ブサ猫令嬢物語 大阪のオバチャン(ウチ)が悪役令嬢やって? なんでやねん!

神無月りく

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1巻

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   第一章 悪役令嬢は大阪のオバチャン⁉


 王歴二二五年、春。
 今年も社交界シーズンが幕を開けたエントール王国の王宮では、その日、王太子の婚約者選びのお茶会が開かれていた。
 今年十二歳になるミリアルド・イル・エントールは、輝くような美貌と聡明な頭脳の持ち主で、幼いながらに『将来の賢王』と期待される少年。
 側室腹で第三王子という本来なら選ばれるはずもない立場だったが、正室の産んだ王子たちは絵に描いたような放蕩ほうとう息子で、ミリアルドにお鉢が回ってきたのだ。
 正室が健勝であれば泥沼の争いが起きただろうが、大病をわずらって以降、虚弱体質になって公務に出られず、ここ数年は年の半分はせっているような状態だ。
 そんな正室に代わり、実質的な王妃権限を側室が握っていることもあって、お家騒動が起きることなく立太子されたのだ。
 無論、阿呆あほうな王子を傀儡かいらいに仕立てて、甘い汁をすすろうとした腹黒大臣からは反発があったが、裏金などの〝政治的な取引〟で事を丸く収めた。そうしてはからずも王太子の座を得たミリアルドだが、その地位はまだ盤石ばんじゃくではない。
 側室は息子にも受け継がれたその美しさと知恵でのし上がってきたが、実家の伯爵家は財力も権力も平凡の域を出ないし、歴史や功績の面でも際立ったものはない。
 つまり、王太子の後ろ盾としてはかなり弱い。
 それをおぎなうには、社交界でも指折りの上級貴族の娘を王太子妃としてあてがうことが不可欠だ。
 今日ここに集められたのは、その条件に見合う令嬢ばかり。
 年齢は十歳から十四歳まで。礼儀作法や教養を厳しく叩きこまれた、幼くも立派な淑女に仕立てられた少女が総勢九人、未来の王太子妃の座をかけてこのお茶会に挑んでいた。
 どの令嬢もこの庭園に咲き乱れる花々のように可憐で美しい……わけではない。
 一人だけ花にたとえるのは至極しごく難しい、ふてぶてしい猫のような少女がいた。
 猫耳のような三角形のお団子が左右に載った、緩いウェーブを描く長い金茶の髪。
 腫れぼったい一重まぶたのせいで半月型になった、三白眼気味の琥珀色こはくいろの目。
 色白でぽっちゃりとした体。ぺちゃんこな鼻に、薄いそばかすが浮く真ん丸な頬。
 一見すると彼女だけ場違いな存在に見えるが、特に高貴で権力のある家柄の少女である。
 公爵令嬢ジゼル・ハイマン。
 十歳になったばかりの彼女は見た目もさることながら品格も知性もなく、親の権力で傍若無人ぼうじゃくぶじんに振る舞う傲慢ごうまんな少女――という噂が社交界ではまことしやかにささやかれているが、真相は誰も知らない。
 彼女はまだ幼く、人目につくような場には連れていってもらえない年頃だ。
 しかし、美男美女カップルとして有名だった両親にまったく似ていない――髪や瞳の色は両親と同じものを引き継いでいるので、血縁関係は疑われていないが――特徴的な姿をしていることはしっかりと伝わっており、そこから勝手な邪推や憶測が加わってこのような噂が出来上がった。
 で、実際の彼女はといえば……

「アカン……いろんな意味で吐きそうや……」

 ミリアルドの到着を待つ間、他の少女たちがマウントの取り合いをするかしましい声にかき消されるように、貴族令嬢らしからぬなまりがため息と共に吐き出される。
 何故こんななまりがあるのかといえば、彼女が日本人――もとい、大阪人だった前世を持つ転生者だからである。
 島藤未央しまふじみお。享年三十八。
 飲み会の帰り道、雨上がりの濡れたマンホールに足を滑らせて、頭をしたたかに打ったところで記憶がなくなっている。多分それが死因だろう。
 大阪で生まれ育ち、学校も職場も大阪オンリー。旅行以外で大阪を出たことがないコテコテの大阪人……いや、もっとはっきり言えば〝大阪のオバチャン〟である。
 お笑いに生きる大阪人が、異世界の貴族令嬢に転生というだけでも笑えないのに、実のところもっと笑えない話になっていたりする。

(なんでウチが悪役令嬢やねん!)

 そう。異世界は異世界でも、ここは乙女ゲームの世界だった。
 スマホアプリで人気をはくした乙女ゲーム『純愛カルテット2』。
 王宮のお掃除メイドとして働く貧乏男爵令嬢アーメンガートが、王太子を筆頭に五人の将来有望なイケメンと出会い恋に落ちる、という実に王道なストーリー。
 ジゼルは王太子の婚約者として登場するが、美しく健気けなげなアーメンガートをいじめまくり、最後は婚約破棄されて身一つで国外追放されてしまうという、いかにもなテンプレ悪役令嬢だ――外見を除いては。
 悪役令嬢といえばハイスペック美少女が普通なのに、このゲームでは無能なデブス設定。
 ただし、ブサ可愛い猫そっくりな外見から〝ブサ猫令嬢〟と親しまれており、ユーザーからの人気は意外とある。
 とはいえ、ブサ猫に転生して喜ぶ女子はそういない。
 前世でもカレシいない歴=実年齢のデブスだったからこそ、生まれ変わっても前世と大差ない姿だと知った時には、心底絶望した。

(見た目はどうにもならんからとっくに諦めとるけど……大阪弁の悪役ってあり得へんやろ! 完全にコントやん! 乙女ゲームの甘い空気ぶち壊しやないか! とんだ配役ミスやで、神さん!)

 そもそも、日本語ではない世界観で大阪弁が再現されていること自体が異常だが、それもまた神の思惑なのか、日本製の乙女ゲーム世界だからなのか、はたまたその他ご都合主義的なことなのか……考えたところで答えが出そうもないので思考は放棄している。
 正解が三番目だということを想像もしないジゼルは、前世の記憶を取り戻した時のことを思い出しつつ、遠い目で虚空こくうを見つめた。


 さかのぼること一週間。
 夢の中で大阪人だった四十年弱の人生をハイライトでお届けされ、精神がすっかり島藤未央に戻ってしまったジゼルは、起こしてくれた侍女に「おはようさーん」と挨拶してしまい、「お嬢様がご乱心です!」「もしや悪霊が⁉」と朝から大騒ぎになった。
 夢でこれまでのオタク遍歴へんれきもリプレイされていたので、乙女ゲームの悪役令嬢に転生したことも、ライトノベルにありがちな失敗をやらかしたことも、すぐに理解した。
 すぐさま両親が部屋に駆けつけ、さてどう言い訳したものかと冷や汗を流したジゼルだったが……彼らの予想斜め上の発言でさらに混乱することになった。

「もしや、真実を思い出してしまったのか、ジゼル⁉」
「……は?」

 彼らいわく、ジゼルはハイマン家の実子ではない。
 ある日屋敷の前に捨てられていた、素性の知れない赤ん坊だったというのだ。
 何故そんな捨て子を拾うことになったのかといえば、当時身重だった公爵夫人が階段から転落して流産してしまったことに端を発していた。跡取り息子はすでにもうけていたとはいえ、生まれるはずだった命が失われたことは衝撃的な事件であり、一家は悲しみに暮れた。
 特に夫人は己の半身を失ったようなもので、日に日に憔悴しょうすいしていった。
 そんな時、使用人から赤ん坊を拾った報告を受けた一家は「神が我々に与えてくれた慈悲に違いない」と考え、その捨て子を生まれるはずだった我が子だと思い、公爵令嬢として育てることにした。
 運のいいことに金茶の髪は父と同じで、琥珀こはくの瞳は母と同じ。顔立ちはどちらにも似ても似つかないが、曾祖母そうそぼと銘打ってジゼルの面影おもかげを宿した肖像画を描かせて血縁関係に信ぴょう性を持たせれば、十分ごまかせると踏んだのだ。
 そうして入念な隠ぺい工作を施したのち、夫人の流産については厳しく箝口令かんこうれいを敷き、ジゼルは夫人が産んだ子であるとして出生届を出した。
 その出生の秘密と大阪弁がどう繋がるのかといえば……彼女は拾われて間もなくして言葉を話すようになったのだが、それに現在の言葉遣いと同様の耳慣れないなまりが交じっていたのだ。
 おそらくは体に宿る島藤未央の大阪人魂がそうさせたのだろう。そうジゼルは考えていたが、公爵家の面々は彼女の発する言葉を本物の両親から授かったものだと考えた。
 実の親に捨てられたことを悟らせまいと、必死に令嬢らしい言葉遣いに矯正きょうせいして一安心したのに、急になまりが戻ったので「もしや」と思ったそうだ。
 ……まさかあのブサ猫令嬢にそんな秘密があったとは。
 もしかしたら、拾った子だと悟られたくない家族が彼女をベタベタに甘やかし、亡き我が子の分まで愛情を注ぎまくった結果、彼女はあんな悪役令嬢然とした性格になったのかもしれない。
 しかし、現実のジゼルは〝ほがらかで食いしん坊なお転婆てんば娘〟として存在している。
 はっきり言って幼少期の未央の生き写しだ。シナリオや設定に関係なく、無自覚な大阪弁同様宿っている魂に影響されているのかもしれない。
 いろいろ納得しているジゼルをよそに「お願いだから、ずっとうちの子でいてくれ!」と泣いて懇願こんがんする両親。
 ブサ猫令嬢は捨て子であっても、滅茶苦茶愛されているようだ。
 始めは死んだ子の代わりであっても、月日を重ねていくうちに本物の家族になったのだろう。前世持ちとはいえ赤ん坊だった頃の記憶はジゼルにはないが、幼い時から溺愛されてきたことは覚えている。

「し、心配せんでも、ウチは今までもこれからも、ずーっとハイマンさんちのジゼルちゃんや! 約束する!」

 ほだされまくったジゼルが拳を握って力説すると、感極まった二人にギュウギュウと抱きしめられた。家族の結束が強まり、苦しい言い訳からも逃れられ、いいことづくめの大団円だった……のはその場限りのこと。
 ひと月以上前に、王太子の婚約者を選ぶお茶会への招待状が届いていた。
 どういう経緯があったのかまでは描かれていなかったが、ゲームの設定ではジゼルが十歳の時に婚約者に選ばれている。このままではシナリオが現実になる可能性が高い。
 家族もジゼルが未来の国母こくもになることには前のめりで、全力で勝ちに行くスタンスで準備をしている。

(どう考えても、ブサ猫が国母こくもってアカンやろ。アウトやろ)

 血筋も定かではないということは置いておいても、このブサ猫遺伝子を美形ぞろいの王族にぶち込むのは不敬以外の何物でもない。
 だが、家族はみんなジゼルを「世界で一番可愛い!」と豪語してはばからない。
 そんな身内の贔屓目ひいきめと愛が暴走し、最新流行のドレスと宝石で全身を飾られたジゼルは、市場に売られる子牛のようにお茶会へ連れ出され……現在に至る。


 楽観的に考えれば、王太子の婚約者になろうとも、品行方正に努めてヒロインをいじめなければ、まず追放されることはないだろう。
 そもそもジゼルを婚約者に選ぶ理由は、側室腹のミリアルドにハイマン家の後ろ盾を与えるためだ。あの溺愛ぶりから想像するに、悪役令嬢にありがちな陰湿ないじめやら贈収賄ぞうしゅうわいやら、法に引っかかるような重大な理由がない限り、婚約破棄すればハイマン家を敵に回す。
 ジゼルのみにくい外見を理由に子作りをせず、側室や愛妾を山ほど抱えることになっても、お飾り王妃として死ぬまで養ってくれるだろう。
 しかし、そんなつまらない人生なんてまっぴらごめんだ。
 せっかく悪役令嬢に転生したのだから、ライトノベル的なアレコレをやってみたい。
 ご覧の通りのブサ猫令嬢である以上、婚約破棄される相手から執着されることもないし、モブから求婚されることもないし、逆ハーレムなんて天地がひっくり返ってもあり得ないが、飯テロや内政チートくらいならやれそうだ。
 それを実現するために婚約回避は必須ではないが、シナリオの強制力がないとは限らないので、早い段階で追放フラグは折っておきたいし、王妃だの国母こくもだのは自分のガラではない。国の命運を背負う役どころなんて死んでもやりたくない。
 というわけで、無礼にならない程度に嫌われて婚約者候補から外れることにした。
 まあ、出自を疑われる原因になるので、なまりはできるだけ隠しておくよう両親からは言い含められているが、大阪弁抜きでも中身も外見も公爵令嬢らしからぬキャラなのは変わりないし、あっさりと選択肢から外れるに違いない。

(せやけど、家族をガッカリさせるのは心苦しいわぁ……)

 別に王太子の婚約者に選ばれなかったところで、彼らの愛情が失われるとは思わない。
 だが、まったく期待されていないわけでもない。
 長年ハイマン家からは王太子妃も王子妃も出ておらず、王宮内での勢力には若干かげりが見えている。ジゼルが王太子に見初みそめられればその不遇を巻き返し、一気に形勢逆転できるチャンスだ。
 その機会を自分のわがままで潰すことは、非常にためらわれる。
 かくなる上はジゼルが何かアクションを起こす前に、都合よくミリアルドが他の令嬢に心奪われることを祈るしかない。他力本願だが。
 などと一人グルグルと思考を巡らせている間に、ミリアルドがやってきた。
 白銀の髪と群青ぐんじょうの瞳を持つ、怜悧れいりな美少年だ。白を基調にした盛装に身を包んで微笑んでいる背景には、キラキラエフェクトの幻覚が舞い散っている。まさにテンプレ王子様だ。
 令嬢たちが扇で薄紅に染まった頬を隠しつつ、小さく黄色い声を上げているが……中身がアラフォーのジゼルの琴線に触れるものはなかった。
 ミリアルドが推しではなかったこともあるが、根本的に精神年齢が違いすぎて恋情など湧かない。可愛いとかカッコイイとかは思っても、あくまでイケメン子役をでる方向性だ。

(……この調子やったら、ウチはまともな恋愛ができひんのとちゃう?)

 ブサ猫が恋をしたところで実るわけもないので、恋愛フラグも失恋フラグもまとめてへし折っててくれる方がありがたいのだが。

「――ところで、そこの空席は誰の席だ?」
「ルクウォーツ侯爵令嬢の席でございます」

 王太子殿下の挨拶やらありがたいお言葉を、不敬にもきれいさっぱり聞き流していたジゼルだが、聞き覚えのある単語を捉えてはたと我に返る。

(ルクウォーツ侯爵て……ミリアルドルートでヒロインが養女に行くところやん?)

 このゲームは身分差恋愛を主軸にしたストーリーだが、さすがに男爵令嬢のままで王太子妃になるのは現実味がなさすぎるので、身分が釣り合うように遠縁で娘のいないルクウォーツ家に養女に出される、というくだりがある。
 そう。あの侯爵家に令嬢はいない。
 ゲームと現実は違って、あの家に娘が生まれていることも十分あり得るが……ジゼルの頭の中には別の可能性がよぎっていた。

「まさか……」
「お、遅れて申し訳ありません!」

 思わずれたつぶやきは、遠くから聞こえてきた声にかき消された。
 顔を上げると、泥だらけになったドレスの裾を掴んで駆け込んでくる少女がいた。
 歳の頃はジゼルと同じくらいだろう。
 天使の輪が浮かぶピンクブロンドのロングヘア。大きくて真ん丸なキャラメル色の目。
 ツンと尖った鼻も薄紅色の唇も驚くほど小さく、陶器のようになめらかな肌が火照ほてっているのがなんともつやっぽい。汗で化粧が崩れていてもなお美しく、荒い呼吸を整える息遣いすら聞き惚れてしまう、不可思議な魅力を放つ少女だった。
 ヒロインのアーメンガートだ。
 これくらいの歳のイラストは公表されていないし、ゲーム中において容姿以外は完全に無個性だった。そのため、声や仕草での判別は無理なので確信は持てないが、身体的な特徴からして間違いないだろう。
 しかし、一体いつどうやって侯爵家に養女へ行ったのか。たとえ彼女も転生者であったとしても、男爵家にそんなコネがあるとは思えない。あの家はかなりの貧乏設定だったし。

(どないなっとるんや、これ……?)

 シナリオを無視した展開に目を白黒させるジゼルをよそに、ヒロインはミリアルドの前にひざまずいて深くこうべを垂れる。

「恐れながら殿下、わたくしに弁明の機会をお与えくださいますでしょうか?」
「……いいだろう。発言を許す」

 ミリアルドはだらしない顔でアーメンガートに見惚みとれつつも、言葉だけは王太子として取り繕って大仰おおぎょうにうなずいてみせる。

「ありがとうございます。実は……こちらに向かう途中、馬車の車輪が側溝にはまり動けなくなってしまったのです。人を呼んで動かそうとしましたがうまくいかず、このままでは出席できなくなると思い、そこからわたくし一人で走って参りました」
「僕に会うために、自らの足で駆けてきてくれたと?」
「はい……元男爵令嬢のわたくしでは、到底選ばれることはないと分かっていても、どうしてもミリアルド殿下に一目お会いしたい一心で……」

 感嘆とも非難ともつかない声が、会場のあちこちかられる。貴族令嬢が人前で走るなんて不作法もいいところで、淑女らしからぬ行動に令嬢たちはみんな一様に眉根を寄せている。
 中でも隣に座っていた年上の令嬢の口からは「これだから貧乏人は嫌なのよ」と、不快感をあらわにする発言も飛び出した。
 アーメンガートに物申したい気持ちは分かるが、差別的な発言はよくない。

「あの、そんな言い方は――」
「誰がお前の発言を許した! 口をつつしめ!」

 たしなめようとしたジゼルの言葉は、ミリアルドが張り上げた声にさえぎられる。
 彼は叱責されて顔を青くして震える令嬢を憤怒ふんぬの表情で睨みつけ、集められた少女たち全員にも同じような視線を向けて牽制けんせいし――その後、平伏するアーメンガートに膝をついて手を差し伸べ、とろけるような笑みを浮かべた。まるで仮面を付け替えたような豹変ひょうへんぶりだ。

「どうか顔を上げてくれ。誰がなんと言おうと、君は素晴らしい淑女だ。誰かに命じるばかりで何もしない令嬢たちよりも、自らの足で立ち行動する君の方がずっと魅力的だ。泥のついたドレスをまとっていようとも、その姿も魂もここにいる誰よりも美しいよ」
「まあ、殿下……」
「それより、君の名前を教えてくれないか? 知り合って間もないし、ルクウォーツ嬢と呼ぶべきなのだろうが、できれば僕は君を君たらしめる名で呼びたいんだ」
「……アーメンガート、でございます」
「アーメンガート……美しく清らかな君に似合いの名だ」

 手と手を取り合い、至近距離で見つめ合うミリアルドとアーメンガート。
 それから二人はしばし無言になり、視線だけで語り合う〝二人の世界〟に突入した。
 彼らの背景には乙女ゲームらしいキラキラとお花の幻覚エフェクトが飛び交い、焼き菓子の匂いよりも甘ったるい空気が充満する。
 やがて、その場の全員がいたたまれなくなった頃、ミリアルドが特大の爆弾発言を落とした。

「アーメンガート。僕は君を愛している。不躾ぶしつけな願いだと重々承知しているが、どうか……僕の生涯の伴侶としてそばにいてくれないか?」
「はい!」

 突然の告白からのプロポーズ、かーらーのー、ためらい一つない快諾。
 そして感動の抱擁ほうようとキス。
 十歳の少女と十二歳の少年のラブシーンというだけで衝撃的なのに、様々なやり取りや過程をすっ飛ばした急展開に、会場内に戦慄せんりつが走った。

(な、ななな……なんやてぇぇぇぇぇぇ⁉)

 大阪人のツッコミスピリッツが炸裂さくれつして叫び出しそうになったが、物理的に口を両手で押さえてガードした。ついでに椅子からずっこけたい衝動も、机にかじりついて耐える。
 結構無様ぶざまな姿をさらしていたが、他の人も衝撃場面に気を取られていて誰もジゼルを見ていなかったので助かった。きっと脳内ではジゼルのように大絶叫していたに違いない。絶対なまってはいないだろうけど。

「な……なんなんですの、この茶番は!」

 いち早くリカバリーしたのは、先ほどアーメンガートの悪口をつぶやいた令嬢だった。
 ゴージャスな金髪縦ロールにキリリと吊り上がった新緑の目をした、ブサ猫顔のジゼルより悪役令嬢が似合いそうなきつめの美少女だ。
 彼女は憤懣ふんまんやるかたない様子で机を叩いて立ち上がると、観衆を放ったらかしでイチャイチャする二人に、ビシッと鋭い音を立てながら扇を突きつけた。

「遅刻したルクウォーツ嬢になんのおとがめもなさらないどころか、なんの吟味ぎんみもなく彼女を婚約者に指名するなどおかしいです! せっかくこうして人柄や教養を比較する場をもうけてあるというのに、これではあまりに公平性に欠けています!」

 彼女の言うことは至極しごく正論だ。
 他の令嬢たちも声にこそ出さないが、広げた扇の後ろ側で何度もうなずいている。しかし、この中の誰よりも冷静で大人な視点を持っていたジゼルは、「これは悪手だ」と瞬時に悟った。
 大事なのは何を言ったかではなく、誰が言ったか、である。
 諫言かんげんしたのが彼女以外であればまだ救いはあったかもしれないが、これでは恋に恋する二人を引き裂くことは不可能だ。むしろ、彼女の身を滅ぼしかねない。

「……やっぱり、わたくしが殿下のおそばにいるのは……愛し合うことは許されないことなのでしょうか? 両親が事故で亡くなり、侯爵様のご厚意で引き取られましたが、わたくしに流れる血がここにいらっしゃる誰よりもいやしいことには変わりない……! ううっ、ううう……!」

 アーメンガートは令嬢の言葉に打ちのめされたかのように顔を伏せ、大粒の涙をボロボロこぼしながら嗚咽おえつを上げる。

(策士やな、ヒロイン……ていうか、ご両親亡くなっとったん? ますますシナリオはあてにならんな。まあ、この分やったらウチの出番はなさそうやから構へんけど)

 どこにでも、可愛さと涙を武器に器用に立ち回る女性たちはいる。
 そういうあざとい性格の持ち主を前世で数々見てきたジゼルには、それが演技であることは一目瞭然だったが、お子様で恋に盲目状態のミリアルドに見抜けるわけがない。オロオロしつつアーメンガートを抱きしめて涙をぬぐう。

「泣くな、アーメンガート。君が男爵令嬢だろうと平民だろうと、君が君である限りいやしくなどないし、僕が君を愛する気持ちにも何一つくもりは生じない。本当にいやしいのは、人を出自というつまらない物差しで測り、自分勝手におとしめる愚者だよ」

 温かな眼差しでアーメンガートに優しく言い聞かせ……続いててついた視線をかの令嬢に向ける。

「ロゼッタ・ビショップ。貴様は一度ならず二度までも、僕の愛する人の心を傷つけた。彼女への侮辱ぶじょくは僕への侮辱ぶじょくと見なす。つまりは不敬罪だ」

 ザワァッ、と会場内が不安の声で揺れる。
 ロゼッタと呼ばれた令嬢は、先ほどアーメンガートを「貧乏人」とおとしめる発言をして叱責を受けている。今回は彼女を直接侮辱ぶじょくしてはいないが、ロゼッタの発言でアーメンガートが涙したことで、ミリアルドから完全に敵認定されてしまった。
 しかも、いかに聡明で将来有望な少年とはいえ、初恋にのぼせた状態で冷静な判断が下せるわけもない。視野狭窄しやきょうさくな正義を振りかざし、持てる権力すべてを使ってでも、ロゼッタを排除するだろう。
 だから、なんのためらいもなく不敬罪を適用させようとする。
 腕の中にいる少女に踊らされているとも気づかずに。

「で、殿下。不敬罪だなんて、やめてください。殿下のおそばにいるためなら、この程度のこと、わたくしは耐えてみせますわ」

 アーメンガートはヒックヒックとしゃくり上げ、肉食動物を前にした小動物のように震えながらも、涙で濡れた目をミリアルドに向けて懇願こんがんする。
 その破壊力抜群の〝心優しいヒロイン〟の姿に心打たれたのか、「なんと健気けなげなんだろうね、アーメンガートは」と感動したミリアルドだったが、己の意見をくつがえすことはしなかった。

「でも、ここで生温い沙汰さたをしては周りをつけ上がらせるだけだ。君を害する者には容赦しないと、はっきり知らしめる必要がある」
「わたくしごときのために、そこまでしてくださって大丈夫なのですか?」
「ごときなんて言わないでくれ。君は僕の唯一無二の人なんだから。君を守るためなら、僕は歴史に名を残す暴君になっても構わない」
「まあ、もったいないお言葉でございます……!」

 吐息がかかるほどの至近距離で言葉を交わし合い、ハグとキスを繰り返してイチャイチャタイムを再開するバカップル。
 繰り返すが、これは十歳の少女と十二歳の少年のラブシーンである。
 なのに、やたらとボディータッチが官能的だし、発言はヤンデレに染まっている。R指定にしたいくらいだ。ほとんどがデビュー前の令嬢の集まりで、なんてものを見せつけられているのか。

(絶対あの子は転生者やな。清楚せいそ系に見えるのに実はあざと可愛い系で、相当な数の男を手のひらで転がしてきたに違いないわ)

 遅れてやってくることで注目を集め、純粋で一途な少女を演じて王子の寵愛ちょうあいを得る。
 シンプルで古典的で分かりやすい、だからこそ役者の演技力が問われる作戦を、事もなげに実行したということは、前世でも相当な〝やり手〟だったに違いない。
 ヒロインとしてミスキャストな気もするが、乙女ゲームを『男をあらゆる手練手管てれんてくだを使って落とすゲーム』と定義するなら、彼女ほど適役はいないだろう。夢も希望もない表現だが。


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