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ハッピーエンドへの遠い道のり
信じている
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「……隣国と、臨戦状態?」
「ああ……俺もおそらく、辺境へ行くことになるだろう……」
帰宅一番にお弁当の感想を聞きたくて、忠犬のように玄関ホールでカーライル様の帰りを待っていたのだが、帰宅するなり無言で出迎えた私を夫婦の部屋に押し込め、ソファーに並んで座ると「落ち着いて聞いてくれ」と前置きし、緊張した面持ちで国難を告げた。
以前から急激に勢力を伸ばしていた隣国が、辺境の地を征服して支配下に置いたことをきっかけに、モーリス辺境伯領を挟んで緊張が走っているらしい。
ただの国境問題だけで済めばいいが、代替わりしたばかりの相手国の王は好戦的な性格だというし、いつ戦争が起きてもおかしくない状態だ。
そのため国境警備隊だけでなく、国の保有する軍の過半数が辺境の地へ赴き防衛に当たることになり、カーライル様もそこへ招集されることが決まりそうだとのこと。かつて国境警備隊にいた経歴を買われてのことだろうか。
隣国のことは風の噂では聞いていたが、まさかこんなに早く辺境が平定されるとは思わなかったし、戦争になるかもなんて想像もしなかった。
しかも、そのせいでカーライル様が前線に駆り出されるなんて。
前世も今世も戦争の体験のない私には、まるで今生の別れのように感じられる。
愛する人と結ばれたからハッピーエンドではない。乙女ゲームの上ではそこで終幕だが、人生という物語のエンディング分岐は死ぬまで続くのだから、それはあくまでハッピーエンドの入り口でしかない、という現実をまざまざと突き付けられた。
「そんな……」
行かないでほしい――そう言いたいところだけど、軍人の妻には許されない。
でも、全身の震えはどうしても止められなくて、柄にもなく縋るように抱きついてしまう。それを優しく受け止め、落ち着かせるように髪を漉くカーライル様。
「プリエラ……つらい思いをさせてすまない。だが、フロリアンが直々に敵将と和平交渉に乗り出すというのに、俺だけ安全な後方にいるわけにもいかない。俺がフロリアンを守らなくては」
「え、殿下が?」
私が結婚してすぐにセシリア様との成婚の儀式の日取りが決まり、それが間近に迫っているというのに前線で和平交渉だなんて。確かに王太子本人が交渉のテーブルにつくことは意義のあることかもしれないが、もしもそこで暗殺されれば――即開戦だ。
「つまり、辺境へは殿下の護衛で行く、ということですか?」
「そうだな。交渉期間中はそうなるだろうが……開戦すれば陣頭指揮を執ることになるだろうな。最前線に放り込まれる可能性もなくはない。しかし、俺はフロリアンを信じている。そう簡単にくたばる奴じゃないし、どんな手を使ってでも和平を成立させてくれるだろう。俺はその手助けをするだけだ」
「カーライル様……」
その“手助け”とは、きっと命を賭して殿下を守るということだ。
たとえ戦争が回避できたとしても、私は愛する人を失うかもしれない。そんな未来は想像もしたくないし、この温もりが永遠に失われると考えるだけで気が狂いそうだ。
でも、私には彼を引き留めることも、ましてや戦争を止めることもできない。
私にできるのは、何があっても泣き喚くことなく、毅然としていることだけ。
「プリエラ……」
必死に嗚咽をかみ殺す私の唇を割り、深くも緩やかな口づけが繰り返される。
優しく慰めるような動きに堪えていた涙があふれてくる。それを手のひらで拭いながらキスを続け、力の抜けていく体を強く抱きしめた。
その時になって初めて、カーライル様も小さく震えていることに気がついた。
突然の出来事に苦しんでいるのは私だけではない。そのことにほっとしつつも、気づかなかった自分の愚かさに恥じ入るばかりだ。
「私も、信じています。カーライル様が殿下を信じているように、あなたが成すべきことをまっとうし、ご無事に戻ってくることを」
私は権力も腕力もない無力な存在だ。でも、誰よりも彼を信じ支える、この世界に繋ぎ止める楔にはなれる。
そういうものでありたいと強く願いながら、背中に腕を回して抱きしめ返すと、一瞬ピクリと肩が震えたあと、私を抱く腕に一層力がこもった。
「ああ、必ず戻る。待っていてくれ」
「はい……待っています」
そして、私たちは会えない日々を埋めるように愛し合った。
「ああ……俺もおそらく、辺境へ行くことになるだろう……」
帰宅一番にお弁当の感想を聞きたくて、忠犬のように玄関ホールでカーライル様の帰りを待っていたのだが、帰宅するなり無言で出迎えた私を夫婦の部屋に押し込め、ソファーに並んで座ると「落ち着いて聞いてくれ」と前置きし、緊張した面持ちで国難を告げた。
以前から急激に勢力を伸ばしていた隣国が、辺境の地を征服して支配下に置いたことをきっかけに、モーリス辺境伯領を挟んで緊張が走っているらしい。
ただの国境問題だけで済めばいいが、代替わりしたばかりの相手国の王は好戦的な性格だというし、いつ戦争が起きてもおかしくない状態だ。
そのため国境警備隊だけでなく、国の保有する軍の過半数が辺境の地へ赴き防衛に当たることになり、カーライル様もそこへ招集されることが決まりそうだとのこと。かつて国境警備隊にいた経歴を買われてのことだろうか。
隣国のことは風の噂では聞いていたが、まさかこんなに早く辺境が平定されるとは思わなかったし、戦争になるかもなんて想像もしなかった。
しかも、そのせいでカーライル様が前線に駆り出されるなんて。
前世も今世も戦争の体験のない私には、まるで今生の別れのように感じられる。
愛する人と結ばれたからハッピーエンドではない。乙女ゲームの上ではそこで終幕だが、人生という物語のエンディング分岐は死ぬまで続くのだから、それはあくまでハッピーエンドの入り口でしかない、という現実をまざまざと突き付けられた。
「そんな……」
行かないでほしい――そう言いたいところだけど、軍人の妻には許されない。
でも、全身の震えはどうしても止められなくて、柄にもなく縋るように抱きついてしまう。それを優しく受け止め、落ち着かせるように髪を漉くカーライル様。
「プリエラ……つらい思いをさせてすまない。だが、フロリアンが直々に敵将と和平交渉に乗り出すというのに、俺だけ安全な後方にいるわけにもいかない。俺がフロリアンを守らなくては」
「え、殿下が?」
私が結婚してすぐにセシリア様との成婚の儀式の日取りが決まり、それが間近に迫っているというのに前線で和平交渉だなんて。確かに王太子本人が交渉のテーブルにつくことは意義のあることかもしれないが、もしもそこで暗殺されれば――即開戦だ。
「つまり、辺境へは殿下の護衛で行く、ということですか?」
「そうだな。交渉期間中はそうなるだろうが……開戦すれば陣頭指揮を執ることになるだろうな。最前線に放り込まれる可能性もなくはない。しかし、俺はフロリアンを信じている。そう簡単にくたばる奴じゃないし、どんな手を使ってでも和平を成立させてくれるだろう。俺はその手助けをするだけだ」
「カーライル様……」
その“手助け”とは、きっと命を賭して殿下を守るということだ。
たとえ戦争が回避できたとしても、私は愛する人を失うかもしれない。そんな未来は想像もしたくないし、この温もりが永遠に失われると考えるだけで気が狂いそうだ。
でも、私には彼を引き留めることも、ましてや戦争を止めることもできない。
私にできるのは、何があっても泣き喚くことなく、毅然としていることだけ。
「プリエラ……」
必死に嗚咽をかみ殺す私の唇を割り、深くも緩やかな口づけが繰り返される。
優しく慰めるような動きに堪えていた涙があふれてくる。それを手のひらで拭いながらキスを続け、力の抜けていく体を強く抱きしめた。
その時になって初めて、カーライル様も小さく震えていることに気がついた。
突然の出来事に苦しんでいるのは私だけではない。そのことにほっとしつつも、気づかなかった自分の愚かさに恥じ入るばかりだ。
「私も、信じています。カーライル様が殿下を信じているように、あなたが成すべきことをまっとうし、ご無事に戻ってくることを」
私は権力も腕力もない無力な存在だ。でも、誰よりも彼を信じ支える、この世界に繋ぎ止める楔にはなれる。
そういうものでありたいと強く願いながら、背中に腕を回して抱きしめ返すと、一瞬ピクリと肩が震えたあと、私を抱く腕に一層力がこもった。
「ああ、必ず戻る。待っていてくれ」
「はい……待っています」
そして、私たちは会えない日々を埋めるように愛し合った。
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