第1章 いずれ呑舟之魚となるために

東郷春幸

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第13話

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時間は氷が溶けるように緩やかに過ぎて、時刻はいつしか僕をほったらかして22時になっていた。
僕は真昼のように明るい煌びやかなキャバクラとか、そういういかがわしい風俗店などの繁華街に立ち並ぶ、おびただしい数の街灯の下に立って、6本目の煙草をふかしていた。足元には、先客が既に捨てた吸い殻が何本も落ちている。道を歩く老若男女もだいたいが煙草を吸っている。大なり小なり味に違いはあれど、この場にいる人間がほとんど同じものを口に入れて味わっていることについて、僕は何やら急に人類皆兄弟って触れ込みは、あながち間違いじゃないかもなと変なことを思いながら、それをぼんやり見つめた。
ここは、さっきの店員ちゃんが務めている喫茶店の商店街とはそれほど離れていないのにもかかわらず、あそことは比較にならない盛況ぶりだ。
もっとも、あそこも夕暮れ時には惣菜を買う主婦で溢れているのかもしれない。しかし、惣菜とあの喫茶店には何の関連性も無いし、八百屋でトマトを買ったし、ついでに一杯飲んでいくかと言うような気まぐれで、あの高くて薄いコーヒーを飲む物好きは、世界広しと見たらいるんだろうけど、あの喫茶店だけに絞ったら皆無だろう。
あそこの店主、人当たりが良いから余計に不憫でならない。
過ぎ去る人々の誰かが、やたら大きな声で「うるせぇ!」と怒鳴ったが、誰も反応しなかった。集団とは常に身近にあって、最も人が無感覚になる現象だ。
老若男女が100人集まれば、人に石を投げることの罪悪感や嫌悪感も極々低い濃度に薄められ、出かけの駄賃稼ぎに挙って投石をするようになる。
僕はそういう愚かな連中とつるんだりしないと言いたいところだけど、生憎流石の僕でも人は集団に属さなきゃ生きていけないことは知っている。
団長が説く兵法の1つにも、戦闘経験が少ない、または皆無な新兵や民兵を指揮する場合、彼らを小出しに分散させることは控えて、常に50人以上の小隊で集団行動させるようにしている。
素人の場合、隠密や機動性を捨てても沢山の仲間がいた方が恐怖心も薄れるし、卑怯だが少人数を一気に団体で畳み掛けることは死亡率も下がり、弱者をいたぶる高揚感も生まれて、それが次の戦闘意欲に繋がる。
恐ろしいこと考えるよな。僕は身震いしたが、これは寒さのせいなのか、団長の奸智に畏怖したのかは自分でもわからない。僕は被っているフードを前にぐいっと引っ張った。

「......大丈夫かな」

僕は今しがた保育園の前に置いてきたあの赤ちゃんを思い出す。保護されるまで陰でじっと見守っていたら、その間ずっと僕がいる方向を向いて笑っていたけど、引き取られた瞬間泣き出したんだった。
幸せになってくれるといいんだけどな、まさか行った先が違法スレスレの悪徳孤児院だったなんて笑い話にもなりゃしない。
僕はあの子の多幸を祈りながら、煙草をもう一本吸った。薄れゆきながら天に昇っていく紫煙は、小さい頃、真夏に沢で見上げた天の川に見えなくもない。
その時、真後ろにあるネオンの光が眩い風俗店の裏口から客引きの男達が2人、げらげらと下品に笑い、下品な話を駄弁りながらやってきた。30代くらいかな。僕は思った。
僕はそっと気配を消して道の脇にそれた。彼らは道行く人には無差別に話しかけても、近くで店を眺めるわけでもなくただ立ち止まってる人には案外何もしないのだ。
安っぽいスーツを着て、一人はやたら快活だけど軽薄な印象が拭えないかけ声。もう1人は滑舌はいいけどボソボソと。
どちらも、言う台詞は「ちょっとご休憩しませんか?」だ。よく思うんだが、何でこういう呼び込みの客引きは野郎がやるんだ?  見てくれのいいスケがやった方が客もやる気が出るだろう。
ま、僕は例えあの店員ちゃんと瓜二つの子がいても入らないけどね。僕は壁に寄りかかって、特に何もすることが無いので、2人が何か話しているので、何となく耳を澄ました。

「そういえばさ、ここに来る前は俺あっちの居酒屋で働いてたんだけどな、ちょっと前に家に呼んだ爆乳のデリへル嬢がその店に来たのよ」

「ああ」

「地味な服着ててな、相手はデリやってることなんか人に知られたくないだろうし、ありゃ相当やってんだろうな、客の俺の顔を覚えてないのよ。だから俺冷やかしで言ってやったのよ、あれ?  あなたこの前ウチに来たデリヘルのルカさんですよね?  って、もうその子ブチギレよ」

聞いていた男は手を叩いて笑った。低俗な職に就いてる、低俗な奴等の会話に恥じぬ低俗さだったけど、僕自身低俗な人間だから、聞いてて案外面白かった。これでそのルカさんとやらが、この店のソープ嬢だったら満点だったよ。僕もちょっと笑みを浮かべていた。
これは兄貴と話す時の為に僕の脳内に輸入しておこう。僕はさっきのあの会話を反芻した。

「うおっと」

その時、強い向かい風が吹いて僕のフードが取れ、慌てて僕はフードを被り直した。僕は一眼のつく場所ではフードを被っていないと厄介なことになる。
1つ目、僕らは今世間を恐怖に陥れる犯罪者集団。一応僕も幹部だし、副団長曰く、軍部警察の間では顔が広く知られているらしい。ましてはここは風俗街のようなところ。違法行為に及んでないか監視している私服警官がいる可能性は高い。油断はできない。
2つ目。

「えっ?  君めちゃくちゃ可愛いね?  今フードからばっちし顔見えたよ、ねぇ良かったらちょっと僕らと遊ばない?」

こうなるからだ。この美貌は僕の数少ない取り柄だ。僕より可愛い男なんて見たことあるのは僕の弟か、産まれたばかりの赤ちゃんくらいだ。
自慢じゃないけど、今まで顔を隠さずに人混みを歩いて、僕を原因とする響めきが起こらなかったことは、ほとんど無いと断言できる。サンドイッチを立ち食いしていたら、女子高生に突然、柔らかい胸を腕に押し付けられたこともある。
男に告白された回数も両手じゃ数えきれない。当然ナンパも。何度この手の手合いに悩まされただろうか。
僕は兄貴と違って口下手なんだ。ましてや初対面の人だとなおさらひどいもんと来てる。

「うへー可愛い、フードで隠してたらもったい無いって、ねぇちょっとだけ付き合ってよ、俺美味しいお店知ってんだよ」

客引きの男は、無理矢理フードを掴んで僕の顔を露わにする。もう片方は大通りの方に出られないよう、僕の真上の壁に手をついて寄りかかかって煙草を蒸かしている。
僕は今、寄りかかることに疲れて座り込んでいるから小さく見えるかもしれないけど、実際はこの2人より遥かに背が高いし、筋肉もある。それにルーボフも。

「いやでも、お兄さん方、お仕事中ですよね...」

「いや、心配しなくて大丈夫だよ、どうせ俺らなんて居て居ないような役割だからさ、ほら立って立って、あそこ早いからすぐ行かないと」

鬱陶しいな。僕は表情に出さないよう気をつけながら、心の中で顔をしかめた。流石にこの場所で殺しは目立ちすぎる。適当に神経を逆撫でして路地裏まで誘導させた後、適当に一生モノのハンデを負わせてやるのが的確か。
コイツらに貴重な弾を使ったら、弾丸を製造してくださってる障害者の方々に申し訳が立たない。それに銃を使うほど、コイツらは僕の目立った脅威じゃないからだ。

「いや......その、僕はあんまりそういうのは......」

「うるさいなぁいいから来なよ、別に何かするわけじゃないんだから、あれ、結構大きいんだね」

戸惑っている僕に痺れを切らした男は、茶色い唾を僕の革靴に吐き捨て、僕の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせる。これも僕がほぼ自主的に立っただけのこと。僕の体重は76キロだから、普通の男性が軽々と持ち上げられるのは難しいだろう。
意外に腕を掴まれたくらいじゃ気付かれないもんだな。僕は足首を回して、前髪を後ろに撫で付ける。
僕は首を鳴らしながら、彼らにされるがままに路地裏に入って行った。
思えば今日は、色々我慢することが多い休日だった。僕は人一倍ナイーブなのだから、少しはガス抜きをしなければ神経衰弱になってしまう。レ・ミゼラブルは心の病までは治してくれないのだ。
僕はある程度路地の深みに入ったことを確認すると、カビ臭い空気を肺に入れ、背後の男達に同時に腹に肘打ちを叩き込むと、2人の意識が停止してる一瞬の内に振り返って、頭を掴むと、火打ち石のように互いに頭を搗ち合わせた。実際、2人の頭では火花が散っているだろう。
暴力を振るってる時が一番楽しいひと時とは、僕は真性の不良だな。

\\\\\\\\\

「あらら、まーた始まった、本当もったいない子だわ」

唐突な美青年の反撃にすっかり萎縮して、アリーフの為すがままにサンドバッグにされている男達......には全く気にもとめず、ただ真っ直ぐに目を細め、じっくりと舐めるようにアリーフを、遠くのアパートから軍用暗視スコープで観察する女性がいた。

「やれやれ、半殺しで済むうちに割って入らねばね......ブンダバー」

刹那、女性は少し屈むと、そのまま闇に消えた。砂丘に埋めた珊瑚を誰にも見つけることが出来ないように、女性はその場から忽然と姿を消したのだった。
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