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プロローグは王宮の舞踏会
ザマァが怖ければフラグを折れ
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だが、そこには誰もいなかった。
ソファーとローテーブルがあるだけの小部屋には、ちょこんと救急箱が置いてあるだけ。
てっきり侍女が手当てしてくれるのかと思ったが、もしやエスコートだけでなく手当てまでカーライル様に丸投げするつもりなのか、殿下。
しばしの沈黙ののち、カーライル様が制帽のツバを押さえながら、重いため息をついた。
「座って待っていてくれ、侍女を呼んでくる」
「あ、はい……」
そう言って出ていったカーライル様を見送り、人間をダメにしそうなフカフカのソファーに身を沈めて待つこと数分。
足首の痛みが増してきたなと思いながら、窮屈なヒールをこっそり脱いでいると、カーライル様は戻ってきた。
一人で。
「すまない。やはり舞踏会のせいか、手の空いている侍女はいないようだ。まあ、俺が疎まれているせいもあるだろうが……」
力なく首を振る様子に、嫌な予感がする。
カーライル様は自分のせいだと思われているようだが、私は殿下のあの妙な笑顔が原因じゃないかと踏んでいる。
こうなった経緯の可能性は二つ。
一つは私をダシに使ってカーライル様の悪い噂を流すため。個室に年若い男女が二人きりでいれば、何もなくともさもあったかのような噂をでっち上げられる。
ただ、すでに廃嫡されて久しく社交界の評判もよろしくないカーライル様は、前途有望な王太子として燦然と輝く殿下の脅威にはならない。
そもそも、二人の間に深い確執があるようには見えなかった。世間的にはどうあれ、両者間では和解したか折り合いがついていると感じられた。こんな下世話な謀略を巡らす必要はない。
となると、もう一つの可能性――私とカーライル様をくっつけようとしている、という謎の思惑が浮上する。クラリッサが彼に好意を抱いているのは初対面の私でも分かるくらい明らかだから、付き合いの長い殿下が気づかないはずがない。なのに何故。
うーん……殿下は密かにクラリッサを愛している、と仮定しよう。
自分には婚約者がいるし、彼女を泣かせたくないから無理矢理引きはがしたくもない。でも、どうしても兄に盗られたくない一心で、偶然見つけた私とくっつけてしまおうとしている。
そう考えると、殿下がクラリッサを強制連行した行動にも合点が行くし、意味深な微笑みの辻褄も合う。前者よりも納得のいく理由だ。
ど、どうしよう……なんかものすごく面倒臭いことに巻き込まれてる予感……!
ブルリと震えそうになるのを何とか抑え、私は淑女の微笑みを被ってカーライル様を見上げて言う。
「そうでしたか。では、私は父が来るまでここで休んでいますので、カーライル様はどうぞ会場へお戻りください」
「だが、このような場所で淑女を一人で放置しておくのは気が引けるし、怪我の具合によってはきちんと医者に診てもらう必要もある。だからその……ホワイトリー嬢には悪いが、応急処置だけでも俺にさせてくれ」
「ですが」
「フロリアンに頼まれた手前、このまま戻るわけにはいかない。フロリアンの顔を立てるとため、思ってくれるとありがたい」
そ、そこまで言われると、子爵令嬢ごときではさすがに断れない。
殿下の名前を出して退路を断ち、さりげなく俺はクラリッサ一筋だと主張するとは。
しかも、ドアはほぼ全開。やましさゼロ、下心ゼロ、安心安全な紳士的対応で、こちらの勘違いフラグも折ってくる。完全無欠の策士だ。
愛されてるな、クラリッサ。
まあ、フラグ云々は別にしても、こうして話している間にもズキズキとした痛みが強まっている。一度ちゃんと具合を確認してもらった方がいい。
「……では、よろしくお願いしま……あ、その前に少し後ろを向いていただけると助かります。ストッキングを脱ぐので」
ストッキングといっても、いわゆるパンストではなくガーターベルトで止めるニーハイソックスのようなもの。
ガーターは下着の上から装着するものなので、大事な部分が丸見えになったりはしないが、自分で留め金を外すためにはスカートを大胆にめくらねばならない。そのような醜態を異性の前で晒すのは、さすがの私でも憚られる。
「脱っ――……失礼」
うっかりその様子を想像してしまったのか、カーライル様は一瞬カチンと固まったのち、グルンッと素早く回れ右をした。さすが軍人、お手本のような動作だ。
感心しつつも手早くストッキングを脱ぎ、畳んで靴の中に収納して、まくったスカートをきれいに直してカーライル様に呼びかけると、どこかほっとしたような様子で彼は振り返り、軽く咳払いして私の前に片膝をついた。
足を診てくれるだけだと分かっているけど、まるで自分が騎士に傅かれる貴婦人になったような錯覚に陥る。
経験したことのないシチュエーションにドギマギしつつも、少しだけ裾をたくし上げて痛む方の足首を見せる。
異性に触れられることへの羞恥は一瞬。
見た目にはさほど異常がないのに、軽く触診されるだけで痛みが増幅し、小さく呻きが漏れてしまう。
「骨に異常はないようだし、転倒による捻挫だろう。とはいえ、程度はあまり軽くはないな。捻った方向が悪かったかもしれない」
淡々と診断結果を述べながら、カーライル様は救急箱から痛み止めの軟膏を取り出して足首に塗り、患部を固定する形でクルクルと包帯を巻きつける。さすが軍人、と感心するような包帯捌きだ。
「あとは一週間ほど安静にしていれば大丈夫、と言いたいところだが、きちんと医者に診てもらった方がいい」
「ありがとうございます」
きれいに結び目を作ってテーピングが完成し、そっと私の足を下ろしたカーライル様は、膝をついたまましげしげと私の履いていた靴を眺める。
「……貴族令嬢とは、こんな細くて背の高い靴を履いているものなのか?」
「まあ、おおよそそうでしょうね。でも、これは一番低い方です。この倍はあるヒールの靴を履きこなせなければ、一人前の淑女とはとても言えません。ヒールが高ければ高いほど、立ち姿が美しく見えますからね」
私が履いているのは五センチほどのもの。これはデビュタントが履く最低レベルの高さだが、長らくヒールなど履かなかった私に、十センチ越えのヒールなどとてもじゃないが無理だ。
なので、せめてもの見栄としてピンヒールを選んだが、それが転倒ならびに捻挫の原因になったのだから、やはり分をわきまえるって大事だなとつくづく思う。
「なるほど。だが、この高さで足がこれだけ傷つくのなら、立ち姿がどうあれ履かなくてもいいと俺は思う」
赤い靴擦れの跡に視線を感じ、慌てて足をドレスの中に隠した
「いえ、その、これはヒールを久しぶりに履いたせいで……普通のご令嬢はこのような足ではないです」
「そういえば、長らく社交界を離れていたとマクレイン嬢が言っていたな。お父上の負債がどうとか。領地に籠っていたのか?」
「ええ、まあ……そのようなものです」
領地にいたことは確かだが、民間人を装って働いていました、とは言えない。
攻略対象たちは貴族令嬢であるヒロインが、庶民に混じって額に汗して労働していた過去に感心し、興味を抱くようになる。そのあたりを素直に暴露するとフラグが立つ、かもしれない。そうでなくとも身分詐称は犯罪だ。王家の人にペラペラしゃべっていい内容ではない。
クラリッサ一筋のカーライル様には、私の過去など心底どうでもいいだろうが、余計なことは言わないやらないがザマァ回避の鉄則だ。
「では、ホワイトリー嬢には――」
「プ、プリエラぁぁ~!」
ドドド、と毛足の長い絨毯を駆ける足音が聞こえてきたかと思うと、みっともなく涙と鼻水を垂らした頭髪の薄い中年男が現れ、私めがけて一直線に飛び込んできた。
が、それはカーライル様の手によりあっけなく阻まれ、立ち上がるついでに繰り出された足払いにより、顔面からベタンと床に伏してしまう。
「ベフッ」
「ほらな。俺がいてよかっただろう?」
「……えっと……まあ、それはそうですが……ソレ、私の父です」
何故かドヤ顔風の笑みを浮かべるカーライル様だが、私の恥を忍んだ告白を聞くと少しだけ頬が引きつった。
ミハイル・ホワイトリー。現ホワイトリー子爵家の当主。
威厳も気品もへったくれもないこの薄らハゲ中年こそ、私の父である。
困っている人を放っておけなくてホイホイ借金の保証人にもなっちゃうお人好しで、臆面なく泣いて笑う子供のような性格の彼は、腹芸など一切できない落ちこぼれ貴族。
だが、ダメな子ほど可愛いく感じる人間は一定数いる。そういう奇特な人々の支えと、持ち前の前向き思考で社交界の荒波を乗り切ってきた父を、尊敬するとは言わないまでも家族としては好ましく思う。
とはいえ、人前で娘に抱きつこうとするのは、親子間でもセクハラ……もとい大人げないのでやめてほしい。
「す、すまない。ホワイトリー子爵だとは思わず……むしろ不審者にしか見えず……」
「あ、あはは……いやいや、私もよく前を見ていませんで、こりゃ申し訳な――」
言い訳しながらカーライル様が慌てて助け起こすと、父は頭をかきながら謝り――私とカーライル様を見比べてクワッと目を見開いた。
「プリエラ……お父さんが頑張らなくても、運命の人を見つけたんだね……!」
「は!?」
完全に素で叫んでしまった。
カーライル様にどう思われようと構わないが、あまり淑女としてみっともないところを見せて変な噂を流されたくはないので、一旦咳払いして気持ちを落ち着かせる。
「ちょっと父様、こちらの方は王族のカーライル様よ。失礼なこと言わないで」
「身分違いの恋かぁ。いいよね、そういうの!」
「全然よくないわよ。待ってるのは身の破滅だけよ。現実と恋愛小説は違うの。だいたい、こちらの方には他のご令嬢が――」
「略奪愛! 燃える展開だね!」
「ちっがーう! 人の話を聞きなさい!」
いつまでも埒の開かない会話に業を煮やし、ひときわ大きな声を上げて黙らせる。
「いい? カーライル様ははフロリアン殿下に頼まれて、私の手当てをしてくださっただけなの。仕方なく、渋々、嫌々、ね。それを都合のいいように解釈して妄言を吐くなんて、とんだ不敬だわ。これ以上阿呆で夢見がちで根も葉もないデマ発言をしたら、今ここで縁を切ってこの国を出て行ってやるから」
「えええ!? ご、ごめんよ、プリエラ! お願いだから出て行かないでぇぇ……」
滝のような涙を流して娘のドレスにしがみつく父はかなり滑稽だが、これくらい言わないと暴走発言が止まらなかっただろう。
「……ホワイトリー嬢」
なんとも言えない顔で私と父を見比べるカーライル様に、ことさら取り繕った白々しい笑みを向けながら立ち上がる。
「大変お見苦しいところをお見せしまして、申し訳ありませんでした。父とも無事合流できましたので、本日はこれで失礼いたします」
「あ、ああ……その、お大事に」
「お心遣い、ありがとうございます。殿下にもお世話になりましたとお伝えください」
痛む足を庇いながら浅いカーテシーで挨拶をし、脱いだ靴を拾い上げ、ドレスにしがみついている父を引っぺがして部屋を出ようとしたが、慌てたカーライル様に止められる。
「ホワイトリー嬢、出口まで案内を」
「そこまでお手数をおかけできません。近くの侍女か従僕にお願いしますので」
「だが、その足で無理は……いや、その前に素足……」
「ドレスの裾でほとんど見えませんし、誰も私の足元など気にしませんよ」
これ以上一緒にいるのを誰かに見られて、あらぬ噂を立てられたくない。
というのも、同じようなやり取りが殿下のイベントでもあって、あれよこれよと丸め込まれてお姫様抱っこで運ばれ馬車に乗せられるという、乙女ゲームではベタだが実際にはかなりの羞恥プレイに晒される。これは絶対阻止せねばザマァ一直線だ。
ザマァ阻止の一心で、不敬になりやしないかヒヤヒヤしながらカーライル様の申し出をかわしてお別れし、適当な侍女を捕まえて案内させ、無事に自宅まで帰りましたとさ。
めでたしめでたし。
ソファーとローテーブルがあるだけの小部屋には、ちょこんと救急箱が置いてあるだけ。
てっきり侍女が手当てしてくれるのかと思ったが、もしやエスコートだけでなく手当てまでカーライル様に丸投げするつもりなのか、殿下。
しばしの沈黙ののち、カーライル様が制帽のツバを押さえながら、重いため息をついた。
「座って待っていてくれ、侍女を呼んでくる」
「あ、はい……」
そう言って出ていったカーライル様を見送り、人間をダメにしそうなフカフカのソファーに身を沈めて待つこと数分。
足首の痛みが増してきたなと思いながら、窮屈なヒールをこっそり脱いでいると、カーライル様は戻ってきた。
一人で。
「すまない。やはり舞踏会のせいか、手の空いている侍女はいないようだ。まあ、俺が疎まれているせいもあるだろうが……」
力なく首を振る様子に、嫌な予感がする。
カーライル様は自分のせいだと思われているようだが、私は殿下のあの妙な笑顔が原因じゃないかと踏んでいる。
こうなった経緯の可能性は二つ。
一つは私をダシに使ってカーライル様の悪い噂を流すため。個室に年若い男女が二人きりでいれば、何もなくともさもあったかのような噂をでっち上げられる。
ただ、すでに廃嫡されて久しく社交界の評判もよろしくないカーライル様は、前途有望な王太子として燦然と輝く殿下の脅威にはならない。
そもそも、二人の間に深い確執があるようには見えなかった。世間的にはどうあれ、両者間では和解したか折り合いがついていると感じられた。こんな下世話な謀略を巡らす必要はない。
となると、もう一つの可能性――私とカーライル様をくっつけようとしている、という謎の思惑が浮上する。クラリッサが彼に好意を抱いているのは初対面の私でも分かるくらい明らかだから、付き合いの長い殿下が気づかないはずがない。なのに何故。
うーん……殿下は密かにクラリッサを愛している、と仮定しよう。
自分には婚約者がいるし、彼女を泣かせたくないから無理矢理引きはがしたくもない。でも、どうしても兄に盗られたくない一心で、偶然見つけた私とくっつけてしまおうとしている。
そう考えると、殿下がクラリッサを強制連行した行動にも合点が行くし、意味深な微笑みの辻褄も合う。前者よりも納得のいく理由だ。
ど、どうしよう……なんかものすごく面倒臭いことに巻き込まれてる予感……!
ブルリと震えそうになるのを何とか抑え、私は淑女の微笑みを被ってカーライル様を見上げて言う。
「そうでしたか。では、私は父が来るまでここで休んでいますので、カーライル様はどうぞ会場へお戻りください」
「だが、このような場所で淑女を一人で放置しておくのは気が引けるし、怪我の具合によってはきちんと医者に診てもらう必要もある。だからその……ホワイトリー嬢には悪いが、応急処置だけでも俺にさせてくれ」
「ですが」
「フロリアンに頼まれた手前、このまま戻るわけにはいかない。フロリアンの顔を立てるとため、思ってくれるとありがたい」
そ、そこまで言われると、子爵令嬢ごときではさすがに断れない。
殿下の名前を出して退路を断ち、さりげなく俺はクラリッサ一筋だと主張するとは。
しかも、ドアはほぼ全開。やましさゼロ、下心ゼロ、安心安全な紳士的対応で、こちらの勘違いフラグも折ってくる。完全無欠の策士だ。
愛されてるな、クラリッサ。
まあ、フラグ云々は別にしても、こうして話している間にもズキズキとした痛みが強まっている。一度ちゃんと具合を確認してもらった方がいい。
「……では、よろしくお願いしま……あ、その前に少し後ろを向いていただけると助かります。ストッキングを脱ぐので」
ストッキングといっても、いわゆるパンストではなくガーターベルトで止めるニーハイソックスのようなもの。
ガーターは下着の上から装着するものなので、大事な部分が丸見えになったりはしないが、自分で留め金を外すためにはスカートを大胆にめくらねばならない。そのような醜態を異性の前で晒すのは、さすがの私でも憚られる。
「脱っ――……失礼」
うっかりその様子を想像してしまったのか、カーライル様は一瞬カチンと固まったのち、グルンッと素早く回れ右をした。さすが軍人、お手本のような動作だ。
感心しつつも手早くストッキングを脱ぎ、畳んで靴の中に収納して、まくったスカートをきれいに直してカーライル様に呼びかけると、どこかほっとしたような様子で彼は振り返り、軽く咳払いして私の前に片膝をついた。
足を診てくれるだけだと分かっているけど、まるで自分が騎士に傅かれる貴婦人になったような錯覚に陥る。
経験したことのないシチュエーションにドギマギしつつも、少しだけ裾をたくし上げて痛む方の足首を見せる。
異性に触れられることへの羞恥は一瞬。
見た目にはさほど異常がないのに、軽く触診されるだけで痛みが増幅し、小さく呻きが漏れてしまう。
「骨に異常はないようだし、転倒による捻挫だろう。とはいえ、程度はあまり軽くはないな。捻った方向が悪かったかもしれない」
淡々と診断結果を述べながら、カーライル様は救急箱から痛み止めの軟膏を取り出して足首に塗り、患部を固定する形でクルクルと包帯を巻きつける。さすが軍人、と感心するような包帯捌きだ。
「あとは一週間ほど安静にしていれば大丈夫、と言いたいところだが、きちんと医者に診てもらった方がいい」
「ありがとうございます」
きれいに結び目を作ってテーピングが完成し、そっと私の足を下ろしたカーライル様は、膝をついたまましげしげと私の履いていた靴を眺める。
「……貴族令嬢とは、こんな細くて背の高い靴を履いているものなのか?」
「まあ、おおよそそうでしょうね。でも、これは一番低い方です。この倍はあるヒールの靴を履きこなせなければ、一人前の淑女とはとても言えません。ヒールが高ければ高いほど、立ち姿が美しく見えますからね」
私が履いているのは五センチほどのもの。これはデビュタントが履く最低レベルの高さだが、長らくヒールなど履かなかった私に、十センチ越えのヒールなどとてもじゃないが無理だ。
なので、せめてもの見栄としてピンヒールを選んだが、それが転倒ならびに捻挫の原因になったのだから、やはり分をわきまえるって大事だなとつくづく思う。
「なるほど。だが、この高さで足がこれだけ傷つくのなら、立ち姿がどうあれ履かなくてもいいと俺は思う」
赤い靴擦れの跡に視線を感じ、慌てて足をドレスの中に隠した
「いえ、その、これはヒールを久しぶりに履いたせいで……普通のご令嬢はこのような足ではないです」
「そういえば、長らく社交界を離れていたとマクレイン嬢が言っていたな。お父上の負債がどうとか。領地に籠っていたのか?」
「ええ、まあ……そのようなものです」
領地にいたことは確かだが、民間人を装って働いていました、とは言えない。
攻略対象たちは貴族令嬢であるヒロインが、庶民に混じって額に汗して労働していた過去に感心し、興味を抱くようになる。そのあたりを素直に暴露するとフラグが立つ、かもしれない。そうでなくとも身分詐称は犯罪だ。王家の人にペラペラしゃべっていい内容ではない。
クラリッサ一筋のカーライル様には、私の過去など心底どうでもいいだろうが、余計なことは言わないやらないがザマァ回避の鉄則だ。
「では、ホワイトリー嬢には――」
「プ、プリエラぁぁ~!」
ドドド、と毛足の長い絨毯を駆ける足音が聞こえてきたかと思うと、みっともなく涙と鼻水を垂らした頭髪の薄い中年男が現れ、私めがけて一直線に飛び込んできた。
が、それはカーライル様の手によりあっけなく阻まれ、立ち上がるついでに繰り出された足払いにより、顔面からベタンと床に伏してしまう。
「ベフッ」
「ほらな。俺がいてよかっただろう?」
「……えっと……まあ、それはそうですが……ソレ、私の父です」
何故かドヤ顔風の笑みを浮かべるカーライル様だが、私の恥を忍んだ告白を聞くと少しだけ頬が引きつった。
ミハイル・ホワイトリー。現ホワイトリー子爵家の当主。
威厳も気品もへったくれもないこの薄らハゲ中年こそ、私の父である。
困っている人を放っておけなくてホイホイ借金の保証人にもなっちゃうお人好しで、臆面なく泣いて笑う子供のような性格の彼は、腹芸など一切できない落ちこぼれ貴族。
だが、ダメな子ほど可愛いく感じる人間は一定数いる。そういう奇特な人々の支えと、持ち前の前向き思考で社交界の荒波を乗り切ってきた父を、尊敬するとは言わないまでも家族としては好ましく思う。
とはいえ、人前で娘に抱きつこうとするのは、親子間でもセクハラ……もとい大人げないのでやめてほしい。
「す、すまない。ホワイトリー子爵だとは思わず……むしろ不審者にしか見えず……」
「あ、あはは……いやいや、私もよく前を見ていませんで、こりゃ申し訳な――」
言い訳しながらカーライル様が慌てて助け起こすと、父は頭をかきながら謝り――私とカーライル様を見比べてクワッと目を見開いた。
「プリエラ……お父さんが頑張らなくても、運命の人を見つけたんだね……!」
「は!?」
完全に素で叫んでしまった。
カーライル様にどう思われようと構わないが、あまり淑女としてみっともないところを見せて変な噂を流されたくはないので、一旦咳払いして気持ちを落ち着かせる。
「ちょっと父様、こちらの方は王族のカーライル様よ。失礼なこと言わないで」
「身分違いの恋かぁ。いいよね、そういうの!」
「全然よくないわよ。待ってるのは身の破滅だけよ。現実と恋愛小説は違うの。だいたい、こちらの方には他のご令嬢が――」
「略奪愛! 燃える展開だね!」
「ちっがーう! 人の話を聞きなさい!」
いつまでも埒の開かない会話に業を煮やし、ひときわ大きな声を上げて黙らせる。
「いい? カーライル様ははフロリアン殿下に頼まれて、私の手当てをしてくださっただけなの。仕方なく、渋々、嫌々、ね。それを都合のいいように解釈して妄言を吐くなんて、とんだ不敬だわ。これ以上阿呆で夢見がちで根も葉もないデマ発言をしたら、今ここで縁を切ってこの国を出て行ってやるから」
「えええ!? ご、ごめんよ、プリエラ! お願いだから出て行かないでぇぇ……」
滝のような涙を流して娘のドレスにしがみつく父はかなり滑稽だが、これくらい言わないと暴走発言が止まらなかっただろう。
「……ホワイトリー嬢」
なんとも言えない顔で私と父を見比べるカーライル様に、ことさら取り繕った白々しい笑みを向けながら立ち上がる。
「大変お見苦しいところをお見せしまして、申し訳ありませんでした。父とも無事合流できましたので、本日はこれで失礼いたします」
「あ、ああ……その、お大事に」
「お心遣い、ありがとうございます。殿下にもお世話になりましたとお伝えください」
痛む足を庇いながら浅いカーテシーで挨拶をし、脱いだ靴を拾い上げ、ドレスにしがみついている父を引っぺがして部屋を出ようとしたが、慌てたカーライル様に止められる。
「ホワイトリー嬢、出口まで案内を」
「そこまでお手数をおかけできません。近くの侍女か従僕にお願いしますので」
「だが、その足で無理は……いや、その前に素足……」
「ドレスの裾でほとんど見えませんし、誰も私の足元など気にしませんよ」
これ以上一緒にいるのを誰かに見られて、あらぬ噂を立てられたくない。
というのも、同じようなやり取りが殿下のイベントでもあって、あれよこれよと丸め込まれてお姫様抱っこで運ばれ馬車に乗せられるという、乙女ゲームではベタだが実際にはかなりの羞恥プレイに晒される。これは絶対阻止せねばザマァ一直線だ。
ザマァ阻止の一心で、不敬になりやしないかヒヤヒヤしながらカーライル様の申し出をかわしてお別れし、適当な侍女を捕まえて案内させ、無事に自宅まで帰りましたとさ。
めでたしめでたし。
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