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第四章 蛇神アイゼン

4-9 にがくてあまい

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 身体の内側がふつふつと泡立っている。これ以上温度が上がらないのに、なお煮立てられている湯のようだ。
 サヴィトリは目をつむったまま、意識して寝返りを打つ。ベッドの端の冷えたシーツが心地よかったが、すぐに体温がなじんでしまった。
 嫌な汗が全身からふき出ているのがわかる。体温を奪うことなく、ただ肌の上でねばついている。

(熱い……気持ち悪い……風邪でもひいたかな……)

 サヴィトリは仕方なく目蓋を開き、手探りで明かりをつけた。
 夜はまだ深い。寝ないで朝を待つのはつらそうだ。

(シャワー……いや、顔を洗うだけでも気分が変わるかな)

 熱と疲労で朦朧とする中、サヴィトリはなんとか起きあがった。おぼつかない足取りで洗面所を目指す。

「今日は良い夜ですね、花嫁」

 部屋を出てすぐ、何かにぶつかった。
 顔を上げて見てみると、二度と見たくない人物――蛇の化生がそこにいた。

「なぜお前がこんな所に……!」

 サヴィトリは反射的に、相手の腹部目がけてケンカキックを放った。へそのあたりに綺麗に靴底がめり込む。

「おぉぅふっ……! い、言ってることと、やってることが、バラバラです……」

 アイゼンはぷるぷると全身を痙攣させ、蹴られた腹部を押さえた。
 冷や汗をだらだらとかき、今にも吐きそうな顔をしている。うまく腸にダメージがいったようだ。

「お前に構っている暇などない!」

 サヴィトリはアイゼンを避け、壁伝いに歩く。
 怒ったせいで、また体温が上がった気がする。

「秘密の通路を使ってわざわざここまで来たのに……」
「来るな! 帰れ!」
「あんまり長く泉から離れられないので、用件が終わったらすぐに帰りますよ。というわけで、ちゃっちゃと交尾しましょう!」

 サヴィトリは、へし折るつもりでアイゼンの脛に蹴りを入れた。
 体調不良であまり力が乗せられなかったが、アイゼンをしゃがませるのには充分だった。

「うぅ……おかしいなぁ。そろそろ遅効性の媚薬が効き始める頃なんですけど……」

 聞き捨てならないことをアイゼンが呟く。
 まるでそれが引き金になったかのように、サヴィトリの身体の奥が熱くなった。一瞬にして身体の末端まで熱が伝播する。
 腰が砕け、立っていられない。吐き出す息が、熱くて湿っぽくて気持ち悪い。

「ああよかった。ちゃんと効いているじゃないですか。それでは――」

「ふん、屋内だから控えめに焼いてあげるよ」

 アイゼンの頭部が青い炎に飲みこまれた。
 肉の焦げる嫌な臭いが廊下に充満する。

「どこが控えめなんですか!」

 炎に包まれた部分がぽろりと落ち、すぐさま新しいアイゼンの頭が生えてきた。
 もはや脱皮というレベルではない気がする。

「じゃあ次は遠慮なく」

 ナーレンダはこの上なく楽しそうに笑い、アイゼンにむかって手のひらをむけた。
 青い炎がぐるぐると渦巻き、体積を増していく。
 室内の温度が一気に上がる。
 その場にいるだけで汗が噴き出す。

「あなた本当に嫌いです!!」

 アイゼンは涙目になり、どこかへと全力で走り去ってしまった。
 いったい何をしに来たのだろうか。

「まったく、こんな夜中に無駄にエネルギーを使わせて」

 ナーレンダが払うように手を振ると、青い炎が一瞬でかき消えた。
 熱源が消え、急速に室温が冷える。

「二度あることは三度ある、か。全然諦めてなさそうだし、やっぱり焼却しておくべきだったかな」

 ナーレンダは髪をかきあげ、アイゼンの消えた方向を見つめた。

「ありがとう、助けてくれて。やっぱりナーレはすごいね」

 サヴィトリはナーレンダにお礼を言う。身体の変調のせいでうまく笑えなかった。
 壁にもたれかからないと、立っていることもままならない。

(熱い……確か、ナーレは回復系の術も使えたような。ダメ元で頼んでみようかな)

「大丈夫、サヴィトリ? だいぶ具合が悪そうだけど」

 説明するよりも先に、ナーレンダが心配そうに顔を覗きこんできた。熱を測るようにサヴィトリの額に手を当てる。
 サヴィトリは頬が熱くなるのを感じ、顔を背けた。

「その、あいつは遅効性の媚薬だって、言ってた……」
「あんの阿呆蛇!!」

 ナーレンダは口元を引きつらせ、ほとんど灰になったアイゼンの抜け殻を踏み潰した。

「さて、と。ここじゃなんだから、僕の部屋に移動しよう」

 ナーレンダはしゃがんでサヴィトリに背をむけた。乗れということだろう。
 サヴィトリはナーレンダの首に手をまわし、体重を預ける。昔はよくこうしておんぶをしてもらった。

「ふん、勝手に大きくなっちゃって」

 どこか拗ねたようにナーレンダは言う。
 立ちあがる時だけ少しふらついたが、しっかりと背負って歩く。

「ごめん、もう重いよね」
「別に」

 ナーレンダは会話の流れを切るように、サヴィトリを背負い直した。

* * * * *

「え? え? え? え? いきなりなんですかナーレンダさん! ベッド譲ったじゃないですか! これ以上俺に何を譲れって――」

「とにかく出ろ」

 部屋につくなり、ナーレンダは中にいたジェイを強制的に追い出した。
 そういえばナーレンダとジェイが相部屋だった。
 今まではナーレンダがカエル姿だったからよかったものの、二人同じ部屋では窮屈だろう。

「ごめん、ジェイ。ちょっとだけ部屋貸して」

 サヴィトリは、ナーレンダの肩越しに頭を下げる。

「どうしたのサヴィトリ。熱でもあるの?」
「お前はさっさと出て行け」

 ナーレンダは問答無用でジェイを部屋の外に蹴り出した。毛布を一枚投げてから、ドアの鍵を閉める。
 ドアを叩く音とジェイのわめき声が響いたが、ほどなくして聞こえなくなった。

「確か鎮静剤があったはず」

 サヴィトリをベッドに寝かせると、ナーレンダは荷物をあさり始めた。

「荷物なんか持ってきてたの?」
「前に言わなかったっけ? 身に着けていた物ごとすべてカエルにされたって。 君の指輪と同じように、物体を収納できる術具を持ってるんだよ」

 紐を通した白色の珠を取り出し、荷物の上にかざした。荷物が一瞬ぐにゃりと歪み、珠に吸いこまれるようにして消えた。
 白色だった珠は黒く変色している。

「なんか四次元ぽ――」
「やめなさい」

 ナーレンダは険しい顔をし、サヴィトリの口に何かを押しこんだ。
 よく見えなかったが、何か丸い物が口の中に入っているのがわかる。

「なに……苦っ!」

 舌の上で二、三度転がしたところで、苦みがじわりと染み出てきた。
 舌の細胞一つ一つにまとわりつく。
 唾を飲みこむと、喉の奥まで苦くなるような感覚がする。

「良薬口になんとやら、だよ。それくらい我慢なさい。あ、噛んだり飲みこんだりしたらもう一錠だからね」

 サヴィトリが丸薬を吐き出す前に、ナーレンダの手が口を押さえつけた。
 サヴィトリは仕方なく丸薬を舐める。
 意外に柔らかく、丸薬は口の中でほろほろと溶け出した。緑茶の嫌な苦みを何倍にも凝縮したような味だ。苦さのあまり、視界が涙で潤んでくる。
 しかしそのおかげなのか、身体の熱さが急速に引いていくのがわかった。
 すーっと霧が晴れていくようで気持ちがいい。

「まったく、一番最初に見つけたのが僕でよかったよ」

 ナーレンダは手をはずし、サヴィトリの目元をぬぐった。

「どうして?」
「他の奴らだったらどうなっていたことやら」
「どうなってたの?」
「……馬鹿なの、君」

 ナーレンダの口調も表情も、明らかに呆れている。

「どうして馬鹿呼ばわりされなきゃいけないんだ」

 サヴィトリは口をとがらせる。
 考えてもわからないから聞いたのに。

「想像力のない子だね」

 ナーレンダはため息をこぼし、サヴィトリの顔の横に手をついた。ベッドが軋む音。面倒くさそうにサヴィトリに覆いかぶさり、顔を寄せる。
 サヴィトリの肌も白いほうだが、ナーレンダは更に色素が薄い。見ていて不安になるくらいに。

「こういうこと」
「わ、わざわざありがとう」

 ナーレンダの実演のおかげでよくわかった。
 だが、別の疑問が新たに生じる。

「でも、そんなにみんなは理性がたりないのか、よほど飢えているのか?」

 と尋ねると、ナーレンダの眉がきりきりとつり上がった。
 かなりイラついている時の顔だ。

「馬鹿」

 ナーレンダはまた何かをサヴィトリの口の中に押しこんだ。
 形や大きさは同じだが、今度は頭が痛くなるほど甘い。まるで砂糖の塊のようだ。

「それでも舐めてなさい。噛んだら、もう一粒だからね」

 苦い丸薬と違い、今度の物はなかなか溶けない。
 一生懸命舐めていると、次第に目蓋が重くなってきた。頭に刺さるほどだった甘さは、いつの間にかトゲがなくなり、うっとりと心地の良いものに変わる。

「おやすみ、サヴィトリ」

 意識が落ちる寸前、何かが目蓋に触れたような気がした。
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