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第1話
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「彩、朝ごはんできたよー」
1階から声を張り上げる、母さんの声が聞こえてくる。
彩は自室のベッドの上で力なく寝転がったまま、ぼんやりと天井を見上げていた。
あれからもう、1週間。
会社にも行かず、ずっと家に籠もって寝たきりである。
スマホには、竹下からの着信履歴が山のように残っていたが、一切無視していた。
というか、何もする気になれない。
最初のうちは、親友のアズサに裏切られたこと、そして翔さんに振られたことの二重ショックでずっと泣き続けていたが、いつしか涙も出なくなった。
何もかもが、どうでも良くなっている。
そもそも、この歳になって結婚しようなどと急に思い立たなければ、こんな酷い目に遭うこともなかったんだ。
婚活なんか、始めるんじゃなかった。
思うのは、後悔ばかり。
「彩! ごはん冷めちゃうよ!」
母さんの怒鳴る声がする。
彩はもそもそと起き上がると、ぼさぼさに跳ね上がった髪のまま1階へと降りていった。
キッチンに行くと、家族でひとり痩せこけた父さんが、いつものように小さい器のごはんに味噌汁を細々と食べている。
彩が無言で座ると、既にテーブルには牛丼とうどんとカレーライスが並べられていた。
「母さん、わたし食欲ないから、こんなに食べれないよ」
「じゃあ、食べられるだけでいいから。とにかく食事は基本、食べないと元気も出ないよっ」
ずっと家で寝てばかりの彩に、両親は腫れ物を触るように接してくる。
なにせこれまで入社以来、無遅刻無欠勤の記録を続けてきた彩が1週間も会社を休んでいるのである。
おそらく結婚のことと想像はついているだろうが、今はそっとしておくように示し合わせたんだろう。
彩はため息をつきながら箸を手に取ると……。
次の瞬間、人が変わったかのように朝食を猛烈な勢いで食べ始めた。
これだけ心が沈んでいるのに、食欲が全く衰えないのは謎である。
だが、最後に残った大盛りカレーライスを、ほんの一口残したところでスプーンを置いた。
「もう、いいや……」
そう、私は悲劇のヒロイン。夢も希望も、もはやない。
だから、好き勝手に食べるのは、もう辞めにしたんだ。
おそらく体重も、そのうち減るに違いない。痩せこけて死んでしまえば本望である。(と思って毎日体重計に乗っているが、減るどころか増えている。おそらく食っては寝てばかりいるせいだろう)
「彩、食後のバナナは!」
母さんは容赦ないな~。
「いや、いらないよ……」
そんな彩を見て、父さんが聞き取れないほどの小声でぼそっと言う。
「失恋するってのも、健康にはいいかもな」
朝食が終わると、彩は再び自室のベッドに戻る。
そして、頭をからっぽにして、ひたすら眠りにつくのだった。
*
スマホの着信音に、目が覚める。
ああ~、せっかく楽しい夢見てたのにな~。
翔さんと食事してる夢。
私ってば、ハンバーグを30皿も食べちゃって、翔さん、笑いながらも呆れてたっけ。
ああ……翔さんのことはもう、考えないと決めたんだった……。
彩は枕元にあったバナナを剥くと、それを瞬時に一口で食べ尽くした。
着信音は、まだ鳴り終わらない。
竹下くん……いくら掛けて来たって、今は電話に出る気ないから。
それにしても今日はちょっと、しつこすぎない?
仕方なしにスマホを手に取り、画面を見つめる。
発信元は、部長だった。
部長から直々に掛かってくるのは、休んでから初めてのことである。
さすがにこれは、出るしかない。
「はい……杉崎です……」
「おお、杉崎くん! ずいぶん休みが続いているようだが、体調はどうかね?」
「まあ、なんとか……」
「休みのところ申し訳ないんだが、ちょっとマズい事態になってしまって電話したんだ」
「どうしたんですか?」
すると部長は、いかにも言いづらそうな声となる。
「実は……やっとパソコンの電源というものがわかったから、何気なしに社員なんとかというやつ、ああ、なんだっけかな?」
「社員情報管理システム、ですか」
「そうそれだ。そいつを初めて触ってみたんだが……なぜか、すっかり消えてしまってね……」
「データを消しちゃったんですか!?」
前に竹下が、やらかした過ちと同じである。
「営業やら人事から、ばんばん電話が掛かってきて大変な状況なんだ。竹下くんに聞いたら、データとやらを戻すためには、杉崎くんだけが知っているパパワールドとやらが必要だと言う」
「……パスワードですね?」
「そうそう、それ。取り急ぎ、そのパパワールドとやらを教えてもらえんか? あとはこっちで、なんとかするから」
なぜか、ぱっと目が覚めた。
こんな大変な事態……部長と竹下くんだけに任せておけない。
それは、長年染みついた会社員としての義務感でもあった。
「部長! すぐ行きますからっ!!」
1階から声を張り上げる、母さんの声が聞こえてくる。
彩は自室のベッドの上で力なく寝転がったまま、ぼんやりと天井を見上げていた。
あれからもう、1週間。
会社にも行かず、ずっと家に籠もって寝たきりである。
スマホには、竹下からの着信履歴が山のように残っていたが、一切無視していた。
というか、何もする気になれない。
最初のうちは、親友のアズサに裏切られたこと、そして翔さんに振られたことの二重ショックでずっと泣き続けていたが、いつしか涙も出なくなった。
何もかもが、どうでも良くなっている。
そもそも、この歳になって結婚しようなどと急に思い立たなければ、こんな酷い目に遭うこともなかったんだ。
婚活なんか、始めるんじゃなかった。
思うのは、後悔ばかり。
「彩! ごはん冷めちゃうよ!」
母さんの怒鳴る声がする。
彩はもそもそと起き上がると、ぼさぼさに跳ね上がった髪のまま1階へと降りていった。
キッチンに行くと、家族でひとり痩せこけた父さんが、いつものように小さい器のごはんに味噌汁を細々と食べている。
彩が無言で座ると、既にテーブルには牛丼とうどんとカレーライスが並べられていた。
「母さん、わたし食欲ないから、こんなに食べれないよ」
「じゃあ、食べられるだけでいいから。とにかく食事は基本、食べないと元気も出ないよっ」
ずっと家で寝てばかりの彩に、両親は腫れ物を触るように接してくる。
なにせこれまで入社以来、無遅刻無欠勤の記録を続けてきた彩が1週間も会社を休んでいるのである。
おそらく結婚のことと想像はついているだろうが、今はそっとしておくように示し合わせたんだろう。
彩はため息をつきながら箸を手に取ると……。
次の瞬間、人が変わったかのように朝食を猛烈な勢いで食べ始めた。
これだけ心が沈んでいるのに、食欲が全く衰えないのは謎である。
だが、最後に残った大盛りカレーライスを、ほんの一口残したところでスプーンを置いた。
「もう、いいや……」
そう、私は悲劇のヒロイン。夢も希望も、もはやない。
だから、好き勝手に食べるのは、もう辞めにしたんだ。
おそらく体重も、そのうち減るに違いない。痩せこけて死んでしまえば本望である。(と思って毎日体重計に乗っているが、減るどころか増えている。おそらく食っては寝てばかりいるせいだろう)
「彩、食後のバナナは!」
母さんは容赦ないな~。
「いや、いらないよ……」
そんな彩を見て、父さんが聞き取れないほどの小声でぼそっと言う。
「失恋するってのも、健康にはいいかもな」
朝食が終わると、彩は再び自室のベッドに戻る。
そして、頭をからっぽにして、ひたすら眠りにつくのだった。
*
スマホの着信音に、目が覚める。
ああ~、せっかく楽しい夢見てたのにな~。
翔さんと食事してる夢。
私ってば、ハンバーグを30皿も食べちゃって、翔さん、笑いながらも呆れてたっけ。
ああ……翔さんのことはもう、考えないと決めたんだった……。
彩は枕元にあったバナナを剥くと、それを瞬時に一口で食べ尽くした。
着信音は、まだ鳴り終わらない。
竹下くん……いくら掛けて来たって、今は電話に出る気ないから。
それにしても今日はちょっと、しつこすぎない?
仕方なしにスマホを手に取り、画面を見つめる。
発信元は、部長だった。
部長から直々に掛かってくるのは、休んでから初めてのことである。
さすがにこれは、出るしかない。
「はい……杉崎です……」
「おお、杉崎くん! ずいぶん休みが続いているようだが、体調はどうかね?」
「まあ、なんとか……」
「休みのところ申し訳ないんだが、ちょっとマズい事態になってしまって電話したんだ」
「どうしたんですか?」
すると部長は、いかにも言いづらそうな声となる。
「実は……やっとパソコンの電源というものがわかったから、何気なしに社員なんとかというやつ、ああ、なんだっけかな?」
「社員情報管理システム、ですか」
「そうそれだ。そいつを初めて触ってみたんだが……なぜか、すっかり消えてしまってね……」
「データを消しちゃったんですか!?」
前に竹下が、やらかした過ちと同じである。
「営業やら人事から、ばんばん電話が掛かってきて大変な状況なんだ。竹下くんに聞いたら、データとやらを戻すためには、杉崎くんだけが知っているパパワールドとやらが必要だと言う」
「……パスワードですね?」
「そうそう、それ。取り急ぎ、そのパパワールドとやらを教えてもらえんか? あとはこっちで、なんとかするから」
なぜか、ぱっと目が覚めた。
こんな大変な事態……部長と竹下くんだけに任せておけない。
それは、長年染みついた会社員としての義務感でもあった。
「部長! すぐ行きますからっ!!」
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