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283 古参が怖い顔
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榎本とガルドは必死に誤解を解いた。
「いうほど待遇悪くなかったぞ!?」
「そう、叶野は普通にオーナー……小グループのリーダー、か。その人のことが好きなのかも。なんだかすごく、その……」
「惚れてるってこと?」
「アネさんって呼んで、な」
「それ、普通にストックホルム症候群」
ガルドが首をかしげると、メロが続けて説明をした。
「ほら、誘拐した犯人に妙な感情抱くやつ」
「ああ……確かに」
ガルドは叶野のことを思い出す。おそらくジャスティンを監視しているだろうが、ジャスティンからはハリネズミ型ペットのカノウがいなくなってしまった今、ストックホルム症候群のような間柄になることはない。
しかし逆に、外国人ばかりに囲まれる中唯一同じ国の同じ言語を使う女が梅干しを施すような犯人だった場合、あらぬ感情を抱く可能性は十分にあった。
「かわいそうに」
「日電からスパイで来て、捕まって、いいように使われてるらしい。叶野……なんだったかな。下の名前を聞きそびれた」
「おう、なんと! カノウ? 名前が全く同じとは! 奇跡だな!」
「感想ほかにないのかよ。いいか、今は外から中への監視が手薄だ。んでもって内部データの抽出で音声を拾ってたのが、俺らのペットどもだ。そいつらがいない今はこうやって話してても問題ないが、文字データはNGなんだよ。チャットで打つなよ? そういうデータは叶野たちでも読めるからな」
「なるほど……なんとなく分かってきたぞ」
マグナがしきりに頷いている。
「マグナは理解が早くて助かるぜ」
「いや、現状文字に起こすと危険だとはとっくに理解していたが。そもそも音声の切り抜きが困難だという不思議な状況について、のほうだ。おかしいだろう? 思わないか?」
不敵に笑うマグナに榎本は困惑する。不思議には思っていない、という顔だ。
「あれっ、言われてみれば確かにそうだね。文章データは抽出できるのに、ただの音声が無理だなんて……中の音をマイクで集音するだけなのにね」
夜叉彦が首を傾げ、その隣に胡座をかくジャスティンは身体を横に大きく曲げて「?」のアイコンを出した。
「ジャス、そのエモーションアイコンは外に伝わるぞ。だがお前が『分からん』と口にしたところで、アイツらには何も通じない」
「ふーむ、なるほど?」
「分かってるのか?」
「まぁまぁ」
「……詳しく言うとだな。音のデータを解析できない状況を作っている原因がこのフルダイブ先、元々ベースにされているフロキリのせいだということだ。拉致される前から、内蔵の自動翻訳アプリで自動的に会話ログを残すシステムの実装の噂くらいはあっただろう? 最新のゲームタイトルではメジャーな機能だ。だがフロキリには影も形もなく、噂だけが独り歩き。実際今日に至るまで、フロキリにユニバーサルデザインの面でのアプデはゼロだった」
「ユニバ?」
「バリアフリー化のことだ。聴覚障害者でも楽しめるように字幕等で配慮するのは普通のことだろう? フロキリでは皆無だが」
マグナの説明に榎本とガルド以外が「ふんふん」と神妙な顔をして頷く。ガルドたちはちょっと気が気ではない。ミッドウェー島だとは伝わったが、カナダにいるオーナー・タツタに関する情報やソロの位置、一人ロシアにいるらしい三橋など、大事な伝達事項が山ほどある。頼みの綱の田岡を見るが、集中力切れで口をモゴモゴさせたまま目を閉じていた。
「やれやれ」
「……うん」
ガルドと榎本は顔を見合わせ、しばし休憩の姿勢を取った。ベッドに寝転がる。マグナの声はハキハキとしていて、寝ぼけ眼な榎本もまだ寝入る気配ではなかった。
「もし文字起こしのためのアプリを組んだとしてだな……いざ今コレに実装しようとしたところで、『反映のための再起動』ができないだろう。俺たちがずっとログインしていては、使っているアプリケーションの部分のアップデートができない。音声系のシステムにはすでに全プレイヤー対象の多言語支援がついているから……」
「多言語支援って、英語翻訳のこと?」
「そうだ。これを生かしつつさらにアプデとなると、一度翻訳のアプリも再起動しなければならない。そうなると、ログアウトは必須だ」
「なるほど、確かにね」
マグナの説明に、ガルドは一つ気になる点があった。口には出さずに思うことで記憶に留めておく。
ガルドと榎本がログアウトしてしまった際、Aが言っていたことだ。「BJグループの六人は睡眠のたびに一旦ログアウト処理されている」らしい。だが、ほかの面々はどうだろうか。ログアウト中に目を覚ましたガルドが施設を歩き回っていたケースのように、ログイン・ログアウトをすればするほど想定外のことが起こる危険性が増す。
ならば、と田岡や部屋のドアを見た。BJ以外のプレイヤーでログアウトをしている人間はいないだろう。六人以外のプレイヤーに細かく手を掛けるだけのリソースがないのだとAも愚痴を言っていた。
「ログアウトさせるのに手間がかかる。なら、そうする暇も惜しい……とか?」
「だろうな。実際ペット・システムの実装も、途中まではよかったが不具合で撤退したんだと見るべきだろう。メンテに割く人員不足、もしくは技術不足……だな」
「人手はともかく、技術については救いようがないよ」
「見切り発車感半端ないね」
呆れている仲間たちを横目に、ガルドと榎本は渋い顔をしたまま無言だった。聞こえないよう文字を飛ばすのも避けて、無言のまま目で話をする。ガルドから見た榎本は「あーあー面倒な話になってきたぜ」と言っているように聞こえた。合っているか分からないが、ガルドも「やれやれ」という目をする。
実装されたペットの機能が消えたのは、十中八九ハワイ島での一件のせいだ。そもそもペット機能はAによるその場しのぎの独断実装だった。BJグループの支援にちょうどいいから他の面々も参加しただけで、そのコンタクターたちが全員それどころではなくなった今、メンテナンスに割く人員はゼロになったのだろう。
途中を大きく省いているが、末端の結果としては同じだからいいだろう。後でまとめて言うとして、今はいいかとガルドは顔の力を抜いた。後で打ち明けよう。今はいい。カミングアウトは苦しいが、榎本に一度話しているためガルドの気持ちは幾分か軽かった。
「で、どうやってだ?」
「え?」
マグナの目がまっすぐ榎本を見ている。ちらっとガルドを通り過ぎたが、メインで訊ねたいのは榎本のようだ。
「ログアウトが難しいだろう環境下で、お前たち二人だけどうやってログアウトさせられたのか……分かる限りで共有してくれ」
「どうやってっていうのは……そうだな……」
眠そうな榎本がガルドを見た。口下手で言葉が足りないガルドにとって、こうした説明や解説は心底苦手なことの一つだった。無言のまま小さく頷く。
「えーっと、いや、方法? 理由じゃなくか?」
「理由など分かるのか?」
「いや、分からねぇけど」
「そもそも犯人の動機など知らん。興味ない。俺たちはどうやったらログアウトできるのか、その一点こそ重要だ」
ガルドは首を傾げた。ログアウトさせられた理由には、ガルド自身覚えがある。Aだ。伯爵山の中にある空中戦フィールドでの戦いで長く起きていたガルドたちを気遣い、睡眠薬を与え一旦ログアウトさせ、その間は眠っている自動モーションをあてがわれていた。
そもそものルーティーンがあるからこその特例だと思い至り、ガルドはその部分を説明し始めた。
「そもそも毎回みんな、寝ている間はログアウトしている」
「えっ」
「ま、まじで!?」
「……確かに、それならばジャスの寝起きの良さという謎が解けるが」
「む? 何の話だ?」
「え~? ジャスぅ、物音でも体揺らしても起きない寝汚さで有名じゃん。でもこっちに来てからやけにスムーズに起きるようになったよね」
「寝起き? ああ、なぜか知らんが不思議とぱっちり切り替わるようになったぞ?」
「それさぁ……ログアウトさせて脳休ませて、誰かが起こしに来るのに合わせてログインさせて、その衝撃みたいなやつで強制的にタイミングよく起こしてる……ってこと?」
おそらく正解だ。Aやムリフェインの顔はわからないが、ジャスティンの担当をしている者の顔はわかる。彼がジャスティンの睡眠に合わせてログアウト処理をし、起きる時間より前にログイン処理をし、他人が起こしにくるような外部刺激に合わせて脳波コンを操作し、寝汚いジャスティンを叩き起こしているのだろう。
「多分」
「っかー、なるほどなー! ログアウト処理をしてた子たちがペットの姿で顔を出してくれた、ってことか!」
「メロのは分からない。AI、あまり頭良くなかった」
「うっ! 確かにオウム返しばっかりで、ろくな会話できるクオリティじゃなかったけどさ」
「他のメンバーはそうやってメンテナンスされてたんだね。なんだかありがたいや」
「今は亡きピートに礼を言わなければな」
死んだことにされているコンタクターについて、ガルドは追加の情報を四人に話した。
「ムリフェイン・アルファルド・ベテルギウスは間違いなく人間。ピートがアルファルド。ムリフェインは榎本のドラゴン。ベテルギウスは……」
「俺のオコジョ!」
夜叉彦が満面の笑みで叫んだ。あみぐるみを作るような夜叉彦がペットに入れ込まないわけがなく、ガルドの想像通り、夜叉彦は目をウルウルさせてオコジョのベテルギウスを惜しんでいた。
「いいやつだった」
「うん……あれ? いや、中に人間がいたってことだよね? 犯人じゃん! いいやつじゃなかった!」
「そうでもない。ムリフェイン以外は金目的での参加らしい」
「カネぇ!? 報酬目当て!?」
「賃金未払いどころか、同業に殺されかけて怒ってる」
「こ、ころされかけ?」
「なんかあったの、外」
「物騒な響きだなぁ。あと俺のカノウは日本人で人質、と……ウウム」
ジャスティンがふさふさとしたあごひげを撫でながら考え込んでいる。メロがおおげさに驚いた顔をしてジャスティンを見ているが、どうせ「あのジャスが頭使って考えてるー!」とでも言いたいのだろう。ガルドは無視して説明を続けた。
「外の、自分たちのすぐそばには……その四人と、黒いアヒルのA。多分AI。あとメロのラス・アルゲティ。こっちも多分AI。あと田岡のはサルガス」
「城にいる吟遊詩人型のNPC……AIだな。田岡用に設置? にしては機能が限定的だ」「ちょっとイレギュラーだと思う。田岡本人は日本国内だし」
「そうだった。ぷっとんも三橋も『本人は安全な場所にいる』って言ってたな」
田岡とロンベルを比較するのに便利なBJとAJの区分については言わずにおき、ガルドはなるべく分かりやすい表現を心がけて説明し始めた。
犯人は一枚岩ではないこと。アメリカ人による攻撃、迎え撃ったガルドたちの管理グループ、その際Aが「港の組織」と表現した他のグループ構成員が「どっちが悪いの?」と混乱していること。結果どうやらガルドたちのオーナーが計画外の被験者を見つけ保護したことで、風向きがアメリカには不利な状況になっていること。
そもそも一連の拉致事件は複数の国が出資しあって進めているらしいこと。自分たち「日本人」が被害者にされている計画とは別に、イーライという男が独断で進めたアメリカの計画があったこと。ハワイ島にいた自分たち六人を殺し、繰り上げでアメリカの計画を推し進めようとしていたらしいこと。
実際ムリフェインたちコンタクターがいなければ、ログインしたままの四人をミッドウェーまで逃がすことは出なかっただろう。榎本とガルドが起きていたのも、自力で動けるなら歩いてくれとでも言いたげな投げやりさを感じる。
「……ガルド」
メロが心配そうな顔をしている。
「大丈夫。たくさんスタッフがいたし、田岡を通じて『ミッドウェー島にいる』ことも伝えた。時間の問題」
「これはぶっちゃけすっごくありがたいけど……ハワイ島で、危なくなかった? 怖い目にあってない?」
「だいじょ……」
「ガルド」
眠そうに舟をこいでいたはずの榎本が鋭い声を挟んできた。
「大丈夫。本当に」
「……そうか」
限りなく静かな榎本とガルドの問答に飲まれたメロ達も、しばし無言のまま様子をうかがう。左腕の痛みは完全になくなった。かゆみもない。リアルの身体でいるよりずっと快適な「ガルド」の身体でいると、あの世にいるより安全で居心地がよく感じるのだ。
「帰ってきたから、もう怖くない」
ガルドが心底安心していると笑いかける。榎本はやっと、睨むほど細い目を閉じて寝息を立て始めた。脳波コンをオフラインにする処理をされないためか、眠りが浅いように見える。
足を伸ばして座り直したメロが、そーっと小声で話をつづけた。
「ね、あのさ。外の様子とか、分かってることとか、全部文字に起こしてみんなに共有……」
「それはだめ。叶野は文字情報なら吸い出せるから、多分音声以外の通信全部見られる」
「えっ」
「うっわ、危な」
「メモもダメだ」
「部屋に来てすぐ言われただろう? 俺ァ何も書いてないぞ」
「ジャスはいつもじゃん」
「じゃあ叶野って人と連絡取りたければそうすればいいってことか」
「メッセ送ったところで一方通行だし、必要性なし。それに、あんまりこっちの情報がタツタに筒抜けだと困る」
「……たつた?」
「……タツタ?」
「む? タツタ?」
また空気がぴりっとした。ガルドと夜叉彦が目を丸くする中、マグナとジャスティン、そしてメロがガルドの方を見つめてくる。
「え、ど、どうしたん? 二人とも」
「……ああ、そうか。いや、違う。違わないか? いや……」
「どうしたのマグナ」
「タツタが、なんだって?」
「メロ?」
「オーナー。正確には『上位オーナー』だとか。BJ……自分たちロンベルの大人を動かすための、犯人グループの班長みたいな……正体はよく分からない」
「会ったの?」
「いや。カナダでソロプレイヤーたちを助けに行ってる」
「む? んー? どういうことだァ?」
「……よくわからない。正体も目的も、なぜソロのメンバーを助けに行ってるのかも分からない」
ジャスティンが首をかしげ、難しい顔で「むむむ」と唸っている。マグナはおもむろに立ち上がると、部屋をうろうろと歩き始めた。
「か、確認なんだけどさぁ」
メロがうつむいたままガルドへ質問した。
「ん?」
「女、なの?」
「らしい。『アネさん』と呼ばれてる」
「声、とか」
「いや、又聞きでしか……」
「タツタって名前、本当?」
「それは本当」
「め、メロ! これだけではヤツかどうか分からんぞ!?」
「わかる、分かってる……でもさぁ、ジャス」
「声聞けばガルドでも一発で分かるはずだ。な? 確かなことだけ、ほら、事実だけが事実だぞ。な?」
珍しくジャスティンがメロをなだめている。ガルドは物珍しい様子に、その渦中であるオーナーのことを漠然と思い出した。
「……又聞きと断片の寄せ集めでしかないけど、確かなことが一つ」
メロが、過去あまり見たことのない眉の吊り上げ方をしながらガルドを見上げた。歩きまわって思案していたマグナも足を止める。
「自分たちの命は守ろうとしてくれている。これは間違いない」
おそらくAの干渉にも、タツタは早い段階から気づいていたのだ。それでも計画を止めることなく、指摘することもなく、その間にソロプレイヤーの捜索と救出など、ガルドたちの手が届かない場所を救ってくれていた。
怖い顔をしている三人の空気を読まず、夜叉彦がヘラリと笑いながら明るく手を上げた。
「はいはい! 『いのちだいじに』派と『ガンガンいこうぜ』派がいるってことでOK?」
「イーライ率いるイーラーイ社に倫理観がないだけとも言える」
「倫理観? そんなんあったら、そもそもこんな犯罪犯さないって~」
夜叉彦が一人「あっはっは」と笑っている。
「……」
「あ、あはは……」
いつも陽気なジャスティンやメロが無言で考え込んでいるのを横目に、ガルドは乾いた笑いでその場を濁すことしかできなかった。
「いうほど待遇悪くなかったぞ!?」
「そう、叶野は普通にオーナー……小グループのリーダー、か。その人のことが好きなのかも。なんだかすごく、その……」
「惚れてるってこと?」
「アネさんって呼んで、な」
「それ、普通にストックホルム症候群」
ガルドが首をかしげると、メロが続けて説明をした。
「ほら、誘拐した犯人に妙な感情抱くやつ」
「ああ……確かに」
ガルドは叶野のことを思い出す。おそらくジャスティンを監視しているだろうが、ジャスティンからはハリネズミ型ペットのカノウがいなくなってしまった今、ストックホルム症候群のような間柄になることはない。
しかし逆に、外国人ばかりに囲まれる中唯一同じ国の同じ言語を使う女が梅干しを施すような犯人だった場合、あらぬ感情を抱く可能性は十分にあった。
「かわいそうに」
「日電からスパイで来て、捕まって、いいように使われてるらしい。叶野……なんだったかな。下の名前を聞きそびれた」
「おう、なんと! カノウ? 名前が全く同じとは! 奇跡だな!」
「感想ほかにないのかよ。いいか、今は外から中への監視が手薄だ。んでもって内部データの抽出で音声を拾ってたのが、俺らのペットどもだ。そいつらがいない今はこうやって話してても問題ないが、文字データはNGなんだよ。チャットで打つなよ? そういうデータは叶野たちでも読めるからな」
「なるほど……なんとなく分かってきたぞ」
マグナがしきりに頷いている。
「マグナは理解が早くて助かるぜ」
「いや、現状文字に起こすと危険だとはとっくに理解していたが。そもそも音声の切り抜きが困難だという不思議な状況について、のほうだ。おかしいだろう? 思わないか?」
不敵に笑うマグナに榎本は困惑する。不思議には思っていない、という顔だ。
「あれっ、言われてみれば確かにそうだね。文章データは抽出できるのに、ただの音声が無理だなんて……中の音をマイクで集音するだけなのにね」
夜叉彦が首を傾げ、その隣に胡座をかくジャスティンは身体を横に大きく曲げて「?」のアイコンを出した。
「ジャス、そのエモーションアイコンは外に伝わるぞ。だがお前が『分からん』と口にしたところで、アイツらには何も通じない」
「ふーむ、なるほど?」
「分かってるのか?」
「まぁまぁ」
「……詳しく言うとだな。音のデータを解析できない状況を作っている原因がこのフルダイブ先、元々ベースにされているフロキリのせいだということだ。拉致される前から、内蔵の自動翻訳アプリで自動的に会話ログを残すシステムの実装の噂くらいはあっただろう? 最新のゲームタイトルではメジャーな機能だ。だがフロキリには影も形もなく、噂だけが独り歩き。実際今日に至るまで、フロキリにユニバーサルデザインの面でのアプデはゼロだった」
「ユニバ?」
「バリアフリー化のことだ。聴覚障害者でも楽しめるように字幕等で配慮するのは普通のことだろう? フロキリでは皆無だが」
マグナの説明に榎本とガルド以外が「ふんふん」と神妙な顔をして頷く。ガルドたちはちょっと気が気ではない。ミッドウェー島だとは伝わったが、カナダにいるオーナー・タツタに関する情報やソロの位置、一人ロシアにいるらしい三橋など、大事な伝達事項が山ほどある。頼みの綱の田岡を見るが、集中力切れで口をモゴモゴさせたまま目を閉じていた。
「やれやれ」
「……うん」
ガルドと榎本は顔を見合わせ、しばし休憩の姿勢を取った。ベッドに寝転がる。マグナの声はハキハキとしていて、寝ぼけ眼な榎本もまだ寝入る気配ではなかった。
「もし文字起こしのためのアプリを組んだとしてだな……いざ今コレに実装しようとしたところで、『反映のための再起動』ができないだろう。俺たちがずっとログインしていては、使っているアプリケーションの部分のアップデートができない。音声系のシステムにはすでに全プレイヤー対象の多言語支援がついているから……」
「多言語支援って、英語翻訳のこと?」
「そうだ。これを生かしつつさらにアプデとなると、一度翻訳のアプリも再起動しなければならない。そうなると、ログアウトは必須だ」
「なるほど、確かにね」
マグナの説明に、ガルドは一つ気になる点があった。口には出さずに思うことで記憶に留めておく。
ガルドと榎本がログアウトしてしまった際、Aが言っていたことだ。「BJグループの六人は睡眠のたびに一旦ログアウト処理されている」らしい。だが、ほかの面々はどうだろうか。ログアウト中に目を覚ましたガルドが施設を歩き回っていたケースのように、ログイン・ログアウトをすればするほど想定外のことが起こる危険性が増す。
ならば、と田岡や部屋のドアを見た。BJ以外のプレイヤーでログアウトをしている人間はいないだろう。六人以外のプレイヤーに細かく手を掛けるだけのリソースがないのだとAも愚痴を言っていた。
「ログアウトさせるのに手間がかかる。なら、そうする暇も惜しい……とか?」
「だろうな。実際ペット・システムの実装も、途中まではよかったが不具合で撤退したんだと見るべきだろう。メンテに割く人員不足、もしくは技術不足……だな」
「人手はともかく、技術については救いようがないよ」
「見切り発車感半端ないね」
呆れている仲間たちを横目に、ガルドと榎本は渋い顔をしたまま無言だった。聞こえないよう文字を飛ばすのも避けて、無言のまま目で話をする。ガルドから見た榎本は「あーあー面倒な話になってきたぜ」と言っているように聞こえた。合っているか分からないが、ガルドも「やれやれ」という目をする。
実装されたペットの機能が消えたのは、十中八九ハワイ島での一件のせいだ。そもそもペット機能はAによるその場しのぎの独断実装だった。BJグループの支援にちょうどいいから他の面々も参加しただけで、そのコンタクターたちが全員それどころではなくなった今、メンテナンスに割く人員はゼロになったのだろう。
途中を大きく省いているが、末端の結果としては同じだからいいだろう。後でまとめて言うとして、今はいいかとガルドは顔の力を抜いた。後で打ち明けよう。今はいい。カミングアウトは苦しいが、榎本に一度話しているためガルドの気持ちは幾分か軽かった。
「で、どうやってだ?」
「え?」
マグナの目がまっすぐ榎本を見ている。ちらっとガルドを通り過ぎたが、メインで訊ねたいのは榎本のようだ。
「ログアウトが難しいだろう環境下で、お前たち二人だけどうやってログアウトさせられたのか……分かる限りで共有してくれ」
「どうやってっていうのは……そうだな……」
眠そうな榎本がガルドを見た。口下手で言葉が足りないガルドにとって、こうした説明や解説は心底苦手なことの一つだった。無言のまま小さく頷く。
「えーっと、いや、方法? 理由じゃなくか?」
「理由など分かるのか?」
「いや、分からねぇけど」
「そもそも犯人の動機など知らん。興味ない。俺たちはどうやったらログアウトできるのか、その一点こそ重要だ」
ガルドは首を傾げた。ログアウトさせられた理由には、ガルド自身覚えがある。Aだ。伯爵山の中にある空中戦フィールドでの戦いで長く起きていたガルドたちを気遣い、睡眠薬を与え一旦ログアウトさせ、その間は眠っている自動モーションをあてがわれていた。
そもそものルーティーンがあるからこその特例だと思い至り、ガルドはその部分を説明し始めた。
「そもそも毎回みんな、寝ている間はログアウトしている」
「えっ」
「ま、まじで!?」
「……確かに、それならばジャスの寝起きの良さという謎が解けるが」
「む? 何の話だ?」
「え~? ジャスぅ、物音でも体揺らしても起きない寝汚さで有名じゃん。でもこっちに来てからやけにスムーズに起きるようになったよね」
「寝起き? ああ、なぜか知らんが不思議とぱっちり切り替わるようになったぞ?」
「それさぁ……ログアウトさせて脳休ませて、誰かが起こしに来るのに合わせてログインさせて、その衝撃みたいなやつで強制的にタイミングよく起こしてる……ってこと?」
おそらく正解だ。Aやムリフェインの顔はわからないが、ジャスティンの担当をしている者の顔はわかる。彼がジャスティンの睡眠に合わせてログアウト処理をし、起きる時間より前にログイン処理をし、他人が起こしにくるような外部刺激に合わせて脳波コンを操作し、寝汚いジャスティンを叩き起こしているのだろう。
「多分」
「っかー、なるほどなー! ログアウト処理をしてた子たちがペットの姿で顔を出してくれた、ってことか!」
「メロのは分からない。AI、あまり頭良くなかった」
「うっ! 確かにオウム返しばっかりで、ろくな会話できるクオリティじゃなかったけどさ」
「他のメンバーはそうやってメンテナンスされてたんだね。なんだかありがたいや」
「今は亡きピートに礼を言わなければな」
死んだことにされているコンタクターについて、ガルドは追加の情報を四人に話した。
「ムリフェイン・アルファルド・ベテルギウスは間違いなく人間。ピートがアルファルド。ムリフェインは榎本のドラゴン。ベテルギウスは……」
「俺のオコジョ!」
夜叉彦が満面の笑みで叫んだ。あみぐるみを作るような夜叉彦がペットに入れ込まないわけがなく、ガルドの想像通り、夜叉彦は目をウルウルさせてオコジョのベテルギウスを惜しんでいた。
「いいやつだった」
「うん……あれ? いや、中に人間がいたってことだよね? 犯人じゃん! いいやつじゃなかった!」
「そうでもない。ムリフェイン以外は金目的での参加らしい」
「カネぇ!? 報酬目当て!?」
「賃金未払いどころか、同業に殺されかけて怒ってる」
「こ、ころされかけ?」
「なんかあったの、外」
「物騒な響きだなぁ。あと俺のカノウは日本人で人質、と……ウウム」
ジャスティンがふさふさとしたあごひげを撫でながら考え込んでいる。メロがおおげさに驚いた顔をしてジャスティンを見ているが、どうせ「あのジャスが頭使って考えてるー!」とでも言いたいのだろう。ガルドは無視して説明を続けた。
「外の、自分たちのすぐそばには……その四人と、黒いアヒルのA。多分AI。あとメロのラス・アルゲティ。こっちも多分AI。あと田岡のはサルガス」
「城にいる吟遊詩人型のNPC……AIだな。田岡用に設置? にしては機能が限定的だ」「ちょっとイレギュラーだと思う。田岡本人は日本国内だし」
「そうだった。ぷっとんも三橋も『本人は安全な場所にいる』って言ってたな」
田岡とロンベルを比較するのに便利なBJとAJの区分については言わずにおき、ガルドはなるべく分かりやすい表現を心がけて説明し始めた。
犯人は一枚岩ではないこと。アメリカ人による攻撃、迎え撃ったガルドたちの管理グループ、その際Aが「港の組織」と表現した他のグループ構成員が「どっちが悪いの?」と混乱していること。結果どうやらガルドたちのオーナーが計画外の被験者を見つけ保護したことで、風向きがアメリカには不利な状況になっていること。
そもそも一連の拉致事件は複数の国が出資しあって進めているらしいこと。自分たち「日本人」が被害者にされている計画とは別に、イーライという男が独断で進めたアメリカの計画があったこと。ハワイ島にいた自分たち六人を殺し、繰り上げでアメリカの計画を推し進めようとしていたらしいこと。
実際ムリフェインたちコンタクターがいなければ、ログインしたままの四人をミッドウェーまで逃がすことは出なかっただろう。榎本とガルドが起きていたのも、自力で動けるなら歩いてくれとでも言いたげな投げやりさを感じる。
「……ガルド」
メロが心配そうな顔をしている。
「大丈夫。たくさんスタッフがいたし、田岡を通じて『ミッドウェー島にいる』ことも伝えた。時間の問題」
「これはぶっちゃけすっごくありがたいけど……ハワイ島で、危なくなかった? 怖い目にあってない?」
「だいじょ……」
「ガルド」
眠そうに舟をこいでいたはずの榎本が鋭い声を挟んできた。
「大丈夫。本当に」
「……そうか」
限りなく静かな榎本とガルドの問答に飲まれたメロ達も、しばし無言のまま様子をうかがう。左腕の痛みは完全になくなった。かゆみもない。リアルの身体でいるよりずっと快適な「ガルド」の身体でいると、あの世にいるより安全で居心地がよく感じるのだ。
「帰ってきたから、もう怖くない」
ガルドが心底安心していると笑いかける。榎本はやっと、睨むほど細い目を閉じて寝息を立て始めた。脳波コンをオフラインにする処理をされないためか、眠りが浅いように見える。
足を伸ばして座り直したメロが、そーっと小声で話をつづけた。
「ね、あのさ。外の様子とか、分かってることとか、全部文字に起こしてみんなに共有……」
「それはだめ。叶野は文字情報なら吸い出せるから、多分音声以外の通信全部見られる」
「えっ」
「うっわ、危な」
「メモもダメだ」
「部屋に来てすぐ言われただろう? 俺ァ何も書いてないぞ」
「ジャスはいつもじゃん」
「じゃあ叶野って人と連絡取りたければそうすればいいってことか」
「メッセ送ったところで一方通行だし、必要性なし。それに、あんまりこっちの情報がタツタに筒抜けだと困る」
「……たつた?」
「……タツタ?」
「む? タツタ?」
また空気がぴりっとした。ガルドと夜叉彦が目を丸くする中、マグナとジャスティン、そしてメロがガルドの方を見つめてくる。
「え、ど、どうしたん? 二人とも」
「……ああ、そうか。いや、違う。違わないか? いや……」
「どうしたのマグナ」
「タツタが、なんだって?」
「メロ?」
「オーナー。正確には『上位オーナー』だとか。BJ……自分たちロンベルの大人を動かすための、犯人グループの班長みたいな……正体はよく分からない」
「会ったの?」
「いや。カナダでソロプレイヤーたちを助けに行ってる」
「む? んー? どういうことだァ?」
「……よくわからない。正体も目的も、なぜソロのメンバーを助けに行ってるのかも分からない」
ジャスティンが首をかしげ、難しい顔で「むむむ」と唸っている。マグナはおもむろに立ち上がると、部屋をうろうろと歩き始めた。
「か、確認なんだけどさぁ」
メロがうつむいたままガルドへ質問した。
「ん?」
「女、なの?」
「らしい。『アネさん』と呼ばれてる」
「声、とか」
「いや、又聞きでしか……」
「タツタって名前、本当?」
「それは本当」
「め、メロ! これだけではヤツかどうか分からんぞ!?」
「わかる、分かってる……でもさぁ、ジャス」
「声聞けばガルドでも一発で分かるはずだ。な? 確かなことだけ、ほら、事実だけが事実だぞ。な?」
珍しくジャスティンがメロをなだめている。ガルドは物珍しい様子に、その渦中であるオーナーのことを漠然と思い出した。
「……又聞きと断片の寄せ集めでしかないけど、確かなことが一つ」
メロが、過去あまり見たことのない眉の吊り上げ方をしながらガルドを見上げた。歩きまわって思案していたマグナも足を止める。
「自分たちの命は守ろうとしてくれている。これは間違いない」
おそらくAの干渉にも、タツタは早い段階から気づいていたのだ。それでも計画を止めることなく、指摘することもなく、その間にソロプレイヤーの捜索と救出など、ガルドたちの手が届かない場所を救ってくれていた。
怖い顔をしている三人の空気を読まず、夜叉彦がヘラリと笑いながら明るく手を上げた。
「はいはい! 『いのちだいじに』派と『ガンガンいこうぜ』派がいるってことでOK?」
「イーライ率いるイーラーイ社に倫理観がないだけとも言える」
「倫理観? そんなんあったら、そもそもこんな犯罪犯さないって~」
夜叉彦が一人「あっはっは」と笑っている。
「……」
「あ、あはは……」
いつも陽気なジャスティンやメロが無言で考え込んでいるのを横目に、ガルドは乾いた笑いでその場を濁すことしかできなかった。
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モンスター討伐? レベル上げ? 知らん。俺はキャンプがしたいんだ。
ところが偶然懐いた“仔竜ルゥ”との出会いが、運命を変える。
テイムスキルなし、戦闘ログ0。それでもルゥは俺から離れない。
そして気づけば、森で焚き火してただけの俺が――
「魔物の軍勢を率いた魔王」と呼ばれていた……!?
癒し系VRMMO生活、誤認されながら進行中!
本人その気なし、でも周囲は大騒ぎ!
▶モフモフと焚き火と、ちょっとの冒険。
▶のんびり系異色VRMMOファンタジー、ここに開幕!
カクヨムで先行配信してます!
【完結】VRMMOでチュートリアルを2回やった生産職のボクは最強になりました
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フルダイブ型VRMMOゲームの『スペードのクイーン』のオープンベータ版が終わり、正式リリースされる事になったので早速やってみたら、いきなりのサーバーダウン。
だけどボクだけ知らずにそのままチュートリアルをやっていた。
チュートリアルが終わってさぁ冒険の始まり。と思ったらもう一度チュートリアルから開始。
2度目のチュートリアルでも同じようにクリアしたら隠し要素を発見。
そこから怒涛の快進撃で最強になりました。
鍛冶、錬金で主人公がまったり最強になるお話です。
※この作品は「DADAN WEB小説コンテスト」1次選考通過した【第1章完結】デスペナのないVRMMOで〜をブラッシュアップして、続きの物語を描いた作品です。
その事を理解していただきお読みいただければ幸いです。
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自筆です。
アルファポリス、第18回ファンタジー小説大賞、奨励賞受賞
【完結】デスペナのないVRMMOで一度も死ななかった生産職のボクは最強になりました。
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デスペナのないフルダイブ型VRMMOゲームで一度も死ななかったボク、三上ハヤトがノーデスボーナスを授かり最強になる物語。
鍛冶スキルや錬金スキルを使っていく、まったり系生産職のお話です。
まったり更新でやっていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
「DADAN WEB小説コンテスト」1次選考通過しました。
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自筆です。
もふもふと味わうVRグルメ冒険記 〜遅れて始めたけど、料理だけは最前線でした〜
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スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
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