4 / 30
~1章~
4話
しおりを挟む
ーー新選組屯所前ーー
「だからぁー。お・つ・か・い!だって。言葉分かりますかぁ?」
「嘘をつけ!そのような形単語の使いなど見た事ないわ!」
屯所前に立っている門番と押し問答が続く。
「もう……あんたじゃ話にならない。偉い人呼んで来てよ。大人しく待っててやるから」
そろそろ我慢の限界に近付く。道を通る人達の何事だと訝しげな視線に嫌気が差してきた。
半ば投げやりに呼んで来てと頼みつつも、上から目線の態度に門番は言葉を荒げる。
「待っててやるとはなんだ!その前にお前のような奴が新選組幹部に会えると思っているのか?!帰れ!」
小馬鹿にしたような目で蓮二を見ると
シッシッ と犬を追い払うような動きをした。
それにはさすがの蓮二も堪忍袋の尾が切れた……
「おい…。今すぐてめえを斬って中に入る事も出来るんだぜ…?」
一帯の空気が瞬時に変わる。
カチリと鯉口を切った蓮二に見据えられ、それまで強気だった門番は自分に向けられた恐ろしいまでの殺気にガタガタと震え始めた。
「それはマズいな。屯所前で刃情沙汰は困る。曲がり形にもコイツは隊士だ。」
低く威圧感のある声と共に屋敷から一人の男が出て来る。
蓮二は殺気を押し込むように鯉口を戻し、その声の主を眺めた。
蓮二よりは劣るもののなかなかの美男子。
色白だが均整のとれた体躯。
鋭い眼光は意志の強さと、全てを見透かすような光が宿っていた。
その瞳に蓮二は何故だか懐かしさを覚える。
それは「焔」を見た時と同じ感覚だった。
「ふ、副長っっ!?」
副長と呼ばれた男は門番を一瞥すると蓮二に向き直る。
「話を聞こう。付いて来い」
地面に打ち付ける勢いで深々と頭を垂れ先程よりも遥かなる恐怖に震える門番を少し気の毒に感じた蓮二は複雑な面持ちで通り過ぎた。
入り口からほど近いその部屋は煙草の匂いがした。
無駄な物がなく整然とした文机の上には、先程までそこで仕事をしていたのだろうか……まだ瑞々しい墨と書き掛けの紙。
その前に腰を下ろし、蓮二にも座るよう目配せをする。
「先程はうちの隊士が失礼を働いたな……。すまなかった」
男は軽く目を瞑り非礼を詫びた。
「いや…俺の方こそ疑いを掛けられる振る舞いをしたんだ。彼には後からちゃんと謝りに行くよ」
先程までいがみ合っていた門番を気遣う蓮二の対応が気に入ったのか、男は満足そうに口角を少し上げる。
「では改めて…。新選組副長 土方歳三だ」
背筋を伸ばし、真っ直ぐに蓮二を見据える凛とした風貌はさすが副長といった所。
「如月蓮二だ。三条通り近くに住む町医者『平井東庵』の所に世話になっている。で、これが先生から預かってきた薬や包帯だ」
土方の前に風呂敷包みを差し出す。
東庵の名前に少し驚き、そうか……と言うと腕を組み何か考え始めた。
「あの狸じじいが何か仕出かしたか……?」
土方の只ならぬ様子に一抹の不安を覚え、蓮二は静かに問い掛けた。
「いや…そうじゃない。それよりもちょっと聞きたい事があるんだが…」
そう言った土方の目に鋭さが増す。
瞳の奥に強い光を宿した視線が蓮二を捉えた。
嘘は通らないと言わんばかりの鋭い眼差しに、蓮二は諦めたように嘆息した。
土方の纏う雰囲気が変わった。
ああーーこれが鬼の副長と言われる所以かと。
彼の中にある信念は何物にも揺らがない。
だからこそ“鬼”であれるのだ。
確固たるその思いこそが“鬼”となった彼を生かしているのだと。
「君は……六月五日、桝屋に出向いていたか?」
やはりそうだった。
池田屋事件の発端であるあの場所に蓮二が居た事を彼は知っている。
蓮二自身、歩いているだけで人の目を集めると自覚がある。
あの日も多くの人が集まっていた。故に怪しい男が居たと届け出る者がいてもおかしくはない。
東庵が言っていたように新選組の誰かに薬を廃棄するところを見られていたのは確定した。
「……ああ、行った。今日のように東庵の使いで」
微笑を携えたまま目を逸らさず蓮二は答える。
蓮二のどこまでも真っ直ぐで強い光を放つその瞳に、土方は懐かしさを覚える。
この如月という男とどこかで会った事があるのだろうか?
過去を振り返るも心当たりが全くない。
容姿の美しさはもちろんなのだが、何よりも彼が持つ侍としての“気”
浪人の姿をしていようが、役者のように振る舞っていようが……
自身が幼い頃から憧れていた本当の武士の魂がこの男には宿っている。
土方は酷く狼狽した。
何故、生粋の武士の魂を宿した男が医者の下で小姓のような事をしているのか不思議でならない。
それと同時に湧き上がるのは
【この男が欲しい】
と言う身勝手な思い。
隊士として……
いや……それ以上の何かをこの男に欲している……
理想とする武士の魂を持っているだけ。
それだけなのに、自分はこの男が欲しくて仕方がない。
胸の奥に芽生えたものは今までに無い程熱く、締め付けるように痛む。
土方は湧き上がる熱情を押さえつけるように襟を強く握り締めた。
しばらく二人は見つめ合ったまま動かなかった。
いや……動けなかったのだ。
声を出すことすら躊躇われる。
一層張り詰めていく空気に息苦しさを感じつつも、何故かそこには独特の心地良さが漂っていた。
男同士が無言で見つめ合うなんて普通は気色悪いが……
戦いにも似た無言の攻防戦。
初対面だと云うのにお互いに感じる懐かしさと、それさえも至極当然と思える奇妙な連帯感。
どれだけの時間が過ぎたのだろうか?
静寂をそっと斬るように外から声が掛かる。
「副長、お客人がいらっしゃる所すんまへん。山崎です」
入れ、という土方の声に答えるように襖が開けられる。
小柄で細く釣り上がった目。
幼さが残る顔立ちだが修羅場は幾度と超えてきたのだろう……纏う空気は洗礼されたものだった。
山崎はチラリと蓮二を見ると少しだけ目を見開いた。
「…ちょっと失礼します」
蓮二に向かい小さく頭を下げ、土方の元へ行く。
土方の傍らに座り、耳打ちをする。
話の内容はよほどの事らしい……
土方の顔色がどんどん青ざめて行く。
チッと舌打ちすると
「俺達が動いてもどうにもならねえ。向こうの出方を待つほかねえな。とりあえず幹部はともかく平隊士連中に話が広がらないようにしてくれ。血の気の多い奴らだ」
眉間の皺がこれでもかと言わんばかりに増え、苛立ちを押さえるように煙菅に火を付ける。
「そこら辺は島田や緒方がやってくれてますんで心配には及びません。で副長?こちらの方はもしかして…?」
先程と同じようにチラリと蓮二に視線を流す。
「東庵先生の使いで如月蓮二さんだ。緒方が見た役者風の男も彼だ」
山崎と呼ばれた男は、音もなく立ち上がったかと思えば一瞬にして蓮二の前に来る。
土方からは見えないだろう。
上手く右手に隠されたクナイを蓮二の胸元に当て、静かに問う。
「あんさん…目的は?」
一瞬の出来事に蓮二は驚くが、それさえも予想範囲内だと薄く笑う。
その優雅で気品のある笑みに山崎は言葉を失う。
「目的?俺は東庵に頼まれて薬が必要な所に届けているだけだよ?」
ニッコリと笑い、胸元に当てられたクナイを持つ山崎の右手をそっと掴む。
固まったままだった山崎は、触れられた冷たい感触にビクッと体を跳ねる。
ーー冷たい手
氷のように冷たく、全く生気が感じられない。
白磁の人形に触れたようだった。
「余計な事をするな。その男は俺が話をする。お前は両藩の動きを探って来い」
低く紡がれた声は少し怒りを帯びていた。
しばらく呆気に取られていた山崎は、思い出したようにスッと苦無を懐にしまい眉尻を下げ、土方を見上げる。
「すんまへん…。ワテとしたことが先走ってしもうた」
土方に平伏すると、蓮二向き直り頭を下げる。
「如月はん、堪忍な……」
「いや……気にしないで。慣れてるから」
そう言って優しく微笑む蓮二の目は、とても深く暗い水底のような悲しみを湛えていた。
その瞳に土方は、胸を抉られるような痛みを覚える。
“もう二度と見たくない”
自分が彼にこんな顔をさせてはならないと己の魂が叫ぶ。
ーー何故。出会ったばかりの男の事をこれほどまでに思うのだろう?
山崎が出て行き部屋に静寂が戻る。
「山崎の部下から、桝屋近辺でうろつく浪人を見たと報告があった。長州かとも思ったのだが…あいつらがわざわざ単身で乗り込んで来る事はないだろう。今日ここに来た時点で俺の中の疑いは晴れた。だが気になる事がある。答えてくれるか?」
「ああ…俺の答えられる範囲ならね」
同時に顔を向けた二人の目が重なった。
なんて息が合うのだろう?
それが可笑しくて二人で ククッ と笑い合う。
「お前とは初めて会った気がしないな…」
「俺もそう思う」
お互いに感じた懐かしさはきっと嘘ではない。
今も魂が相手を呼び合っている。
それが何なのか……?
今は探っても無駄なのだろう。辿り着く事の難しい遠い記憶の片鱗。
「では聞こう。あの日何故、桝屋に寄らなかった?あの薬はなんの薬だ?東庵とお前は長州と繋がりはあるのか?お前の出自は何処だ?」
矢継ぎ早に浴びせられる問いに、目を丸くするものの冷静に蓮二は答える。
「桝屋へ行かなかったのは、あの状況でいくら関係ないと叫んでも簡単には無罪放免にはならなかっただろう?捨てた薬は確か咳を抑えるものだと聞いている。長州との繋がりだが患者がくれば治療する。例え長州だろうと新選組だろうとだ。東庵はそういう男だ。俺自身の出自は……」
そこで話を切ると、次の言葉を探すように目を伏せた。
「三年前にとある人から東庵の所へ行くように言われた。とはいえ何をするでもなく、ただ毎日ブラブラと過ごしているだけなんだが……」
その後に続く言葉を待つが、一向に聞こえてこない。
「とある人…とは誰だ?」
痺れを切らした土方は、蓮二の口から言葉が紡がれる前に問い掛ける。
一瞬、蓮二の瞳が淋しげに揺れたような気がした。
だが、それはすぐに消え、
「いずれ分かる…。今言えるのは、お前達の敵ではないと言うことだけだ」
今まで見た事のない、妖艶な笑みを土方に向けた。
ーー敵ではないとあの男は言った。
言葉だけを信用するか……否。
だが、あの目は信用に値する。何故そこまで信じられるのか?土方自身にも分からなかった。
ただ…あの瞳には自分と同じ熱い炎が宿っていた。
普段、人を見れば敵と思えと隊士達に恫喝する自分が、たった一度会っただけの男を信用したのだ。
ーー俺はもしかしたら大馬鹿野郎なのかもしれないな。
土方はそんな自分が滑稽に思えて フッと笑い己の中で区切りをした。
片付けなくてはならない仕事が山積みなのは明らかで、その中でも先程届けられた報告に土方は頭を悩ませる事となる。
――――――――――――――
元治元年(一八六四年)六月十日
池田屋事件の残党捕縛に動き出した新選組の下に長州浪士が「料亭 明保野」で潜伏しているとの情報が入る。
武田観柳斎率いる新選組隊士十五名と会津藩士五名が捕縛に向かった。
現場にて会津藩家中「柴 司」が座敷にいた武士を制止した所、相手が逃げ出した為取り押さえようと追跡の上、槍で傷を負わせた。
その後、相手は浪士ではなく土佐藩士「麻田 時太郎」と判明したため解放。
当初、柴の行為に問題無しとし念の為、会津藩から医師と謝罪の使者を送った。
土佐側も名乗らなかった麻田にも、落ち度があると理解を示していた。
翌六月十一日。
麻田が「士道不覚悟」として藩より切腹をさせられる。
それに若い土佐藩士達は「片手落ち」だと激昂。
会津、土佐間に亀裂が入りかねない事態となる。
そして、翌六月十二日。
柴司が謝罪の意で切腹。
藩同士の関係悪化は免れたものの新選組に暗い影を落とした……。
「だからぁー。お・つ・か・い!だって。言葉分かりますかぁ?」
「嘘をつけ!そのような形単語の使いなど見た事ないわ!」
屯所前に立っている門番と押し問答が続く。
「もう……あんたじゃ話にならない。偉い人呼んで来てよ。大人しく待っててやるから」
そろそろ我慢の限界に近付く。道を通る人達の何事だと訝しげな視線に嫌気が差してきた。
半ば投げやりに呼んで来てと頼みつつも、上から目線の態度に門番は言葉を荒げる。
「待っててやるとはなんだ!その前にお前のような奴が新選組幹部に会えると思っているのか?!帰れ!」
小馬鹿にしたような目で蓮二を見ると
シッシッ と犬を追い払うような動きをした。
それにはさすがの蓮二も堪忍袋の尾が切れた……
「おい…。今すぐてめえを斬って中に入る事も出来るんだぜ…?」
一帯の空気が瞬時に変わる。
カチリと鯉口を切った蓮二に見据えられ、それまで強気だった門番は自分に向けられた恐ろしいまでの殺気にガタガタと震え始めた。
「それはマズいな。屯所前で刃情沙汰は困る。曲がり形にもコイツは隊士だ。」
低く威圧感のある声と共に屋敷から一人の男が出て来る。
蓮二は殺気を押し込むように鯉口を戻し、その声の主を眺めた。
蓮二よりは劣るもののなかなかの美男子。
色白だが均整のとれた体躯。
鋭い眼光は意志の強さと、全てを見透かすような光が宿っていた。
その瞳に蓮二は何故だか懐かしさを覚える。
それは「焔」を見た時と同じ感覚だった。
「ふ、副長っっ!?」
副長と呼ばれた男は門番を一瞥すると蓮二に向き直る。
「話を聞こう。付いて来い」
地面に打ち付ける勢いで深々と頭を垂れ先程よりも遥かなる恐怖に震える門番を少し気の毒に感じた蓮二は複雑な面持ちで通り過ぎた。
入り口からほど近いその部屋は煙草の匂いがした。
無駄な物がなく整然とした文机の上には、先程までそこで仕事をしていたのだろうか……まだ瑞々しい墨と書き掛けの紙。
その前に腰を下ろし、蓮二にも座るよう目配せをする。
「先程はうちの隊士が失礼を働いたな……。すまなかった」
男は軽く目を瞑り非礼を詫びた。
「いや…俺の方こそ疑いを掛けられる振る舞いをしたんだ。彼には後からちゃんと謝りに行くよ」
先程までいがみ合っていた門番を気遣う蓮二の対応が気に入ったのか、男は満足そうに口角を少し上げる。
「では改めて…。新選組副長 土方歳三だ」
背筋を伸ばし、真っ直ぐに蓮二を見据える凛とした風貌はさすが副長といった所。
「如月蓮二だ。三条通り近くに住む町医者『平井東庵』の所に世話になっている。で、これが先生から預かってきた薬や包帯だ」
土方の前に風呂敷包みを差し出す。
東庵の名前に少し驚き、そうか……と言うと腕を組み何か考え始めた。
「あの狸じじいが何か仕出かしたか……?」
土方の只ならぬ様子に一抹の不安を覚え、蓮二は静かに問い掛けた。
「いや…そうじゃない。それよりもちょっと聞きたい事があるんだが…」
そう言った土方の目に鋭さが増す。
瞳の奥に強い光を宿した視線が蓮二を捉えた。
嘘は通らないと言わんばかりの鋭い眼差しに、蓮二は諦めたように嘆息した。
土方の纏う雰囲気が変わった。
ああーーこれが鬼の副長と言われる所以かと。
彼の中にある信念は何物にも揺らがない。
だからこそ“鬼”であれるのだ。
確固たるその思いこそが“鬼”となった彼を生かしているのだと。
「君は……六月五日、桝屋に出向いていたか?」
やはりそうだった。
池田屋事件の発端であるあの場所に蓮二が居た事を彼は知っている。
蓮二自身、歩いているだけで人の目を集めると自覚がある。
あの日も多くの人が集まっていた。故に怪しい男が居たと届け出る者がいてもおかしくはない。
東庵が言っていたように新選組の誰かに薬を廃棄するところを見られていたのは確定した。
「……ああ、行った。今日のように東庵の使いで」
微笑を携えたまま目を逸らさず蓮二は答える。
蓮二のどこまでも真っ直ぐで強い光を放つその瞳に、土方は懐かしさを覚える。
この如月という男とどこかで会った事があるのだろうか?
過去を振り返るも心当たりが全くない。
容姿の美しさはもちろんなのだが、何よりも彼が持つ侍としての“気”
浪人の姿をしていようが、役者のように振る舞っていようが……
自身が幼い頃から憧れていた本当の武士の魂がこの男には宿っている。
土方は酷く狼狽した。
何故、生粋の武士の魂を宿した男が医者の下で小姓のような事をしているのか不思議でならない。
それと同時に湧き上がるのは
【この男が欲しい】
と言う身勝手な思い。
隊士として……
いや……それ以上の何かをこの男に欲している……
理想とする武士の魂を持っているだけ。
それだけなのに、自分はこの男が欲しくて仕方がない。
胸の奥に芽生えたものは今までに無い程熱く、締め付けるように痛む。
土方は湧き上がる熱情を押さえつけるように襟を強く握り締めた。
しばらく二人は見つめ合ったまま動かなかった。
いや……動けなかったのだ。
声を出すことすら躊躇われる。
一層張り詰めていく空気に息苦しさを感じつつも、何故かそこには独特の心地良さが漂っていた。
男同士が無言で見つめ合うなんて普通は気色悪いが……
戦いにも似た無言の攻防戦。
初対面だと云うのにお互いに感じる懐かしさと、それさえも至極当然と思える奇妙な連帯感。
どれだけの時間が過ぎたのだろうか?
静寂をそっと斬るように外から声が掛かる。
「副長、お客人がいらっしゃる所すんまへん。山崎です」
入れ、という土方の声に答えるように襖が開けられる。
小柄で細く釣り上がった目。
幼さが残る顔立ちだが修羅場は幾度と超えてきたのだろう……纏う空気は洗礼されたものだった。
山崎はチラリと蓮二を見ると少しだけ目を見開いた。
「…ちょっと失礼します」
蓮二に向かい小さく頭を下げ、土方の元へ行く。
土方の傍らに座り、耳打ちをする。
話の内容はよほどの事らしい……
土方の顔色がどんどん青ざめて行く。
チッと舌打ちすると
「俺達が動いてもどうにもならねえ。向こうの出方を待つほかねえな。とりあえず幹部はともかく平隊士連中に話が広がらないようにしてくれ。血の気の多い奴らだ」
眉間の皺がこれでもかと言わんばかりに増え、苛立ちを押さえるように煙菅に火を付ける。
「そこら辺は島田や緒方がやってくれてますんで心配には及びません。で副長?こちらの方はもしかして…?」
先程と同じようにチラリと蓮二に視線を流す。
「東庵先生の使いで如月蓮二さんだ。緒方が見た役者風の男も彼だ」
山崎と呼ばれた男は、音もなく立ち上がったかと思えば一瞬にして蓮二の前に来る。
土方からは見えないだろう。
上手く右手に隠されたクナイを蓮二の胸元に当て、静かに問う。
「あんさん…目的は?」
一瞬の出来事に蓮二は驚くが、それさえも予想範囲内だと薄く笑う。
その優雅で気品のある笑みに山崎は言葉を失う。
「目的?俺は東庵に頼まれて薬が必要な所に届けているだけだよ?」
ニッコリと笑い、胸元に当てられたクナイを持つ山崎の右手をそっと掴む。
固まったままだった山崎は、触れられた冷たい感触にビクッと体を跳ねる。
ーー冷たい手
氷のように冷たく、全く生気が感じられない。
白磁の人形に触れたようだった。
「余計な事をするな。その男は俺が話をする。お前は両藩の動きを探って来い」
低く紡がれた声は少し怒りを帯びていた。
しばらく呆気に取られていた山崎は、思い出したようにスッと苦無を懐にしまい眉尻を下げ、土方を見上げる。
「すんまへん…。ワテとしたことが先走ってしもうた」
土方に平伏すると、蓮二向き直り頭を下げる。
「如月はん、堪忍な……」
「いや……気にしないで。慣れてるから」
そう言って優しく微笑む蓮二の目は、とても深く暗い水底のような悲しみを湛えていた。
その瞳に土方は、胸を抉られるような痛みを覚える。
“もう二度と見たくない”
自分が彼にこんな顔をさせてはならないと己の魂が叫ぶ。
ーー何故。出会ったばかりの男の事をこれほどまでに思うのだろう?
山崎が出て行き部屋に静寂が戻る。
「山崎の部下から、桝屋近辺でうろつく浪人を見たと報告があった。長州かとも思ったのだが…あいつらがわざわざ単身で乗り込んで来る事はないだろう。今日ここに来た時点で俺の中の疑いは晴れた。だが気になる事がある。答えてくれるか?」
「ああ…俺の答えられる範囲ならね」
同時に顔を向けた二人の目が重なった。
なんて息が合うのだろう?
それが可笑しくて二人で ククッ と笑い合う。
「お前とは初めて会った気がしないな…」
「俺もそう思う」
お互いに感じた懐かしさはきっと嘘ではない。
今も魂が相手を呼び合っている。
それが何なのか……?
今は探っても無駄なのだろう。辿り着く事の難しい遠い記憶の片鱗。
「では聞こう。あの日何故、桝屋に寄らなかった?あの薬はなんの薬だ?東庵とお前は長州と繋がりはあるのか?お前の出自は何処だ?」
矢継ぎ早に浴びせられる問いに、目を丸くするものの冷静に蓮二は答える。
「桝屋へ行かなかったのは、あの状況でいくら関係ないと叫んでも簡単には無罪放免にはならなかっただろう?捨てた薬は確か咳を抑えるものだと聞いている。長州との繋がりだが患者がくれば治療する。例え長州だろうと新選組だろうとだ。東庵はそういう男だ。俺自身の出自は……」
そこで話を切ると、次の言葉を探すように目を伏せた。
「三年前にとある人から東庵の所へ行くように言われた。とはいえ何をするでもなく、ただ毎日ブラブラと過ごしているだけなんだが……」
その後に続く言葉を待つが、一向に聞こえてこない。
「とある人…とは誰だ?」
痺れを切らした土方は、蓮二の口から言葉が紡がれる前に問い掛ける。
一瞬、蓮二の瞳が淋しげに揺れたような気がした。
だが、それはすぐに消え、
「いずれ分かる…。今言えるのは、お前達の敵ではないと言うことだけだ」
今まで見た事のない、妖艶な笑みを土方に向けた。
ーー敵ではないとあの男は言った。
言葉だけを信用するか……否。
だが、あの目は信用に値する。何故そこまで信じられるのか?土方自身にも分からなかった。
ただ…あの瞳には自分と同じ熱い炎が宿っていた。
普段、人を見れば敵と思えと隊士達に恫喝する自分が、たった一度会っただけの男を信用したのだ。
ーー俺はもしかしたら大馬鹿野郎なのかもしれないな。
土方はそんな自分が滑稽に思えて フッと笑い己の中で区切りをした。
片付けなくてはならない仕事が山積みなのは明らかで、その中でも先程届けられた報告に土方は頭を悩ませる事となる。
――――――――――――――
元治元年(一八六四年)六月十日
池田屋事件の残党捕縛に動き出した新選組の下に長州浪士が「料亭 明保野」で潜伏しているとの情報が入る。
武田観柳斎率いる新選組隊士十五名と会津藩士五名が捕縛に向かった。
現場にて会津藩家中「柴 司」が座敷にいた武士を制止した所、相手が逃げ出した為取り押さえようと追跡の上、槍で傷を負わせた。
その後、相手は浪士ではなく土佐藩士「麻田 時太郎」と判明したため解放。
当初、柴の行為に問題無しとし念の為、会津藩から医師と謝罪の使者を送った。
土佐側も名乗らなかった麻田にも、落ち度があると理解を示していた。
翌六月十一日。
麻田が「士道不覚悟」として藩より切腹をさせられる。
それに若い土佐藩士達は「片手落ち」だと激昂。
会津、土佐間に亀裂が入りかねない事態となる。
そして、翌六月十二日。
柴司が謝罪の意で切腹。
藩同士の関係悪化は免れたものの新選組に暗い影を落とした……。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる