ブサ猫令嬢物語 大阪のオバチャン(ウチ)が悪役令嬢やって? なんでやねん!

神無月りく

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第五部 風雲急編

当て馬が来たらフラグが立つ?

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 ほんのりライトアップされた中庭に面した広いバルコニーには、カップルでイチャつきながらくつろげるようにと言う配慮か、いくつかの長椅子が並んでいる。
『四曲続けて同じ人間と踊れない』というルールのおかげで解放されたジゼルは、そのうちの一つにぐったりと体を預けて、深々とため息をついた。

「あー、しんど……」

 リストラされて公園のベンチで途方に暮れるオッサンのような様相だが、ハーミットは飲み物を取りに行っているのでここにはいないし、少し離れたところにカップルがいるものの、二人の世界でキャッキャウフフしているので、誰もジゼルの愚行を咎めない。
 むしろ、このグデグデ具合を彼に目撃してもらい、ドン引きしてフェードアウトしてくれればラッキーだが……結構素でぞんざいな対応しているにも関わらず、気にする様子もないので、あまり効果はなさそうだ。

 せっかく悪役令嬢に転生したことだし、一度くらい恋愛イベントを体験するのもやぶさかではないが、ハーミット相手では全然やる気が出ない。
 正体不明なのは仮面舞踏会の性質上仕方のないことだとしても、掴みどころがない上にこちらを手玉に取って遊んでいる節があって、どうにも不信感がぬぐえない。

(さて、どうしたモンかなぁ……)
 グダグダとしながら考えていると、コツコツとヒールの音が近づいてきた。
 居眠りしていた生徒が教師の気配に勘づいたがごとく、反射的に居ずまいを正すのと同時に自分の真横で足音が止まり、甲高く尖った女性の声が降ってきた。

「……失礼、レディ・パンサーでいらっしゃる?」
「ええ、そうですけど……」

 座ったままでは失礼かと思い立ち上がると、そこには蝶をモチーフにした仮面をつけた女性がいた。
 声になんとなく聞き覚えがあるが、仮面と会場の仕様で顔がよく分からないので判別できない。そこに派手派手しい色合いのドレスや、オリエンタルな香りのする扇の組み合わせを加えると、脳内検索ではヒットしそうになかった。

 ただ、親しい友人はみんな結婚したか婚約中なので、このような集まりに招待されることはないし、第一声から棘のある口調であることから、アーメンガートの派閥の令嬢と推定される。
 仮面舞踏会で身元を隠しているのをいいことに、ジゼルに直接物申しに来たのかと思ったが、ああいう手合いは集団で行動するもので、こうして単身で乗り込んでくるのはおかしい。

 それに、アーメンガートが王妃の補佐をやっていることで地位も盤石になりつつあり、使えない下っ端は次々に切られているので、彼女やルクウォーツ侯爵家に義理立てする必要もない。
 もちろん、派閥云々に関わらずジゼルを快く思わない人間もいるし、勝手な憶測は失礼だが……とにかく、ハーミットが戻ってくるまでに片付けておかないと面倒なことになりそうだ。

「どちらさんか知りませんけど、ウチになんのご用です?」
「単刀直入に申し上げますわ。あなたのような下劣で下品なブタ女に、ハーミット様が本気になるなんてありえません。仮面舞踏会という非日常空間で、たまたま悪目立ちする異端児のあなたに食指が動いただけに過ぎません。調子に乗って期待すれば傷つくだけですし、このまま身を引かれることをお勧めします」
「は、はあ……?」

 アディス夫人もなかなかひどい言い回しだったが、こちらも相当切れ味のいいディスり文句である。陰口ならともかく、面と向かってここまでこき下ろされたことは未だかつてない。
 だが、傷つくとか腹が立つとかよりも先に、別の感情がジゼルには去来していた。

(……悪役令嬢が男の人を巡って当て馬っぽい令嬢に絡まれてるのって、やっぱり何かのフラグやろか?)

 ライトノベルでは大抵、悪役令嬢がヒーローといい感じになると、転生ヒロインか別の悪役的な令嬢がくちばしを挟んできて場を引っ掻き回すのがテンプレだ。
 そういう横槍はかえって逆効果というか敵に塩を送るというか、恋のスパイスとして還元されて二人の仲が強固になるだけなのだが……とはいえ、ジゼルは彼とどうこうなりたいとは今のところ微塵も思わないし、むしろ自分が引いて関係が終わるなら万々歳だ。

 しかし、逃げるともっとややこしくなる予感がするから、隙だらけの状態でもこうしておとなしく彼を待っているわけで。ここで当て馬を投入されても困るだけなのだが、神は何を勘違いしているのか。

「……なんやよう分からん言いがかりはともかく、おたくさんはハーミットさんのことが好きなんですのん?」
「まさかあなた、ハーミット様の素性をご存知ありませんの?」

 ジゼルの質問の答えになっていないが、図星をつかれて慌ててごまかしている様子はなく、むしろ恋愛感情ではなくバリバリの打算だということが如実に表れていた。
 なんともまあ計算高い当て馬令嬢である。
 いや、彼女とハーミットを取り合う気などさらさらないので、当て馬と呼ぶのは不適切だが、名乗ってくれそうにないのでひとまず心の中ではそう呼称する。

「えっと、恥ずかしながらあのお人とは初対面なもんで」
「そうやって無欲や無知を装って、あの方に取り入ったのね。見た目がダメなら中身で勝負ってところかしら。不細工って無駄な足掻きばかりで大変ですわね。わたくしのように一目で殿方の心を奪う美貌があれば、そのようなことは一切ありませんのに」
「はあ……左様ですか……」

 大きく開いた胸元には特大メロンがバイーンと並んでいるので、男の心を掴むという点ではあながち嘘ではないが……清々しいほどの自意識過剰なナルシストぶりに呆気にとられ、いくらディスられても勝手に右から左に流れていく。
 スルー力とはこうして身につけるらしい。

「そこまでおっしゃるんやったら、ウチがどんだけ茶々入れようとも、ハーミットさんはおたくさんにメロメロになるんですやろ? ほんなら、そんな丁寧なご忠告入れてもらわんでも、ウチの目の前で横から掻っ攫っていけばええですやん」
「略奪はわたくしの美学に反しますの」

 こうして裏から手を回すような陰湿な手段の方が美しくないと思うのだが、権謀術数に慣れ親しんだ貴族令嬢からすれば、こちらの方が当たり前のことなのかもしれない。

「まあ、なんでもええですけど、断りもなしにおらんくなったら驚かはるやろうし、今日のお礼を言わせてもうてから、お暇させてもらうことにしますわ」
「まあ、そんな殊勝なことを言いつつ、しつこく付きまとう気ですわね。見苦しいのはその醜悪な外見だけにして、引き際くらいは美しくしてもらわないと。彼にはきちんとわたくしから伝言しておきますから、今すぐここから消えてくださらない?」
「おおう……」

 あくまで常識的な対応でお別れしようとしているだけなのに、聞く耳を持たないどころか変な方向に曲解してこじつけてくるものだから、まったく話が噛み合わない。
 こういう思い込みの激しい女は付き合い切れないし、ハーミットは全然帰ってくる気配もないし、全部放り出してトンズラするか――という考えがよぎった時。

「……俺を抜きで盛り上がっているようだな」
「ぎゃああああっ!」

 くぐもった声が聞こえてきたかと思うと、バルコニーの隅に束ねられていたカーテンの後ろから、ぬっと不気味な仮面が突き出てきたのを目の当たりにしたジゼルからは、淑女にあるまじき絶叫が飛び出す。

「え……きゃっ!」

 運がいいのか悪いのか、当て馬令嬢からは死角になっていたが、ジゼルの悲鳴に何事かと振り返るとそこに彼女のお目当てらしいハーミットがいたので、目を丸くしてビクリと肩を震わせた。

「ハ、ハーミット様……いつからそこに……」
「レディ・パンサーが『あー、しんど』とかつぶやいているところから」
「話の最初どころか、もっと前からおったぁ!?」

「すまない。長椅子でグダグダになっているあなたが可愛くて、つい観察に夢中になっていたらそこのご令嬢が物申しに来て、出るタイミングを見失った」
「いや、タイミングもなにも、普通に出てきたらよろしいやないですか。てか、ハーミットさんがさっさと戻ってくれはったら、こんなややこいことにならんかったんですよ?」
「重ね重ねすまない。あなたがこういう話の通じない輩にどう対処するのか気になったのもあるが、いかにも面倒臭そうな顔が可愛くて、つい観察してしまった」

 こっちもこっちで話が噛み合わなくてつらいし、可愛いのポイントが全然理解できない。

「ちょ、ハーミット様! 聞き捨てなりませんわ! そこのブタ女のどこが可愛いというのです!」
「何を可愛いと感じるかは人それぞれだ。それよりも、先ほどから散々レディ・パンサーをこき下ろしているようだが、果たしてそれは淑女として正しい行いなのか?」
「……そ、それは……か、彼女が身の程をわきまえず、ハーミット様に付きまとうからで……!」

 正論を突きつけられて当て馬令嬢はどもるが、引き下がっては負けが確定するので、頑張って反論する。だが、逆に墓穴を掘った。

「前提からして間違っているな。俺が彼女を口説くために付きまとっている。文句があるなら、彼女ではなく俺に言ってくれ」
「そんな……!」

『結婚したくない貴族令嬢ナンバーワン』に燦然と輝くジゼルを、口説くために付きまとっていると断言されてショックを受けない者はいないだろうし、愛情ではなく打算で狙っていたとはいえ、自分にあれほど自信がある彼女には大いなる絶望を与えたに違いない。

「うっそー……――が、まさかのデブス専とか……ないわー……」
 
 聞こえるか聞こえないかの声でブツブツつぶやきつつ、フラフラとした足取りでどこかへ消えていった。
 颯爽と登場した割には、あっけない幕切れである。
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