琴子と幽霊の大五郎

さんごさん

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15歳の私には、1500円は大金です

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 女性が入ったのはお洒落な食べ物屋さんだった。

 無駄な装飾があるわけではないが、落ち着いた感じで高級感の漂っている場所だ。

 その外観を見て、私は尻込みする。

《入らないんで?》

 大五朗は意外そうな表情を向けてくる。

 私だって休めるのは幸いだったし、公園で待っている間にお腹も減ってきていたけれど、そのお店は私が入るには場違いな気がした。

 私はこれから高校生になろうかという年齢だし、お金持ちなわけでもない。普段友達とはファーストフードくらいしか行かないから、このお店で食事をするのに気が引けるのは仕方のないことだ。

 勿論こんな高級そうなお店に入ったことなど皆無に近い。

「でもまあ、仕方ないわよね」

 あの女性がここで働いていたりしたならば、お店の前で待ってても何時間と出てこないかもしれないし、食事だけだとしても、お店の前で待っていたら目立ってしょうがない。

 だから私は覚悟を決め、そのお店へ足を踏み入れた。

 中に入ると店員の女性が私を席に案内してくれる。内装も外観同様高級そうだったから、場違いな感じはより強くなる。

 そっと店内の客層をチェックするが、やはり私のような年代の人はいなかった。

 案内された席につくと、疲労で震え出しそうだった足が狂喜する。もう歩けないぞと抗議しているようでもあった。

 メニューを開くとそこには妙に達筆な字で品物の名前が書かれていて、それだけでも尻込みしてしまいそうだ。

(うわあ、思ったよりも高いわね)

 目を丸くして品物の名前ではなく値段を確認してしまうが、メニューに載ってるのは普段の私からすれば考えられない値段のものばかりだ。

(オレンジジュースが八百円ってどこで仕入れてるのよ)

 その値段だけで私は贅沢な食事を出来るだろう。

 ジュースがその値段だから、当然のこと、食事の値段はもっと高い。自分の財布を確認すると、泣きたくなってくる。

 一般的な十五歳が一人で訪れるにはやはり場違いとしか表現のしようが無かった。

 仕方なく一番安いものを注文するが、千五百円。

(ケンタッキーならファミリーパックが買えるわね)

 愚痴っても仕方ないので、一つ溜め息をついた私は女性の姿を探した。

 女性は私の斜め前方に座っていて、ちょうど良いことに私と彼女の間には衝立がある。

 私からは彼女の動きを把握できるが、向こうから私のことを窺うのは殆ど不可能だろう。これならば怪しまれる事もなく観察できる。

 千五百円の豪華な食事が運ばれてきて、私の前に置かれた。

「大五朗は食べられないの?」

 私はふと思いついて尋ねてみる。

《あっしは死んでるんでやすよ》

 大五朗は吃驚したように目を広げた。

「でもほら、仏壇やお墓にお供え物をするじゃない」

《ああ、あっしは食べませんよ。もう死んでるから食べる必要がないんです》

「じゃあお供え物ってなんなの?」

《さあ、先祖に感謝の意でも示してるんじゃないんで?》

「ふーん」

 それじゃあお供えものというのは意味がないのだろうか。それでも感謝の意を示されるのならご先祖様も悪い気はしないだろう。

 まあ、大五朗は食べないと言っているのだし、無理に食べさせることも無い。

 それよりも私は、滅多に食べることの出来ない千五百円もするランチをしっかりと味わっておかなくては。

 私は箸にご飯を乗せて口に運ぶ。

 高いものだという頭があるからなのかもしれないけど、ご飯だけでもすごく美味しい。

(ああ、幸せだ)

 この後千五百円払わなければならないと考えると暗澹あんたんたる思いがあるけれど、せめてその分の幸福を味わっておこう。

《あんさん、あんさん》

 そんな幸せに浸っていると、大五朗に呼ばれて現実に戻される。

「何よ」

 せっかく幸せに浸っているところを呼ばれたので、夢見の良いときに起こされるような不快感で不機嫌に返事をする。

《あの人が出て行きますぜ》

 衝立の向こうを窺うと、女性は席を立ち上がっていた。そのまま歩いて会計に向かっている。

「ちょっと、嘘でしょ。まだ一口しか食べてないわよ」

 私は行儀が悪いのを分かっていながら、慌てて口の中に食べ物を詰め込む。なけなしの千五百円を無駄には出来ない。

《早くしないと行ってしまいますぜ?》

 大五朗が急かす。

「ちょっと待ってよ。千五百円の食事なんてそう出来るものじゃないのよ」

《あんさん!》

 大五朗は焦っていた。身体があったなら私の腕を掴んで引っ張っていただろう。

 大五朗にしてみれば長年の未練に終止符を打つための行動だから、私の千五百円よりもあの女性の尾行の方が大切なのは分かるけど、だからって簡単に諦められるほど、私にとっての千五百円は安くない。

「だって…」

《早くしないなら、あっしにも考えがありますぜ?》

 そう言った大五朗は黙ったから、これ幸いとばかりに食事を続ける。そのせいで大五朗からは注意が逸れていたのだけれど……。

「えっ?」

 私の持っていた箸の片方が宙に浮いた。

 それが私の顔の辺りまで持ち上がり先端が顔に向く。そしてその先端を顔に突き刺すように、箸が私目掛けて飛んできた。

「きゃっ」

 私の耳元を霞め、箸は私の後ろの壁に当たった。無論、箸が勝手に顔を突き刺そうとするはずは無いから、これをやったのは大五朗だろう。

「ちょ…何するのよ」

 私は文句を言うが、持っていた箸のもう一方がゆっくりと持ち上がっていく。私の手を離れた箸は、ゆっくりと先端を私に向けている。

「な、何よ」

 大五朗は私を睨んでいる。

「………っぐ」

 この目は本気で私に危害を加えるつもりだ。これ以上大五朗の言葉を無視していたら、冗談じゃ済まされない事態になりかねなかった。

「……分かったわよ」

(大五郎は完全に悪霊ね)

 諦めて落ちてしまった箸をテーブルに戻すと、名残惜しく千五百円の食事を振り返りながら、私は会計を済ませた。

「この出費は痛いわね」

 店を出て財布を覗くと中身がスカスカになった気がした。

「さて、あの人は……」

 財布の中を見ていると悲しい気分になってしまうので、気持ちを切り替えてあの女性の姿を探す。見つけた背中はすでに遠くに見えるだけだった。

(ちょっと、食後だっていうのになんて速さなのよ)

 仕方なしに小走りに走って追いかける。

「はあ、はあっ」

 私はまだ殆ど食事をしていなかったのに、今食べたものが飛び出しそうだった。それ以前に、疲労はあの短時間の休息では回復しておらず、歩き方がおかしくなっている。

 普通に歩く事も出来ないのだ。

(あの人はどんな身体をしてるのよ)

 悪態をつきたい気分だが、そんな場合でもない。

 ある程度の距離まであの女性に追いつくと、またしても地獄の持久走が始まった。

 ずんずんと進んでいく彼女だが、歩く道には見覚えがある。

「これって、戻ってない?」

 彼女は今まで歩いてきた道をそのまま遡っているようだった。

(これまでの苦労は何だったのよ)

 戻るのならここまでの尾行は丸っきりの無駄足だったわけだ。

 それでもどこに行くのか分からないので、しっかりと後をつけていく。疲労が回復したわけでもないのに、底をつきかけていた私の体力は意外と持った。

 きっとランナーズハイみたいな状態になっているのだろう。

 それからも見覚えのある道が際限なく続き、ついに……。

「公園に戻っちゃったじゃない」

 公園ではいまだにジャグリングをやっている男性がいて、――この人もこの人ですごい体力だ――変わらぬ光景を彼女は通過していった。

《あのお譲さんの家はこの近くですからね》

 あまりのショックに手を膝についてしまった私に大五朗が言った。

「え?」

《あのお譲さんの家は、すぐそこなんでさ》

 さも当然というように、大五朗は公園の先を示す。そちらの方向に彼女の家があると言うのだ。

「ちょっと大五朗。あなた、彼女の家の場所を知ってたの?」

《何言ってなさるんで?あっしはずっとあのお譲さんに憑いてたんですよ?家の場所くらい知っていて当然でさあ》

 何を今更と馬鹿にするような表情に腹が立つ。

「……大五朗」

《はい?》

「私は今、ものすごい殺意を抱いてるわ」

《そうですかい?誰に?》

「あなたによ!家を知ってるんなら尾行する必要なかったじゃないの!」

 この尾行はそもそも彼女の名前と住所を知るためにやったことなのに、大五朗が家の場所を知っているのならその必要は無かった。

 家が分かるのならあのお店を急いで出てくる必要も無かったのである。

 そうすれば私はゆっくりと千五百円の食事を味わうことが出来た。いや、それ以前に、尾行する必要がないのなら、千五百円の出費だって抑えることが出来たではないか。

 いくら温厚な私でも、こればかりは怒鳴りたくなった。だから怒鳴った。人目があるのも気にせずに。

 後から人目は気にするべきだったと悔いたが、後悔は先に立つものではない。

《そうなんですかい?でもあっしは死んでるから、殺すことは出来やしませんぜ?》

 憎たらしい口調で大五朗は言うが、その言葉の通り、私が彼に危害を加えることなど出来はしない。

「だから質が悪いのよ。ああ、もう」

 私は脱力して崩れそうになる。

 これ以上糾弾したって何にもならないので諦めるしかない。何を諦めたのか分からないけれど、私は何かを諦めたのだった。

「大五朗」

 私は彼の名前を呼ぶ。

《はい?》

「とりあえず……」

《とりあえず?》

「帰るわよ」

 私は家に向かって歩き出す。

 大五朗を殴ってやりたい気分が収まらなかったけれど、私には触れることも出来ない。一方の大五朗はどうやってるのか知らないが、さっきみたいに箸を操ったりして私を攻撃できるのだ。

(霊的な力があればどうにかして痛めつけることが出来るのかもしれないけど、私に出来るのは見ることと聞くことだけだからな)

 いっそのこと出家でもして霊的な力を身に付けようかと半分くらい本気で考えたりもした。

 家に帰る道すがら、足がフラフラだったせいで転んでしまい、膝小僧を擦りむいた。

(何で私だけがこんな目に遭うのよ)

 転んだのは大五朗のせいではなかったが、これからもこんなことが続くかと思うと、自分の将来に軽く絶望した。


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