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鈴蘭の馴染み。噂をすれば影

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「まぁ聞ぃてくんな。今回の場合、その《鈴蘭との馴染み》って点が重要かもしれねぇからな」
「まさか……だろ? 考えたくねぇ。その関係性が、”俺”が殺された理由だって?」

 鈴蘭との、少し前の一件があったから、気が重くてならなかった。
 それなのに、八咫の改まった発言が、その可能性を匂わせるなら、聞かないわけにも行かなかった。

「アンタ、自分がこの町で持てはやされているってぇのは?」
「知らねえわけじゃないが、こっ恥ずかしいから考えないようにしている」
「ハハッ! 英雄っていうのも、いろいろ大変なようじゃねぇか。《カオナシ》と聞いて、この町のモンや訪れる客が思い浮かべるのは二つ。鈴蘭との馴染みの関係。腕っぷし」
「やっかまれるなら、その二つってことか」
「腕っぷしの線だが……それだと、どうにも腑に落ちないってんで」
「腑に落ちない?」
「そも、そんな男相手に、ひょろっちぃ女が襲い掛かるかねぇ?」
「例えばだ、報復に使われたって線ならどうだ? 《ラシャメン天誅》時の下手人。攘夷派侍の、仲間からの復讐とか」
「その《ラシャメン天誅》を、《港崎カオナシ捕物帳》にくつがえしたアンタほどの男が、考えるかい? 男に代わって女に、報復をさせようなんざ。相手は、侍を叩きのめしたあの”カオナシ”だってのに」
「さてぇ? 少なくとも油断は誘える。それに報復ってなぁ、誰が果たすか、誰のメンツを立たせてやるかじゃない。確実に成功させることの方が、重要だと思うんだが……」

 攘夷派による報復。
 そういうことなら、なぜ花魁が下手人として使われたかはわからないが、何となく、”自分”が殺されたことにも納得できる気がした。
 衆目のある場で叩きのめしたこともある。しかも通りすがりの、顔も晒さない者にやられたという結末。
 侍としても、攘夷派としても、メンツは丸つぶれのはずだった。

「そいつはどうだろうな。最近、攘夷派の勢いは失速しているとの話だぜ?」
「失速だぁ?」
「どの遊女に、攘夷派の侍が客として馴染みだったか、というところまではわからねぇ。少なくとも港崎全体として、『訪れる攘夷派は少なくなったようだ』……ってのが、顔役たちの寄合で、今んところ出された結論だ」
「顔役? 各妓楼の楼主に、アンタのところの始末屋親分か」

 しかし、八徳の頭に閃いた、攘夷派関係というのはお門違いらしい。

「最近、攘夷派は不名誉続きらしいんだよ。アンタ、《始末屋八徳横恋慕》は知ってるか」
「……あんだって?」
「八徳だよ八徳。《始末屋八徳横恋慕》。アンタだって話くらいは聞いたことあるだろう? 遊郭の始末屋だってのに、掟破ってどっか花魁と出来ちまったってあの……」
「あの?」
「《始末屋》っていう看板に、泥ぉ塗ったふてぇ野郎の事さ。嫌だねぇ。あっちゃならねぇことしやがって。ご同業の俺たちにかかる迷惑を知れってんだ」
「ゴフゥア!」
「あん? 大丈夫かカオナシさん?」
「だ……ダイジョウブダヨ? ダイジョブ」

 それに、またもや出てきた耳の痛い単語に、八徳は、かぶった頭巾の中で、クシャッと顔をしかめた。

「基本仕事でもない限り、俺はこの街を出ちゃならねぇが。すぐ近くに永真遊郭ってのがあるなぁ知っている。年に一度、祭りもあるしな。これがまた、楽しむ暇もねぇんだ。年で一番多忙な時期。しかも決まって大なり小なり抗争が起きるんだよ」
「あぁ、いやそういえば、そんな祭りもあったな」
「ま、いいか。んでもって、なんて名の花魁かはわからんが、そこに出入りしていた攘夷派の侍が殺されたんだと」
「へ、へぇ。ソウナンダ」
「そりゃあ人間だってなら、いっつも綺麗にばかりたぁいられねぇ。高潔な侍自演する奴らだって、女遊びに躍起になるんだろう。だがそれを、周囲一帯に知られちゃおしまいよ」
「周囲に……知られる?」
「外界から持ち込まれた瓦版、読んだぜ。みんな思ったろうよ。誇り高い侍が、せっせと花魁に貢ぐ情けない様」
「そうして、それを知られて攘夷派が焦らないわけがない。『新たな日本の夜明け。また明日あいたじゃ』と声高に叫ぶ政治的革命派も……『やっぱりただの雄だった』ってか? 町民たちからの印象は、総崩れだな」
「そのすぐ後に、《港崎カオナシ捕物帳》だ。ただでさえ町民からの印象や、支持率が落ちていた攘夷派。立て続けに恥を晒すことになった。しかも今度はまた、《始末屋八徳横恋慕》と訳がちげぇ」
「訳が違う?」
「異国人に媚び売るラシャメンに天誅を下した……か? 違うねあれは。幕府派との小競り合いを生き抜いて、上方からやってきた一個の……そうだな、生物兵器と言おうか? が、か弱い女を殺したんだぜ? どんな理由があろうがな」

 さすがに、あの時の狂い猛けた侍について話すとき、八咫の発言には、熱が帯びていた。

「それだけじゃない。その場から逃げようとするとき、その猛威を、暴力を振るい、この街に生きる者たち、訪れた客たちを恐れさせ、さらに……」

 思い出しているに違いないというのが、八徳にもよくわかった。

「俺の、仲間を、兄弟分たちを何人もりがった!」

 当然だった。怒らないわけがなかった。
 もし八徳が、いまだ始末屋として遊郭に生きていて、同じような場面に出くわしたなら、きっと同じ感情を持った。

「さぁて? 大衆はあの時の糞侍をどう見るかね? 所属する。攘夷派どもを」
「なるほどな。確かにそんな情勢で、カオナシに報復をかける余裕はないか。しばらくは、お行儀でもよくしてるのかな?」

(いっそのこと、それを引け目に横浜から出て行っちまえば、少なくともここいらもちったぁ安全になるか? したら、外国人居留地の奴らが斬られることも……いやいやいや、何考えてんだ俺は。もう、あそことは関係ないだろうが!)

 男からの話を聞いて、沸き上がった考えに、慌て八徳は払しょくするように、首を振った。

「まぁ、それは、攘夷派に懇意にされていた花魁にとっちゃあ残念か? 金づるが町に来なくなる」
「花魁は、同じ花魁を殺すような奴らがかつての客だったとしても、いなくなることで弱気になるようなタマじゃねぇ。さっき『か弱い女』っつったけどな。あれでなかなか、魂のほうはめっぽう強ぇんだ」
「あぁ、それは俺も知ってる」

 ここで、八咫との意見があったこと。
 彼が二カッと歯を見せたなら、クツクツと、頭巾を被った八徳も声をあげて笑った。

「鈴蘭との馴染みと、腕っぷし。確かに今の話を聞いて、消去法にかけるなら、亀之助が”カオナシ”だから殺されたってのは、前者に関連するってことになるのか」
「悪いが、俺に話せるのはここまでだ。俺ら始末屋の捜査でも、『攘夷派によるものじゃねぇ』って結論がついて、だったら動機は鈴蘭との馴染みの関係ってのに行き着いた。いろいろ、わからないことも多かったがな。捜査はそこで終了。《死に損》にすることとなった。なのに……またカオナシが現れるたぁなぁ」
「……なんだよ。随分と歯切れの悪ぃ物言いじゃねぇか」
「当たり前だろ? 鈴蘭との馴染みがきっかけで、カオナシが死んだっていうなら。その対象たるカオナシがいなくなったことで、同じようなことは起きねぇと思ったんだよ」
「それは……なんとも薄情な物言いじゃねぇか。それにいいのかよ。お前たちの側ではあのカオナシは偽物だって気づいていたんだろう。ふつう思わない? 本物のカオナシが生きているということだけで、再発の可能性が出てくるって」
「それでも、俺たち以外の、カオナシが殺されたことを信じる外野には良い薬になるんだよ。少なくとも、カオナシを騙るような阿呆は減る。というか、大変だったんだぞ? 一時期、カオナシが爆発的に増えて……」
「それは、俺のせいじゃねぇ。っていうか、んな、人を厄介者みたいに……」
「そもそもだ、アンタが鈴蘭との関係を、ひけらかすようなことを言うから……」
「吹聴したのは、どこかのバカな金持ち呉服商なんだよ!」

 こんな話にまで至ったこと。ならば聞き出すことはあらかた聞き出せたろうと思った八徳。
 最後の八咫の訴えは面倒くさくなって、あえて聞こうとせず、その場を立ち去ろうとした……ときだった。

「そうだ、一つだけ」
「なんだ、まだ有益な話ってのがあるのか?」
「有益っていうか、さっきいった『わからないことも多い』ってやつの中のひとつなんだが。アンタさっき『鈴蘭以外の花魁を知らない』って言ってたよな」
「それがどうした?」
「それは本当か? ”カオナシ”の死体の刺し傷の多さ。自殺した花魁から、鈴蘭との関係をやっかみにされるはずがないといくらアンタが言ったって。じゃああれが、怨恨によるものじゃないって話だとしたら……」
「だとしたら?」
「自殺した花魁が、狂っていたことになる。恨みのない”カオナシ”に対して、異常なほど痛めつけたんだ。そう考えて間違いじゃねぇ」
「とはいってもなぁ。本当に、思い当たる節はないんだよなぁ」
「そうか? 自殺した花魁。あれな、元はとんでもなく気性が穏やかな奴だった」
「知っていた奴だったのか?」
「馬鹿言え。この町に生きてきる奴らの一人として、俺にしらねぇ奴はいねぇ。それが始末屋って奴なんだよ」
「愚問だったな」

 話は今度こそ終わり。
 それをお互い悟ったのか、後は、特に挨拶もなし。

 始末屋の若衆、八咫は、どこか細路地に姿を消していった。

「で……俺に何か用かぃ? 先の、始末屋若衆が、内密の話ぃ漏らして止めに来なかった。そこは見逃してくれてるってところなんだろうが。やっこさんが立ち去った後も、気配は消えていかない。なら、目的は俺か? 隠れていないで出てきちゃ……あ……」

 そうしてだ。八咫が立ち去ったのちの話。
 
 あらぬ方向へと目をやった八徳。先ほどから、かすかな気配をずっと感じていた。
 殺気とはまた類の違った空気。だから、努めて冷静に声をかけたつもりだ。「出てきちゃあどうだい?」と、そういうつもりだったのだが……

「カオナシ様、お迎えでございます」
「あ、え?」
「先ほど通りで貴方様をお見かけしまして。うちの鈴蘭に、カオナシ様を見たと伝えたところ……」
「伝えたところ?」
「『是が非でも連れて来い』と。『何が何でも連れて来い』と。『首に縄をかけてでも、連れて来い』と」
「は……ハハハ……ハハハハハ……」

 現れたのは、鈴蘭が身を置く妓楼に働く、初老で少し年齢にしては背の低すぎる柔和な笑顔の男。

「ハハハ! アハハハ!」
「ホッホッ! ホッホッホッホ!」
「ハハハハハ! ハハハハハハハ!」
「カッカッカッ! カッカッカッカッカッ!」
「やっぱり、出てこないで貰って……いいでしょうか?」
「それは、聞けぬご相談で」
「そう……か。だよなぁ」

 どうにも反応に困って上げてしまった笑い声に、初老の男の笑い声が続いた。
 いつしかその笑い声は重なって……不意を打つような八徳の攻め。しかし、これを初老の男はあっさりかわして見せた

 男の顔を知っているのは、鈴蘭とのなじみの関係で、妓楼の中で働いているのを何度か顔見たことがあったから。

「さぁ、では、鈴蘭のもとへ、見世へとまいりましょう。カオナシ様」
「あ、あのぅ、後日ってわけにはいかねぇだろうか? なっ!? 調査しているんだ。”俺”が殺された《カオナシ不覚殺傷劇》の。丁度今良いところなんだよ」
「……さぁ、では、鈴蘭のもとへ、見世へとまいりましょう。カオナシ様」
「取りつく島も与えてくれねぇこのジジィッ!」

 そしてどうあっても、妓楼に引っ張られ鈴蘭の前に引っ立てられることを八徳は直感した。

「そう言えば、今回で鈴蘭と会うのは三度目になりますなぁ」

 それだから、迎えに来た男の呼びかけに答えることはできず、白目を剥いて、しばらくその場に立ち尽くしてしまった。

「ふむ、そうだ。間違いない。カオナシ様と鈴蘭の逢瀬は三度目になる。こりゃあ、今日は忙しくなるか?」

 ちなみに、なんというかその……剥いた白目からは、滝のように、涙が溢れていて止まらなかった。
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