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すみれと桜
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「リサちゃん、公園行こ。桜見に行こうよ」
毎年すみれにそうおねだりされる度、私は少し複雑な気分になる。何故なら、連れて行ったところで彼女は桜を見ることができないからだ。すみれは先天的に盲目だった。
彼女はずっと特別支援学校に通っているので、小学校から現在に至るまで同じ学校に通ったことはもちろん無い。ただ家が近所で親同士にも繋がりがあったため、幼い頃から自然と私たち同士にも交流があったのだ。
「ねーリサちゃん、行こうってば」
「わかったわかった。今連れて行くから」
「やったー」
すみれは目を瞑ったまま満面の笑みを浮かべる。不思議なことに、顔の表情と言うのは全盲であっても他の人とほとんど変わらないものであるらしい。ふと向けられた無邪気な笑みに、私の心臓は微かに鼓動を早めた。
私は机の近くにある専用スタンドに立てかけてある白杖を手に取り、すみれの細くしなやかな指先に触れさせてやった。その冷たく固い感覚を確かめるように、すみれは何度か杖を握りなおした。
「ありがとう、リサちゃん」
「ん、どういたしまして。じゃあ行こっか」
「うん」
すみれは左手で杖を持ちつつ、椅子からゆっくりと立ち上がった。念のため、私は両腕で彼女の身体を包み込むように軽く支えてやる。すみれは小枝のように華奢な身体つきで、どうにも庇護欲が掻き立てられてしまう。
すみれのお母さんにひとこと挨拶してから、私たち二人は近くの公園へと歩いて向かった。
私はすみれと手を繋ぎながら、周囲の危険に目を配りつつゆっくりと歩を進める。
彼女は左手の杖で前方の状況を確認しつつも、楽しそうに鼻歌を口ずさんでいてご機嫌な様子だった。
どうして桜を見に行くだけでそんなにご機嫌になるのかは分からないが、すみれが楽しそうにしているのを見ると私も自然と笑みがこぼれた。
近くの公園は私が一人で歩いて三分くらいの距離だから、他愛ない会話をしているとすぐに到着してしまう。
大型の遊具にテニスコートまで設置されている比較的広めの公園で、敷地内に入る前から仄かに甘い香りが漂ってきていた。
車道側から一歩敷地内へと足を踏み入れると、途端に満開の桜並木が私たちを出迎えてくれた。遊歩道に沿って桜が直線状に並んでおり、綿雲のような薄いピンクの連なりに目を奪われてしまう。美的感覚に疎い私でも流石にはっとさせられる光景だった。
「桜の様子、どう? いい香りはするけど」
桜の気配を察知して、すみれはそう尋ねてくる。
「うん、これはもう満開なんじゃないかな。すごく綺麗」
「そっかあ、よかった」
私の言葉を聞いて、すみれは妙に満足気だった。桜の雰囲気が感じられるだけでも彼女は満足するのだろうか。
遊歩道を中ほどまで歩き、そこで私たちは併設されているベンチに腰を降ろした。
人目も憚らず、すみれは私の肩に頭を乗せて甘えるような姿勢になった。辺りから漂ってくる甘い匂いにも負けない香りが、私の鼻を刺激する。
視界はほとんど淡いピンク色に埋め尽くされていて、風に舞い散る花びらを眺めているとどこか異世界にでも連れてこられたんじゃないかと錯覚してしまう。
春風に漂う花びらと、すみれの端正な横顔という組み合わせは、日常の世界にはない幻想的な美を感じさせた。
この美しい光景を、上手く言葉にして伝えられないのが歯がゆかった。なんとか音にして伝えることができさえすれば、すみれとこの美しさを共有できるのに。そう思って、私はついすみれの手を握る力を強めてしまった。
そんな私の心の内を見透かすように、彼女はそっと語り掛けてきた。
「私、毎年ここに桜を見に来るの、楽しみにしてるんだ」
すみれはそこで私の反応を確かめるように、少し間を置いた。
「……どうして?」
「んーと……こんなこと言うと変に思われるかもしれないし、もしかしたら嫌な気持ちになるかもしれないけど……」
「気にしないから、続けていいよ」
「うん、ありがと。私、小さい頃からずっとリサちゃんと一緒だったからさ。なんかね、リサちゃんの見たものとか、感じたこととかが、不思議と直接肌を通じて伝わってくるような感覚があるの。もちろん、それはただ私の勘違いなのかもしれないんだけど……でも、私はその感覚が大好きなんだ」
私は黙ってすみれの横顔を見つめたまま、言葉の続きを待った。すみれの澄んだ声から発せられる言葉は、春の妖精のささやきのようにも感じられた。
「だから、リサちゃんには綺麗な景色をいっぱい見てほしいんだ。そうしたら、傍にいる私もそれを共有できるような気がするから。……なんていうのは、私のわがままだけど。リサちゃんは、私と一緒にいるの嫌じゃない?」
「当たり前でしょ。好きじゃなきゃ、こんなに一緒にいるはずない」
私は即答する。それだけは断言できることだった。
「そっか。それならよかった。じゃあ、来年も一緒に見に来てくれる? 桜」
「もちろん」
「再来年もいい?」
「うん」
「その後も?」
「いいよ」
「うふふ、じゃ、また見に来ようね」
「わかった」
私たちは短い言葉を交わし合い、小さな約束をした。
それは周囲の人から見れば他愛ないお喋りだったのかもしれないけれど、私たちにとっては、ほとんど永遠に等しい意味合いを持った約束だった。
毎年すみれにそうおねだりされる度、私は少し複雑な気分になる。何故なら、連れて行ったところで彼女は桜を見ることができないからだ。すみれは先天的に盲目だった。
彼女はずっと特別支援学校に通っているので、小学校から現在に至るまで同じ学校に通ったことはもちろん無い。ただ家が近所で親同士にも繋がりがあったため、幼い頃から自然と私たち同士にも交流があったのだ。
「ねーリサちゃん、行こうってば」
「わかったわかった。今連れて行くから」
「やったー」
すみれは目を瞑ったまま満面の笑みを浮かべる。不思議なことに、顔の表情と言うのは全盲であっても他の人とほとんど変わらないものであるらしい。ふと向けられた無邪気な笑みに、私の心臓は微かに鼓動を早めた。
私は机の近くにある専用スタンドに立てかけてある白杖を手に取り、すみれの細くしなやかな指先に触れさせてやった。その冷たく固い感覚を確かめるように、すみれは何度か杖を握りなおした。
「ありがとう、リサちゃん」
「ん、どういたしまして。じゃあ行こっか」
「うん」
すみれは左手で杖を持ちつつ、椅子からゆっくりと立ち上がった。念のため、私は両腕で彼女の身体を包み込むように軽く支えてやる。すみれは小枝のように華奢な身体つきで、どうにも庇護欲が掻き立てられてしまう。
すみれのお母さんにひとこと挨拶してから、私たち二人は近くの公園へと歩いて向かった。
私はすみれと手を繋ぎながら、周囲の危険に目を配りつつゆっくりと歩を進める。
彼女は左手の杖で前方の状況を確認しつつも、楽しそうに鼻歌を口ずさんでいてご機嫌な様子だった。
どうして桜を見に行くだけでそんなにご機嫌になるのかは分からないが、すみれが楽しそうにしているのを見ると私も自然と笑みがこぼれた。
近くの公園は私が一人で歩いて三分くらいの距離だから、他愛ない会話をしているとすぐに到着してしまう。
大型の遊具にテニスコートまで設置されている比較的広めの公園で、敷地内に入る前から仄かに甘い香りが漂ってきていた。
車道側から一歩敷地内へと足を踏み入れると、途端に満開の桜並木が私たちを出迎えてくれた。遊歩道に沿って桜が直線状に並んでおり、綿雲のような薄いピンクの連なりに目を奪われてしまう。美的感覚に疎い私でも流石にはっとさせられる光景だった。
「桜の様子、どう? いい香りはするけど」
桜の気配を察知して、すみれはそう尋ねてくる。
「うん、これはもう満開なんじゃないかな。すごく綺麗」
「そっかあ、よかった」
私の言葉を聞いて、すみれは妙に満足気だった。桜の雰囲気が感じられるだけでも彼女は満足するのだろうか。
遊歩道を中ほどまで歩き、そこで私たちは併設されているベンチに腰を降ろした。
人目も憚らず、すみれは私の肩に頭を乗せて甘えるような姿勢になった。辺りから漂ってくる甘い匂いにも負けない香りが、私の鼻を刺激する。
視界はほとんど淡いピンク色に埋め尽くされていて、風に舞い散る花びらを眺めているとどこか異世界にでも連れてこられたんじゃないかと錯覚してしまう。
春風に漂う花びらと、すみれの端正な横顔という組み合わせは、日常の世界にはない幻想的な美を感じさせた。
この美しい光景を、上手く言葉にして伝えられないのが歯がゆかった。なんとか音にして伝えることができさえすれば、すみれとこの美しさを共有できるのに。そう思って、私はついすみれの手を握る力を強めてしまった。
そんな私の心の内を見透かすように、彼女はそっと語り掛けてきた。
「私、毎年ここに桜を見に来るの、楽しみにしてるんだ」
すみれはそこで私の反応を確かめるように、少し間を置いた。
「……どうして?」
「んーと……こんなこと言うと変に思われるかもしれないし、もしかしたら嫌な気持ちになるかもしれないけど……」
「気にしないから、続けていいよ」
「うん、ありがと。私、小さい頃からずっとリサちゃんと一緒だったからさ。なんかね、リサちゃんの見たものとか、感じたこととかが、不思議と直接肌を通じて伝わってくるような感覚があるの。もちろん、それはただ私の勘違いなのかもしれないんだけど……でも、私はその感覚が大好きなんだ」
私は黙ってすみれの横顔を見つめたまま、言葉の続きを待った。すみれの澄んだ声から発せられる言葉は、春の妖精のささやきのようにも感じられた。
「だから、リサちゃんには綺麗な景色をいっぱい見てほしいんだ。そうしたら、傍にいる私もそれを共有できるような気がするから。……なんていうのは、私のわがままだけど。リサちゃんは、私と一緒にいるの嫌じゃない?」
「当たり前でしょ。好きじゃなきゃ、こんなに一緒にいるはずない」
私は即答する。それだけは断言できることだった。
「そっか。それならよかった。じゃあ、来年も一緒に見に来てくれる? 桜」
「もちろん」
「再来年もいい?」
「うん」
「その後も?」
「いいよ」
「うふふ、じゃ、また見に来ようね」
「わかった」
私たちは短い言葉を交わし合い、小さな約束をした。
それは周囲の人から見れば他愛ないお喋りだったのかもしれないけれど、私たちにとっては、ほとんど永遠に等しい意味合いを持った約束だった。
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