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前に進むために。つけるべき片

足で稼いで

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「アンタっ! カオナ‥‥‥」
「そこまで! ハイッ、そこまで~」

 一目である。そして一言である。
 場所は昼間の港崎遊郭。痩せぎすな男は、頭巾を被った八徳に声をあげ、しかし既にカオナシとなった八徳は、それ以上男が言葉をつむがない様、掌をもって男の口をふさいだ。

「調査がしたい。先だっての、《カオナシ不覚殺傷劇》について」
「……悪ぃがそいつは言えねぇ。遊郭の出来事をおいそれと外の人間に漏らすことは‥‥‥」
「遊郭に生きる人間のご法度。そりゃ知っている」

 無理やり言を封じる様な事をすれば、本来激昂される場面。だが、何百文かをチラつかせ、それを男に握らせてから、そっと、掌による口の戒めを解いたところ、少しは男も怒りが収まったようだった。
 それを抵抗なく受け取った男。その癖、未だ頭巾を被った八徳には、警戒に満ちた表情を向けていた。

 だが‥‥‥

「それでも知りてぇ。なまじ”俺”が殺されたとあっちゃあな」

 その一言がきっかけ。訝しげな顔を向けていた男は、次第に気づいたように目を見開いた。

「アンタ‥‥‥本物のカオナシか」
「別に本物か偽物かなんて重要じゃない。おりゃただの情報屋。この町で生きていると見受けたアンタに金銭チラつかせ、知っている話を買い取りたい。それだけだよ」
「アンタが重要に思ってなくてもだな、本物か偽物かってなぁ、俺に、俺たちにとっちゃ重要だよ」

 先ほどの、警戒が漏れる様子とは打って変わった。

「あの時の、上方上がりの侍との大立ち回り。いやぁ、アレには痺れたねぇ」
「《カオナシ捕物帳》の場にいて、その光景を見ていた。そして男でこの町の人間ってこたぁ、アンタ、この港崎の始末屋か?」
「おうよ、八咫ヤタって呼んでくんな!」
「何をそんなうれし気に? だったら怒るところだろう。この町で起きた事件ゴタは、本来お前たちの物。俺は、それを横取りした」
「どの道、うちの連中じゃあ手に余った相手だ。奉行所が出張るまでに被害が拡大しなかったのは、間違いなくアンタの活躍のおかげだよ。それに‥‥‥」

 どことなく、嬉しげ。

「アンタの、侍にぶちまけた口上ったら。遊郭に生きる者たちの魂を代弁してくれたように感じたね。俺たちが果たせなかった仲間の仇も討ってくれた。あり得ないってのはわかるんだが……アンタを、始末屋の同士みたいに見てる仲間も大勢いやがんだ」
「ぐふぅっ!」

 始末屋なら、本来遊郭外に生きる者に見せるはずのない気のいい笑顔すら、男は見せてきた。
 その指摘が、なんとも的確過ぎることを、始末屋の男は知らない。分ってしまわないように表情には出さなかったものの、八徳は思わず苦悶の呻きを上げた。

「って、ちょっと待て。俺を本物として認識したってぇことは……」
「《カオナシ不覚殺傷劇》ってぇ打たれた銘。ありゃお笑いだね。銘打たれたそれを瓦版で読んだ外界の連中はわからんが、町の連中誰も、それを信じているやつやつはいないよ」
「鈴蘭が、俺の生存を触れ回ったりとか……」
「さてぇ、本当にアンタ……いやそれより、知りたいことってなぁいったい何だい?」

 実は、ここに来るにあたって不安なことはあった。この町では基本的に頭巾をかぶる八徳。
 だが、先日”カオナシ”は殺されたはず。話を聞こうとして、相手にされない可能性も考えなかったわけではなかった。
 しかし、意外に話が早くて助かった。 
 本物のカオナシであること、言葉を交わせることに表情を楽し気にゆがめたは港崎始末屋の若衆である八咫は、「んじゃコレはもらっとくよ」とばかりに、たったいま握らされた数百文を八徳に掲げて見せてから、懐に収めた。

「下手人の、遊女についてだが……」
「すでに四郎兵衛会所をでたよ」
「ッツ!」

 懐に収めてから、努めてまじめな表情で、問いに答え始めた。

「あんたは遊郭に詳しそうだからな。これだけ言えばわかるだろう?」
「外の世界の、どこかお寺さんに、無縁仏として埋葬されたか。まだ事件から2週間と経っていないのに……・」

 四郎兵衛会所。遊郭と外界を隔てる遊郭側の関所。
 ここを、女が通り抜けられるのは原則、二つの場合に限られた。
 一つ、客に見初められて大枚はたかれ、遊郭の外の、客のところに引き取られる《身請け》という場合。
 二つ、遊郭の中で命を落とし、外界の寺に埋葬された場合だった。

「さすがに、遊女が客ぅ殺したんだ。元は妓楼に所属していた花魁は、もはやそこにはとどまれねぇ。進んでそんな女郎を引き入れたいなんて他の妓楼だってあるめぇ?」
「なら残っているのは、妓楼に所属しない、生活もその他もテメェの面倒はテメェで見なけりゃならねぇ一人遊女の道。《切り見世女郎》か……」
「女の生き地獄。遊郭の中でも最下層だ。客層も、お遊びもひでぇ。店にいれば、外界から医者を呼んで、職業病たる梅毒や、ほかの病も見てもらえる。食事だって出たさ」
「……自殺……」

 すぐに、結論に思い当たった。

 《端女郎》と《切り見世女郎》……遊郭のことに長じている八徳が、哀れとまで思う存在。
 遊女としての最低格であり、この町から出られない花魁連中たちにとって、大夫格と格子格が憧れであるのと反対に、さげすむ存在だった。

 事件で”カオナシ”を殺した女だが、もとはどこか妓楼に所属したとなれば、少なくとも散茶女郎だったに違いなく。
 それが、今回の件で格を落したとき、己の未来に絶望したのがうかがえた。
 それゆえの自殺。

「……くそっ、アンタとつなぎが取れたことで、やっと情報にありつけるとも思ったのに。加害者、犠牲者ともに仏さんになったってなら、どうにもできないじゃねぇ! 今、渡した金も無駄になっちまった」
「ま、そう結論を焦りなさんなってカオナシのにぃさん。貰った分には幾らか足りんかもしれんが、話せることがないわけじゃねぇ」

 手掛かりはない。そう思って激高した八徳。ここで八咫は思わせぶりに笑った。
 周囲に目配せし、誰かに見られていないのを確認してから、そばの建物の外壁に体を預け、腕を組み、そして口を開いた。

「まずはカオナシさん。さっきアンタ『俺が殺された』と言ったが、その読み、あながち外れてもおらんぜ?」
「へぇ?」
「事件は《死に損》で片づけた。片づけたが、俺たち始末屋は何も、どの事件すべてをも《死に損》にさせるわけじゃねぇ」
「だろうな。安易に《死に損》で片づけた事件ゴタが、後になって遊郭の手に余るものだったことが発覚した際、遊郭側でもいろいろと問題になる」
「そのとおりだ。例のアンタの《捕物帳》、アレだって攘夷志士がかかわっていた。下手こいて仲間の攘夷派侍どもが港崎に押し寄せてみろ? ここは大混乱だ」
「始末屋は、ある意味じゃ、外の世界の同心岡っ引きの遊郭版。事件があれば捜査する。不審者は取り調べる。単純に《死に損》とするのか、そうでないのかの線引きを図るため。町の性格上、毎度奉行所に介入されるのも厄介だ。始末屋がやるしかない」
「ハッ! やっぱりアンタ、始末屋としてやっていけるぜ? 筋がいい」

 当然の八徳の回答だった。始末屋の語るべくもの全て、かつて八徳が生きてきた道。

「で、だ……『俺の読み』が外れていないという話だが」
「まず、被害者の《亀の字》亀之助と、それを殺した花魁だが、面識はなかった」
「面識がない?」
「最初は怨恨かと思ったんだよ。例えば、亀之助がその花魁で楽しむだけ楽しんだそのあと、カオナシを偽り、別のところでお遊びを楽しもうとしたことに、花魁が怒り狂ったのか……とな」
「別のところでお遊び?」
「アンタ、鈴蘭の馴染みなんだろう?」
「グッ!」

 やっと事の次第の調査ができそうだ……とも思ったが、なかなか集中に至れなかった。まさか、ここで鈴蘭の名が出ると思わなかったのだ。

 それに……

(俺の読みじゃ、抱かれた花魁が、抱いた男が別の花魁に浮気しようとしたことで怒り狂ったとも思ったんだが)

 思っていたことと全く違う話運びに、言葉を失った。

「ハハッ、すでにその花魁で肌を重ねたのに、新進気鋭の鈴蘭のところでも遊び、また、肌を重ねると思われるか。そりゃあ確かに、最初に抱かれた方の花魁にとっちゃ面白くないわな」

(まだ、抱いたことないけどな。それどころか、下手するともう二度と会ってくれない公算、強いけどな。にしても『面識がなかった』って、しょっぱなから、推理はハズレかよ)

「だから怨恨の線で取り調べをしたんだが、自殺する前の花魁は、亀之助のことを知らなかったんだよ。それにだ、捜査の結果、別の花魁が浮上したんだ。亀之助が殺される直前、奴は、その花魁と寝ていた」

(なんというか、亀之助ってやつも……そうとうな助兵衛スットコドッコイだな)

 気を取り直し、改めて八咫の言に集中する。そうすると、どうにもわからないことがあった。
 
「怨恨って線なら、そうだな。頭巾をかぶってカオナシを演じても、花魁の殺したい相手は亀之助であるはず。だが、そういうわけじゃないってなら……」
「そう。亀之助は……当時カオナシだった・・・・・・・から殺されたんだ。だから言ったろ?『アンタの読みは間違っちゃいない』ってな」
「狙われたのは……本当に俺ってことか。なんでだ? 俺は、港崎での花魁の知り合いは、鈴蘭しかいねぇぜ?」
「……鈴蘭との馴染みって話。やっぱり嘘じゃないらしいな」
「一旦、鈴蘭から離れられねぇのか? アンタ」
「いいじゃねぇ。さっきの質問に答えてやる。アンタの生存について、鈴蘭が触れ回ったわけじゃない。アンタの腕っぷしは、皆が知ってるゆえの結論さ。鈴蘭は、基本遊郭内の人間に対してもお高くとまっているからな」

 わからないのは、自分が狙われた理由。そしてそれが、何の面識もない花魁によって引き起きてしまったこと。
 それなのに、ことあるごとに鈴蘭の名前が出てくるから、気は、重たくなった。
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