりも身長はあるが、隣にいるのはどこからどう見ても女性――しかも、男女問わずすれ違う人が振り返るくらいの絶世の美女だった。
昼前の商業区ということもあって人通りが多く、衆目を集めてしまっている。これではせっかく変装した意味がない。
「……そうですね」
眉間に小さな皴を寄せたリヤーナは、気のない相槌を打ち、指先に髪を巻き付ける。
「なんだよ。何か不満でもあるのか」
黒髪の美女はリヤーナの耳に唇を寄せ、いつも通りの声と口調で尋ねた。
美女の口から男性の声が発せられる違和感がすさまじく、正体がわかっていてもリヤーナの頭は混乱する。
「いいえ。日差しが気持ち良いですね、先輩」
リヤーナも空を見上げた。
透明感のある青が広がっており、ところどころ薄いヴェールのような雲に覆われている。
(私が勝手に期待しただけだから、不満ってわけじゃないんだけど……)
「フォウと二人でデート」を想定して服を選んだリヤーナとしては忸怩たるものがあった。
そわそわと玄関でフォウがやってくるのを待っていると、そこに現れたのは美女――に扮したフォウだった。
元々彫りが深く整った顔立ちはメイクによって優美さがプラスされ、甘さとクールさを絶妙に配合した色香が漂っている。
男性特有の直線的な身体のラインが出ないよう、羽織ものや重ね着で上手くカバーしていた。どういう視覚トリックを使っているのか、華奢で儚げにすら見える。
「買い物する時はこっちの方が得だからな」とフォウは女装の理由をつけていたが、リヤーナとしては色々と面白くない。メイク中に「やろうと思えばお前より美女になれるぞ」と言っていたし、対抗されたような気がする。
「どうした。美女たるもの、常に口角を上げておくものだぞ。それとも腹でも痛いのか?」
フォウは屈んでリヤーナと目線を合わせた。指でリヤーナの口角をぐいっと押しあげる。
「別にっ、大丈夫です!」
リヤーナは慌ててフォウの手を払った。
突然大声を上げたリヤーナに、往来の人々の視線が集まる。
「まぁ、意地悪を言ってごめんなさい。リィの好きなお菓子買ってあげるから許して?」
フォウは声色を変え、しなを作って困ったように微笑んだ。
女性目線だと身振り手振りが過剰に見えるが、男性に働きかけるにはこれくらいわかりやすく振舞ったほうが色っぽいのかもしれない。
「子供扱いしないでください」
この言い方自体がすでに子供っぽいなと思いつつ、リヤーナはフォウに背を向けて歩き始めた。
「じゃあ大人扱いしてやろうか」
あっさりと追いついたフォウが耳元で囁く。
地声を出す時はリヤーナにだけ聞こえるようにするため、いつもより距離が近かった。耳をかすめる声と息がくすぐったい。
「やっぱり子供扱いしてたんですね」
リヤーナは動揺を隠すためにわざと顔をしかめた。
「だって、可愛くてからかい甲斐があるんですもの」
フォウは顔に手を添え、にっこりと微笑む。
男女の切り替えがあまりに鮮やかでリヤーナはついていけない。
「ねえリィ、あの屋台のパイ、とっても美味しそうよ。いただきましょう」
言うが早いか、フォウは男の力でリヤーナを屋台の前まで引きずった。
小麦の焼けた香ばしい香りと甘いクリームの匂いがリヤーナの鼻腔をくすぐる。ばたばたしていたせいで朝食を食べていなかったことを思い出し、急に空腹感を覚えた。
「二つ包んでいただけるかしら。中のクリームは何種類かあるの?」
フォウは愛想良く男性店主に話しかける。
「チーズクリームと、それにオレンジピールを混ぜ込んだものの二種類です。どちらもコーヒーとよく合いますよ。麗しい姉妹と出会えた記念に、良ければ当店こだわりのコーヒーをサービスしますよ」
店主はフォウとリヤーナに向かって慣れた風にウインクをしてみせた。
「姉妹……」
「まぁ、ありがとうございます。じゃあ一種類ずつお願いしようかしら」
唖然としているリヤーナをよそに、フォウはリヤーナを背中に庇うように一歩前へ出る。
口元に手を当てて照れ笑いを浮かべているが、なんとなくぴりぴりとしているのがリヤーナに伝わってきた。
「リィはどっちが食べたい?」
フォウは店主から包み紙でくるんだパイを受け取ると、リヤーナに差し出した。
パイは巻き貝に似た形をしており、あふれるほどクリームが詰められている。南東の沿岸地方で古くから食べられている焼き菓子で、スフォリアテッラという名前なのだと店主が説明していた。
「えっ……あっと、オレンジピールが入っている方で」
「はい、どうぞ」
受け取ったパイは、まだほんのりと温かい。
リヤーナは誘惑に耐えきれず一口かじった。ぱりっぱりに焼けた食感豊かなパイ生地とフレッシュなクリームがよく合う。クリーム自体は甘めだが、オレンジピールの酸味とほろ苦さがちょうど良いアクセントになっていて食べ飽きない。かじるたびにパイ生地の破片が飛び散るのだけが難点だ。
「ふふっ、そんなにお腹がすいていたの? こんなに欠片を散らして。鼻にも、クリームが付いてしまっているわよ」
フォウは目を細め、リヤーナの顔を覗き込んだ。手袋をした指で髪に付いたパイの欠片を払う。
「え、うそっ」
リヤーナは焦って指でぬぐおうとするが、フォウに手首をつかまれた。髪を払った時とは違い、紛うことなき男性の力がかけられる。
透明感のあるプラムカラーで彩られたフォウの唇が、一瞬、悪戯っぽく歪んだ。
ちゅっとリヤーナの鼻の頭にキスが落とされる。
「こっちも美味しい、わね」
唇に付いたクリームを舐めとるフォウの舌が、ひどく艶めかしい。
遠くの方で、はやし立てるような口笛や黄色い悲鳴が聞こえた。
「な、に、やって……!」
リヤーナは赤く染まっていく頬と声とを震わせた。
「食べ歩きもいいけれど、どこか座れる所でいただきましょう。ね?」
フォウは可愛らしく小首をかしげ、リヤーナの腕を取る。
去り際に、フォウが店主に対して敵愾心を剥き出しにした視線を向けたような気がしたが、きっと何かの見間違いだろう。
リヤーナの隣を歩く女性が、シルクの手袋に覆われた手をひさしにして空を仰ぎ見た。
のんびりとした口調と、女性にしてややや低めなかすれたハスキーな声。温かな風にそよぐ青みがかった黒髪。印象的な切れ長の瞳。
並の男性よりも身長はあるが、隣にいるのはどこからどう見ても女性――しかも、男女問わずすれ違う人が振り返るくらいの絶世の美女だった。
昼前の商業区ということもあって人通りが多く、衆目を集めてしまっている。これではせっかく変装した意味がない。
「……そうですね」
眉間に小さな皴を寄せたリヤーナは、気のない相槌を打ち、指先に髪を巻き付ける。
「なんだよ。何か不満でもあるのか」
黒髪の美女はリヤーナの耳に唇を寄せ、いつも通りの声と口調で尋ねた。
美女の口から男性の声が発せられる違和感がすさまじく、正体がわかっていてもリヤーナの頭は混乱する。
「いいえ。日差しが気持ち良いですね、先輩」
リヤーナも空を見上げた。
透明感のある青が広がっており、ところどころ薄いヴェールのような雲に覆われている。
(私が勝手に期待しただけだから、不満ってわけじゃないんだけど……)
「フォウと二人でデート」を想定して服を選んだリヤーナとしては忸怩たるものがあった。
そわそわと玄関でフォウがやってくるのを待っていると、そこに現れたのは美女――に扮したフォウだった。
元々彫りが深く整った顔立ちはメイクによって優美さがプラスされ、甘さとクールさを絶妙に配合した色香が漂っている。
男性特有の直線的な身体のラインが出ないよう、羽織ものや重ね着で上手くカバーしていた。どういう視覚トリックを使っているのか、華奢で儚げにすら見える。
「買い物する時はこっちの方が得だからな」とフォウは女装の理由をつけていたが、リヤーナとしては色々と面白くない。メイク中に「やろうと思えばお前より美女になれるぞ」と言っていたし、対抗されたような気がする。
「どうした。美女たるもの、常に口角を上げておくものだぞ。それとも腹でも痛いのか?」
フォウは屈んでリヤーナと目線を合わせた。指でリヤーナの口角をぐいっと押しあげる。
「別にっ、大丈夫です!」
リヤーナは慌ててフォウの手を払った。
突然大声を上げたリヤーナに、往来の人々の視線が集まる。
「まぁ、意地悪を言ってごめんなさい。リィの好きなお菓子買ってあげるから許して?」
フォウは声色を変え、しなを作って困ったように微笑んだ。
女性目線だと身振り手振りが過剰に見えるが、男性に働きかけるにはこれくらいわかりやすく振舞ったほうが色っぽいのかもしれない。
「子供扱いしないでください」
この言い方自体がすでに子供っぽいなと思いつつ、リヤーナはフォウに背を向けて歩き始めた。
「じゃあ大人扱いしてやろうか」
あっさりと追いついたフォウが耳元で囁く。
地声を出す時はリヤーナにだけ聞こえるようにするため、いつもより距離が近かった。耳をかすめる声と息がくすぐったい。
「やっぱり子供扱いしてたんですね」
リヤーナは動揺を隠すためにわざと顔をしかめた。
「だって、可愛くてからかい甲斐があるんですもの」
フォウは顔に手を添え、にっこりと微笑む。
男女の切り替えがあまりに鮮やかでリヤーナはついていけない。
「ねえリィ、あの屋台のパイ、とっても美味しそうよ。いただきましょう」
言うが早いか、フォウは男の力でリヤーナを屋台の前まで引きずった。
小麦の焼けた香ばしい香りと甘いクリームの匂いがリヤーナの鼻腔をくすぐる。ばたばたしていたせいで朝食を食べていなかったことを思い出し、急に空腹感を覚えた。
「二つ包んでいただけるかしら。中のクリームは何種類かあるの?」
フォウは愛想良く男性店主に話しかける。
「チーズクリームと、それにオレンジピールを混ぜ込んだものの二種類です。どちらもコーヒーとよく合いますよ。麗しい姉妹と出会えた記念に、良ければ当店こだわりのコーヒーをサービスしますよ」
店主はフォウとリヤーナに向かって慣れた風にウインクをしてみせた。
「姉妹……」
「まぁ、ありがとうございます。じゃあ一種類ずつお願いしようかしら」
唖然としているリヤーナをよそに、フォウはリヤーナを背中に庇うように一歩前へ出る。
口元に手を当てて照れ笑いを浮かべているが、なんとなくぴりぴりとしているのがリヤーナに伝わってきた。
「リィはどっちが食べたい?」
フォウは店主から包み紙でくるんだパイを受け取ると、リヤーナに差し出した。
パイは巻き貝に似た形をしており、あふれるほどクリームが詰められている。南東の沿岸地方で古くから食べられている焼き菓子で、スフォリアテッラという名前なのだと店主が説明していた。
「えっ……あっと、オレンジピールが入っている方で」
「はい、どうぞ」
受け取ったパイは、まだほんのりと温かい。
リヤーナは誘惑に耐えきれず一口かじった。ぱりっぱりに焼けた食感豊かなパイ生地とフレッシュなクリームがよく合う。クリーム自体は甘めだが、オレンジピールの酸味とほろ苦さがちょうど良いアクセントになっていて食べ飽きない。かじるたびにパイ生地の破片が飛び散るのだけが難点だ。
「ふふっ、そんなにお腹がすいていたの? こんなに欠片を散らして。鼻にも、クリームが付いてしまっているわよ」
フォウは目を細め、リヤーナの顔を覗き込んだ。手袋をした指で髪に付いたパイの欠片を払う。
「え、うそっ」
リヤーナは焦って指でぬぐおうとするが、フォウに手首をつかまれた。髪を払った時とは違い、紛うことなき男性の力がかけられる。
透明感のあるプラムカラーで彩られたフォウの唇が、一瞬、悪戯っぽく歪んだ。
ちゅっとリヤーナの鼻の頭にキスが落とされる。
「こっちも美味しい、わね」
唇に付いたクリームを舐めとるフォウの舌が、ひどく艶めかしい。
遠くの方で、はやし立てるような口笛や黄色い悲鳴が聞こえた。
「な、に、やって……!」
リヤーナは赤く染まっていく頬と声とを震わせた。
「食べ歩きもいいけれど、どこか座れる所でいただきましょう。ね?」
フォウは可愛らしく小首をかしげ、リヤーナの腕を取る。
去り際に、フォウが店主に対して敵愾心を剥き出しにした視線を向けたような気がしたが、きっと何かの見間違いだろう。
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